暴走、止まる
東洋美術史の研究室のドアが開いている。…重い気分のまま、足を踏み入れた。
「なんだ遅かったな、まあいいや、サンキュー…あれ、森川嬢は?」
何も考えていないおっさんの陽気な声が聞こえてきて…正直げっそり感がハンパない。
「なんか…どこかに行っちゃいました。でもまあ、荷物はこれだけだから。…何かほかにもってくものとかあったりしますか?」
レプリカの鏡を河合先生に手渡す。
「いや、ない。よし、じゃあ飯買って学生会室に行くか。」
僕と、河合先生、桜井さん、三人並んで学食に向かったのだが。
暴走する桜井さんの勢いが、まるで止まりそうに、ない。
「でね、あたし思ったんです、このままじゃ学生会がつぶれるって!!」
一階に降りるエレベーターの中から、食券販売機に並んでいる間も、食券を出すために並んでいる間も、食券のメニューが出されるのを待つ間も、トレイを持って学生会室に向かう間も!!ずーっと、ず―――――っと学生会の悪い点と改善すべき点、間違いを正さなければいつか学生会は滅びる…持論を展開し続けた。桜井さんは昼食を食べないらしく、何も注文しないというのに僕と河合先生の間に立って一緒に列に並んで、周りの学生さんたちの白い目にまるで気が付かずマシンガンのようにしゃべり続け、最初のうちはへらへらと聞き流していた河合先生も、学食ですき焼きうどんを受け取るあたりから顔色が悪くなってきた。…なんだ、この傍若無人なおっさんも顔色を悪くすることあるんだな。
「…あのさあ、初めからそんなにぶっ飛ばしてるときついよ?学生会はぬるい組織で
「そんなこと言ってるから彼方くんが困ってるんですよ?!あのラブワードは大失敗だったんです、彼方くんの気持ちになってあげてくださいよ!彼方くんの事なんだと思ってるんですか?学生会のおもちゃじゃないんですよ!!」
あの河合先生が完全に飲まれている。僕は口をはさむ隙すら見つけられない…というより、口をはさみたくなくて、傍観している。一言でも言葉を発したら、そこから上げ足を取られて付け込まれそうな空気が…流れて、いる。一言も話さないまま、学生会室に来て、しまった…。まだ何か話している桜井さんと、何も言い返せずに聞き役に成り下がってしまった河合先生を横目で見ながら、ドアを、開ける。
「あれ、その人だれ?」
三上先輩がおにぎりを食べながらこちらを見ている。横には早瀬先輩の姿が。
「今日から学生会に入りました、桜井菜摘です!」
「学生会に入った…?」
早瀬先輩の目がこちらを確認している。僕は祈るような気持ちを込めて…状況を説明しようと。
「桜井さんは学生会に入りたいと思っていたそうで、河合先生に直訴したんです。そしたら先生がその場で了承しちゃって、ここに
「顧問の先生の決定があれば無駄な選抜作業が省けますよね!使えない人なんかいらないんで、あのポスター剥がせばいいと思いますよ!」
ダメだ、僕に会話をさせてくれそうにない。
勢いのついた桜井さんを止めることができる人は…どこにもいない。私が入れば問題は解決する、無駄な作業をする暇など学生会ににはないでしょう、使えない人材は必要ないんです、そもそも会長さんが悪いんですよ、もっと物事を考えて進めないと、もう会長も変わった方がいいんじゃないですか?三年ですよね?いつ引退するんです?・・・。三上先輩は、食べかけのおにぎりを胸の前で両手で持ったまま、開いた口を開けっ放しにして呆然としている。早瀬先輩は腕を組んでしまった。
「…悪いんだけど、河合先生が言ったとしても特別扱いはできません。学生会に入りたいなら、ちゃんと選抜の
「顧問の許可があるんですよ?!特別扱いしてもらわないと困ります。」
早瀬先輩が一瞬の隙をついて厳しい言葉を伝えるも、まるで通用しない。事の発端となった顧問は黙って学食をぱくついている。この状況でいつも通りにガツガツ食べることができるその神経、はっきり言って見習いた…いやいや!!見習ってたまるか!!
ガチャ!!!
