36 謎の敵
書きためができるまでしばらく連載ストップします。
あとGAノベルからの書籍化が決まりました。
応援してくださる読者の皆様のおかげです。
今後ともよろしくお願いします。
それは二十代後半くらいの男の冒険者だった。
ステータス鑑定で調べるとレベル2。
決して素人ではない。
だというのに、暗がりにお化けを見た子供のように泣きじゃくりながら走ってきた。
「助けてくれぇぇぇっ!」
それを追いかける、黒い影。
デカイ。
校長も大きいが、そんな程度の大きさではなく……比較対象は家とか、あるいはグリーン・サーペント。
そんな大きさのモヤモヤした影が冒険者を追いかけ……そして触手のようなものを伸ばして締め上げた。
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」
冒険者の絶叫が響き渡る。
彼はそのまま触手に引き寄せられ、影の内部に取り込まれようとしていた。
こんなモンスター、見たことがない。
クラリスとアランはおろか、校長ですら固まって動けずにいた。
俺も一瞬、戸惑い……しかしギリギリのところで硬直が解けた。
地面が抉れるほど踏み込んで、加速。
と同時に背負った剣を抜き放ち、触手を切断。
冒険者を抱きかかえて飛び退き、影から距離を取る。
「大丈夫ですか?」
「ひ、ひぃぃぃ……速く、速く逃げるんだぁぁ!」
触手から解放されても、冒険者は怯えたままだ。
一体、この影は何なのだ? どこから来た? 一層にはこんなモンスターがいるのか?
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名前:▓▓▓▓▓▓▓▓
説明:魔族
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影に対してステータス鑑定を行ったら、激しい頭痛に襲われた。
名前の項目にノイズが走ってよく見えない。
名前がついていないとか、不明と表示されたりというのは経験したことがある。
だが、ノイズとともに頭痛がするなんて初めてだ。
そして……魔族?
どういう意味だ。他に説明はないのか。
「おい、ラグナ。こりゃどうなっている!? ステータス鑑定をしたら頭が痛いぞ!」
校長はアラン先生とクラリスをかばうようにして立ちながら、痛みに顔を歪ませていた。
六十を過ぎるまでヴァルティア王国で冒険者をしてきた彼が知らないということは、このモンスターは本来、一層にいるはずのない存在?
駄目だ。まるで分からない。
分からないが……こいつはヤバイと本能で分かった。
「とにかく、倒します! この人をお願いします!」
俺は冒険者を校長に託し、再度、影に――魔族とやらに向かっていく。
「ラグナくん、気をつけて!」
クラリスの声が聞こえた。
ああ、気をつけるさ。
高レベルの冒険者が油断して命を落とすところを俺は何度も見てきた。
相手はモンスターなのかすら怪しい、未知の敵。
言われるまでもない。
言われるまでもないが……クラリスの声援は素直に嬉しい。
俺のようなジジイでも、やはり美少女に応援されたほうがやる気がでるというものだ。
さて。まずは攻撃魔法だ。
アイシクルアローを三発同時に発射。
その瞬間、魔族から触手が伸びて、尽くを薙ぎ払った。
もちろん、命中した触手の部分は凍り付く。
しかし、それだけだ。
トカゲの尻尾のように凍り付いた部分が切り離され、地面に落ちて砕け散る。
どうやら俺の攻撃魔法では、奴に対して有効打とはならないらしい。
上等だ。
ならば前世で剣聖とまで呼ばれた俺の剣技を見せてやる。
クラリスたちとの距離は十分に空いた。
ここからなら少しくらい本気を出してもいいだろう。
俺は衝撃波が起きるほどの速度で一気に魔族との距離を詰める。
いくつもの触手が生えて俺に振り下ろされてきたが、全て剣で斬り裂いた。
そして本体に肉薄し、刃を突き刺す――直前に、地面からも触手が生えてきた。
「おっと」
飛び退いて回避。
触手は魔族を中心に、次々と生えてくる。まるで黒い触手の森だ。
それだけでなく魔族本体も変形し、木が成長するように上へ上へと伸びていく。
「まるで植物だな……」
植物タイプのモンスターというのは沢山いる。
こいつはその類いか?
だが植物タイプは基本的に移動しない。こいつはさっき冒険者を追いかけて猛スピードで動いていた。
この場所に来てから変形することに意味があったのか?
それとも冒険者を追いかけてたまたまここに来たのか?
俺を倒すために変形したのか?
なぜステータス鑑定を使うとノイズが走る?
