50 足手まといなので
「済まない、少年! もうこの山は黒いモヤのシルバーウルフだらけだ!」
イーデンが叫ぶ。
マジか。
登ってくるときは出会わなかったから、下の方は大丈夫だと思ったんだけど。
下山が無理なら、どこかに身を隠すしかない。
「とにかく逃げましょう!」
俺はクラリスを背負ったまま移動する。
するとイーデンたちが連れてきた奴らだけでなく、前方からもシルバーウルフがやってくるではないか。
本当に山の至る所にいるんだな。
「邪魔だ!」
俺は近づいてきた奴を一刀両断にする。
「ファイヤーボール!」
クラリスも俺に背負われたまま攻撃魔法で敵を狙撃する。
いいぞ。大したダメージを与えられなくても、衝撃で怯ませることはできる。
そうやって突き進んでいくと、洞窟が見えてきた。
俺は木から飛び降り、そこに向かって走る。
「皆、早く!」
入口で振り返ると、イーデンたちはまだ少し離れていた。
俺とクラリスはそれぞれ、アイシクルアローとファイヤーボールでシルバーウルフの追っ手を足止めし、時間を稼ぐ。
「助かった!」
「恩に着るぜ!」
彼らは礼を言いながら洞窟の奥に入っていく。
全員入ったところでシルバーウルフも追いついてきた。
「はっ!」
俺が剣を薙ぐと、三匹がまとめて死体に変わった。
残りのシルバーウルフは足を止めた。
モンスターにも恐怖という感情がある。動物型はそれが顕著だ。
ゆえに俺の太刀筋を見て、敵わないと悟ったのだ。
シルバーウルフは逃げていく。
しかし、逃がさない。
仲間にこの洞窟の場所を知らされたらやっかいだ。
「クラリスさん。洞窟の中でちょっと待ってて。もし奥にモンスターがいたらファイヤーボールか何かを撃って教えてくれ」
「分かったわ! ラグナくん、気をつけてね!」
「ああ!」
そして俺は逃走するシルバーウルフたちに斬りかかった。
戦意を失ってしまった群れは、もう群れとは呼べない。
雑魚の集団に過ぎない。
守るべき人たちを洞窟に避難させた今、俺は暴れたい放題。
全滅させるまで、十秒もかからなかった。
よし。
他にモンスターはいないな。
見つかる前に俺も洞窟に隠れよう。
二十匹くらいなら何とかなるけど、百匹とか二百匹とか出てきたら、クラリスを守り切る自信がない。
「クラリスさん。大丈夫だった?」
「あ、ラグナくん! ねえ、この洞窟、モンスターはいなかったけど……いたわよ!」
「何が?」
「三馬鹿が!」
「つまり、ジョージとモグとシューがいたってこと?」
「ラグナくん、よく三人の名前覚えてるわね」
逆にクラリスは忘れてたのか。思いやりがあるのかないのか分からない人だな。
クラリスに案内され洞窟の奥に行くと、確かにあの三人がいた。そしてイーデンたちにすがりついて泣いている。
「た、助けに来てくれたんだね……!」
それは安堵の涙だ。
が。
「確かに私たちは君たちを助けるためにこの山に来た……しかし、シルバーウルフの群れから逃れるために洞窟に入ったんだ。正直、君たちを無事に町まで送り届ける自信はない」
イーデンがそう答えると、三人は青くなった。
今度は絶望の涙を流す。
「そんな! あんたたち、アディールシティで最強の冒険者パーティーじゃないか! それなのに僕たちを助けられないって言うのか!? パパが黙っちゃいないぞ!」
ジョージは助けてもらう側なのに、随分と偉そうだ。
「私たちが下山しなければ、代官殿も黙るしかないだろう」
イーデンが身も蓋もないことを言うと、ジョージは絶句した。
父親の権力を笠に怒鳴り散らしても、ここでは何の意味もないとようやく悟ったらしい。
実際、俺だってここにいる全員を無事に下山させる自信はない。
いっそクラリスだけ背負って逃げだそうかと考えているくらいだ。
とはいえ、見捨てたら寝覚めが悪いし、クラリスに何を言われるか分からない。
もうちょっと頑張ってみるか。
「生存の確率を上げるために現状を把握したいんだけど。シルバーウルフがあんなに強くなった原因に心当たりとかないの?」
俺が質問すると、三人は首を横に振る。
「知るもんか。僕たちはただメタル系モンスターに会いたかっただけだ。出やすいと言われている他の二カ所にはいなかったから、昨日の朝、この山に来たんだ」
とジョージ。
「山に入ったら、すでにこういう状態だったの?」
「いや……最初はこうじゃなかった。シルバーウルフや他のモンスターに遭遇しても、僕たち三人はいつものように戦えた。そして滝壺に辿り着いたんだ」
この三人が自力で滝壺まで行けるということは、普段のこの山は本当に大したことがないらしい。
それがわずか一日でこうまで変わるなんて……信じられないな。
だけど……俺は前世でそれに近い話を聞いたことがあった。
ある日突然、モンスターが異常に強くなり、冒険者が次々と殺され、そしてしばらくすると何事もなかったかのように元に戻るという――。
