喀血と本能
悟郎の死体を丁寧に弔っている暇はない。
ここに浮かべておけば、ゾンビに骨までしゃぶられるのは分かりきっているが、それも仕方の無いことだと自分に言い聞かせ、英人を探す。
「英人、無事か? 応答しろ、英人!」
「後ろに居るぜ、隊長」
振り向くと、真後ろに英人が立っていた。
所々に血が滲んでいるが、大怪我と言うほどでもないようだ。
英人は口角を吊り上げる。
「やれやれ、ただの堀が地獄の底に様変わりかよ」
「身体に異常は?」
「全身擦り傷だらけなことと、打撲捻挫を異常に含めなければな」
「それだけ軽口を叩ければ充分大丈夫だな」
「悟郎さんは、死んじまったか。俺よりもヘリ側に居たしな」
「ああ、まだ味方が居るのに橋ごと吹っ飛ばすとはな……」
「隊長、とにかくここから出るのが先決だと思うぜ。じきにライブ会場みたいになる」
堀の向こう側から、次々とゾンビが堀に落ちてくる。
水面に浮いているご馳走にありつくためだろう。
俺と英人は石垣を登り始めた。
―現在―
「翔も悟郎も死んでしまった。部下はもう二人だけに……ゴホッ、ゴホッ!」
碓氷さんが咳き込むと、白い布団の上に赤い飛沫が散った。
「碓氷さん、大丈夫ですか!? 今看護婦を……」
立ち上がりかけた僕を碓氷さんが止める。
「言っただろう……。俺はもう長くないと。今ここで看護婦を呼ばれたら、お前に全てを伝えることは出来なくなるかもしれない。俺に、伝えさせてくれ。残させてくれ!」
掴みかからんばかりの勢いで喋る碓氷さんの目は鬼気迫るものだった。
確かに、ここで看護婦が来たら、今日話を伺う事は諦めなければならない。
次に会いに来た時に話せる状態か、生きているかはわからないのだ。
今ここで、聞かなければならない。
―過去―
この短い戦闘で、既に部下の二人を失った。
翔、悟郎。
部隊を結成した時に、ここの全員で生きて終われるようにと言った。
だが、同時にそれが不可能なことを感じてもいた。
だからといって、この死は到底軽く流せるようなものではなかった。
それでも、前を向かなければならない。
幸運にも橋の爆破を避ける事が出来た者や、負傷兵たちが本部に雪崩れ込んでいく。
俺達もそれに従って歩くしかなかった。
持ち場が無くなった以上、次の指示までする事は無い。
あちこちから絶望的な声が聞こえる。
いかにも信用できる情報の様に、他の橋もかなり危険だという事を語っている者が居たが、事実かどうかは分からない。
ただ、絶望と言うものは伝播するもので、戦意の喪失は明らかだった。
それでも、本部に直訴に行くようなものはいなかった。
行ってもどうにもならない事が分かっているからだ。
本部にとっても、これほどのゾンビが来ることは予想外な事態であった。
今更本部を責めたところで、秘密の抜け道が用意されているわけでもない。
こうなったら、最期まで戦って死のう。
そう考える他は無かった。
「隊長、水、飲みますか?」
ふと横を見ると、紬が水筒を渡してきた。
気が付いてみれば、喉がカラカラでひりひりしている。
「助かる」
中に入っていたのは、唯の水だった。
が、とても旨い。
今までこんなにも水を美味しいと感じた事は無かっただろう。
死をすぐ隣に感じている状況だからか、全身が生を喜んでいるように感じた。
水筒を返すと、紬が申し訳なさそうに言う。
「あの時、私が飛び降りていたら……。隊長が皆を連れて橋から避難していて、悟郎さんは死ななくても済んだかもしれないですね」
「過ぎたことだ。今は、自分が生き延びれた事実だけを見よう。弔いは、全部終わってからだ」
「地獄の底に葬儀屋があればな」
英人が溜息交じりに言うと、拡声器越しの声が聞こえてきた。
『北の橋に行け!繰り返す、北の橋に……』
その声に釣られて、兵士の列が次第に方向を変え、北へと歩き出す。
ゾンビの方が、獲物を求めて生き生きとしている。
人間とゾンビが逆転したかのようだ。
「もう、お終いなんですかね」
「…………」
「ここで、死ぬんですかね」
「…………」
何も言えない。
言えるわけがない。
気休めの言葉もかけられない。
紬が言っている事が事実だからだ。
かといって、それを認めることもできなかった。
それは自分の死を意味していたからだ。
散々言葉を、理屈を捏ね繰り回しても、どう足掻いても、死は怖かった。
生物として刻まれた生存本能が、生きたいと叫んでいる。
死にたく、無い。




