63 クリスティアナ
「ラグナくん、上!」
クラリスの悲鳴が響いた。
「っ!?」
目の前のアレクスに意識の全てを向けていた俺は、そのおかげでかろうじて飛び退くことができた。
半瞬後、俺が元いた場所に、漆黒の矢が突き刺さり、そのまま地面を貫いて消えていった。
恐ろしい威力だ。
もし直撃していたら、俺のHPはどれだけ削られていたか……。
「おお……クリスティアナ様……!」
アレクスは空を見上げながら、恍惚とした声を出す。
そして一人の少女が、まるで綿毛のように、ふわりと舞い降り、泉の上に着地した。
クラリスと同じような年齢の、幼い少女。
ゆっくりと泉に波紋が広がっていく。しかし少女のブーツは沈まない。
それは黄金を溶かして長い糸にしたような、輝く髪の少女だった。
それは闇夜をドレスにして着ているような、退廃的な少女だった。
それは虚無を材料に女神の像にしたような、白い肌の少女だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
名前:クリスティアナ
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ステータス鑑定で覗いても、それ以上の情報が出てこなかった。
レベルもパラメーターもない。
つまりこの少女、無印なのだ。
だが、彼女は空から舞い降りてきた。黒い槍を撃ったのも彼女だろう。
明らかに、何らかの魔法を使ったのだ。
なのに無印というのはあり得ない。
「アレクス。駄目じゃないの。先にエルブランテを見つけたのはこの子たちなんだから。横取りする立場で、そんな高圧的なのはいけないわ」
クリスティアナという少女は、澄まし顔でアレクスに説教する。
いけないわ、と言いつつ、さほどいけないと思っている様子はなかったが。
「はっ、申し訳ありません、クリスティアナ様」
アレクスはクリスティアナのそばにひざまずいた。
レベル99の強者が、無印の少女にかしずいている。
奇妙な光景だが、しかしクリスティアナにはそれだけの迫力があった。
見た目だけなら、とても華奢で折れてしまいそうな可憐な美少女なのに、その目は禍々しいほどの混沌を秘めている。
「それで、ええと……あなたたち、何という名前かしら? 私たち、どちらもステータス鑑定を使えないから、名前が分からないのよ。ああ、そうそう。私はクリスティアナ。彼はアレクス。よろしくね」
クリスティアナはスカートをつまんで広げ、会釈してみせる。
どうやら彼女には一応、対話の意思があるらしい。
それだけでもアレクスよりはマシだ。
「……俺はラグナ・シンフィールドだ」
「私はクラリス・アダムスよ」
「ラグナくんに、クラリスちゃん、ね。それで二人にお願いなんだけど……その葉を譲ってくれないかしら? ええ、もちろんタダでとは言わないわ。譲ってくれたら、この場は見逃してあげる。どう? いい条件だと思うんだけど?」
見逃してやるからアイテムをよこせ。
それはタダと言うのだ。
「……お前たちも、この葉を使って助けたい人がいるのか?」
俺は、もしかしたらと思い、その質問をした。
いかれた二人だが、エルブランテの葉をこれほど欲しているということは、誰かの傷か病気を治そうとしているのかもしれない。
だとすれば、その目的に協力してやることはできる。
もちろん、この葉は渡せないが、二枚目の葉を探す手伝いとか――。
「助けたい人? いいえ、そんなのいないわよ。エルブランテの葉はね。お茶にして飲むと、美容にいいのよ。少し苦いんだけど、お肌がツルツルになるの。ほら、私って美少女でしょ? この美しさを保つのは、義務だと思うのよ。だから、その葉を頂戴な♪」
ああ、うん。
なるほど。
何となく分かっていたが……こいつら、クズだ。
エルブランテの葉は渡せない。
「葉は俺たちが持ち帰る。その邪魔をしないというなら、見逃してやってもいいが?」
俺は剣を構え、殺気を二人にぶつける。
かつて剣聖とまで呼ばれた俺の殺気だ。
かなりの使い手でも、普通は青くなる。
なのにアレクスは氷のような表情のまま。クリスティアナは微笑んだままだ。
「交渉決裂ね。ふふ、望むところよ。大丈夫、殺しはしないわ。だって、あなたたち二人とも綺麗な顔なんですもの。私、美少年も美少女も大好きなの。手足をへし折って、持ち帰って、可愛がってあげる。私の所有物にしてあげる」
クリスティアナの笑みが深まる。
それは殺気ではない。闘気でもない。
もっと別の、俺の理解を超えた、訳の分からない感情だ。
「クラリスさん、逃げて!」
泉の対岸にいるクラリスに俺は叫ぶ。
考えが甘かった。
葉を持っているのが俺だから、二人はまず俺を狙ってくるだろうと当たり前に思っていた。
だが、どうやらクリスティアナの狙いは、もはや葉から別のものに移ったらしい。
俺たちそのものを狙っている。
手足をへし折って、可愛がる?
