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38 杖の強化

 俺とクラリスは川沿いの道を歩いて行く。

 右側に大河が流れ、左側には草原。ちらほらと木も生えている。


 大河に複数の小川が合流したり、逆に分岐したりと、川の形は常に変わっていく。

 もし鳥のように空から見下ろすことができれば、きっと複雑な模様になっていることだろう。

 泉や湖もあちこちにあり、水と水の隙間に陸地があるといったありさまだ。


 長距離を移動するには当然、川を渡るための橋をいくつも越えることになる。

 吊り橋やアーチ橋のようにしっかりしたもののほかに、ただ丸太を一本置いただけの簡素な橋まで様々だ。


 丸太の橋を渡るとき、クラリスは最初、怖がっていた。が、二本三本と続くと慣れてしまったらしく、鼻歌を歌いながら歩けるようになった。


「クラリスさん。油断してると落ちるよ」


「大丈夫よ――って、きゃぁ!」


「ほら、言ってるそばから」


 手を繋いでいたおかげで、俺はクラリスを引っ張って支えることができた。

 落ちたとしても小さい川なので流されることはないだろうが、水中にはモンスターがいるのだ。

 ドロの下からザリガニなどが現われて、ハサミで足を切断してくるかもしれない。


「あ、ありがとう……」


「どういたしまして。ところで、どうして真っ赤になってるの?」


「だ、だってラグナくん……手が……その……お尻に……」


「ん? あ、ごめん」


 引っ張って腰を抱きかかえたつもりだったのに、お尻のところに手がいってしまった。

 身長の関係で仕方がない。


「……わざとじゃないんだよ」


「分かってる……怒らないから早く放してよ……!」


 言われてみると触ったままだった。

 これはお互い恥ずかしい。

 とりあえずお尻から手を放し、素早く丸太の橋を渡りきる。


「えっと……クラリスさんが落ちないよう咄嗟に手を伸ばしたら、ああなったんだ……」


「分かってるってば……怒ってないから……」


 俺が弁明すると、クラリスは俺以上に気まずそうにする。

 どうやら本当に怒ってはいないようだ。

 不可抗力だということを分かってくれているらしい。

 よかった、よかった。


「それにしても……胸はないのにお尻は柔らかいんだなぁ」


 と。

 俺は手のひらを見つめながら、つい思ったことをそのまま口に出してしまった。

 しまった、と気づいたときにはもう遅い。


 クラリスが杖を俺の頭に振り下ろし、ポカンと叩いてきた。


「いてて……殴らなくてもいいでしょ。怒ってないって言ったじゃん」


「それはお尻触ったことに対してでしょ! 私の胸がないとかお尻が柔らかいとか……ラグナくんのえっち!」


 クラリスは涙目になりながら、杖で俺をポカポカ叩いてくる。


「ごめん。思ったことがつい口に出ちゃったんだよ。次からは思うだけにするから」


「思うだけでも駄目でしょ! ラグナくん、そんな七歳のうちからえっちなこと考えてたら……とってもえっちな大人になっちゃうでしょ!」


「大丈夫だよ。男は全員えっちだから」


「そ、そんなことない! 普通の人はえっちじゃないもん!」


「いや、えっちなこと考えるって。というか男だけじゃないでしょ。クラリスさん、そういうこと考えたことないの?」


「そ、そそそそ、それは! か、考えたことないもん! ラグナくんでえっちなこと考えたことないもん!」


「別に俺に限定しなくても……そもそも、えっちなこと考えないと、子供産まれないでしょ?」


「は! じゃ、じゃあ私のお父さんとお母さんもえっちなことを……?」


「クラリスさんが生まれてきたってことは、そういうことでしょ」


「うぅ……えっちなこと反対! ラグナくんは可愛いんだから、えっちなこと考えちゃ駄目! 私がラグナくんをそういう風に育てる!」


「育てるって……どうやって?」


「ラグナくんからえっちなものを遠ざける!」


「ふーん……まあ確かに、クラリスさんみたいな体型なら、いくら見てもえっちな気分にはならないし」


「む! 私はこれからスタイルよくなるの! 成長してる途中なの!」


「じゃあ駄目じゃん」


 成長してえっちなスタイルになったら俺の教育に悪い。


「ほんとだ! どうしよう! こうなったら成長を止めるしか!」


「どうやって? というかクラリスさんはそれでいいの?」


「ぐぬぅ……じゃあ私以外でえっちなこと考えちゃ駄目っ!」


「……それだとクラリスさんで考えるのはいいって話になるけど?」


