ようなもの、と言われても
他意はないです。
フラウディア・マゴルニーは子爵家の娘だ。
貴族という観点から見れば、まぁ、どこにでもいるような娘としか言えない。
誰よりもこれが得意と言える程の特技があるわけでもなく、趣味の範囲で留まっているような、可もなく不可もなく、といった平凡な娘である。
そんなフラウディアに婚約者が決められたのは、去年の事だ。
この国では貴族たちはある程度の年齢になると王都に存在する貴族学院に通い、学び、人脈を作るのである。
領地から出ないままだと人脈も広がらず、どころか下手をすると貴族としての学びにも偏りが出るためにずいぶん昔に定められた決まり事であった。
正直な話、フラウディアは婚約者を決めるなんてまだ早いんじゃないかしら……と思っていたのだ。
もっとも、それは母の受け売りもあったのだけれど。
フラウディアの婚約が決まったのは学院に通う前で、もし学院で素敵な方と出会ったら……なんてもしもを想像してしまうと、やっぱりちょっと早かったんじゃないかしら、とどうしたって思ってしまったので。
フラウディアの婚約者であるニルス・ラディアンもまた子爵家子息で、家格としては釣り合っている。
ただ、向こうももしかしたらフラウディアではなく、学院で出会う素敵な女性を夢見ている可能性があるのではないかなぁ、とフラウディアが思ってしまう程度には。
二人の仲は悪くはないが、進展も特にないのである。
領地が近く親同士の交流があり、そこから決められてしまった婚約。
家格が釣り合っていて、年も同じ。
共通点と言えばそれくらいで、フラウディアはニルスの事をほとんど知らなかったし、それはニルスにも言える事だった。
学院に入学する前の一年間、それでも何もしていないわけではない。
手紙のやり取りをしたり、時にはお互い家を行き来して交流もした。
した、のだけれど……
まぁ、なんていうかあまり話は合わなかった。
家の中で刺繍をしたり読書をするのが好きなフラウディアと、馬に乗ったり剣術の鍛錬をするニルスとでは、好きな事ややりたい事がかみ合わず、また話題もお互いが歩み寄っていくにしても中々盛り上がらなかったのである。
これについてはどちらが悪いというわけではない。
フラウディアは馬に乗って駆ける時の風になった感じが好きだ、というニルスの言葉に確かにそれは素敵ねと言えても、じゃあ実際に自分も馬に乗ってみたいとは思わなかったし、ニルスもフラウディアがハンカチに施した刺繍を素晴らしいとは思っても、じゃあ自分も作ってみようなどとは思わなかっただけで。
ニルスは本を読まないわけではなかったが、こちらもやはり読むジャンルが違いすぎてやっぱり中々話が盛り上がらない。
お互い共通の趣味を見つけるとか、盛り上がれそうな話題を探すよりはいっそ領地経営について話し合った方がまだ会話が続くのではないか、と思ってからは、二人の会話はそういった将来伴侶となる相手というよりはビジネスパートナーに対するものになりつつあったのである。
ちなみに手紙のやりとりも、二人揃って早々に話題が尽きてしまったので、二人はそこまで数を重ねてやり取りをしていたとはとてもじゃないが言えなかった。
フラウディアはそもそもあまり外に出なかったので面白い話題があるでもなし、また流行に関してネタはあっても流石にニルス様が楽しめる内容ではないわね、と察したからそれらを手紙に書く事はしなかったし、ニルスの方は元々筆不精である事からむしろ対面で話をした方がまだ盛り上がっていると言えるくらいであった。
と言ってもその話題ですら盛り上がっているか、と第三者が見れば首を傾げる程なので、手紙の中身に関しては本当に散々であると言ってもいいだろう。
もし、学院でどなたか素敵な方が見つかったなら、その時はお互い話し合って穏便に婚約を解消してもらうように親に言いましょうね、とフラウディアはニルスに提案し、ニルスもまたそれについて異論はないようであった。
そんなわけで、領地から王都のタウンハウスへ移動して、期待と不安渦巻く学生生活が幕を開けたのである。
フラウディアは淑女科へ。ニルスは騎士科である。
本当だったらニルスは騎士科ではなく領地経営科ではないのか、と思ったものの、しかし彼にはそういった事は難しいとニルスの父が判断したからだろうか。将来領地は人を雇ってそちらに任せるつもりなのだとか。