こいつは何だ。
俺の知っている『天墜の塔』にこんな奴はいない。
「▂▂▂▂▂▅▅▅▅▅▅▂▂▂▂▂▇█▆▅▅▅▅▆▆▆」
魔族から、声? 音? が響き渡る。
この世のものとは思えない。
耳に届いているのに、脳が聞くことを拒んでいるかのような違和感。
人間とこいつは絶対的に相容れない。
塔に生息しているモンスターとは根本的に別種だ。
無数の触手が俺に襲いかかる。
その全てをかいくぐり、斬り落とし、アイシクルアローで迎撃する。
「お前は、どこから来た」
「▄▄▄▄▄▄▅▅▅▅▅▅▆▆▆▆████」
「何を言ってやがる……!」
音として認識することすら難しい空気の震え。
だが、敵意……否、殺意だけは伝わってくる。とてつもなく雄弁に。
今まで感じたこともないほどに。
毛が逆立つ。鳥肌が立つ。
単純な戦闘力だけで考えれば、こいつより強いモンスターと何度も戦った。
しかし、しかし。
俺はどうしてこんなに〝恐怖〟しているのだ。
暴れる触手が地面を大きく抉る。
百本を超える触手が、打撃の乱舞を踊っている。
速く、重い。
おそらく校長でも一撃でHPがゼロになり、それどころかオーバーダメージで即死する。
一層に現われるべき強さではない。
三層……いや、四層のモンスター並か。
俺が食い止めないと、クラリスも校長もアラン先生も一瞬で殺される。
しかし食い止めるだけでは駄目だ。逃したら他の冒険者が襲われる。
絶対にここで殺す。
「作ったボビーさんには悪いが、この剣じゃ駄目だ。素手でいかせてもらう!」
俺は剣を鞘に収め、拳を握りしめる。
そして魔族へと正拳突きを放つ。
敵は触手を束ねて盾にしたが、無駄だ。
盾を貫き、本体もぶち抜く。
俺はまるで砲弾のごとく、魔族の体を貫通して反対側から飛び出した。
「▃▃███▃▃▅▆▇█▆▆███████▇▇▇▅▅▅▂▂▂▂▂▂____」
それは悲鳴、なのだろう。
甲高く鳴き、やがて小さくなり、消えてしまう。
あれほど素早く舞っていた触手が動かなくなり、泥人形のように崩れていく。
本体も崩壊した。
だが、消えない。
確かに崩れ落ちたが、死体はそこに残っている。
モンスターなら跡形もなく消滅するはずなのに。
まさか、まだ生きているのか……?
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名前:ラグナ・シンフィールド
レベル:7
・基礎パラメーター
HP:777(+5)
MP:170
筋力:664
耐久力:462
俊敏性:1035
持久力:614
・習得スキルランク
回復魔法:C
氷魔法:F
風魔法:F
魔法付与:F
ステータス鑑定:A
ステータス隠匿:B
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いや。
レベルアップした。
ということは、こいつの魂が俺に吸収されたのだ。
死んだのは間違いない。
それにしても……レベル2から一気に7まで上がってしまった。
こいつの強さを考慮しても、ちょっと上がりすぎじゃないか?
魔法をほとんど使わずに戦ったから、MPの上げ幅が小さい。
ダメージを喰らっていないので、HPも耐久力も似たようなものだ。
まいったな。
これじゃ前世よりも尖ったパラメーターになってしまう。
とはいえ今回の戦いは、魔法を使って遊んでいる余裕がなかった。
魔族……どういう存在なんだ?
「ラグナくん! ラグナくん! 大丈夫!? 怪我はない!?」
クラリスが抱きついてきた。
よっぽど心配していたのだろうか。
涙すら浮かべている。
「大丈夫。一撃ももらってないよ」
俺は彼女の頭をなでる。
身長差があるものの、何とか背伸びしなくても届いた。
「おい、ラグナ。これを見てみろ……溶けてやがるぞ……」
校長の声を聞き、俺は視線をクラリスから魔族の死体に移す。
すると確かに、溶けていた。
細かい破片になって散らばっていた魔族の黒い死体が、ブクブクと泡を出し消えていく。
モンスターの消えかたとはまるで違う。
モンスターは光の粒子になって消えるのだ。どんなに凶暴なモンスターでも、その瞬間だけは美しくすらある。
だが、この魔族は……禍々しい。見るに堪えない。
「あの……何か変な匂いしませんか?」
アラン先生が校長に言う。
確かに変だ。
この匂いは……。
「毒だ! 皆、離れろ!」
俺が叫ぶと、全員が一斉に魔族の死体があった場所から遠ざかっていく。
そして死体が溶けたあとの地面は、紫色に変色していた。
そこから同色の煙が立ち上っている。
あの煙を吸い込めば『状態異常:毒』になり、つねにHPが減り続けることになる。
俺は解毒の回復魔法を覚えているから致命傷にはならないが、わざわざ近づくこともない。
そして毒も気になるが、それよりも不気味なものが地面に転がっていた。
「ねえ……あそこにあるの……もしかして人間の骨……?」
クラリスが最初に口を開いた。
風が吹いて、紫色の煙が少し晴れた。
おかげでハッキリと見える。
人骨だ。
頭部から足まで綺麗に残っている。
「あれはきっと……俺の仲間の骨だ……あの黒い奴に食われちまったんだよぉ……」
俺がさっき助けた冒険者が、震える声で言った。
そして、ふらふらと骨に近づいていく。
その腕を校長が掴んでとめた。
「よせ。毒を吸いたいのか?」
「けど、けど……俺はあいつとは何年も一緒にパーティーを組んでるんだ……いい奴だったんだよぉ……」
冒険者は泣きじゃくる。
仲間を失う、か。
前世の俺もたまにパーティーを組むことはあったが、特定の仲間というのはいなかった。
しかし、今は隣にクラリスがいる。
もし彼女を失うとしたら――それを想像した俺は、息を止め、走って頭蓋骨を回収してきた。
「どうぞ。ちゃんと埋葬してあげてください」
「あ、ありがとう……!」
冒険者は頭蓋骨を抱きしめて、ギュッと目を閉じた。
あの骨格は女性冒険者だった……もしかして、恋仲だったりしたんだろうか?
