35 大人として
もう六十を超えた老人だというのに、その眼光はギラギラと輝いている。
二メートレ近い体躯は分厚い筋肉に包まれ、仮に『無印』だったとしてもスライムくらいなら殴り殺せそうだ。
そして、その体格に見合った巨大な剣を背負い、しっかりとした足取りでこちらに近づいてくる。
王立冒険者学校、校長。
ビリー・コルボーン。
「ええええ……どうして校長先生がここに……」
グリーン・サーペントにも臆さず攻撃魔法を放っていたクラリスだが、校長の迫力に怖じ気づき、俺の背中に隠れようとする。が、彼女のほうが明らかに背が高いので、無理な話だ。
「校長先生だけじゃない。そのとなりにアラン先生もいるよ」
「あ。本当だ。存在感がないから分からなかったわ……」
「おい、こら! クラリス、お前、担任に向かって失礼だぞ!」
クラリスに存在感がないと言われたアラン先生は、自分の存在をアピールするがごとく叫んだ。
「ごめんなさい……でも私たち、退学届を出したから、もうアラン先生は担任じゃないんじゃ……?」
すると校長が憤然とした顔で答えた。
「何を言う。ワシはそんなもの受理した覚えはない! よって連れ戻しに来た!」
「えぇ!? でも私とラグナくんは、このまま塔の最上層を目指すんです!」
「最上層だと? ふん。ラグナはいいだろう。しかしクラリス! お前は入学試験で、このアランにすら勝てなかったらしいじゃないか。そんなひよっこは最上層どころか二層すら早い!」
「ぐっ……それは……」
クラリスは言葉に詰まる。
校長の言葉が正論だったからだ。
確かにレベル2のアラン先生に歯が立たない子供が二層に行き、なおかつその先を目指すなど、身の程知らずもいいところ。
教師として止めに来るのも当然だ。
しかし――。
「校長先生。クラリスさんは入学試験のときより強くなりましたよ。もうレベル2です」
「何? クラリスは『成長負荷の印』だったはず。レベルアップするはずがない」
俺の言葉に対し、アラン先生が反論する。
が、校長は逆に、押し黙ってクラリスを凝視していた。
なにせ校長はステータス鑑定のスキルを持っている。
俺の言葉が真実だと、その目で確かめたのだ。
「どういうことだ? 『成長負荷の印』を持つ者がレベルアップするなんて、聞いたこともない……だが、確かにレベル2だ。しかも何だ、そのパラメーター。明らかに普通のレベル2じゃない」
「え!? 校長、本当ですか? だって『成長負荷の印』はレベルアップしないってのは定説じゃないですか!」
アラン先生は校長とクラリスを交互に見ながら動揺した表情を浮かべる。
「ヴァルティア王国ではそう思われていたみたいですが、実際は違うんですよ」
「ラグナ。どんな裏技を使ったんだ?」
「別に裏技なんか使ってませんよ」
俺は『成長負荷の印』の効果を説明した。
「なんと……三倍のモンスターを倒せばよかったのか……そしてパラメーターの上げ幅が普通の二倍。リスクに対してリターンが少ないが、今までよりは評価が上がるな」
「はい。それでもハズレの印なことに変わりありませんけどね」
校長とアラン先生は語り合う。
俺の説明を聞いてもハズレ扱いか……。
「レベル50を超えたところから、『成長負荷の印』は他の印を圧倒しますよ。レベルは99までしか上がりませんからね」
「レベルは99までしか上がらない? そんな話は知らないが……まあ、仮にそうだとしてだ。三倍のモンスターを狩らなきゃいけないってことは、レベル50になるために、他の印の約レベル150相当の努力をしなきゃ駄目だってことだぞ。校長でさえやっとレベル4だ。無理に決まってる」
「でも、俺はその校長に勝ちました」
「それは……確かに」
アラン先生は腕を組んで考え込んでしまう。
そして校長もまた押し黙っている。まさか校長まで『成長負荷の印』をハズレ扱いし、あくまでクラリスを引き留めようとするんじゃないだろうな。
と、俺が心配していたら。
「クラリス。アラン。お前たち、ここで戦え」
校長は意外なことを言い出した。
「ええ!?」
クラリスは飛び上がるほど驚いている。
「校長、何を言ってるんですか! 我々はラグナくんとクラリスくんを連れ戻しに来たんですよ!? まさか説得ではなく力ずくでですか!? それは無茶ですよ。だって向こうにはラグナくんがいるんですから!」
アラン先生も焦った声で、校長にくってかかる。
「そうじゃない。これは試験だ。かつてクラリスはアランに負けた。それをここで覆すことができれば、認めてやろう」
「待ってください! 認めるって、何の権限があって言ってるんですか? 退学届を出したんだから、もう関係ないと思います!」
クラリスは校長に抗議する。
が。
「退学届とか教師とか、そういうことじゃない。この先に実力のない者が足を踏み入れれば、命を落とす。人生の先輩としてそれを見過ごせない。そういう話をしているのだ」
校長は静かに、しかしハッキリとした声で語る。
その声には不思議な迫力があった。
クラリスは何も言い返せない。
「クラリスさん。校長先生の言うとおりだと思う。ここでクラリスさんが強いということをハッキリさせよう。それで二人に安心してもらおう」
「ラグナくん……そうね! アラン先生、お願いします!」
