夏休みの計画
今年の夏は梅雨明けが遅かったこともあり、七月中旬だというのにずいぶん過ごしやすい。このまま猛暑日のない、穏やかな夏が過ごせたらいいんだけど、どうだろう。
シャワ、シャワ、シャワ…!!
ジャワジャワジャワ…!!
緑の多い大学構内には、蝉の大合唱が鳴り響いている。…それだけ鳴り響くという事は。
「ぎゃあああああああ!!セミっ!!蝉っ!!!」
体育の授業に向かう僕と由香、布施さんと森川さんの目の前に勢いよく飛び出した蝉。なにを思ったのか、蝉は遠慮することなく布施さんのおなかに張り付いた。なんて無礼な蝉なんだ。…そうだな、これだけたくさんの蝉がいたら、一匹くらい失礼極まりない空気の読めない蝉もいるよね。
体育館へ続く渡り廊下は外と隔たれていないので、木々を飛び交う蝉たちが時折学生に襲い掛かるんだ。蝉が鳴き始めて、今季三度目の捕獲だったりする。一回目は三上先輩で、二回目は知らない女子、そういえば河合先生にもくっついてたけど、華麗にスルーしてあげたんだった。僕は虫は平気…というよりむしろかっこいいと思っているタイプなので、蝉の突然の襲撃にも特に恐怖心を持つことはないんだけど。
「大丈夫、…ほら、取れた。」
ジジっ!!
布施さんのおなかに張り付いた蝉をつかんで空に投げる。…蝉はすぐにバランスを取り直して飛んでいき、木々の間に消えた。
「彼方、虫、平気なんだ…。」
「男前すなー、さすが。」
こんなことで男前扱いされてもね?少々辟易しつつも、にこやかに微笑み返して、みる。由香も森川さんも目を丸くしているけど、そんなに怖いものなのかな…。黒くてテカテカした飛ぶ奴も平気なんだけど、言ったらドン引き案件だな、よし、話すのはやめておこう。
『はい、ワンツーワンツー!!』
体育館では、前期講座最後の体育の授業が行われている。体育館の中はエアコンが効いているから、涼しくて思いっきり体を動かせる。思えば高校の部活や体育の授業は暑くて暑くて大変だったんだ。大学って素晴らしいな。…いや、施設の整った学校の素晴らしさか。
しかし、大学の体育の授業でエアロビクスをすることになろうとは…。僕は少々、こういうのはねっ?!
『石橋くーん、かたいかたい!!!もっとエレガンスに手足を伸ばして!!』
うっ!!なぜ僕だけ名指しでダメ出しをするんだ、この体育講師はっ!!!そりゃ確かにね、由香みたいにリズミカルにボックス踏めないけどね?!森川さんみたいにミスをなかったことにしてポーズ決めたりできないけどねっ?!
体を動かすのは確かに楽しい、けど、俊敏且つたくさんの人たちと同じ動きをきっちりするというのは思いのほか難しくてっ!!!
「足だけきっちり踏めてたらけっこうごまかせるよ!!イチニ、イチニ、右左右左…うん、できてるできてる!」
由香がすごく良い笑顔で…僕にアドバイスを!!僕はそれだけで、この修羅場を潜り抜けることができる!!
「カナキュンガンバ!!」
「カナキュンファイト!!」
皆が僕を励ましてくれるけど!!逆に恥ずかしい!!は、早く時間が過ぎてくれることを祈るしかっ!!!…なんでこういう時間って、過ぎるのが遅いのかっ!!