まぁ、向いてないのに無理に領地経営をやれと言われてやった結果失敗して領民たちの生活がままならなくなるような事になれば、いずれ領民たちがこぞって逃げ出し税収も減り……とロクな結果にならないだろう事は明らかなので、最初から向いていないとわかっているのなら、確かにそういった事が得意な者を雇って任せた方がいいのだろう。
流石にフラウディアが代わりにやります、というのも出しゃばりすぎている気がするし。
向こうから頼まれたならともかく、そんな話をされてすらいないうちにこちらから言うのは間違いなくカドが立つ。
ただ、それでも人に任せっぱなしというのもどうかと思う部分があったので、フラウディアはこっそりと、領地経営に関しても学ぶ事にした。流石に学院で堂々と領地経営に関して学ぶわけにもいかないので、タウンハウスに戻ってから趣味の延長……というように装って。
学院に入って最初のうちは、そこまで変わらなかったと思う。
変化が出始めたのは、二年になってからだ。
今までも鍛錬をしていなかったわけではないが、ニルスは騎士科で学ぶようになってからメキメキと実力を伸ばしていったらしい。
気難しい教師からも褒められたとか、今までできなかった事ができるようになってきたとか、そういった話題を聞く事が多くなってきていた。
友人たちと切磋琢磨していく話を聞くだけなら、フラウディアも特になんとも思わなかった。
友人たちの中に、明らかに女性の名前だろうというのが出てこなければ。
エイミー、と言われた時、最初エミリオを愛称で呼んでそういうやつなのかしら……? とフラウディアは考えた。けれどわざわざ女性に間違われそうな呼び方をされて、殿方ってそれ、喜ぶべきものなのかしら? とも悩んだ。
もしかしたらそういう可愛い呼び方が好きで、あえて、という可能性もないではない。
淑女科にも似たような人がいるので。
だから最初はそういうものとして受け流そうと思ったものの、やはり気になったフラウディアは念のため確認してみたのだ。
結果として、エイミーは愛称でもなんでもなく、本当に女性である事が発覚した。
騎士科、と言っても女性が一人もいないわけではない。
女騎士を目指す者もいるというのはフラウディアも知っている。将来王女殿下の護衛隊に入りたい、という夢を持って女騎士を目指す者がいないわけでもないので。
ただ、やはり男性と女性とではある程度性差が出てくるようになると、同じような内容の仕事と言っても色々と違ってくる。
女性だからと訓練が優しくなるわけではないが、使う武器などに違いが出てくるので男女同じ内容で訓練をする……とはならないのだ。勿論同じ内容のものもあるが、全部が全部そうではない。
騎士科、と一言で言っても男女がずっと同じようにいる、という事はなかったはずなのだ。
だというのに、ニルスの口から出る友人たちの中で、ダントツでエイミーという名が出てくるのである。
聞けば男爵家の娘らしい。
休日に出かけた、という話も以前出ているので、流石にそれはどうなんだろう……? と思ってしまうのも無理はなかった。
「エイミーとはそんなんじゃないよ。男友達みたいなものだし」
それをやんわりと口に出せば、ニルスから返ってきた言葉はこれだった。
確かに最初、名前に「あれ?」と思いはしたもののすぐさま浮気ですか!? と言わなかったのは、話の内容があまりにも他の同性と同じような感じだったからだ。
まぁ浮気であったとしてもフラウディアが浮気を疑って……という事はあまりないと思っているが。
そもそも浮気だなんだという以前に、気になる相手ができたのなら婚約は穏便に解消しましょうね、と話し合っているので。
エイミーの話が出るようになったのは少し前からだが、知り合ったのは学院に入ってから。つまりは騎士科で学ぶようになってからである。
最初のうちはそこまで仲良くなかったとしても、最近はすっかり意気投合している様子だった。少なくとも、ニルスの態度からフラウディアはそう感じ取ったのである。
男友達みたいなもの、とニルスが言うように、彼の口から語られるエイミーの話は確かに女性の話題ではない……とフラウディアも思ってしまった。
木登りが得意だとか、休日に馬に乗って遠くまで一緒に駆けただとか、剣の鍛錬での実力がどうのこうのと、エイミーという名さえ出されなければ確かに同性の友人の話だとしか思えないくらい、女性らしいエピソードはない。
だが、彼女の話題が出る回数はどんどん増えていったし、それどころか婚約者としての交流よりそちらの方が楽しいのか、ニルスは徐々にこちらと会う回数を減らしていっているようにも思えた。
そうはいっても関係を絶たれているわけではない。
とても久々にフラウディアはニルスと共に学院が休みの日に、二人で出かける事となったのだ。
