32 出発
俺とクラリスは、登校してすぐ事務所に退学届を出した。
事務所の人は仰天した顔になっていたので、引き留められる前に急いで学校をあとにした。
「ああ、緊張した。追いかけてこないかしら?」
「こないでしょ。授業料は一年分を前払いだから、学校は損しないし」
「あ! じゃあ私が損しちゃうじゃない! いや、私がというか授業料を払ってくれた叔父さんに申し訳ないわ!」
クラリスは今更そんなことを言い出した。
「大丈夫。グリーン・サーペントから宝石が十個ドロップしたから。半分をクラリスさんにあげる。叔父さんにそれを渡せば、申し訳が立つでしょ」
「この宝石って、一ついくら?」
「前にマジックショップに持っていったら十八万八千ディーネで売れた。もっと粘れば二十万ディーネで売れるかもしれない」
「に、二十万……! え、待って。それだけで一年分どころか、三年分の学費を払ってもおつりがくるじゃない!」
「うん。あの学校の授業料、かなり安いよね」
「それもそうだけど、この宝石高すぎるでしょ!?」
「装備すればHP+5の効果があるからね」
「HP+5! 凄い! 私も装備する!」
「じゃあ残った四つを叔父さんに渡せばいいよ」
俺は五つとも実家に預けてこよう。
今まで育ててもらった恩返しだ。
もっとも前世と違い、今世は数年に一回くらいは実家に帰るつもりなので、今生の別れではないのだが。
それでもしばらく家族に会えなくなる。
特に母さんは悲しみそうだ。
「ところでラグナくんの家ってどこ?」
「えっとね……」
ここからだと、クラリスの家のほうが近いようなので、先にそっちに寄ることにした。
彼女の家には、叔父とその妻。あと俺よりも小さな男の子が二人いた。
「あの、叔父さん。おばさん。学校をやめて、塔を上ることにしました。これは今までお世話になったお礼です。一つ二十万ディーネくらいになるらしいので……」
それを受け取った叔父は、苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「学校をやめて塔を上る……? それはアイテムを集めて金を稼ぐと言うことではなく、とにかく上へ上へ行くということか?」
「うん……だってお父さんとお母さんがそこにいるはずだから……」
「クラリス。考え直せ。お前はいい子だ。俺の息子たちと仲がいいし……俺たち夫婦はお前を本当の家族だと思っていた。冒険者になるからといって、別に上を目指さなくてもいいじゃないか。一層だけでも十分、生活していける。特にお前は『成長負荷の印』なんだ……危険すぎる」
「ありがとう、叔父さん。でも、もう決めたことだから」
「そうか……その目は止めても無駄だな。お前は兄さんの娘だよ。同じ目をしている」
クラリスの叔父は深くため息を吐いた。
おばさんはクラリスを別れ際に抱きしめた。
子供たちは「クラリスお姉ちゃん、次はいつ帰ってくるのー?」と無邪気に聞いてくる。
「えっと……いつかなぁ。ちょっと時間かかるかも」
クラリスはそう曖昧に答え、家をあとにした。
「はあ……こうやって改めて考えると、私、あの家が結構好きだったのね……」
「また帰ってこれるよ」
「うん……」
そして次は俺の実家に行く。
すでに退学届を出したことと、これから本格的に『天墜の塔』を攻略すると告げたら、父さんも母さんも腰を抜かしそうなくらい驚いていた。
「なっ、お前……確かに学ぶことがなかったら退学するとか言ってたけど……決断するの早すぎだろ!」
「そうよ! 塔の攻略って、何ヶ月も連続でこもるってことでしょ!?」
「いや……何ヶ月っていうか、年単位かな」
「「年!?」」
父さんと母さんの声が重なった。
驚きすぎじゃないか?
いや、七歳の子供が何年も家を離れると言い出したら、当然の反応か。
しかし俺が普通の七歳とは違うと知っているのだから、温かく送り出して欲しい。
無理かな?
「子供二人だけで塔を上るなんて危険だ! よし、こうなったら父さんもついていくぞ!」
「いや。父さんはこの家の大黒柱でしょ。ついて来ちゃ駄目だよ。それにクラリスさん、レベル2だし。強いよ」
「何!? その若さでレベル2……お嬢ちゃん、凄いなぁ……」
「あ、ありがとうございます……ラグナくんがレベル上げを手伝ってくれたおかげです……」
いつもは元気一杯のクラリスだが、俺の両親を前にして緊張したのか、借りてきた猫みたいになっている。
「クラリスさんは凄いよ。入学試験のとき、アラン先生を倒すつもりだったし。グリーン・サーペントを前にしても、一歩も引かなかった。そして、最上層を目指すって本気で言っている。見た目は綺麗な女の子だけど、誰よりも冒険心があるんだ」
「綺麗な女の子……え、ラグナくん……私のこと、そういうふうに思ってくれてたんだ……」
「うん。黙ってたら深窓の令嬢かなってくらい綺麗だよ。黙ってたらね」
「……どうしてあなたはいつもそう一言多いの……」
と、クラリスが俺を睨みつけると同時。
「そうよラグナ。女の子を褒めるときはもっと素直に褒めてあげなきゃ」
母さんが説教してきた。
うーん……俺はとても素直な気持ちで言ってるんだけどなぁ。
「それでラグナは、クラリスさんと最上層を目指すと約束しちゃったのね?」
「うん。しちゃった」
「じゃあ……仕方がないわね」
あれ?
一番反対すると思っていた母さんがあっさりと認めてくれたぞ?