何だそれは。
そんなことをして、こいつらにどんな得がある?
分からない。
読めない。
だから、とにかくクラリスをここから遠ざけないと。
クラリスは弾かれたように、そばにいた馬に飛び乗った。
そして「走って!」と叫ぶ。
本来、馬を操るというのは訓練が必要なのだが、馬もこの場から離れたかったのか、一気に走り出した。
「アレクス。クラリスちゃんは任せたわ」
「かしこまりました」
アレクスがクラリスを追いかけようとする。
「させるか!」
無論、俺はアレクスの背中に斬りかかる。
が、それは止められた。
クリスティアナが、俺の剣を素手で握りしめ、止めてしまったのだ。
「ラグナくん。男の背中を追いかけるより、私と遊んだほうが楽しいわよ。ほら、優しくいたぶってあげるから。ね?」
「どけぇぇぇっ!」
「!?」
俺は力尽くで剣を引き戻す。
クリスティアナは、握った剣が手から離れたことが心底意外だったらしく、笑みを消し、唖然としていた。
隙あり。
罠ではないかと勘ぐるほど巨大な隙。
だが罠であっても関係ない。罠ごと粉砕して最短最速でぶっ殺す。
俺はクリスティアナの脳天に剣を振り下ろす。
手加減なし。
そのまま一刀両断……にできなかった。
斬れたのは、黒い薔薇の飾りがついたカチューシャだけ。
彼女の体そのものには刃が通らない。
斬撃ではなく打撃になってしまった。
それならそれで結構。
俺は自分の手にあるのが剣ではなく棍棒だと思うことにし、力任せに振り抜き、クリスティアナの顔面を地面へ叩きつけた。
追撃。
彼女の頭部をボールみたいに思いっきり蹴り飛ばす。
クリスティアナの体が浮き上がる。
俺は体を一回転させて勢いをつけ、剣をクリスティアナの腹にぶちかます。
柔らかい感触。なのに刃が立たない。
逆に剣が折れてしまった。
しかし、クリスティアナも無傷では済まない。
背骨ごと両断、とまではいかなかったが、服と表皮は何とか斬ることができた。
「が、はっ」
クリスティアナは血を吐き、吹っ飛んでいく。
内臓にダメージがいったか? 致命傷になったか?
確認不要。次の手は一つだけ。追撃だ。
剣が折れたなら素手で。
奴が絶命するまで叩き込む。
躊躇なく撲殺せしめる。
吹っ飛んでいくクリスティアナが地面に落ちる前に、空中で殴り続け、反撃も防御も回避も、いとまを与えない――。
そのつもりで俺は踏み込んだが、しかし。
「ああ、もう、ラグナくんったらやだぁ。激しすぎぃ」
クリスティアナは空中でくるりと回転し、接近した俺に回し蹴りを放ってきた。
「ちっ!」
俺は腕を上げ、何とかガードに成功する。
それにしても、何だ今のは。
人間は空中でこんなに動けるものなのか?
体を捻ったという感じではなく、まるで羽ばたいたみたいに浮き上がったぞ。
いや。
羽ばたいたみたいに、ではない。本当に羽ばたいたのだ。
いつの間にか、クリスティアナの背中から黒い翼が生えていた。
それはハッキリとした輪郭をとらず、ゆらゆらと揺れている。
まるで黒いモヤのような――。
「あいたたた……ラグナくん、あなた強いのねぇ。レベルいくつ? もしかしてアレクスみたいにカンストしてるとか? 小さくて綺麗な顔なのに、いざ戦いになるとこんなに激しいなんて……そのギャップにゾクゾクしちゃう。私、是が非でもあなたが欲しいわ」
クリスティアナは宙に浮いたまま、額から流れてきた血をぺろりと舐める。
俺の攻撃は、彼女に多少は傷を負わせることができるようだ。
つまり攻撃を続ければいつかは倒せる。
そして今の攻防で分かったが、彼女の動きは洗練されているとは言いがたい。少なくとも百戦錬磨には程遠い。
正体不明の能力を持っている以上、警戒を怠ることは一瞬たりともできないが……負ける気がしない。
彼女は黒い翼を生やし、それだけでなく全身に黒いモヤを薄く纏い、禍々しさを一層強めていたが、それでも負ける気がしない。
「あの世で勝手にゾクゾクしてろ!」
「あら、いじわる」
一気に距離を詰め、アイシクルファランクスとフリーズウェーブの同時発射で動きを封じ、その隙に奴の口の中に折れた剣をねじ込んでやる。
体内に一撃をくれてやれば、この化物だって流石に大ダメージだろう。
そしてアレクスを追いかけ、クラリスを助ける。
俺は乾坤一擲の想いで地面を踏みしめた――と同時に。
大気が震えた。
腹の底まで響く重低音が森を包む。
それはクラリスとアレクスが走って行った方角から聞こえてくる。
書籍版1巻はGAノベルから1月中旬発売です。よろしくお願いします。




