95 終わりの始まり
ファングとの戦いで、アレクスがクリスティアナを庇って負傷した。
動かせる状態ではなかった。
クリスティアナはアレクスを世話するため六層に残った。
俺たち三人は四層の教団本部に戻る。
アンガスとカーリーの容態は、かなりよくなっていた。戦闘はまだ無理だが、歩く程度なら支障ないらしい。
俺とクラリスは、七層に行く前に、塔の外にある家に帰ることにした。
アンガスとカーリーも連れて行く。
「では、私の転送魔法でお送りしましょう」
フレイユの転送魔法は、層を跨ぐことができない。
しかし転送門までは一っ飛びだ。俺が全力で走るよりも更に速い。
フレイユに一層まで送ってもらい、久しぶりに塔の外に出る。
そして俺は実家に。
クラリスは両親を連れて叔父の家に。
「じゃあね、ラグナくん。明日そっちの家に遊びに行くから!」
「うん。楽しみにしてるよ」
実家に帰ると、父さんも母さんも跳びはねるほど驚いていた。そして俺を抱きしめてくれた。心が温かくなった。
そして兄のデールも「無事に帰ってきたか……まあお前は強いから特に心配はしていなかったけどな! ふん!」と素直とは言いがたい態度で歓迎してくれた。
△
六層のとある宿。
傷を負い動けずにいるアレクスを治療するため、クリスティアナは一番いい部屋を借りていた。
「さあ、アレクス。包帯を取換える時間よ」
「……申し訳ありません、クリスティアナ様。お手を煩わせてしまって」
「なにを言ってるの。あなたは私のものなのよ、アレクス。自分のものを大切にするのは当たり前のことでしょう」
そう冗談めかして言ってから、クリスティアナはアレクスの寝間着を脱がせ、古い包帯を取っていく。
アレクスは女性と見紛うほど整った顔立ちで、長身だが細身。まさに優男といった風体だが、こうして裸にすれば引き締まった肉体だと分かる。
この鍛えられた筋肉も、無数に刻まれた傷も、全てクリスティアナを守るために存在する。
自分はお姫様で、アレクスは騎士。
なにがあってもアレクスはクリスティアナを守ってくれる。
ファングとの戦いでも、彼は命を賭して盾になってくれた。
なぜ彼がそこまでしてくれるのか?
それは、かつて娼館で店主と客に言われるがまま、クリスティアナを犯そうとした贖罪。
クリスティアナはもうとっくに許しているのに。
アレクスは自分を許せずに、命を捧げようとしている。
それが可愛くて仕方ない。
クリスティアナは壊れそうなアレクスが大好きだった。
「ねえ、アレクス。あなたの全ては私のものよ。だから命を懸けて私を守りなさい。けれど死んでは駄目よ。ずっと私のお世話をしなさい」
「相変わらず無茶を仰る……しかし、承りました」
アレクスはうっすらと笑って答えた。
その瞬間、宿の外から爆発音が聞こえてきた。
同時に無数の悲鳴。
「な、によ……この気配は」
クリスティアナは言葉を詰まらせる。
何事にも動じない女を演じてきたが、このときばかりは演技ができなかった。
誰かが戦っている。
ここは六層だ。最精鋭の冒険者たちが集まる場所だ。
なのに誰もソレを倒すことができない。
人の気配がどんどん少なくなっていく。
ぐしゃり、ぐしゃり。
肉を潰す音が廊下からする。
ソレは壁を壊して部屋に入ってきた。
闇そのものだった。
人の形ではない。獣の形でもない。
ボンヤリとした暗闇があり、その表面に無数の眼があり、そして大きな口があった。
口からは人間の腕が一本、飛び出していた。よく見ると、指先がまだ動いている。
口の中から「助けてくれッッッ!」と声が聞こえた。
ばりばりばり。
闇は咀嚼する。血が床に零れた。
「殺ス……全員殺ス……全部壊ス……ソレデ俺ガ、サササ最強強強強……」
「その声、ファング……?」
クリスティアナは言葉にしてから、すぐに違うと確信した。
確かにこれはファングの魂を核にしているだろう。彼が集めた魔王のカケラも全て混じっている。しかしファングだった部分は、ほとんど残っていない。
クリスティアナも魔王のカケラを持っているから分かる。
全方位への殺意。万物に対する破壊衝動。
これは、もはや魔王そのものだ。
「クリスティアナ様!」
アレクスが起き上がろうとしている。
絶対に起き上がれない傷なのに、クリスティアナを守るため、包帯に血を滲ませながら力を込めている。
それを見てクリスティアナは、体の芯が熱くなった。
魔王の体の一部が触手のように変形して伸びてくる。
回避できる速度だ。
しかし避けたら後ろにいるアレクスが殺される。
自分だけがこの場から逃げ出せたとして、アレクスがいない時間を生きるのか。
それを想像したクリスティアナは、くるりと身を翻し、アレクスの顔を見た。
「たまには私が守るのもいいかもね」
そう微笑んで、そして口から血が溢れ出した。
背中から貫かれ、内臓を破壊されたのだ。
「クリスティアナ……様……?」
「ねえアレクス。私ね、あなたのこと好きだったのよ。みんなの前でするのは嫌だけど、二人っきりなら抱かれてもよかった。ううん、抱いて欲しかった。なのにあなたったら、あれから手を出してこないんだもの。私のこと大切にしすぎ。お姫様だって、たまには乱暴にされたいのよ」
ああ、言ってしまった。
照れくさい。
アレクスの顔をまともに見られない。
いや、見えない。視界が暗くなっていく。
全身から力が抜けていく。
死ぬんだ、と分かる。
けれど、起き上がれないはずのアレクスが起き上がって、最後に乱暴に抱きしめてくれた。
奴隷として育てられ、悪党として生きた自分にとって『もったいないくらい幸せな最後だ』と思いながら、クリスティアナの命は終わった。
その日。六層から町が一つ消えた。
生き残りはいない。




