人間と英雄
「碓氷!」
長田がこちらに銃を向ける。
だが、誤射の危険性があるために、撃つのを躊躇っているようだ。
だが、このまま待っていてもやられるのは確実。
今は、僅かな可能性に賭けたかった。
「長田、迷うな! 撃て!」
長田が引き金を引く。
同時に、ドーベルマンの頭から血が噴き出した。
俺は血が体内に入らないように、口を閉じていたが、その血は顔にかかることはなく、隣の棚を血で染めただけだった。
これで、設計図が手に入る。
「ありがとうな長田」
設計図を取って振り返った時、俺の体は硬直した。
「碓氷……俺、は……」
長田の首に、ドーベルマンの牙が食い込んでいた。
長田の体がゆっくりと倒れていく。
喉をやられたためか、ひゅー、ひゅーと息が漏れる音と、咀嚼音が聞こえてきた。
ドーベルマンは、一匹ではなかった。
ひっそりとそこまで迫っていたのだ。
「長田ぁぁぁっ!」
ライフルを犬に向けて乱射する。
命中精度もへったくれもなかった。
ただ、叫び、走りながら引き金を引いた。
犬の全身に、銃弾が食い込んでいく。
犬は半ば錐揉みのようになって吹き飛んだ。
急いで長田に駆け寄るが、手遅れなのは明らかだった。
「長田……」
「いい、ん、だ……。どう、せ、も、う感染、して、いたから……な……」
「なんだって?」
「意識、が、朦朧と……し、てき、たところ、に、お前が……来た」
長田は、単に疲労していたわけではなかった。
すでに、感染していたのだった。
「行け、碓氷……」
ひゅうっ、と一際強く喉が鳴り、長田はただの物になった。
「……長田。俺は、行く」
長田の拳銃を、俺の拳銃と交換した。
最後の手向けだ。
俺が立ち上がると同時に、即席のバリケードは崩壊した。
ゾンビが大量に雪崩れ込んでくる。
俺は急いで部屋を出て、扉を閉めた。
「おい、資料室から奴らが来たぞ!」
そう叫んで、早々に立ち去った。
きっと、もう抑えられないと知りながら。
すでに本部はあらゆるところから感染者に侵入され、収拾がつかない事態になっていた。
設計図を見て、シェルターがありそうなところを探す。
「……武器保管庫に、空間があるな」
一階の武器保管庫の間取りが、記憶よりも若干違うように思えた。
記憶の保管庫のほうが狭い。
となれば、そのスペースにはシェルターか、シェルターへの道がある可能性がある。
「合流しないと」
武器保管庫は、ちょうど紬と英人に探索をさせていた施設の南側に位置する。
俺は武器保管庫に向かうことにした。
―現在―
そこまで語り終えた時、碓氷さんがシーツに突っ伏した。
まさか、死んでしまったのかと思い、肩を揺り動かす。
「碓氷さん! 碓氷さんっ!」
しかし、返事はない。
ここで、お終いか。
そう思った時、
「おおおおおおお!」
碓氷さんが、身体につながったコードを、力づくで引き抜いた。
「これで……目が、覚めた。続きを、話すぞ」
意識を痛みで無理やり引き戻したのだ。
気絶しても、身体がこの話を語り終えようと動いたのだ。
その執念に、僕は気圧された。
―過去―
武器保管庫の前まで来たときに、部屋の中から叫び声と、銃声が聞こえた。
俺が扉を開けると、英人が侵入したゾンビの群れに向かって、銃を撃っていた。
だが、紬の姿が見えない。
どこにも、見えない。
「おい、英人! 紬は!」
「…………」
英人は何も言わず、引き金を引き続ける。
弾倉を交換し、再び。
「別行動をしてるのか!?」
「…………」
「答えろ、答えてくれ!」
「……そこに、いる」
そこ、とはどこか。
どこなのか。
すでに知っていた。
知りたくなかった。
わかっていた。
わかりたくなかった。
起こってしまった。
起こってほしくなかった。
ゾンビの群れの中に、服の切れ端を口元につけたゾンビがいた。
その模様には、見覚えがあった。
死なせたくはなかった。
だが、だが……。
死んで、しまった。
「あああああああ!」
もう耐えられなかった。
救いたかったものが、次から次へと失われていく。
守るべきものが、無くなっていく。
どうしてだ。
どうして死ななければいけなかった。
どうして、守れなかった。
何が悪かった?
何が、紬を死なせた?
答えは決まり切っていた。
「こんな、ふざけた作戦を……!」
上層部の作戦で、どれだけの人間が死んだだろう。
しかも、この作戦を生み出した奴らは、シェルターでのうのうと生きているかもしれないのだ。
許せなかった。
「英人、ここを突破するぞ。恐らく、ここにシェルターへの入り口がある」
「……ああ」
図面を思い起こして考えると、どうやらちょうど反対側が図面と違っているようだ。
俺は横にある弾薬箱に簡単な導火線を取り付け、ライターで火をつけて、放り投げた。
このライターで、悟郎に煙草を吸ってほしかった。
だが、叶わない。
爆発の威力がどれほどかなんて気にもならなかった。
俺は、もしかしたら、死にたいと思っていたのかもしれない。
この爆発で死ねたら、どんなに楽だろう、と。
弱音が心に渦巻いた。
俺は、英雄じゃない。
俺は、ただの人間だ。
弾薬箱が爆発した。




