42 カニ退治
宿に一泊した俺たちは、早朝、町を離れて、近くにある森にやってきた。
森の中には綺麗な小川がいくつも流れていて、飲み水には困らない。
二層はどこも水が豊富で助かるが、たまに毒の沼があるので気をつけないと大変なことになる。ここの水は大丈夫だ。
「レベル上げよ! さあ、出てこいモンスター!」
「落ち着いてクラリスさん。どうして気合いに満ちた顔で杖を振り回してるのさ」
「……モンスターを殴ろうと思って……駄目?」
「そんな、おねだりするような顔で言っても駄目、駄目。棒術を覚えるのも今度ね。今からクラリスさんが狙うのは、この辺にいるカニ型のモンスターだ。甲羅が硬くてなかなか倒せないけど、ハサミでしか攻撃してこないから離れたところから攻撃すれば安全だよ。動きもそんなに速くないし、何より横にしか移動できない」
「聞けば聞くほど簡単そうね! そんなモンスターがいるなんて、二層も大したことないわ」
と、クラリスは自信たっぷりだ。
丁度そのとき、茂みの奥からガサゴソと茶色いモンスターが現われた。
人間が背中に乗れるくらいの大きさのカニ型モンスター。
オオサワガニだ。
「クラリスさん、攻撃だ!」
「よしきた! 喰らえ、ファイヤーボール!」
杖の先端から、炎の玉がカニ目がけて発射される。
見事に直撃だ。
しかしファイヤーボールは周りの草や葉を燃やすだけで、カニの甲羅を破壊することはできなかった。
カニはダメージを受けている様子もない。
むしろ攻撃されたことで動きが活発になり、横歩きでクラリスに向かっていく。
「こっちに来た! ファイヤーボール!」
クラリスは後ろに下がりながら魔法で攻撃を続ける。
二発、三発と命中させるがカニの動きは鈍らない。
「横にしか動けないなら、正面に回り込めば……!」
クラリスは華麗なステップでカニの進行方向から外れ、正面に立つ。
四発目のファイヤーボールを当てると、カニは少し怯んだようだ。
「効いた!? よーし、このまま倒すわ!」
そこから更にファイヤーボールを連射する。が、十発目を当てたところで、クラリスは不満を口にした。
「このカニ、頑丈すぎないかしら!?」
「そりゃ二層のモンスターだからね。ところでクラリスさん。レベル2になったとき、炎魔法のランクがGからFになったでしょ。新しい魔法を覚えたんじゃないの?」
「あ、そうだった! ファイヤーウェーブってのを覚えたのよ。使ってみるわね。うりゃぁっ!」
俺はフリーズウェーブという氷魔法を使えるけど、名前からしてその炎版だろう。
きっと、似たような効果だ。
俺はクラリスから距離をとる。
次の瞬間、彼女を中心に半径十メートルほどの炎が広がった。
草花が燃え上がり、木の幹が焦げる。
「わわわ! 何この魔法、危ないじゃないの!」
「やっぱり」
フリーズウェーブは、自分を中心に冷気を放つ魔法だった。
それの炎版を放てば当然こうなる。
ちなみにカニは十メートル以上離れているので、この派手な炎は届いていない。
MPを無駄に消費しただけだった。
……これ以上、森が燃えると困るから、アイシクルアローで消火しておこっと。
「ファイヤーボールで削り続けるしかないね。頑張れクラリスさん」
「うぅ……頑張る!」
クラリスはカニとの距離を一定に保ちながら、ファイヤーボールを打ち続ける。
だが二十五発目のファイヤーボールを撃ったあと、クラリスは困り顔で俺を見た。
「ラグナくん……MPがなくなっちゃったんだけど……」
彼女のMPは34。杖で20増えているから合計54だ。
ファイヤーボールの消費MPが2。
ファイヤーウェーブの消費MPがフリーズウェーブと同じ3だとすると、ここで打ち止めになるのは計算通りだ。
「大丈夫。俺のマナヒールで回復させるから」
マナヒールは自分のMPを相手に譲渡する魔法だ。
俺のMPは170あるので、クラリスを三回フルチャージしてもまだ余る。
「マナヒールってくすぐったいのよね」
「我慢してよ」
カニから離れたところに移動してから、俺はクラリスの手を握ってマナヒールを発動する。
「ひゃん!」
くすぐったそうな声が上がった。
しかし、そのあとクラリスは口をキュッと閉じ、プルプル震えながら我慢している。
「はい、おしまい」
「うー、くすぐったかった……」
「でも、これでまた魔法を撃てるでしょ。ほら、カニはかなり弱ってるよ。あと一押し」
「よーし……今度こそトドメよ! 信じてるわ!」
と、クラリスが願いを込めてファイヤーボールを撃つと、本当にカニは泡を吹いてぐったりとした。そして死体が光の粒子になって消えていく。
二十六発。
これが『炎魔法スキル;F』のファイヤーボールでオオサワガニを倒すのに必要な数だ。
「やったー! 一人で倒せたわ!」
クラリスはぴょんぴょん跳びはねながら俺に近寄ってきた。
「凄いよ、クラリスさん。お疲れ様」
「ラグナくんが散々脅かすから不安だったけど、私だって二層のモンスターに通用するじゃないの」
「言っておくけど、こんなに戦いやすいのはオオサワガニだけだよ。他のモンスターはもっと動きが速かったり複雑だったり、遠距離攻撃してきたりする」
「ふーん……でもオオサワガニが一番戦いやすいってことは、二層の人は皆オオサワガニでレベル上げするの?」
「魔法使いはね。でも接近職は他のモンスターかな。オオサワガニは離れてるときは安全だけど、あのハサミの攻撃力は侮れないから。俺の知る限り、二層は魔法使いや弓使いみたいに距離をとって戦える冒険者のほうがレベル上げやすい」
「へえ……魔法使いでよかったわ!」
「それでも普通は一人で戦わないけどね。クラリスさんだって、途中でMPがなくなったでしょ」
「確かに……でも、それはファイヤーウェーブを無駄に撃ったからよ。ファイヤーボールだけ使ってたら、ラグナくんに回復してもらわなくても倒せたわ」
「それだって杖でMPが増えてるからでしょ。その杖がなかったら勝てないよ」
「確かに……二層はやっぱり厳しいのね。杖があってよかったわ……ありがとう、お母さん」
クラリスは杖を握りしめて、遠い目をする。
その表情には特別な想いがこもっているように見えた。
「その杖ってお母さんからもらったの?」
「そうよ。もともと、お母さんが使ってたんだけど、もっといい杖を手に入れたからって使わなくなったのよ。それで私が欲しいって言ったらくれたの。私が大きくなったら、三人で塔に行こうねって。でも、お母さんもお父さんもなかなか帰ってこないから、私から迎えに行くのよ」
「そっか……俺もクラリスさんのご両親に会ってみたいな」
「私もラグナくんを紹介したいわ! 二人は塔の上を目指して旅立ったんだから、私たちも冒険を続けていれば、いつか必ず会えるわよ」
「うん。そうだね」
この塔に限らず、世界に『必ず』というものは存在しない。
クラリスの両親が生きているという保証は全くない。
むしろ、死んでいる可能性のほうが高いのだ。
それでも彼女は信じている。
信じて前に進むことだけを考えている。
だから俺も信じることにした。