王都は治安が良いので余程高貴な身分であると知られない限りは、滅多に危険な目に遭う事もない。それもあって学院に通う令嬢や令息たちは気軽に街を歩いている。どこもかしこも治安が良いか、と言われるとそうでもないのだが、まぁ治安が悪いと言われているようなところへ足を運ばなければ何も問題はなかった。
新しくできたカフェテリア。
そこにフラウディアとニルスは足を運び、ある意味久々に婚約者同士の交流が開始されたのである。
「あれ? ニルス?」
「おう、エイミーか」
ところがそんな交流の途中でニルスに声をかけてきた者がいた。
(彼女が……)
最早聞き飽きるくらいニルスの口から出てきた名前に、フラウディアは「あぁ、彼女が例の」と言う気持ちで視線を向けただけだった。
「なんだよ俺を差し置いてデートかよ、やるなぁ」
「お前を差し置いてってなんだよ」
言葉の端々に笑いがまじりながらのやりとりは軽快で、フラウディアが何かを言うようなタイミングもないままポンポンと進んでいく。
そうやってフラウディアが二人のやりとりを眺めている間に、二人は今度新しい武具を見に行こうと約束をしていた。
「あー。なんかごめんな? 割り込んで。
でも俺とニルスはそんなんじゃないから、心配しないでほしい」
二人のやりとりを何とはなしに眺めていれば、エイミーはこちらを見てそんな風に言った。
「そうですか」
別に嫉妬していたとかではない。ただ、あぁ彼女がとしか思っていなかったので、むしろこちらが彼女を敵視しているかのような反応をされても戸惑いしかなかったのだ。
「そうだぞフラウ。俺たちはそんなんじゃない」
更にしっかりと念を押すようにニルスが。
エイミーが立ち去った後、ニルスはそれじゃあそろそろ帰ろうか、とまだ時間があるにも関わらずフラウディアをタウンハウスまで送っていった。
なんだかまるで、嫉妬する婚約者を宥めて送り返しました、みたいな態度だった。
別に何とも思っていなかったのにまるで二人の間ではフラウディアが嫉妬していると信じているかのようで、少しだけ不満を抱いたがそれを口に出せば余計に嫉妬しているのを隠そうとしている、と思われてしまいそうだったので胸のもやもやをフラウディアはそっと見なかった事にした。
それで終わりであれば、良かったのに。
その後ニルスと共に出かけている時、やけにエイミーと出会う回数が増えた。
それだけならいいのだが、ニルスはエイミーと出会うとそこで会話をして盛り上がってしまうので、しばらくの間フラウディアは手持ち無沙汰な状態で二人を眺める事になってしまった。
騎士科で起きたであろうあれこれで盛り上がっているので、フラウディアにはわからない内容である。
別にここで話さなくても、学院でいくらでも話せばいいのに……そう思いながらぼんやりと二人の話が終わるのを待つ。
途中で割り込むと、また嫉妬か? 彼女とはそんなんじゃない、とか言われるだろうと思ったので。別に嫉妬じゃないのに。
そうして一頻り盛り上がった後で、エイミーと別れてから。
「気にするなよ、彼女は男友達のようなものなんだ。フラウが思うようなものじゃない」
何故かそう言われるのである。
気にするなも何も、気にさせるような行動をしているのはそちらだというのに。
一度や二度ならまぁそんな事もありますわよね、と思えるのだが既に偶然というには難しいくらいの回数が起きている。
この頃には既に卒業まで一年、つまりフラウディアは三年生となっていた。
ニルスは男友達のようなもの、と言っているが、婚約者同士での交流としてデートをしているところに出くわしては毎回しばらく話に花を咲かせておいてこちらを放置しているので、むしろエイミーと出くわす事を考えるとニルスと出かけるのも億劫に思えてきている。
放置されている時間は短くても五分くらいで、長い時は三十分だ。
むしろ大人しく待っていてあげているフラウディアにニルスは少し申し訳なさそうにするべきでは? と思うのだが、それを言うとまた嫉妬か? なんて言われるのでそれすら面倒になってきている。
元々あまり話が合うわけでもなかったニルスではあるけれど、どうせならもっと早くに婚約解消の話を出すべきだったかもしれない。
そうしたら、今まで無駄だと思った時間を自分の趣味に使えたのに。
そんな風に思う時点で、もっと最初の頃から二人の関係は終わって……いや、始まってすらいなかったのかもしれない。
最近はニルスと会うのも面倒だなと思うようになっていって、そうなるとどんどんニルスへの情も薄れていくのを感じていた。