「ウィーっす!…待 た せ た な !!!」
「おつおつwww」
剣呑とした空気をぶち壊すかの如く、間延びした声が聞こえてきた。両手に菓子パンがパンパンにつまったレジ袋と2Lの炭酸水、ウーロン茶を抱えた結城先生と、サンドイッチとペットボトルを持った森川さんの登場だ…。森川さん、結城先生に何か言ってくれたのかも知れない、この状況を打破してくれることを祈りたいけど、どうだろう。シュガードーナツ食べながら砂糖をこぼしている姿しか思い浮かばないぞ…。もう駄目だ、学生会は甘いモノと暴言のラッシュで崩壊へのカウントダウンが始まったとしか思えない。
「あ!あたし今日から学生会に入った桜井です!」
「入った?」
結城先生がレジ袋からクリームパンを出しながら聞いている。ミニサイズ五個入りのやつだ。
「はい!河合先生に直接お願いして、許可をもらいました!私今日からこの腐った学生会を作り替える気まんまんなんです!がんばりますね!」
ああ、また桜井さんの暴走が…。彼方くんを中心として学生会を作り替えましょう、新会長を支えるのは自分しかいない…、え、僕が会長になるって話になってるのはなんで?!
「すげえことになっててちょーウケるwww」
「…笑い事じゃないよ、大問題だ。」
森川さんが僕の隣にちょこんと座ってサンドイッチを食べ始めた。よく食べられるな…僕の右横では暴走大魔王が弁舌を振るってるんだぞ…。真正面の三上先輩なんかおにぎりの表面が乾き始めてるんだぞ?早瀬先輩なんかコーヒー見つめすぎて寄り目になってるんだぞ?…河合先生はデザートのケーキ食べ始めてるけど。
・・・ぐしゃ。
結城先生が、五個入りのクリームパンを、完食した。空き袋をぐしゃりと丸めて、机の前に投げ捨てている。
・・・ぷしゅ。
結城先生が、炭酸水のふたを開けて、ぐびぐびと飲んだ。
べふー!!!
遠慮のない恥知らずのおっさんの不届きな吐息が響いた。
「ですから、あたしはこの現状を潰すべきだと
「あのさあ。君は何がしたいの。学生会潰して楽しいの?悪いんだけど君向いてないよ、出てって。」
空気が、ピンと…張りつめたのが、わかった。
びり、びりり・・・。
結城先生の、手巻きおにぎりのラップをめくる音が…部屋の中に、響く。
バリ、バリ、もちゅ、もちゅ…うんぐっ。
「な、何言ってるんですか!私は顧問の許可をもらって
「何言ってんの。担当教諭は二人いるんだよ。一人がオッケーしたところでもう一人がOKしなかったら通んないの、わかる?」
・・・しゅ。
結城先生が、ウーロン茶のペットボトルを開けて、ぐびぐびと飲んでいる。
「人が話している時は最後まで話を聞いてください!私は河合先生のOKをも
「正論かましてるつもりかもしんないけど、付け込んでるだけだね。そもそもこんな状況の中で、今日初めて入ってきた人の意見が通るはずないでしょ。やる気に満ち溢れてるところ悪いんだけど退出して。混乱するだけだから。はい、お帰りはあちらね!」
結城先生が、レジ袋の中をばさばさやりながら出入り口ドアを指差す。…その指に、米粒が一粒ついている…って、パクっと食べた!!
がちゃ!!!
「今日の分取ってきたよー!今週いっぱい募集でよかったよね…って、何?この空気。」
相川先輩が紙袋を抱えて、ドアを開け…学生会室に入ろうとして、躊躇している。
「あ!!そこそのまま開けといて―!お客さんが今すぐ帰るから!!」
桜井さんは…わなわなと、震えて、いる、ような。なにか言った方がいいよね、ええと、どうしようか。
「ごめんね、もうちょっと落ち着いたらちゃんと対応できると思うし、とりあえず今日は現状のメンバーで話し合う予定だったから。また今度
「そうだね、あたし、ちょっとはりきりすぎちゃったみたい、ふふ、そうよね、たしかに。…失礼、し、ましたっ!!!」
僕の言葉を聞いているのか聞いていないのか…桜井さんは学生会室から退出した。ものすごく丁寧に…お辞儀をして退出したのが、地味に怖い。
「ねえ、何があったの?」
「イケメンのタラシが大問題だってことだよ!!」
「いいかげんな先生が大問題って事じゃないですか!!!」
とんだ責任転嫁だ!!今回の事はすべて河合先生の無責任な一言が!!!
「もー!河合君、駄目じゃん!!テキトーなこと言ったら!!!あとで詳しく聞くからね!!プンプン!!!」
大好物のシュガードーナツをバックバックと食べているおっさんが!!あの桜井さんを蹴散らすとは相当スゴイ、だが口の周りを真っ白にしてもぐもぐやってるその姿は、どうも尊敬のまなざしを向ける気持ちになれないというか…。
「入りたいって言われたら入るなとは言えないし!!仕方なかったんだよ!」
「…とりあえず、募集の紙見ながら、ごはん食べよ、ね?」
三上先輩の声を聞いて、僕はすっかり冷めてしまったすき焼きうどんのラップを剥がし始めたのであった…。




