93 果たされぬ復讐
六層はマグマだらけの灼熱の世界だ。
その真逆に、五層は極寒の地である。
五層にはつねに冷気を発し続ける『永劫氷結晶』というアイテムがあり、それを六層のマグマが比較的少ない場所に持っていくと、なんとか人が住めるくらいに温度が下がる。
また六層には『無限炎上石』という、つねに燃え続ける石があり、これを五層に降ろし暖房にして生活している。
塔のアイテムを有効活用すれば、極端な温度の土地でも人は生きていける。
ずっと闇夜に包まれている四層より、五層と六層のほうが定住者が多いくらいだ。
クリスティアナとアレクスは、六層で生まれた。
二人とも親の顔は覚えていない。
言葉を覚える前に売り飛ばされたからだ。
基本的に天墜の塔は、上の階層に行くほど治安が悪くなっていく。
強い者と弱い者の差が、大きくなっていくからだ。
塔の外、あるいは下の階層で生まれ、冒険者としてレベルを上げながら六層に辿り着いた者は、言うまでもなく強い。レベル80や90は当たり前だ。
その一方、六層で生まれた者は大抵の場合、悲惨だ。
レベルを上げようにも、町の外にいるモンスターが強すぎて命がいくつあっても足りない。
たまたま親切な仲間を見つけ、下の階層でのレベル上げに付き合ってもらわない限り、死ぬまでレベル1のまま。
必然的に、冒険者がそうでない者の上に立つという構図ができあがる。
同じ六層でも町によってその比重は異なるが、クリスティアナとアレクスが生まれた町は最悪だった。
強さこそが正義とされ、レベル1は虫けら同然。
奴隷として扱われ、暇つぶしに殺されるのも珍しくない。
その点、幸か不幸かクリスティアナとアレクスは容姿が美しかったため、商品価値を認められ、殺される心配はなかった。
娼館に買われた二人は、物心もつかない頃から客の相手をさせられた。
回復魔法の優秀な使い手がスタッフにいたので、客が残虐なことをしても死に至らない限りは料金の内だった。
娼館の奴隷の多くは体より先に心が壊れていったが、クリスティアナとアレクスは支え合って、なんとか正気を保っていた。
それが壊れてしまったのは、とある客の注文が原因だった。
「クリスティアナとアレクスがやっているところを見たいな」
クリスティアナは客にはなにをされても耐えられた。
仕事だと割り切っていた。
だが、心の支えになってくれたアレクスにされるのは耐えられない。
しかし娼館の店主と客が、自分たちに剣を突きつけ、やらなければ殺すと脅してくる。
クリスティアナは死んだほうがマシだと思った。が、この店主は自分に逆らった者を一思いに殺したりはしない。皮をゆっくり剥がして何日もかけて苦しめてから殺すのだ。この世のものとは思えない悲鳴を何度も聞いてきた。思い出しただけで体が動かなくなる。
そしてアレクスが泣きながら自分にまたがってきたとき、クリスティアナは魔王のカケラを目覚めさせた。
その場にいた大勢を殺傷し、それでも辛うじて理性の手綱を放さず、アレクスだけを連れて六層から逃げ出した。
クリスティアナが八歳、アレクスが十四歳のときの話である。
以来、二人は何者にも縛られない悪党として気ままに生きてきた――。そう断言したかったが、一つ、どうしても縛られていることがある。
あの娼館の店主がまだ生きているという事実だ。
魔王のカケラを持つクリスティアナでさえ殺せなかった。逃げるのがやっとだった。
なぜなら店主は、魔王のカケラを三つも持っていたのだ。
だが、あれから七年が経った。
クリスティアナはかつてよりずっと魔王のカケラを上手に使いこなせるようになった。アレクスはモンスターを狩り続けレベル99に達した。
今の二人ならば、店主を殺せるはずだ。
「行きましょう、アレクス。今の私たちなら殺せるはずよ。それで私たちは本当に自由になれる」
「はい、クリスティアナ様。我が剣を奴の心臓に突き立ててご覧に入れましょう」
「なら、私は奴の首を捻り切ってあげる」
娼館に近づくと、骨の髄まで叩き込まれた店主に対する恐怖が蘇ってくる。
気を抜くと、声が震えそうになる。
その恐怖を今から叩き潰す。
そう意気込んで娼館の門を開いたが……結論から言えば、クリスティアナとアレクスは復讐を果たせなかった。
店主は護衛の冒険者たちとともに、息絶えていたのだ。
それも心臓を抉り取られる形で。
娼婦たちの生き残りがいた。
怯え、ろくに話もできない状態を落ち着かせ、なんとか犯人の姿を聞き出す。
――まるで狼のような男だった。
生き残りはそう語った。
「……まず間違いなく、ファングの仕業ね」
おそらくファングは店主に恨みや因縁があったわけではない。
たんに魔王のカケラを奪いに来ただけだろう。
そのおかげでクリスティアナとアレクスが憎んでいた店主が死んでくれた。
復讐が達成された……と思うなど到底できない。
クリスティアナたちは店主を殺すことそのものが目的だったのではない。それにより過去を乗り越えるのが目的だったのだ。
他人の手によって復讐がなされたのでは、過去がいつまでもまとわりついたままだ。
これからというときに水をぶっかけられた気分だ。
「いかがなさいますか、クリスティアナ様」
アレクスは氷のような表情の奥に、怒りの炎を燃やしていた。
「決まっているでしょう。店主を殺したファングを殺すわ。私たちがずっと想い続けた相手を勝手に殺すなんて、舐めてくれるじゃないの」




