66 メヤームシティに帰還
俺とクラリス、そして馬は、無事にメヤームシティに帰ってきた。
あれからクラリスに変わった様子はない。
魔王のカケラとは一体なんだったのか。
俺はその疑問をクラリスに相談するわけにもいかず、一人で悩んでいた。
悩んだところで答えが出る類いのものではないと分かっていつつ、どうしても悩んでしまう。
クラリスをもしかしたら失ってしまうかもしれないという恐怖。
もう二度とあんなのは御免だ。
この恐怖は前世にはなかった。
俺はクラリスという仲間を得た。その代わりに新しい種類の恐怖を知った。
俺はちゃんと強くなっているのだろうか。逆に弱くなったんじゃないのか。
そんな想いが一瞬よぎる。
だが、仮にそうだとしても。俺個人の心が弱くなっていたとしても。
それをいつかクラリスが成長して補ってくれると、信じている。
だから仲間を得たのは間違いじゃない。
△
メヤームシティに入った俺たちは、まず馬を返しに行く。
二週間以上も一緒にいた馬なので名残惜しいが、長く借りているとそれだけ金を取られるので仕方ない。
「ひひーん」
馬も名残惜しそうに鳴いてくれた。
もし機会があれば同じ馬を借りよう。
それから、ロミーとエマの家に行く。
ロミーは俺たちを歓迎してくれたが、エマはまだ具合が悪いようだ。
「遊びに来てくれて本当にありがとう。エマも喜ぶわ。あんまり長くはお話できないけど……」
「それなんですが。エルブランテの葉ってアイテム、ご存じですか?」
俺は通された居間でロミーに質問する。
「エルブランテの葉? ええ、知っているわ。何でも万病に効くとか……でも市場で見たことないわね。噂だと、とっても高価なアイテムだとか」
「そのエルブランテの葉を手に入れてきました。これで茶を作り、エマに飲ませてください」
「え? ええ!? そんな、本物!?」
ロミーは口に手を当て、目を見開く。
「もちろんです。偽物なんて持ってきませんよ」
「でも……どうやって手に入れたの?」
「森に行ってエルブランテを倒して手に入れたんです。だから間違いなく本物ですよ。心配なら、まず俺とクラリスで毒味しましょうか?」
「そこは疑っていないけど……いいの? あなたたちには何の得にもならないのに……」
ロミーはとても戸惑った様子だ。
まあ、無理もない。
彼女からすれば、俺はこの家に一度遊びに来ただけの赤の他人。
どうしてここまでするのか分からない。
しかし、俺にとってここは実家なのだ。
ロミーは妹で、エマはその孫。
このくらいのことは、させて欲しい。
「ロミーさん。私たちはエマちゃんのために葉っぱを取りにいったんです。だから受け取ってくれないと逆に困っちゃいますよ」
クラリスが言う。
それでようやくロミーは受け取る気になったらしい。
「ありがとう……本当にありがとう……」
さて。
茶を入れるにはまず葉を乾燥させる必要がある。しかし、ここまで運ぶ最中にエルブランテの葉はすっかり乾燥してしまった。
あとは普通のお茶みたいに煎れるだけだ。
まずはエマに飲ませる前に、俺たち三人で味見する。
「……あんまり美味しくはないわね」
ロミーが素直な感想を口にした。
しかし、味を楽しむための茶ではないので当然だ。まして蒸すとか炒めるとかではなく、自然乾燥である。美味いわけがない。
「でも、何だか元気になってきた気がするわ」
「クラリスさんはいつも元気じゃないか」
「それはそうだけど、いつもより、よ!」
クラリスは何やら「ふんっ」と鼻息を荒くしている。
「確かに私も、腰痛が軽くなった気がするわ」
ロミーまでそんなことを言い出した。
どんだけ即効性なんだよ……とツッコみたいところだが、実のところ俺も体が軽くなった気分だ。
素晴らしい効果だ。
もっとも、苦労して手に入れたのだから、このくらい効いてくれないと困る。
早速、エマに飲ませてみよう。
俺たちはティーカップにエルブランテの茶を入れて、二階に持っていく。
「あ。ラグナにクラリスだ! 遊びに来てくれたの!?」
エマはベッドから上半身を起こし、元気な声を出す。
が、元気なのは声だけで、相変わらず顔色は悪い。
「そうそう。約束通り遊びに来たよ。あと今日は、いい薬を持ってきたんだ」
「薬? 薬ならいつも、お婆ちゃんのハーブティーを飲んでるわよ?」
「ハーブティーおいしいけど、これを飲むと更に効くよ」
「そうなの? でも、お医者様の薬だって効かなかったのに……」
エマは懐疑的な顔だ。
ずっと病弱で、まともに効く薬に出会ったことがないから、信じることができないのだろう。
「まあ、騙されたと思って飲んでみなよ。効かなくても元々。効いたら儲けもの」
「ラグナって意外と無責任なことを言うのね。でも、いいわ。そこまで言うなら、ラグナの顔を立てて飲んであげる」
エマは胸に手を当て、澄まし顔で言った。
ちょっと大人ぶってみたいのかな?
