真面目と、不真面目
・・・僕は。
わりと、真面目な、生徒だと、自負している。
授業は、真面目に受けたいと思っている。大学の授業は、ずいぶん…楽しいと、思っている。
学力をつけることを目標とする高校までの授業と違って、専門知識の増量を目的とする大学の講義というものに…非常に、魅力を感じている。
例えば、教授のつまらない蘊蓄を、いつか自分の人生に生かせるかもしれないとノートの片隅にメモを取る、その瞬間がとても好きだったりする。例えば、何で大学に入ってまでやらなきゃいけないんだと思うようなつまらない英語の和訳であったとしても…高校までの授業内容とは違う、成績に直結しない…正解のない翻訳の楽しさを感じていたりする。
一般教養、専門科目の授業はもちろん、他学部聴講制度もはりきって利用しているくらいで・・・学べるのであれば、いろいろと学んでおきたい、そう考えている。
・・・けれど。
学生全てが、僕のようなタイプかといえば、そうでは、ない。
この大学で学びたいことがあって意欲に燃えて入学した学生もいれば、とくに目標もないままこの大学に入学した学生もいる。僕だって、どちらかといえば、どうしてもこの大学で学びたいものがあったわけでは、ない。…なんとなく、担任のすすめに乗って、この大学に入学することになって。入学が決まってから、初めて大学のカリキュラムにじっくり目を通して。そこで初めて、美学学科で学ぶ分野に触れて、その中で東洋美術の魅力が目に留まって、知識を増やしたいと思えた。
…僕はまだ、美学学科の中に知識欲を掻き立ててくれる何かを見つけることができただけ、恵まれているのかも、知れない。
やりたいことを見つけるために、この大学に入ったわけではない、学生もいるのだ。
ここしか受からなかったから、ここが一番通いやすいから、そういう理由で、この大学に籍を置いている学生もいるのだ。
学ぶことは好きではない、大学に通うというステータスだけあればいい、この大学じゃなくてもいい、どこでもいいから大学を卒業できればそれだけでいい、そういう学生も、いるのだ。
例えば、代返を頼む学生だったり。
例えば、ノートはコピーしてもらうのが当然と考える学生だったり。
例えば、あと1回休んだら単位がもらえなくなると騒ぐ学生だったり。
講義の最中、ノートも取らずにスマホ画面に夢中になっている学生もいるのだ。
講義の最中、教授の声を妨げるような騒音になっている不届きものもいるのだ。
大学に入学した意味など、ただの時間潰しであるという学生も、確かに、いるのだ。
学ぶことを望んでいない学生たちが、何を楽しみに、大学生活を送っているのかというと。
それは、心躍るような、何か。
それは、思わず目を奪われるような、何か。
それは、誰かとの、何か。
四年間という、自由気ままな、時間。
学ぶ者もいる。
アルバイトに精を出すものもいる。
楽しい時間を過ごすものもいる。
出会いを求める者もいる。
夢をみつける者もいる。
夢を追うものもいる。
何もしないものもいる。
…僕は、大学という場所に、学びを求めてきているから、学びを求めない人たちの気持ちが、よく、理解できないのかも、知れない。
なぜ、学びに来ているのに、同じことを学ぶ仲間を…攻撃するのか、理解に苦しむ。
なぜ、学びに来ているのに、友好関係を妬んで…攻撃するのか、理解に苦しむ。
「ねね、カナキュン、なんかめっちゃ今日の授業つまんないね!」
いつもだったらすらすらとノートを取る僕が…シャーペンすら持たずにぼんやりとしているのを見た大崎さんが声をかけてきた。いつもだったら、川村さんとラインでずっと授業の愚痴や昨日見たドラマの感想をつぶやいているはずだけど…。
芸術学の菱川教授は、少々お年を召していて…集中して声を拾わないと、ノートを取る事が難しい。黒板の文字もかなり独特で、読解が困難だ。基本、話していたことを黒板にまとめるので、きちんと話を聞いていれば難解な文字もそれなりに理解できるのだが、一瞬でも気を抜いてしまうと理解が不可能になってしまう。受講生は皆その一瞬が発生しないよう、一時間集中力を持続させていたのだが、前期、芸術学はテストの実施がなくレポートの提出だけだと判明したため、教室内は少々ざわつきが増え黒板を注視する学生が減ったと…思う。
僕個人としては、芸術に携わる者の蘊蓄を聞くのはかなり楽しいというか、興味をそそられるというか。視覚を利用したセンスアッププログラムなんかは、僕も参加してみたいなあと思うほどに意識が変わる話が聞けたと感じていたりするので、できれば講義中は教授の言葉を逃さずに聞きたいし…ノートはきっちり取りたいとおもうのだけども。
「…はは、こういう日も、たまには、あるね。」
