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83 クラリスの苦悩

 最上層に何があるのか見てみたい。

 まだ誰も行ったことのない場所に行ってみたい。

 自分の力でどこまで進めるのか試したい。

 俺はそんな好奇心だけで『天墜の塔』を上っていた。


 だが、この塔は俺が思っていたよりも世界にとって重要なもので、最上層にはとてつもないものが眠っているようだ。

 進む理由が増えた。


「神聖祓魔教団は他の冒険者に混ざって塔を攻略してきました。私たちはもともと戦闘訓練を積んでいましたし、私のような無印はともかく、多くの団員は塔の力と古代魔法の両方を使えますから。他の冒険者よりも圧倒的に有利です。実は新しい階層に真っ先に辿り着くのは、いつだって神聖祓魔教団だったんですよ。七層だけです。先を越されたのは」


「ラグナくん、すごーい」


「悪い気はしないね」


 俺は澄まし顔で答える。が、内心ではガッツポーズをしたいほど喜んでいた。


「剣聖ラグナの名は、私たちの中でも尊敬を込めて呼ばれています。それでさっきも言いましたが……ラグナさん。神聖祓魔教団に入りませんか? 私たちは基本的に血縁者にしか古代魔法を教えません。古代魔法は調律と同時に使わないと世界を歪めてしまう危険なものですから。ですが、あなたにはぜひ古代魔法を習得して欲しいのです。剣聖ラグナが古代魔法を覚えれば、どれほどの強さになるのか。あなたならきっと七層の攻略が可能です。私たちは早く最上層に辿り着く必要があります」


「どうして、そう急いでいるんですか?」


「魔族です。この塔の力で魔族は再封印されたはずなのです。なのに私たちは何度か魔族と遭遇しました。その頻度は年々増えています。おそらく封印の力が弱まっているのでしょう。猶予はどれほどなのか……あと何十年も保つかもしれませんし、明日にでも大量の魔族が地中からあふれてくるかもしれません」


「なるほど……確かに急ぐ必要がありそうですね」


 俺を勧誘するというのは、そういう理由だったのか。

 なら願ったり叶ったりだ。

 俺は魔法剣士になりたい。だから魔導書と契約し、使える魔法を増やしている。

 そこに古代魔法まで加えることができたら、俺はより強くなれるだろう。

 しかし――。


「クラリスさんは勧誘しないんですか? 俺と彼女はパーティーです。クラリスさんも一緒というなら喜んで参加しますが」


「それは、無理です」


 フレイユはキッパリと断言した。

 なら話は早い。


「そうですか。じゃあ俺も無理です。クラリスさんと一緒に最上層に行くと約束しているので」


「ラ、ラグナくん、それでいいの? 駄目よ、もっとちゃんと考えなきゃ……」


 クラリスはなぜか狼狽している。


「クラリスさんは俺と離ればなれになってもいいの?」


「いいわけないでしょ! でも……古代魔法なんて凄い力を手に入れるチャンス、もうないと思うの。ラグナくんがその修行をしている間、私はソロで活動するって手もあるわ」


「一時的にバラバラに活動するのか……」


 それなら選択肢としてあり得なくはない。

 クラリスはもう立派な冒険者だ。きっと一人でも三層でモンスターを狩れる。

 だが……彼女の中には魔王のカケラという得体の知れないものが眠っている。

 それを放置するなど考えられない。

 いや。いっそここでフレイユに魔王のカケラのことを聞いたほうがいいのか?