「駄目だけど……本当は駄目だけど……どうしても我慢できないってときは……!」


「はあ……まあ努力してみるよ……」


「が、頑張って……!」


 クラリスはそう言ってから、唇を噛みしめ、目もギュッと閉じた。

 そんなに恥ずかしいなら変なことを言わなければいいのに。

 そもそも頑張れと言われても、何を頑張ればいいのか。

 とりあえず空想の中でクラリスのお尻を触ってみたが、さほど楽しくなかった。


「こんなことをしてる場合じゃないんだ。日が暮れる前に町に行かないと」


「そ、そうだった……待って。分かれ道が出てきたわ。えっと、町に行くには……」


 クラリスは地図帳を広げて顔を近づけた。

 その地図帳は、塔の外の国、ヴァルティア王国の冒険者学校で教科書として使われていたものだ。

 だから一層の情報がほとんどで、二層に関しては極一部しか載っていない。

 一応、俺たちが目指している転送門から一番近い町までのルートは書いてあるようだが、そこから先はない。

 地図帳を作った人たちが、それ以上、進めなかったのだろう。


 一層と二層のモンスターは、強さがまるで違う。

 一層で強者扱いされるレベル2の冒険者は、ここではルーキーになってしまう。

 もし二層で単独行動をするなら、レベル5は欲しい。

 そんなレベルの冒険者は、ヴァルティア王国にはいなかった。

 冒険者学校の校長でもレベル4。まあ、彼は剣技が素晴らしかったから、少しレベルが足りなくても一人で戦えるかもしれない。しかし逆に言えば、二層で通用しそうな冒険者は、校長だけなのだ。


 この二層の地図は、レベル2や3の冒険者が十人規模のパーティーを組んで、転送門の周りを何度も探索し、やっとの思いで作ったに違いない。

 その努力に頭が下がるが……俺たちの冒険の役には立たない。


 二層など、ただの通過点。まして、その一部しか載っていない地図は、邪魔になるばかりだ。


「クラリスさん。その地図帳、町に着いたら処分したほうがいいよ。この先、使わないし」


「えー。もったいない気がするんだけど」


「でも、持ち運べる荷物には限りがあるし。取捨選択は大切だよ」


「……分かった。捨てるわ」


 クラリスは少し名残惜しそうに呟き、地図帳をリュックサックに戻す。


「ところでクラリスさん。その杖で殴るの好きだよね。アラン先生にも杖で攻撃してたし」


「特に好きって訳じゃないけど……杖の攻撃なら、MPの節約になるでしょ?」


「確かにね。じゃあ棒術とか覚えてみる?」


「棒術?」


「名前の通り、棒状のものを使って戦う技だよ」


「ラグナくん、そんな技も使えるの!?」


「そんなに本気で習得したわけじゃないけど。剣術と似てるところが多いから、少しだけね」


「凄い! 教えて教えて!」


「町に着いてからね。ああでも、その杖に『強度上昇』の魔法効果を付与するのはすぐにできるな。今やっちゃおう。ちょっと貸して」


「はい!」


 クラリスはワクワクした顔で杖を俺に差し出してきた。

 それを受け取りつつ、ステータス鑑定のスキルを発動。



――――――――――――――――――――――――――――――――――

名前:マナの杖

説明:鉄で作られた杖だが、わずかにミスリルも混ざっている。かなり頑丈で鈍器として使える。


・魔法効果

MP+20

――――――――――――――――――――――――――――――――――




 以前にも確認したけど、魔法効果は一つしか付与されていない。

 俺は魔法効果が二つのアイテムを作ることができるので、あと一つ付与することができる。

 早速、強度上昇の魔法を使うことにした。


 俺が念じると、視界の中にステータスウィンドウが開いた。

 そこから『魔法効果付与:F』の項目を開き、強度上昇を選ぶ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――

・強度上昇

説明:物体の強度を上昇させる。その効果は魔法効果付与のランクに応じる。また消費MPは物体の大きさによって上下する。人間が扱える武器なら10~20程度のMPを消費する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――



 俺はクラリスの杖を握ったまま、『発動』と強く念じる。

 10のMPが消費され、杖に『強度上昇:F』の効果が付与された。


「はい。これでかなり頑丈になったはずだよ。もともとアラン先生を殴っても大丈夫なくらい頑丈だったけど。クラリスさんのレベルがもっと上がっても、しばらくは耐えられると思う」