「……美味しくないわ」
ティーカップを手に取り、一口口に含んだだけで、エマは顔をしかめた。
「そりゃ薬だからね。よく効く薬は苦いんだよ。ほら、俺の顔を立てて飲んでくれるんだろ?」
「これで効かなかったら、どうしてくれようかしら」
そう呟いてから、エマは茶を全て飲んだ。
それから彼女は、俺たちに冒険の話をせがんできた。
せっかくなので、エルブランテの葉を手に入れるために森へ行ってきた話をしてやった。
もちろん、二人の冒険者が乱入してきて、葉を横取りされそうになったことも話した。
ただし『魔王のカケラ』のことは秘密だ。なにせクラリスはそれを覚えていないのだから。この場で知っているのは俺だけだ。
「他の冒険者と戦うこともあるのね」
と、エマはしみじみと言う。
「マナーの悪い奴は、どこにでも一定数いるからね」
「困ったもんだわ」
エマは腕を組んで深刻そうな顔をした。
するとクラリスも深刻そうな顔で「全くだわ」と頷く。
二人が何やら姉妹みたいだったので、俺は笑いそうになった。
「さて。今日はこのくらいにしておこうか」
「えー。もっとお話を聞きたいわ」
エマは口を尖らせる。
「エマ。わがままを言わないの。ラグナさんとクラリスさんは、あなたのために遠くまで行ってきて疲れているのよ。それに、あなただって横にならなきゃ、また具合が悪くなるでしょ」
ロミーはエマの肩を掴み、起こしていた上半身をベッドに寝かせ、肩まで布団をかけてやる。
「ラグナとクラリスが持ってきた薬を飲んだから大丈夫よ」
「いや。飲んですぐよくなったりはしないと思うなぁ」
「そうよ。ちゃんと安静にしてなきゃ」
俺とクラリスにまで説教されたエマは、「はーい」とふてくされた声を出した。
エマが大人しくなったので、俺たち三人は一階の居間に移動する。
「このお茶、そのまま飲むのは辛いので、ハチミツなどを入れたほうがいいかもしれません」
「そうね。二人とも本当にありがとう。この葉を使い切る前にエマが元気になってくれたらいいんだけど……」
「足りなかったら、また取りに行きますよ」
「そうよ。任せて!」
「あなたたちには、あなたたちの人生があるでしょう? 気持ちは嬉しいけど……これ以上は駄目よ」
ロミーは俺とクラリスの申し出を、きっぱりと断った。
クラリスは面食らった顔をするが、俺は「もっともだな」と思う。
確かに俺たちは、塔の最上層を目指す冒険者だ。ずっとここにいることはできない。
「分かりました。では、この一枚の葉がエマを治すと信じましょう」
「元気になったエマちゃんと遊びたいなぁ……」
そして俺とクラリスは、宿に移動した。
前に泊まったのと同じ宿だ。
俺たちの顔を覚えていた宿のおばちゃんは、「また一緒の部屋がいいわよね?」と勝手に決めてしまった。
一人部屋を二つ借りるより、二人部屋一つのほうが安いので、俺としても異存はない。
クラリスも「ま、まあ、ラグナくんがそれでいいならいいわよ」と同意した。でも、顔が少し赤い。まだ一緒の部屋が恥ずかしいのかな?