 神聖祓魔教団は魔族と戦うために作られた組織だ。

 なら魔王についても詳しいはず。

 しかし魔王のカケラという名前からして、嫌な予感しかない。

 フレイユが魔王のカケラをクラリスから抜き取る方法を知っているなら最善だ。

 だが魔王と関係しているものは全て排除するなんて言い出したら……俺たちは神聖祓魔教団を敵に回すことになる。


「ラグナさん。あなたが何を心配しているのか、おおよそ察しがつきますよ。クラリスさんの中に魔王のカケラがあることは、クリスティアナから聞いていますからね」


「っ!」


 そうだった。

 俺が魔王のカケラという言葉を知ったのは、クリスティアナに聞いたからだ。

 そしてフレイユとクリスティアナはどういう形なのか分からないが繋がっているらしい。

 ならこのことを知っていて当然なのだ。

 どうして思い至らなかったのだろう。


「フレイユさん……魔王のカケラの話は……」


 その情報は喉から手が出るほど欲しい。

 だがクラリスのいないところでしたい。

 せっかくクラリスは自分におきた異変を忘れているのだ。

 なら最後まで知らないままでいて欲しい。


「ねえ……魔王のカケラって……二層の森での出来事と関係あるの……?」


 驚いたことにクラリスが話に食いついてきた。

 彼女は魔王のカケラという言葉を知らないはずなのに。

 青ざめた顔。声が震えている。

 どうしてこんなに怖がっている?

 まさか、あのときの記憶が蘇っているのか?


「私ね……たまに怖い夢を見るの……二層でクリスティアナとアレクスに会ったとき……あの二人じゃなくて私がラグナくんに攻撃してるの……それで私からは黒い羽根が生えてて……私はラグナくんと戦いたくないのに体が言うことを聞かなくて……怖くて怖くて……それでも最後はラグナくんが私を止めてくれるの」


 そんな夢を見ていたのか……俺はクラリスが悩んでいることに少しも気づけなかった。情けない。


「ねえラグナくん。教えて。あれは夢じゃなくて、本当にあったことなの?」


 クラリスは真っ直ぐ聞いてくる。

 嘘をついて誤魔化しても、一時しのぎにしかならない。

 だから俺も真っ直ぐ答えることにした。


「本当に起きたことだよ。クリスティアナが言うには、クラリスさんの中に魔王のカケラってのがあって、それが原因らしい」


「そっか……やっぱり本当だったんだ……私、あんなことしてたんだ……」


 クラリスはうつむき、スカートを握りしめ、肩を震わせる。


「クラリスさん、大丈夫だ」


 俺は彼女の手を取り、その目を見つめながら言う。


「大丈夫って、何が? 私、ラグナくんにあんな酷いことしたのよ!? 私、怪物になってたのよ!?」


 クラリスは涙を浮かべ、髪を振り乱して叫ぶ。

 こんなに弱っているクラリスを見るのは初めてだ。

 俺は心のどこかで、クラリスは何があっても落ち込まない少女だと思っていた。

 そんなはずはないのだが、いつも元気な彼女を見ていると、そんな錯覚に陥りたくなってしまう。

 しかし違うのだ。

 クラリスはまだ十三歳の少女で、いくら気丈に見えても、その心は傷つきやすい。

 分かっていた。

 分かっていたから魔王のカケラのことを話さなかったのだ。

 黙っていれば彼女は知らずに済むと――。


 甘かった。

 クラリスはずっと悩んでいた。

 仮にクラリスが本当に知らなかったとしても、いつまでも隠し通せるわけがないのに。


「クラリスさんは俺に酷いことなんてしてない。俺は剣聖ラグナだ。あのくらいなんともない。怪物になって暴れたって、また俺が止める……いや、もうあんなことは起こさせない。俺がなんとかする。大丈夫だ」


 そう言って俺はクラリスを抱きしめる。

 この子は俺の相棒で、友達で、年上のお姉さんで、冒険者の後輩で、そして――好きな人。

 誰が何といおうと俺がクラリスを守る。


「あら、まあ。勇ましいのねぇラグナくん。けれど決意だけじゃどうにもならないこともあるのよ」


 そのとき、声がした。

 クラリスのでもフレイユのでもない。

 この場にいるはずのない、あいつの声。


「はぁい、みんなのアイドル、クリスティアナの参上よ」


 さっきまでいなかったはずの女が窓枠に腰かけていた。

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