「やったー! 早速モンスターと戦いたいわ!」


「いや。二層のモンスターは強いから駄目だってば」


「うーん……じゃあ何で試し殴りすればいいの?」


「その辺の岩とか?」


「つまんないわ! 動いてるものがいい!」


「そうは言っても……じゃあ俺を殴ったら?」


「え、ラグナくんを!? そんな酷いことできないわ!」


 クラリスは面白いくらい狼狽した。


「さっきポカポカ殴ってたじゃん」


「あれはラグナくんがえっちなこと言うからお仕置きしたの!」


「じゃあ今からえっちなこと言うから殴ったら?」


「え!? 駄目よ、そんなラグナくん! ラグナくんはえっちなこと考えるのも駄目なんだから!」


「でも、どうしてもってときはクラリスさんでえっちなこと考えろって言ったじゃん」


 俺は目を細めてクラリスを睨んでみた。


「言ったけど……言ったけど……今がどうしてもなの?」


 クラリスはモジモジしながら呟く。


「そうだよ。人には駄目だと分かっていてもやらなきゃいけないときがあるんだよ」


「そ、そうなんだ……分かったわ!」


 クラリスは気合いの入った顔を作る。

 それにしても彼女は何を分かったんだろう。

 俺は出任せを言っているだけなので、自分言葉の意味をまるで分かっていないのだが。

 しかし、宣言した以上は仕方がない。えっちなことを言ってみよう。

 とはいえ、こうして改まってみると難しい。

 どのくらいのことを言うべきだろう?


「クラリスさんの脇腹くすぐってみたいなぁ」


「ラグナくんのえっち!」


 俺が呟いた瞬間、クラリスは杖を俺の頭に振り下ろしてきた。

 ポカンッと心地いい音がする。


「ラグナくん、大丈夫!? 痛くない!?」


「痛くないよ。もっと本気で殴ってもよかったのに」


「だって可哀想だし……たんこぶとかできてない?」


 そう言ってクラリスは俺の頭を撫でてきた。

 本質的に優しい子なので、敵対しているわけでもない相手を本気で殴るのは無理だったようだ。

 だが、これでは杖の試し殴りにならない。


「……ところでラグナくん。私の脇腹くすぐるって、えっちなことなの……?」


「さあ。適当に言ってみただけだけど。試しにくすぐってみよう。こしょこしょ」


「あひゃひゃひゃひゃ! 何するのよっ!」


 クラリスは叫びながら杖を振り回す。

 かなりの勢いで俺の耳の上を叩いた。

 おそらく彼女の本気の一撃だろう。

 ゴツンッと音が鳴る。


「わー、ごめんっ、当たっちゃった!」


「痛くないからいいよ。杖はなんともない?」


「うん……なんともないわ!」


「俺を本気で殴っても壊れないなら、二層のモンスターを殴っても大丈夫だ」


「そうなんだ。ところでラグナくんは本当に大丈夫なの? くすぐられてビックリしたから、全然手加減できなかったんだけど……」


「平気だって。クラリスさんくらいの力じゃ、俺のHPを減らせないよ」


 HP。

 それは印を持つ者の体に張り巡らされている障壁の残量だ。

 障壁は本人が意識しなくても常に守ってくれる。

 HPがある限り、骨折したり、大量出血するような傷は負わない。そして痛みや衝撃は、かなり緩和されて伝わってくる。

 どうしてか、足の指をタンスにぶつけるなどの日常的な痛みは緩和してくれないが、クラリスの一撃は攻撃として認識され、しっかり緩和された。


「うぅ……それでもゴツンッて鳴ったし……痛かったら言ってね? 私の胸で泣いてもいいのよ?」


「クラリスさんの……胸……?」


 はて。

 それはどの部分を指すのだろう?

 俺は平坦なクラリスの胸部をシゲシゲと眺めた。


「む!」


 俺の視線の意味を察したらしく、クラリスはムスッとした顔で、俺のスネをつま先で蹴ってきた。


「あ痛っ!」


 この蹴りは攻撃認定されず、痛みがそのまま伝わってきた。


「ク、クラリスさん……痛いから胸で泣いてもいいかな……?」


「ふんっ! ラグナくんなんか知らないもん!」


 と、クラリスは一人で歩いて行ってしまった。

 しかし、俺がしゃがみ込んでスネをさすっていると、帰ってきて心配してくれた。

 優しい子だなぁ。

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[気になる点] 実家にもたまに帰るなら、地図は必要なんじゃないの?
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