あまりにも面倒で、次にニルスと出かける約束をしている日を思うと憂鬱で。
「どうしたの? フラウ」
表情を取り繕う事すらできなくなっていたのか、あまりにもアンニュイな雰囲気を漂わせているフラウディアに淑女科の友人が心配そうに声をかけてくる始末。
あからさますぎる状態で「なんでもありませんわ」なんて言っても説得力がないのはわかっている。
だからこそ、フラウディアは今までの事を話題に出した。こちらが笑い物になるか、それとも一緒に穏便に婚約解消するための口実を考えてくれるかは半々かしら……そう内心で思いながら。
結果として、淑女科の友人たちはエイミーに憤っていた。
「有り得ませんわ。友人と言いながらもどう考えても彼女、ラディアン子爵令息様の事狙ってるじゃありませんの」
「そうかしら?」
「そうですとも。だって騎士科でお互いの共通の話題で盛り上がるのなら、わざわざお二人がデートしているところでしなくたって、また学院で、って言って立ち去ればいいでしょう。ちょっとした挨拶を済ませて去っていくならいいけど、三十分も放置する事があるとか、ないです流石に」
「そうですわ。毎回そんなんじゃない、って言えば免罪符になると思っているとしか思えませんわ」
「聞いている限り、他の騎士科の男友達とやらはお二人のデートに遭遇しても簡単な挨拶だけして立ち去っていくのでしょう? なのにそのエイミーという男爵令嬢はそこで話を始めている。
他の男友達と同じようにするならいいけど、そうじゃないのならそこに他意はなかった、と言っても信じられませんわ」
フラウディアが驚くくらい、友人たちはエイミーに対して怒りを募らせていた。
確かになんていうか、嫌だなぁ、と思った事はあるけれど、絶妙なのだ。胸の中のもやもやしたものをニルスに言っても考えすぎだとか、心配しすぎだとか、まるでこちらが重く捉えがちだとばかりで、それなら家族に話してみようかとも思ったが、なんていうかこんな事で文句を言うようなのもどうなんだろうな……と思ってしまったので。
偶然だろうとか、たまたまでしょうとか。
そんな風に言われてしまえば、フラウディアはその先でも同じようなもやもやを持ってもやっぱり考えすぎと言われてしまうかもしれない。
一度や二度訴えるくらいならともかく、それが何度も続けばこちらが悪いとばかりに言われるかもしれない。
そんな風に考えると、家族からそういう風に言われたくはないし思われたくもないな、となってしまったから。
ニルスとエイミーの事でフラウディアがもやもやしたというのを素直に第三者に吐露する形となったのは、思えばこれが初めてだった。
「向こうがあくまでも友人だと言って考えすぎだのと言うのなら、こちらが同じことをしても問題ないって事ですわよね?」
そんな中、ぽつりと呟くような声で言ったのはミース・ヴァンレシア伯爵令嬢である。
「そう、かもしれませんがでも……」
「いますでしょう。我が淑女科に打ってつけの人物が」
仮に男性と仲良くして、彼とは単なる友人ですと言ったところで、しかし距離が近しいだとか、そういうあれこれを言われた結果こちらの方が有責、みたいになってしまったら流石に困ると考えてフラウディアはミースの言葉に思い切り煮え切らない態度しかとれなかった。
しかしミースはお構いなしにスッと手にしていた扇子をある方向に向ける。
「あら。アタシに何か用?」
「……ハルミーン侯爵令息……ではなく令嬢様」
令息、と言った時点でぴくりと不機嫌そうに眉が動いたのを察して、フラウディアは即座に言い直した。
言い直した事で機嫌を損ねる事は回避できたようで、彼――否、彼女は満足そうに微笑む。
アレンシス・ハルミーン侯爵令息――否、令嬢は見た目は男性である。
やや中性的ではあるものの、それでもそこかしこに男性としての特徴が出ているのは否定できない。
そんなアレンシスは淑女科の令嬢たちと同じようにドレスに身を包んでいる。
身長が他の令嬢たちよりも頭一つと半分ほど突き抜けていてとても目立つが、しかし彼女はお構いなしだ。
曰く、自分は性別を間違えて生まれてきたと言い切って将来は家を継ぐのは弟に任せ自分は社交から遠ざかって暮らすのだとか。
それを侯爵がよく許したなと思いつつも、だがしかし成人後も言ってしまえば女装にしか見えない姿で社交界に出る事を考えたら、弟を跡継ぎにした方がマシ、と考えたのだろう。
ちなみに身体は男性であっても心は女性らしく、彼女が想いを寄せる相手は男性であった。
