過去
僕の知る由香は、いつだって、ニコニコと笑っていて。
僕の知る、由香は、いつだって、顔を真っ赤にして、困っていて。
…僕の知らない、由香の姿を、知る人がいる。
…僕の知らない、由香の姿を、知らせる人がいる。
四月に出会って以来、僕と由香の間にできた、信頼関係、友好関係、…絆。
僕と由香の絆を、消そうとしている人がいることを、知ってしまった。
僕は、女子というものを、侮っていたのかもしれない。
僕は、女子というものを、なめていたのかもしれない。
女子の…嫌な面を、まざまざと…見せつけられた僕は、こんなにも、ダメージを、受けている。
…そもそも。
僕は…あまり、女子というものをよく理解できないまま、この年まで、過ごしてきてしまった人間だ。
多分何とでもなるだろう、そういう気楽な考えを持ち続けて…なあなあにしたまま、女子達と向き合ってきた結果が、今の、僕。
年の離れた兄貴が二人いる僕は、物心ついたときにはもう、男子と一緒になって海辺を駆けていた。僕の周りには、いつも男子ばかりがいた。…幼馴染は、男子ばかりだ。特定の、とびきり仲の良い女子の友達はいなかった。僕は当時とても活発で、暇があればボールを蹴ったり釣りをしたり、海に泳ぎに行ったり…部屋の中でお人形遊びをする女子達とは、少しばかり気が合わなかったのだ。けれど、それは決して嫌いだとか苦手だとか、そういう類のものではなくて、日々男子たちと遊んでばかりいるけれど、普通に女子とも仲良く話をしている、そういう毎日を過ごしていた。
「うっわ!!彼方女子のふりしてる!!!」
「マジか、実は男だったパターンだと思ってたのに!!!」
「わーい、仲間、仲間!!!カナちゃん、やっぱり女子!」
「大丈夫!!ちゃんと女子に見えてるから安心して!」
「そうか?男子にしか見えないな、・・・やっぱ男子じゃん!」
「女子だって知ってるくせに!!」
初めてスカート…セーラー服を着たのは、卒業式だった。小学校の卒業式は、通う中学の制服を着て出席することになっていたのだ。
僕は当時、着るものに無頓着で兄貴たちのお古ばかり好んでいたから、スカートなど一着も持っていなかった。初めてのスカート着用に、同級生たちが大笑いしたのを覚えている。だけど、僕はその雰囲気は、決して嫌いでは、なかった。1クラスしかない小さな小学校だから、同級生は皆…兄弟みたいなもので、ずいぶん気楽に、僕は僕として…存在することができていたからだ。…田舎だったから?あまり、男子と女子の区別がなかったようにも、思う。わりとみんなが仲良くしていた。
中学に入って、少しづつ…周りの様子が、変わってきた。相変わらず男子とは仲良くしていたが、女子とも一緒に過ごす時間が増えていった。遊び中心の気ままな時間が多い期間は過ぎ去り、学ばねばならない時期に突入したためだ。男子と女子で別れて受ける授業しかり、部活しかり。
その中で、明らかに僕の知らない流れが発生するようになっていった。僕を知らない同級生たちが、僕の知らないところで、僕の事を話題にするようになってきたのだ。僕の知らない同級生たちが、僕の知らないうちに、僕という人物を作り上げてゆく。
たまたま一緒に保健委員をやった同級生から、また一緒に委員やれるといいねと言われたのが、いつの間にか約束したことになっていたり。
たまたまコンビニで一緒になった同級生が、いつの間にか一緒に買い物を楽しむ仲だという事になっていたり。
たまたま同じクラスの隣の席に座った同級生が、僕の親友として常に横にいるようになっていたり。
やけに僕の周りで諍いが起きるようになって、いつしか僕は中立者として微笑まなければならない状況に…追い込まれていた。仲の良い女子が増えていく中、僕はいつも…中立者だった。特定の誰かに味方をするようなことは…したくなかった。僕は、もめごとは嫌いだった。…もめ事は、家の中だけで十分だった。クラスメイトがもめたら真ん中に立って仲裁をし、いつしか僕は自分の意見を前に出すことをあまりしなくなった。仲の良い友達と二人組になりましょう、そんな時、…僕はいつだって、誰かを選ぶことができずに…声をかけてくれる誰かを待った。