「ねえねえ、彼方は夏休みどうするの?」
地獄の体育の時間が終わって、更衣室で着替えていると由香がニコニコしながら僕に声をかけた。来週で前期試験が終わり、八月から九月後半まで夏休みになるんだ。真面目に講義を受けている僕と由香はおそらく試験はすべて通るはずで、追加講習や補習の必要はないと思われる。
「夏季集中講義以外は地元でアルバイトする予定だよ。」
僕の地元は海が近いので、夏の間海水浴場でアルバイトをするつもりなんだ。高校時代からやってるんだよね。カレーライスを作ったり、かき氷を作ったり、焼きそばも焼くし、浮き輪も貸すし、お客さんと一緒に写真を撮ることもあったりして…。土日はコンビニのアルバイトがあるからそっちを優先するんだけどね。
「あ、映像論の集中講義、私も取ってる。なんか〈戦艦ポムパンプキン〉と〈一般人ケン〉見るって聞いたから楽しみ。」
森川さんは古い映画が大好きなんだそう。その線で卒論を書くと心に決めているらしい。おすすめ映画をいくつか聞いたけど、一つも知らなくて、由香と一緒に頭の上に?マークをいくつも浮かべたんだよね。この夏その謎が解けるに違いない。クセのある映画間違いなしだ、多分。
「私はラクロスの試合あるから…講義希望出したけど、出れそうにないなあ…。」
「あ、そっか、全国行くって言ってたもんね!がんばってね!!」
布施さんはなんと県内の大会で優勝して、全国大会に出場が決まっているんだ。すごいな、スターが身近にいる!テレビ放送もあるらしいから、チェックしておかねば。スポーツ万能って布施さんの事だよね、さっきのエアロビクスもばっちりついていってたし。…腹筋とか絶対割れてるタイプだ。水泳とかも得意そうだな…そうだ!
「あのさ、集中講義終わったあたりで、みんなで海に行かない?僕のバイト先だけど、どう?」
「おお!マジで!!あたし海なし県出身だから地味に興味ありありなんだけど!お盆前には実家に帰るから、それまでに行きたい!!!」
思いのほか森川さんのテンションが上がっている。そういえば内陸県出身だと聞いたことがある。海へのあこがれと、山の幸自慢で小一時間。なかなか聞きごたえのある時間だった。
「うーん、試合疲れがなければ行きたいな、優勝したら帰ってくるのは集中講義最終日だから…その時返事してもいい?」
「行きたいけど、私水着持ってないよ…。」
「地味にあたしも持ってない、どうするよ。」
…そういえば僕もバイト先で支給されてる地味なやつしか持ってないな。
「じゃあ、集中講義の最終日にみんなで買いに行こう。午前中で終わるからね、お昼食べに行ってさ。布施さんは持ってるの?」
「あるある、競泳用だけど。でもせっかくだから私も買いに行きたいな、うん、やっぱり海行きたいな、行く!!」
楽しそうな夏休みになりそうだ。いろいろと準備をしておかねばなるまい。まずバイト先の店長に根回しして浮き輪をぶんどって、焼きそばをくすねて、かき氷のシロップをいただいて…。
「由香は夏休みどうするの。アルバイト?」
大学生活になれたという事で、由香は先月からアルバイトを始めたんだ。自宅近くのケーキ屋さんらしくて、売れ残りを毎日買っていたら…少々サイズアップしてしまったらしい。僕としては、ちょっとかわいさが増したような感じがするんだけど…。丸顔が許せないと言って、最近休み時間に音の出ない笛を吹いている由香がかわいいのなんの。なんでも、腹式呼吸で、腹筋を刺激するんだって。
「ううん、バイトはいつも通りにして、車の免許取りに行こうと思ってるの。中央自動車スクール…。」
「マジで!!!提携校のやつ?!すげえな、あたしこんなところで免許取る自信ない!!」
うちの大学の提携している自動車学校は、大学からスクールバスが出ていたり、追加講習が無料だったりしてかなり優遇が効くんだけど、例の…市内を走る路面電車がね。路上教習で電車横を通りたくない学生が多くて、実に不人気だったりするんだ。なにがきついかって、路面電車の駅真横に自動車学校の入り口があって、路上教習車が何度も何度も電車に警笛鳴らされてる場面をね、見てたりするとね?!