それを聞いた父さんが口を大きく開けて驚いている。
「おい、マリー……いったい何を言っているんだ……? ラグナのことを一番心配していたのはお前じゃないか……」
「ええ、そうよ。とても心配だわ。でも……こういう日が来るって、ずっと前から分かっていたじゃない。ラグナはいつか旅立つの。今引き留めたって、それが少し先になるだけ。だったら……気持ちよく送り出してあげたほうがいいじゃない」
そう言って、母さんは優しく微笑んだ。
俺はつい感動してしまった。
前世の俺が家を出るときは、喧嘩別れに近かったが……今回は笑って行ける気がする。
「そうか……母さんの言うとおりだな。よし。行け、ラグナ。そしてクラリスちゃんをしっかり守れ。危ないと思ったらすぐに引き返せ。帰りたくなったらいつでも帰ってこい」
「やだなぁ、父さん。出発する前から引き返す話なんて」
「むむ……それもそうだな……」
「でもラグナ。本当にいつでも帰ってきてね。あと、風邪ひかないようにね。寝る前には歯を磨くのよ。クラリスさんには優しくするのよ」
「俺はいつも優しいよ」
「え!?」
なぜかクラリスがギョッとした顔になっていた。
「あとクラリスさん。ラグナをよろしくお願いします。この子、とんでもなく強いし、基本的にはしっかりものだけど、たまに抜けてるところがあるから」
そんなことはないはずだが。
「それと。いくらラグナが可愛いからって、変なことしちゃ駄目よ。この子、まだ七歳なんだから。まあ、手を繋ぐくらいなら許可します」
「にゃ、にゃにを言ってりゅんですか!?」
「うふふ。冗談よ。そんなに動揺しないで」
「そ、そんなこと言われても……」
クラリスはどんな反応をしていいのか分からないという感じだ。
俺も反応に困る。
考えてみたら、前世を含めて、俺が実家に女性を連れてきたのは初めてだ。
まあ、だから何だという話だが。
「じゃあ、そろそろ行こうか、クラリスさん」
「そ、そうね……!」
クラリスは一刻も早くこの空間から逃げ出したいらしい。
俺が声をかけると素早く椅子から立ち上がった。
「あら……今日一晩くらい泊まっていけばいいのに」
「俺はともかく、クラリスさんが寝る場所ないでしょ」
そして俺は、五つの『グリーン・サーペントの宝石』と、余っていた『凄いトウガラシ』が入ったカゴを父さんに渡す。
「宝石は売るなり飾っておくなり好きにして。トウガラシはミナノ湖に投げるとグリーン・サーペントが出てくる。倒しまくればレベル3も夢じゃないよ。ああ、でも、父さん一人で挑むのはやめたほうがいい。レベル2以上の人を最低二人は仲間にして挑んで」
「おう。分かった。グリーン・サーペントのことは知ってたんだけどな。このトウガラシが生えてる山、とんでもなく過酷な上、モンスターがウジャウジャ生息してるから、なかなか取りに行けなかったんだ。これでようやくグリーン・サーペントに挑めるぞ!」
「喜んでくれて嬉しいよ。でも、前に町でこのトウガラシが沢山売ってたことあったけど……あれは誰が売りに来たんだろう?」
「校長じゃないのか? トウガラシを市場に流して、グリーン・サーペントに挑む冒険者を増やしたいとか、そういうこと考えるタイプだぞ」
なるほど。
そう言えば、俺がミナノ湖に初めて行ったときも、校長からトウガラシを渡されたアラン先生がグリーン・サーペントと戦うかどうか悩んでたっけ。
「デール。ラグナが『天墜の塔』に行くわよ。しばらく会えないんだから、出てきてお見送りしなさい!」
母さんがデールの部屋に向かって叫んでいる。
しかし反応がない。
まあ、俺はデールに嫌われていたからな。
顔を見せないのは仕方がないかもしれない。
「いいよ。別に今生の別れじゃないし。じゃあ、行ってくる。父さんも母さんも元気でね」
俺はクラリスと一緒に実家をあとにした。
父さんと母さんは、通りに出てずっと手を振っていた。
何度振り返ってもその姿は消えず、道を曲がって、ようやく見えなくなった。
「ラグナくん。愛されてるのね」
「うん。流石に名残惜しくなってくるよ」
俺は『天墜の塔』の最上層に行くために転生してきた。
それに人生を費やすと決めている。
けれど、優しい両親の元にいる日々も悪くなかった。
ああ、いかんいかん。
こんなことを考えていると、母さんが言うように、一日くらい泊まっていこうという気になってしまう。
俺は塔に向かって足早に歩こうとした。
そのときである。
「ラグナ!」
背後からデールの声がした。
「……兄さん?」
急いで走ってきたらしく、デールは肩で息をしていた。
その首には、以前、俺がプレゼントしたペンダントがあった。
「いいか、ラグナ。父さんの跡は僕が継ぐんだ……あの家は僕が守るからな!」
「そうか」
「だから、お前はいなくなってもいいぞ。ああ、いなくなって清々する!」
「……そう」
「けどな……お前にもらったこのペンダントは、まあ、大切にしてやってもいいぞ。あと、たまになら帰ってきていいぞ! そうしないと、父さんと母さんが悲しむからな!」
「……ああ。帰ってくるよ。だから家を頼む。兄さん」
「ふん! お前に頼まれるまでもない! 僕は長男だからな!」
そう叫び、デールは走って帰っていった。
俺と彼の関係はあまり良好とは言えなかったけど……最後にデールから歩み寄ってくれた。
口に出すだけあって、長男としての自覚があるのだろう。
塔を上ることしか考えていない俺よりずっと大人かもしれないな。
「ラグナくんのお兄ちゃん、照れ屋なのね……」
「うん。兄さんもクラリスさんにだけはそう言われたくないだろうね」
「何でよ!」
俺はクラリスさんに頬をつねられながら塔に向かって歩いた。




