57 前世の実家
前世の俺は十五歳まではメヤームシティを拠点にレベル上げしていたが、レベル5になったのを契機に実家を離れ、本格的に塔の攻略を始めた。
そのあとは……確か二十歳くらいのときに一度、実家に帰った。それ以来、帰っていない。
別に両親と仲が悪かったとか、故郷が嫌いということではない。
だが塔を登れば登るほど、下の層に戻るのが困難になるのだ。
帰郷のために数ヶ月も使うほど、当時の俺に余裕はなかった。
今にして思えば、酷い親不孝者だ。せめて、あと何度か帰ってやれなかったものかと考えてしまう。
前世の俺にはなかった発想だ。
今更になって帰ってきても、もう遅い。
両親が生きているはずはないし、仮に生きていたとしても、転生した俺が息子だと名乗り出たって困らせるだけだろう。
だが、俺には三歳年下の妹がいた。
前世の俺が死んでから、ブライアンとマリーの息子として転生するまで、大きなタイムラグがあったという様子はない。
だから妹がまだ生きている可能性は十分にある。
俺が兄だと分からなくてもいい。
話ができなくてもいい。
せめて一目見ることが叶えば――。
「えー。私だったら名乗り出るのにー」
俺の話を聞いたクラリスは、分からないという顔をする。
確かに、彼女なら遠慮せずに話しかけていきそうだ。
しかし。
「俺にそんな度胸はないよ」
「ラグナくんがそれでいいならいいけどさ……」
市場で軽い朝食を済ませてから、前世の実家へと向かう。
住宅街の道……変わってない。
ここを駆け巡ったのを思い出す。
そして、ここだ。
小さな庭のある家。
前世の俺の実家。
まだ残ってたんだ……。
二階建ての家は記憶にある姿より、少し汚れていた。
かつて庭には、母の趣味でカラフルな花が植えられていたが、今はもうない。代わりに、色んな種類のハーブがあった。
そのハーブ畑で土いじりをしている、六十代半ばほどの老婆がいた。
顔には皺が刻まれて、髪はすっかり白くなって。それでも面影があった。
「ロミー……」
俺は小さな声で呟く。
間違いない。彼女は、前世の妹だ。
「ねえ、ラグナくん……本当に話しかけなくていいの? あの人、妹なんじゃないの?」
塀の外から見つめているだけの俺に、クラリスは軽く肘打ちしてきた。
「いや、いい。まだ妹が生きていて、実家もそのまま残っていた。それが分かっただけで十分だよ。帰ろう」
俺はクラリスの手を引いて、その場を立ち去ろうとした。
が。
不意に呼び止められた。
「あの、うちに何か用だったのかしら?」
ロミーの声だ。
こうなったら無視するわけにもいかない。
俺は振り返って、正面から彼女の顔を見る。
ああ、うん。やっぱり妹だ。その辺を一緒に走り回ったのを覚えているし、俺が冒険者として旅立つとき泣いていたのも覚えている。
「いや、あの……立派なハーブ畑だなぁと思って、つい。覗き込んでしまって申し訳ありませんでした……」
「あら、そうだったの。かわいい子が二人も見ているから、どうしたのかしらと思って。ねえ、せっかくだからハーブティーを飲んでいかない? 年寄りの話し相手になってくれたら嬉しいのだけれど……」
「え」
どうしよう。招待されてしまった。
実家に入って、しかも妹と話をできるなら、そんなありがたいことはない。
けれど。
兄の生まれ変わりだと名乗り出ることはできない。そんなことを言ったら変人だと思われるだけだ。
ただの他人として実家に帰って、何の意味があるのだろう。
と、俺が悩んでいたら。
「ハーブティー! 美味しそう! ねえ、ラグナくん。お言葉に甘えて、頂いていきましょうよ」
クラリスが俺の肩を掴みながら言った。
「まあ……あなた、ラグナというの? 実は私の兄もラグナという名前なの」
ロミーは嬉しそうに言う。
「へえ、それは偶然ですね。私はクラリス・アダムスです!」
「……ラグナ・シンフィールドです」
もうこうなったら誘いを断る空気じゃない。
どうやらクラリスが、俺の悩みを消すために気を利かせてくれたらしい。
……お節介め。あとでお礼を言わなきゃ。
「二人とも名字があるってことは、ベルナー公国の出身じゃないのね。この国はね、普通の人は名字を持たないのよ。ちなみに私の名前はロミー。さあ、ラグナさん、クラリスさん。どうぞ、お入りになって」
というわけで俺は、何十年かぶりに前世の実家に帰ってきた。
通された居間は、昔と同じテーブルと椅子を使っていた。
俺はテーブルの表面をそっとなぞる。
……子供の頃、家の中で剣士ごっこをして、棒を振り回しヘコませたあとも残ってる。
「はい、お待たせ。私のスペシャルブレンドのハーブティーよ。それと焼きたてじゃなくて申し訳ないけどクッキーもどうぞ」
「わあ、いい香り! クッキーもありがとうございます!」
「どうも。いただきます」
うーん。
妹が相手なのに、妙に緊張する。
妹だけど今となっては妹じゃないからか。
俺はハーブティーに口をつける。
温かい。そしてスッキリした味だ。落ち着いてくる。
それにしても。
ロミーはこれまでどういう人生を送ってきたんだろう。
実家にいるということは結婚しなかったのだろうか。それとも俺がいなくなったからロミーがこの家を継いで婿をもらったのだろうか。
子供はいるのだろうか。いたとしたら、それは俺の甥か姪? いや、俺は転生したのだから赤の他人?
両親はいつ死んだんだろう。穏やかな最後だったのだろうか。家を出て行った俺をどう思っていたんだろう。
聞きたいことは尽きない。
でも聞けない。
ああ、くそ。
どうして前世の俺はもっと家に帰らなかったんだろう。




