16 湖のヌシ
オッサンが立ち去ったあと、俺が氷漬けにしたスライムの死体が三つとも、光の粒子になって消滅した。
これはスライムたちが特別な方法で氷から脱出したのではない。
不思議なことに、塔のモンスターは死んでしばらくすると、死体が消えてしまうのだ。
死体が消えると、その魂が倒した者に吸収される。
さて。
ヴァルティア王国の冒険者たちが何年かかってもレベル1のままであることから分かるとおり、スライムのように弱いモンスターを何匹倒したところでレベル2になるのは難しいだろう。
逆に、二層からスタートした前世だと、周りに強いモンスターしかいなかった。
レベル1の者が一人で町の外に出れば、モンスターと遭遇した瞬間に殺されてしまう。
しかし二層には、初心者の成長をベテラン冒険者が手助けするという文化があった。
レベル1の者が数人と、レベル5以上の者が数人でパーティーを組み、二層で比較的弱いモンスターを狙って狩りを行った。
最後にトドメを刺した者がモンスターの魂を吸収できる。なので、ベテラン冒険者たちがモンスターの体力を奪い、トドメを初心者に譲ってくれた。
初心者たちがレベル3になると、ベテラン冒険者はパーティーを抜ける。あとは初心者だけでモンスター狩りを行う。
レベル5になればソロでもレベル上げできるようになるので、この辺りでパーティーを解散することが多い。もちろん、意気投合してそのまま活動を続けるパーティーも多い。
前世の俺はずっとソロで活動していたが、二層にいた頃はベテラン冒険者に助けてもらったり、逆に初心者のレベル上げを手伝ったりしたものだ。実に懐かしい。
まあ、それはそれとして。
今の俺はレベル1に戻ってしまったが、前世でレベル99だったときのステータスを引き継いでいるから、強さに関しては心配ない。
問題なのは、一層にいるモンスターが弱すぎるということだ。
基本的に、強いモンスターを倒したほうが、レベルは上がりやすい。
二層のモンスターなら、五十匹から百匹ほど倒せばレベル2になるだろう。
だが各階層は大陸並の広さだ。二層への転送門がある場所に行くだけでも、半月はかかるはず。
俺は『晩ご飯の時間までには家に帰る』と両親に約束したのだ。
日帰りできる範囲で活動しないと、怒られる。
しかし、スライムだけだと……何千匹も、いやレベル2になるだけで凄いと言われてしまうことを考えれば、何万匹も倒さないと無理だろう。
塔の出入り口から離れすぎないよう気をつけつつ、スライムよりも強いモンスターを探すことにしよう。
というわけで俺は、遠くに見える湖に向かって歩き出した。
ただの草原よりも、水辺とか森の中とかのほうが強いモンスターと遭遇しやすい。
安全に進みたいときはそういった場所を避けるのだが、レベル上げは逆だ。
湖に辿り着くまでのあいだに、スライムを十匹も倒した。
当然だが、レベルは上がらない。
だが、塵も積もれば山となるの精神で、出会い頭にアイシクルアローで氷漬けにしたのだ。
そうやって辿り着いた湖の畔に、一人の冒険者が立っていた。
「あのー、すいませーん。モンスター出ますかー?」
「ああ、出るよー……って、マリーさん!? じゃなかった、ラグナくんか」
この人、俺の顔を見て、母さんの名前を呼んだぞ。
まあ、似てるんだけども。
「そう言うあなたは試験官の……アラン先生でしたっけ?」
「そう。アラン・アルバーンだ。まあ、俺の名前なんてどうでもいい。なぜ君が塔の中に……それもこんな深い場所にいるんだ?」
「ここってそんなに深いですか?」
「いや、全体から見たらそうでもないが……一番近い入口からでも、歩いて二時間はかかるだろう? ソロでここまで来たら、もう初心者卒業だぞ」
「へえ、そうなんですか。でもスライムしか出てきませんでしたよ」
「スライムしかって……一匹や二匹ならともかく、ここに来るまでの間に十匹くらいは……いや、よく考えたら、君は俺よりも強いんだったな。見た目に騙されるところだった」
「別に騙す気なんてありませんけどね。ところでアラン先生もレベル上げですか?」
「いや、俺は……この湖のヌシと戦うかどうか悩んでるんだ」
「湖のヌシ? モンスターですか? 強そうですね」
俺はテンションが上がってしまい、ついうわずった声を出してしまう。
「強いらしいぞ。一層にいるモンスターの中では最強クラスだと校長が言っていた」
「へえ、そりゃ凄いですね。でも、入口から歩いて二時間の場所に、そんな強いモンスターがいたら、初心者が間違って挑んで殺されちゃうんじゃないですか?」
「その点は大丈夫だ。とあるアイテムを湖に投げ込まないと、絶対に陸に上がってこないんだ」
「なるほど。で、アラン先生はそのアイテムを持っているんですね?」
「持っているというか、校長に渡されたんだ。最近、たるんでるからヌシと戦って修行してこい、と」
「はあ……もしかして、俺のせいですか……?」
俺は入学試験でアラン先生に勝ってしまった。
それも、最初の一撃で彼の剣をへし折った。
正直、勝負が成立しないほど、この人と俺の間には実力差がある。
とはいえ、そのあとに戦った校長先生だって俺に負けたのだ。
アラン先生だけが駄目だったわけではないのだが。
「いや、君との戦いはいいんだ。気にしないでくれ。ただ……校長の中では、負けたならリベンジを誓うのが当然でね。いつも通りに過ごしている俺が気にくわなかったらしい」
「ああ、そういうことですか。校長先生の言い分は正しいですね」
「正しいか!? 校長もあの日から一人で剣を振り回してるし……」
「校長先生は俺とまた戦う気なんですか?」
「どうもそうらしい。パラメーターが上がらなくても、剣技を鍛えることはできる……とか言ってたな」
「へえ……それは楽しみです」
実に素晴らしい向上心だ。
校長先生が塔の外ではなく、中で生まれていたら、もっと上層まで辿り着けていただろうに。実に惜しい。
「君と校長は同じ人種だな……もうちょっと実力が拮抗していたらリベンジってのも分かるけど……正直、君とはもう戦いたくないぞ!」
「やれやれ。そんな情けないこと言ってるから怒られるんですよ」
「七歳の子供に呆れられた!? くそ……分かった! 俺の勇気を見せてやるぜ! ヌシと戦ってやらぁ!」
アラン先生は急にやる気を出し、鞄から赤い物体を取り出した。
それは……大根ほどもある巨大なトウガラシだった。
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名前:凄いトウガラシ
説明:凄く辛くて大きなトウガラシ。一層にあるミナノ湖のヌシ『グリーン・サーペント』が最も嫌う食べ物。これを湖に投げ込むとグリーン・サーペントが怒って襲いかかってくる。
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鑑定スキルで説明文を確認するまでもなく、もの凄く辛そうだ。
こうして近くにいるだけで鼻がツーンとしてくる。
アラン先生はそれを湖に投げ込んだ。
すると水面が盛り上がり、緑色の蛇が現われた。
一層どころか二層でも滅多に見ないほどデカイ。
人間どころか馬も丸呑みできそうな口を開き、「キシャァァァァァッ!」と怒りの咆哮を上げる。