「それでラグナ。あいつは何だったんだ? ステータス鑑定をしたら、魔族、とか出てきたが……」
「分かりません。あんな奴を見たのは初めてです」
「そうか……奴が消えた跡……まるでヴァルティア王国の外側みたいになってるぞ」
「ヴァルティア王国の外側?」
「なんだ、ラグナ。知らないのか?」
「農地を越えて、荒野までは行ったことがありますが……」
「その更に向こう側だ。流石にこれは知っていると思うが、千年前に起きた天変地異で、この地上は毒に覆われた。それを塔のアイテムを使って浄化して、ワシらは何とか生きている。そしてヴァルティア王国の外側は、浄化されないまま、千年前の状態を保っているんだ」
「なるほど……見たことはありませんが、その歴史は知っています。でも、どうして奴の死体が毒に変わったんでしょう?」
「まるで想像がつかん……ワシは町に帰って、似たようなことが過去にもなかったか調べてみる。お前らはどうする? このまま二層に行くか?」
「ええ。引き返しても俺たちにできることはないでしょうし。もし魔族が上の層にもいるなら……『天墜の塔』に今までにない異常が起きていることになります。それを調べてきます」
「分かった。気をつけろよ。お前もクラリスも、ヒヨッコじゃないのは認める。だが、魔族は普通じゃない。それは戦ったお前が一番分かっているな?」
「はい。あれは一層にいる冒険者では……いえ、校長ですら太刀打ちできない相手です。もし遭遇したら全力で逃げてください」
「だろうな……他の冒険者たちにも伝えて、徹底させる。いいか、ラグナ、クラリス。絶対に死ぬなよ」
校長はそう言い残し、アラン先生と冒険者を連れて戻っていった。
死ぬな、か。
『天墜の塔』に挑む人間に贈る言葉としては、これ以上のものはないだろう。
塔ではそれだけ死者が出る。
モンスターに殺される冒険者。
過酷な環境に殺される冒険者。
他の冒険者に殺される冒険者。
死ぬ理由はいくらでもある。
だから最優先すべきは、死なないこと。
死ねば普通、そこで冒険は終わりなのだから。
「クラリスさん。二層に行く前に言っておく。今、その目で見たとおり、この塔は人が死ぬ。それも驚くくらいあっけなく。自分だけは例外だと思っている人が結構いるけど……そんなわけはないんだ。俺もクラリスさんも例外じゃない。それでも一緒に来てくれる?」
これはハッキリさせておかないと駄目なことだ。
十三歳の少女を、死ぬかも知れない場所に連れて行くのだ。
彼女がそれを望んでいるのは間違いない。
危険性を頭で分かっていたのも確かだろう。
しかし、こうして実際に目の当たりにして、覚悟が揺らぐということもある。
もし、ほんの少しでも躊躇したならば。
クラリスはここで引き返すべきだ。
「ねえ、ラグナくん。馬鹿にしないで」
返ってきた答えは……説教だった。
「骸骨が出てきて、確かにビックリしたわ。でも、それで私が怖じ気づくと思った? そんな覚悟だったら、最初からここに来ないわ。ラグナくんが私を誘ったんでしょう? 私はそれに応えたわ。自分と私を信じなさいよ!」
いつものように俺の頬を引っ張るということもなく。
まっすぐこちらの瞳を見つめ、静かな怒りとともに、淡々と彼女は語る。
それを聞き、覚悟が決まっていなかったのは俺のほうだと思い知った。
彼女を巻き込むことを恐れていたのだ。
しかし、巻き込むなど思い上がり。
クラリスは仲間だ。対等に歩む仲間だ。
「ごめん、クラリスさん。聞いた俺が馬鹿だったよ」
「本当よ。それにね。『一緒に来てくれる?』なんて年下の子に不安そうな顔で言われたら、お姉さんとしては付いていってあげるしかないでしょ?」
クラリスはそう言って「うふふ」とイタズラっぽく笑った。
「……不安そうな顔なんてしてないよ」
「えー、してましたー。ラグナくん、めっちゃ不安そうでしたー」
そりゃ、まあ。
ここまで来て断られたら悲しいなぁ、くらいのことは考えていたけど。
別に顔に出した覚えなはい。
「そういうイジワル言うなら、他の仲間を探そうっかなぁ」
ニヤニヤと笑うクラリスから目をそらし、俺は転送門に向かってスタスタと歩き出す。
するとクラリスはギョッとした顔になり、慌てて追いかけてきた。
「え!? ちょっと待ってラグナくん! 置いてかないでよー!」
そして俺たちは魔法陣の上に立ち、念じる。
二層へ、と。