「お前、めんどくさい事になってんなあ…。」
「カナちゃんかわいそう…。」
「ねえ、もう少し…自分出した方がいいんじゃない?」
「カナはこんなへらへらしたやつじゃなかったはずなんだけどな。」
「僕は別にへらへらなんて、してない。」
小学校の同級生たちが、時折僕に…助言をくれた。気を張らずに話ができる友達がいる、それだけで僕はずいぶん、気が楽になった。
僕は、自分が大人になることで、子供っぽい女子の行動を許そうとするようになった。わがままを言う女子は、拒絶するよりも受け入れた方が問題が起きないことを学んだからだ。いつしか、どこか一歩引いた場所から、状況を判断するようになった。いつの間にか、感情が飛び出すような言動をしなくなっていた。自分の中に、飛び出すような感情が、見つけられなく、なっていた。
高校に入学し、僕は部活動に集中するようになった。弓道部を選んだのは、弓を引く時にしんと静まり返る、あの静寂に憧れたからだ。やけに周りがうるさかった中学時代があったからこそ、僕は弓道を選んだのだ。ただ、的を狙って、そこに矢を当てる。ただ、穏やかに時を過ごすために、正しい言葉を選んで、終える。
クラスメイト達とのやり取りで、一呼吸置いてから返す、自分。
いつしか、僕は会話する相手が望んでいる言葉を返すことだけを目標とするようになってしまっていた。
僕は、僕自身は、いったいどこに行ってしまったのか。
誰かの意見ありきの、自分の意見が当たり前になった。
誰かの望む言葉を発する僕は、本当に僕なのか。
自分自身がわからなくなり、迷走した。
自分の言いたいことが見つからない。自分のやりたいことが見つからない。
自分の意見を言わなくてもいい環境を探すようになった。生徒会活動だって、そうだ。人の意見をまとめて、結果を発表するだけだ。
「石橋はやりたいことを見つけるために…環境を変えてみたらどうなんだ。」
生徒会の顧問は、進路指導主事だった。やけに迷走する僕を見て、思うところがあったらしく…この大学の推薦の話をもらうことになった。
学科の特殊性もあってか、ずいぶん離れたところにあるこの大学に進学を希望している生徒は一人もいなかった。
僕を知る人は、ここには一人もいない。僕という人物が、何を思って、何をしてきたのか、知る人は誰もいない。何もできずにじたばたしていることを知っている人は、誰もいない。誰かの顔色ばかり見て、いつも自分自身の言葉を飲み込んでいた、いや、飲み込んでいたであろう事すら気付いていなかった僕の事を知る人は、誰一人としていないのだ。
自分が、変わる、絶好のチャンス。
僕は、大学に入って、僕がやりたいと思ったことを、やるつもりだった。
僕は、大学に入って、僕がやりたいと思ったことを、やってきたんだ。
あまりにも心地の良い毎日が続いていたおかげで、僕は迷走していた時を忘れかけていた。
僕と同じように、由香だって、何かを変えたいと願っていたのかも知れない。
思えば、由香は…桜井さんから、逃げていた。
僕を囲む団体を、それとなく、避けていた。
思えば、由香は…いつだって人ごみを避けるように孤独に移動することが多かった。
僕が声をかけるたびに、どことなく戸惑う空気が、ふわりと漂っていた。
由香と、話が…したい。
けれど、僕に…うまく話せるだろうか。
…僕の、胸が、痛い。
僕が、昔の自分を思い出しているから痛むのか。
僕が、由香のことを思っているから痛むのか。
僕が、不安に思う気持ちが大きくて痛むのか。
僕は、ため息をついて…。
「あ、カナキュン、次の東洋、どーする?」
「うちらはサボることにする―!」
「どーせケーキバイキングの話なんだって、つまんないし逃げちゃお!」
「…あたしは、彼方くんが出るなら出よっかな。」
「うちもー!」
どうやって、この場から離れようかなと、頭を、抱えた。