「由香、勇気あるなあ…。」
「過酷な環境で免許取ったら、普通の運転が楽になりそうじゃない?」
なんという前向きな考え方なんだ。僕も見習おう。…由香が取ったら僕もチャレンジしてみるか。今年の夏はバイトが埋まってるからね。
「ああー、たしかに!ここはいい経験詰ませてくれると思うよー、私もここで取ればよかったな…。」
「え!!なに、ふーちゃんは免許持ってるの?!」
「高校卒業前に通い始めて、四月に取ったんだよ、あれ?言わなかったっけ。」
初耳だ!!すごいな、布施さんのフットワークの軽さは。そういえば…いつもリポート提出は一番だし、テストもすぐに退室してるな。素早いというか、仕事が早いというか、手際がいいというか、抜かりないタイプだったのか、知らなかった。
「初めて聞いたよ!わかんないことあったら聞こう!!」
「いつでも聞いてね!」
由香に胸を張る、布施さん。いいね、こういうの…ん?あれ、なんか森川さんが僕の肘をつんつんとつついているぞ?
「石橋君、フーさんはね、事故って五月に車を廃車にしたのさ。彼女のアドバイス…鵜呑みにしては、ならぬ!!」
僕の耳元で、恐ろしい事実を報告する森川さんがっ!!これは間違っても教わっちゃだめなやつだ!!あとでそれとなく由香に注意を促しておかねば!!
「来週ね、新しい車が納車なの、みんなで私の車に乗ってく?」
「はは…潮風はね、さびが付きやすいから新しい車にはちょっと気の毒だね、うん…電車で行こう、それがいいよ、駐車場も炎天下で車の受けるダメージもハンパないし、砂浜はタイヤへのダメージがね、うん。」
布施さんは何やら考え込んでいる。車を運転する機会と、潮風のダメージを天秤にかけているようだ。
「石橋君はあれだ、正直者というか、隠し事ができないタイプだね、カワユスな。」
ぼそりと小声でつぶやいた森川さんに、由香がうんうんと頷いている。かわいいって何だい。
「じゃ、集中講義最終日のランチとショッピング、その次の日の海行きは決定という事で!」
すっかり着替え終わった由香が海行きを宣言する。
「らじゃー。」
「おっけー!」
「了解。」
海ももちろんだけど、ショッピングも楽しみだな。水着か…。自分のを選ぶよりも、由香の水着を選ぶ方に力が入りそうだな。いやいや、みんなの選ぶ水着が気になる、…ちょっと待て、こんなこと考える僕ってちょっとヤバいんじゃないのか。いやいや、かわいい水着ってのはかわいい女子が着て初めて意味を成すものであって…。
「そろそろ行かないとテスト間に合わなくなるよ!」
時計を見ると、始業時間まであと十分を切っている。体育館更衣室から本校舎まで五分かかるから、急がないと入室できなくなってしまう。
「追試になったら海はなしだからね!」
「それは困るよ!!」
「やべえ、とりあえず空欄は埋めておこ。」
「哲学はノート持ち込み可だから大丈夫なんじゃない。」
更衣室から出て本校舎へと続く渡り廊下に出ると、熱気と蝉の大合唱が僕たちを襲った。…今回は蝉の無礼な突撃もなく、無事校舎内へ入ることができた。…虫除けネットとか設置したらいいのになあ。今度事務局にお願いしてみよう。
本校舎四階の教室に入ると、ちょうどチャイムが鳴った。ほどなくして、哲学の隅田教授が入室してきた。両手で抱えているのはテスト用紙。前から順番に裏向きに配られていく。
今日はこのテストが終わったらもう終わりだ。
「はい、ではテストを始めますね。ノートは見ても構いません、それでは、始めてください。」
僕は配られたテストに目を通して…満点を確信した。
戦艦とケンの元ネタのわかる人は映像学やってた人だと思われます。