俺自身はそんなものに遭遇したことがなかったので、ただの与太話だと思っていたのだが。
どうやら、そうではなかったようだ。
「で、滝壺で何かあったの?」
ジョージがなかなか続きを言ってくれないので、俺は促した。
肩が震えている。よほど怖い出来事があったんだな。
急かすのは可哀想な気もするが、彼らの命に関わることなので、致し方ない。
「あそこにドラゴンが住んでいるって噂は知っているな?」
ジョージはやっと続きを語り始めた。
「知ってるよ」
「……そのドラゴンがいたんだ」
「へえ、なるほど。そりゃ怖かったろうね」
俺は軽い口調で返事するが、別にジョージたちが感じた恐怖を馬鹿にしているのではない。
塔にドラゴンタイプのモンスターは何種類かいるが、どいつもこいつも巨大で強力だ。
もちろん、いくら強いと言っても『その場所にいる他のモンスターに比べて』ということだが……普通にレベル上げして到達したなら、まず返り討ちにされる。
アディールシティで一番強い冒険者はレベル10のイーデンのようだが、二層のドラゴンを一人で倒すなら、レベル20……あるいは30くらいは必要だ。
つまり、もっと上の層で通用する冒険者になってからでないと、ドラゴンというのは挑んではいけないのだ。
『天墜の塔』において、層が変われば、もはや別世界。
ジョージたちは、別世界の強さを持った怪物に遭遇してしまったわけだ。
そのまま逃げ帰ってきたとしても、決して臆病者ではない。むしろ正常な判断だ。
事実、イーデンたちですら、
「ドラゴンだと……?」
「噂は本当だったのか……!」
と、怖じ気づいた様子だ。
「ラ、ラグナくん……ドラゴンだって……! 私はドラゴン見たことないけど……もの凄く強いんでしょう?」
クラリスが声を震わせながら、俺の服を引っ張ってくる。
「うん。噂ってのは嘘も多いけど、ドラゴンに関しては、世の中で言われてるとおりのモンスターだね。一層で戦ったグリーン・サーペントよりも大きいよ」
「ひぇぇ……」
彼女は涙目になって抱きついてきた。
「おい、待て。確かにドラゴンは恐ろしかったけど……そこには、もっと恐ろしい奴がいたんだ」
ジョージが蒼白な顔で呟く。
「もっと恐ろしい奴……?」
流石の俺も、声に緊張感が混じった。
「黒いモヤがいたんだ。そいつがドラゴンと戦っていた」
「黒いモヤ……シルバーウルフがまとっているあれだな。同じように黒いモヤをまとったモンスターがドラゴンと戦っていたってこと?」
「そうじゃない! モヤそのものだ! 形のないモヤがドラゴンに襲いかかっていた! ドラゴンはそれを振り払おうと必死に暴れていた! それを見た俺たちは、恐ろしくて最初は声も出せなくて……けど、その場に残っていたら命がないことくらい分かる。だから逃げたんだ。とにかく山を下りることしか考えていなかった。でも、今度は後ろからシルバーウルフの群れが追いかけてきた。あの黒いモヤをまとった奴らだ。今までそんなのはいなかったのに、急に出てきたんだ。それで俺たちは走って、この洞窟を見つけて逃げ込んで……ずっと息を潜めて隠れていた。ああ、そうさ、情けないだろう。でも、どうしろっていうんだ! もうメタル系とかレベル上げとかどうでもいいから、僕たちを家に帰してくれ!」
そう叫んでジョージは膝を抱えて泣き出してしまった。
残りの二人は、リーダーの情けない姿を見てギョッとして、それから同じように涙を流した。
やれやれ。
想定外の恐怖に遭遇して震え上がるのは仕方ないにしても、虚勢くらいは張って欲しいものである。
「少年。ジョージの話、どう思う? そのドラゴンと戦っていたという黒いモヤが元凶なのだろうか……?」
イーデンが問いかけてきた。
「さて。断言はできませんけど、無関係ではないでしょう。というわけで、俺が滝壺に行って様子を見てくるので、皆さんはここにいてください」
「そうか……って、え!? 君一人でっ? 駄目だ、危険すぎる!」
「そうよラグナくん、駄目よ! 私も一緒に行くわ!」
「いや。クラリスさんは足手まといだから。ここにいて」
「ふぇぇ……」
クラリスは肩を落とし、しょんぼりする。
「この少女はともかく。私たち五人は同行したほうがいいのではないか?」
「いえ。イーデンさんたちも同じくらい足手まといなので。ここで大人しくしていてください」
「同じくらいか……」
イーデンたち五人は肩を落とし、どんよりとした顔になった。
足手まといと言われて悲しむ気持ちは分かる。
だが実際、シルバーウルフに手も足も出なかったのだから、そこは納得して欲しい。
俺は落ち込んでいる彼らを残して、洞窟を立ち去った。
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