「お、おう……仕方ないから身の程を教えてやる。レベル2になったからって、先生に勝てると思うなよ!」
アラン先生は剣を構える。
クラリスさんもまた、リュックサックを降ろして杖を握りしめた。
この二人が前に戦ってから、まだ三ヶ月と少ししか経っていない。
二人の間に流れた時間は平等だ。
しかし、その成長度合は――。
「はじめぇぃっ!」
校長の大きな声が響き渡る。
次の瞬間、仕掛けたのはクラリス。
彼女の杖の先端からファイヤーボールが、周囲を赤く染めながら発射された。
「はっ! 入学試験のときも言ったはずだぞ! 正面から撃っても、そうそう当たるものじゃないと!」
アラン先生は目の前の地面にアイシクルアローを撃ち込み、氷を盛り上がらせて壁を作る。
以前はこれでファイヤーボールを防げた。
だが、あのとき、クラリスの炎魔法のランクはGだった。今はFに成長している。
よって、同じファイヤーボールでも威力が違う。
「なにっ!?」
氷の壁は融解し、小さくなったファイヤーボールがアラン先生へと迫った。
威力はかなり落ちたが、それでも当たればHPが減る。
当然、アラン先生は真横に飛んで逃げる。
その動きはクラリスの計算の内。というより、クラリスがアラン先生をコントロールしたのだ。
「てやぁぁぁっ!」
「は、速い!」
クラリスはすでにアラン先生の後ろに回り込んでおり、金属製の杖を渾身の力で振り下ろした。
二人は同じレベル2。
だが、アラン先生の俊敏性が11なのに対して、クラリスは19。
最高速度だけで考えればクラリスが圧倒的に速い。
が、流石に戦闘経験はアラン先生に一日の長どころではない優位性がある。
背後に回り込まれても、ギリギリのところで反応してみせ、見事な動きでクラリスの杖を受け止めた。
そこから二人は一歩も引かず、杖と剣を激しくぶつけ合う。
筋力と俊敏性はクラリスが勝り、技術はアラン先生が上回っている。
俺は六歳のときに父さんと戦ったが、あれとそっくりな構図だ。
あのときはパラメーターで劣った俺が技術で勝利を収めたが……今回は完全に拮抗していた。
そして更に――。
「ファイヤーボール!」
「アイシクルアロー!」
炎と氷の呪文が同時に放たれた。
どちらも二発ずつ。
互いを相殺し、蒸発した氷が周囲を霧で覆った。
もちろん、氷の矢が二本溶けたところで、それほどの水蒸気にはならない。
霧はすぐに晴れ……そこにクラリスの姿はなかった。
「上か!」
アラン先生はすぐに気づいて顔を上げる。
そこにエアロアタックで加速したクラリスが落下し、杖を振り下ろす。
アラン先生は完璧なタイミングで剣を振り上げた。
これで腕力が互角なら迎撃に成功し、クラリスの杖を弾き落としていただろう。
しかし、そうはならなかった。
エアロアタックの加速。重力による落下。そして筋力の差。
それらの要素が重なって、アラン先生は競り負ける。
彼の手から剣が離れた。
杖がその肩に直撃する。
「くぅっ!」
アラン先生は苦悶の声を漏らし、膝を突いた。
「……俺の負けだ」
そして悔しそうに呟く。
一方、勝利したクラリスは、ポカンとした顔でアラン先生を見下ろしていた。
「え……私の勝ち……ですか?」
「ああ、そうだ。俺は剣を失い、こうして一撃を喰らった。今のでHPが5も減ったよ。あと四回殴れば、俺のHPはゼロになる」
「あと四回も……じゃあ、まだ私の勝ちが決まったわけじゃ……」
「剣なしじゃ君の攻撃を防げない。だから、勝ち誇れよ」
そう呟いて、アラン先生は大の字に寝てしまった。
「ああ、くそ……悔しいな!」
そんなアラン先生を見て、校長はニヤリと笑った。
「未熟者め。帰ったらしごき直してやる」
「ひぇぇ……」
アラン先生は情けない声を出す。
だが彼は「悔しい」とも言った。それはつまり、勝利への執着を捨てていないということ。
きっとアラン先生は、まだまだ強くなれる。
だから校長は笑ったのだ。
「クラリスさん。どうしたの? 勝ったのに、嬉しそうじゃないね」
「いや……嬉しいわよ。だけど……えっと……アラン先生。ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。少しだけやる気が出てきたよ」
アラン先生は起き上がり、クラリスと握手を交わす。
教師と生徒の関係を超えて、この二人は今、ライバルになった。
俺がかつていた、六層や七層に比べたら、彼らの力は小さい。
しかし、そんなものが気にならないくらい、素晴らしい戦いだった。
まあ、それはそれとして――。
「あの。ここまで二週間はかかりますよね。学校、いいんですか?」
俺はふと気になって質問した。
すると校長がガハハと笑って答える。
「なぁに。ワシは教壇に立つわけじゃないし。こいつの代わりなどいくらでもいる」
「ちょっと、校長。それは酷いですよ」
アラン先生はむくれた顔になる。
「だったら、代わりがいないくらいの教師になれ。さあ、用も済んだし帰るぞ。ラグナ、クラリス。お前らは二層に行っちまえ。そして、ワシらが見たこともない世界を見てこい。気が向いたらワシも追いかけようかな」
校長は冗談なのか本気なのか分からないことを言いながら、俺たちを送り出そうとしてくれた。
だが、その刹那。
遠くから悲鳴が聞こえてきた――。