部屋に荷物を置いてから、公衆浴場に行き、旅の汚れを落とす。
やはり風呂はいいなぁ。実にさっぱりする。
風呂上がりに街でダラダラ過ごし、日が沈んだらさっさと宿に帰って寝る。
これで旅の疲れはほとんど消えた。
若い体は回復が早くていい。六十歳のジジイだとこうはいかない。
朝食を食べてから街の外に行き、ジャイアント・ヤマメ狩りを再開する。
太陽が真上に来た頃、バケツにヤマメが二十匹たまった。
俺とクラリスは、それぞれ一匹ずつ焼いて食べることにした。
「ちゃんと串と塩を持ってきた」
「ラグナくん、流石!」
そして残った十八匹を街に持ち帰って、魚屋に売る。
「エマちゃんの様子を見に行かない?」
「そうだね。エルブランテの茶が効いてたらいいなぁ」
いくらなんでも一日で元気ハツラツということはないだろうが、少しでも顔色がよくなっていれば希望を持てる。
が、俺の希望は裏切られた。
すでにエマは元気ハツラツになっていた。
「あ! ラグナとクラリスだ!」
二階の窓からエマは首を出して叫び、それが引っ込んだかと思うと、玄関を勢いよく開けて出迎えてくれた。
「えっと……エマだよね?」
あまりの変わりっぷりに、もしかして双子の別人なのではという疑惑が俺の中に生まれた。
「当たり前でしょ! うふふ。私が元気すぎてびっくりしているのね?」
「うん……」
「私もびっくりしてるの! 朝起きたら体が軽くて、息が楽で、いくら動き回っても疲れないの。昨日までは階段を降りるだけで息が上がってたのに。こんなの生まれて初めて!」
そう言ってエマは玄関先でピョンピョン跳びはねて見せた。
「エマちゃん、すごーい! これなら一緒に遊べるわね!」
「ええ、どこにだって行けそうよ!」
と、クラリスとエマは手を取り合って喜ぶ。
「こらこら、エマ。元気になったのは分かったけど、いきなりはしゃぎすぎよ。見ていて気が気じゃないわ……」
ロミーが現われ、心配そうに言う。
俺も同意見だ。
エルブランテの茶が効いたのは嬉しいが、いきなり激しく動き回るのはどうかと思う。
「おばあちゃんは心配性なんだから。走らないで、ゆっくり歩いて行けばいいんでしょ?」
「そうね。そうしてちょうだい」
ロミーはエマの頭を撫でる。
「どこかに出かけるところだったんですか?」
エマはパジャマではなく、綺麗なワンピースを着ている。
ロミーも花束を持っていた。
「ええ。この子ね、前から、元気になったらおじいちゃんのお墓参りに行きたいって言ってたのよ。それで今日は天気もいいし」
墓参り、か。
エマのおじいちゃんということは、ロミーの夫だ。
やはり先立たれていたのか。
「そうだったんですか。では、俺たちはお邪魔ですね。また日を改めます」
「それなんだけど……二人とも、もしよかったら一緒に墓参りしてくれないかしら?」
「え? それは構いませんが、赤の他人の俺たちが行ったら、逆に失礼になりませんか?」
「私の夫は賑やかなのが好きだったから。それに、この家で死んだ人は皆同じお墓に入ってるの。つまり私の両親も。ラグナさんは私の兄と同じ名前だから……お墓参りに来てくれたら、父と母は喜ぶと思うの」
父と、母。
俺の前世の両親だ。
その墓参り。
そうか。墓参り、してもいいんだ。
「そういうことであれば、ぜひ」
「私も!」
というわけで、前世では一度も両親の墓参りに行かなかった親不孝者の俺だが、こうして転生後に行くことになった。
あけましておめでとうございます。
書籍版1巻は1月15日発売です。
よろしくお願いします。