あたりさわりのない返事を返したものの、講義内容に身が入らないほど自分が集中力を欠いている事実に…困惑している。
「だよね~真面目に授業聞いてると眠くなってくるもーん!」
「わかりみ!もー出てっちゃおっか、学食でケーキでも食べる?」
たまに、講義途中で退出する学生も、いる。
何のために大学に入学して、何のために学んでいるのかわからないような人が、一定数…いる。僕は、最低限の、学生としての…学ぶ者としてのマナーとして、授業にはきちんと出るべきだと思っているし、出たからには、最後まできちんと拝聴すべきだと思っている。
「え、ケーキ食べに行くの?あたしも行きたい!」
「なんかさ、新しいケーキ入ったらしいよ!」
僕の前の席に座る笠寺さんがふり返って、大崎さんと川村さんの会話に混ざる。その声を聞いた笠寺さんの横に座っている桜井さんもこちらを向いている。通路を挟んで隣の席の秋元さんもこちらの話に加わりたそうな感じだ。やけに教室の後ろの方の席がざわつき始めた。
…ああ、久しぶりだな、入学したての頃は、ずいぶんざわついていたんだ、教室内が。授業開始直後から教授の注意が飛んでくることもしばしばあった。
…いつごろからだろう、このざわめきが落ち着いたのは。
「ちょっと!静かにしてもらえる?!」
二つ前の席に座るワタサンが、騒めく団体に向かって厳しい言葉を投げてきた。ざわついていた声が止まり、教室内に静けさが戻る。
ワタサンは見た目の派手さに反して…かなり真面目な学生だ。四月、講義の始まったころから、やけに騒がしい教室の後ろが気になっていたと、聞いたことがある。教授がきちんと騒がしさを注意してくれる場合はまだいい。しかし、中にはいちいち学生の態度をいさめるようなことをしないタイプの教授もいて、授業に集中したいのに、集中させてくれない騒がしい集団にいい感情を持てないまま、ストレスをかなり溜めていたらしかった。
―――ごめん、カナキュンが悪いわけじゃないけど、カナキュンに向かって注意してもいい?
…そうだ、落ち着いてきたのは、親睦旅行の次の日からだ。あの旅行の後、ワタサンと仲良くなったことでワタサンの遠慮のようなものがなくなって、僕に向かって注意するようになって。
―――ワタサン、ありがとう!僕も実は…困っていたんだ。
…なぜだか、僕の周りにはあまり真面目な学生が集まらない。いつも、騒がしい集団の真ん中で必死になって教授の声を拾っていた、あの頃。ワタサンの申し出は、非常にうれしいものだった。ワタサンが僕に向かって厳しい言葉を投げてくれたおかげで、僕の周りから喧騒が消え、僕も授業を楽しめるようになった。ワタサンの一言が効かない時は、僕も注意を促したりして…ずいぶん静かな授業時間をようやく手に入れることができたんだった。
…僕の乗ったバスで仲良くなった46人の中には…僕に対して悪いイメージを持っていた人もいたようなんだよね。いつも騒がしい集団のボス、そういうイメージを持っていた人も、少なくなかったようで。でも、あのバス旅行以来、僕の事を見る目が変わった人も多くて。ワタサンの注意で静かになった教室内に、心から安堵した人も多かったのだ、多分。…僕も、含めて。
いろんな学生がいるけれど、みんなそれなりに、平和に…美学学科の一年生は、うまくまとまっているというか…問題なんてものは、どこにもないと、思っていたんだ。けれど、それは僕一人が感じていただけで。
・・・実際は。
《ね、みんなでぬけちゃお!!》
《オッケー!じゃあ、一人づつ抜けていこ!》
小声で話す声が、耳に聞こえてきた。…川村さんが、ラインの画面を、僕に見せてくる。
【カナキュン元気ないから励ましお茶会今からやるよ!学食にて!】
…もうすでに笠寺さんと秋元さんが教室を出て行ってしまった。名前が書いてあるから、僕が行かないのは、まずいよね…。しかし、なんで僕の意向を聞かずに、いつの間にか参加が決定しているんだ。…こういう、ごり押し?巻き込む感じ?女子のパワーの威力を、感じちゃうな。・・・ああ、教室の入り口のドアのところで、先に抜けた二人が手招きをしている。
本当は、こんな失礼な事、したくないんだけど…集中力もないし、ただぼんやり過ごすくらいなら…出ていった方がいいのかも、知れない。
…ひょっとしたら、由香の事、何かわかるかも、知れないし。
僕がのんびりしているうちに、大崎さんと川村さんも教室から出ていった。桜井さんがカバンを抱えて…教室を出ていく。体勢を低くしているけど、教室を出ていくのは、バレバレだ。…ああ、教授が黒板に大きな表を書き始めた。手に持った資料の表を書き写そうとしている。しばらく、黒板に集中、しそうだな。
僕は、ため息を一つついた後、音もたてずに荷物をまとめ…初めて、講義途中で教室を、出た。




