運命と台本
死神の列は、北の橋の前で停滞した。
橋の上で戦う兵に、さらに破壊された橋の兵が回されたことにより戦力が拡充され、より多くのゾンビをその場に留めることが出来るようになったからだ。
最初からこうするべきだった。
四本の橋の幾つかを落とさず、戦力を分散させる必要はなかった。
そうしていれば、翔も悟郎も死なずに済んだに違いない。
俺はそこで思考を打ち切る。
死人の事を考えて戦場に赴けば、死人に足を引っ張られる。
転んだ先にあるのは地面ではなく地獄。
そんなところに堕ちる気は、まだなかった。
その瞬間、ふと形容しがたい違和感が体を駆け巡った。
何かを見落としている。
何かを間違えている。
具体的には一切わからないが、自分がとんでもない過ちを犯しているような気がしたのだ。
散発的に響く、戦車の砲声と、いつか途切れるであろう銃声が、どこか遠くで聞こえているような気がした。
考えろ。
俺はどうして、こんな状況になった?
全ての根源はなんだ?
目の前にいるゾンビか?
それとも、あの司令か?
――何かが繋がった気がした。
この状況と、長田が言っていた言葉。
『数が異常なんだ。まるで、他のゲートにいたゾンビまで引き連れたかのように』
破壊される筈が無いゲートが破壊され、有り得ない数のゾンビが雪崩れ込んできた。
さらに、多くのゾンビが集まり、この状況になった。
これは、もしかして――。
疑念が渦巻き、濃くなり、やがて確信へと変わる。
そうだ。
『今の井伊』は、そういう男だ。
「紬、英人」
俺は二人の部下の名前を呼ぶ。
二人は俺を見て、驚いたような表情を見せた。
「おいおい、どうしたんだ?酷い顔してるぜ」
「そ、そうか?」
「はい、とっても」
自分でも気が付かない内に、険しい表情をしてしまっていたようだ。
もっとも、今確信に変わったこの疑念が真実だと決定づけられたときには、さらに酷くなること間違いなしだが。
「二人とも、ついてきてくれないか?」
「急にどうした?」
「もしかしたら、だが。俺達はとんでもないことに巻き込まれた可能性がある」
「それは、今この状況を指しているわけじゃ、ないですよね?」
「そうだ。今もかなりとんでもないことだが、もっととんでもないことだ。吐き気がするぐらい、クソッタレな、な」
「で、どこに行くんだ」
「司令部だ」
「ち、ちょっと待てよ」
英人が苦笑しながら言う。
「今更司令部に言うことなんてあるのか? あいつら、お手上げ状態になってだんまり決め込んでるじゃねぇか」
「ああ、その通りだ」
「大体、何の指示も出さないで何やってやがる。今頃ヘリで脱出でも考えてるんだろうかね」
「いや、恐らく脱出は無い。それだけの『覚悟』を奴等は持っている」
「それは御立派なことで……」
「違う。あいつらがしているのは、最期まで戦う『覚悟』じゃない。全てを消す『覚悟』だ」
「……良く分からんが、ついて来いと言われればついて行くぜ。あんたが隊長だ」
「私も、ついて行きます。隊長さんは正しいことをする人だと、信じていますから」
二人の視線が痛い。
もし疑念が本当だったら、俺は口封じに消される可能性がある。
二人を連れて行くのは護衛としてだ。
だが同時に、疑念が本当だったら、二人には、いや、二人にも残酷な真実を伝えることになる。
この期待を孕んだ視線を、堂々と受ける気にはなれなかった。
このような危機的状況ならば、多くの兵が行き交っている筈の廊下は閑散としていた。
あまりにもおかしな光景だ。
そのことが、さらに俺の疑念を濃くする。
司令室の前についても、閑散とした風景に変わりはなかった。
外から聞こえてくる銃声がなければ、平常時と見間違えるほどだ。
コン、コン、とドアをノックする。
暫く経つと、入れというくぐもった声が聞こえた。
俺は二人に目配せをしてから、司令室の扉を開ける。
ここに来て最初にあった時と同じ様子で、井伊が座っていた。
そして、こちらを見る。
その手には、銃が握られていた。
「そう驚くな。これはお前たちを撃つためじゃないんだ」
「……一つだけ、聞きたいことがある。一つだけ、だ。それが合っているか、間違っているか。正しく答えてくれ」
「……なんだ」
「今のこの状況は、全て……」
口に出すことが躊躇われる。
自分への最後通牒にもなる言葉だからだ。
それでも、腹に力を込めて、絞り出すように言った。
「全て、『シナリオ通り』なんだろう?」
井伊の火傷で醜く爛れた顔に乗っかった、ナメクジのような唇が吊り上がった気がした。
やはり、真実だったのだ。
疑念が、確信が、真実に変わった。
同時に、避けられない運命を悟った。