明らかに似合わない女装であればフラウディアもうっかり笑わないよう視界にいれないよう注意をしたかもしれないが、アレンシスは高身長も女性とは異なる体格もものともせずにドレスを着こなすので、フラウディアは度々そういった着こなしを参考にする事があった。勿論こっそりと見るくらいである。
流石に子爵家の娘にとって侯爵家の方は気軽に声をかけるには恐れ多い。
完全に孤立しているわけではないけれど、しかしアレンシスがアレンシスであるせいで彼女はあまり周囲の和気藹々とした集まりに交じる事はない。
いくら心が女性と言って、恋愛対象も男性であると言われても、やはり身体が男性であるので他の令嬢たちもアレンシスとの関わり方に悩んでいるのだ。あと身分的なものも勿論ある。
そのせいで、距離感がつかめずどう接すればいいのか……といった雰囲気をアレンシスも察しているから彼女も無理に令嬢たちの集まりに突撃したりはしていない。
完全に孤立しているわけでもないので、こちらから声をかければ応えてくれる。
他の令嬢たちと比べて距離感が異質であるけれど、それでも彼女もまた同じ淑女科で切磋琢磨して学ぶ学友である。
ミースがアレンシスに先程フラウディアがこぼした愚痴を要約して伝えると、彼女は形の良い眉を跳ね上げて、
「他意がありすぎるしワザとに決まってるでしょう!?」
そう、悩む間もなく言った。
「でもま、大体わかったわ。
オーケー、手を貸してあげる」
話が早すぎてフラウディアはすぐに言われた言葉の意味が理解できず「えっ?」と淑女の仮面が外れた状態で、無防備な幼子みたいにぽかんとした表情を浮かべてしまった。
「そういうのを都合よく利用する相手ってアタシ、嫌いなのよね」
完全にフラウディアのためというよりはムカつく相手を潰したいというのがメインであるらしく、アレンシスはまずは下準備ねなんて言って、フラウディアにまずは家族に今までの事とこれからするつもりの事を伝えるように指示を出した。
えっ、本気ですか……? と言いたいのを堪えて、フラウディアは頷くしかできなかった。
逆らっても侯爵家が敵に回るかもしれないので、フラウディアにとってメリットはどこにもない。
もしかしなくても、自分の手に負えない勢いでオオゴトになろうとしているのでは……? なんて思いながらもフラウディアはまずは家族に今までの事と、これからニルスに対してやろうとしている事を伝えるしかできなかった。ここでうだうだと愚痴だけを吐き出して行動に移らないとなると、アレンシスに「アンタそうやって結婚後も我慢し続けるわけ? 一生我慢できるって言うならアタシ止めないけど、無理だと思うわ」なんてバッサリ言われるのが目に見えていたからだ。
ニルスに喧嘩を売るのとアレンシスを敵に回すのだったら、フラウディアはニルスに喧嘩を売る方を選ぶ。
かくして、フラウディアはニルスとエイミーとの決戦に臨む事となったのである。
――といっても。
実際フラウディアはほとんど何もしなかった。
その光景を眺めるだけだったと言ってもいい。
決戦の場として選ばれたのは、学院の食堂である。
ランチタイムともなれば、ほとんどの生徒が集まる場所で人目が確実に存在する。
食堂以外の場所でランチをとる者もいるけれど、ニルスは食堂をよく利用していたので都合が良かった、というのもある。
フラウディアは食堂を利用するのは半々といったところだった。他の場所で食べる事もあるけれど、それは事前に友人に誘われてランチボックスを持参した時だけだ。昼は食べない日もあるので食堂を利用しない日の方が最近は多かった。
いくら人が多いといってもそれでも見たくない光景を見る事があるので。
アレンシスも食堂を利用する事はあまりなかった。
パッと見背の高い女性に見えなくもないけれど、それでもやはりちゃんと見ると男性である以上周囲の目はどうしたって向くので。
堂々と表立って揶揄ったりしてくる相手はいないが、陰で言われているのはわかっている。そんな相手の前に姿を見せてネタを提供してやる義理はどこにもないので普段アレンシスが食堂を利用する事はほぼ無かった。
フラウディアとアレンシス、それから友人たちと共に食堂に姿を見せた事で、周囲の視線があからさまでなくともアレンシスへと向けられる。小柄な少女たちに囲まれているアレンシスの姿はどうしたって目立っていたので。
そんな一団が食堂で和気藹々と食事をしている光景は、普段見ないというのもあってかより目立っていた。
その中でもアレンシスと会話しながら盛り上がっていたのはフラウディアである。
「……フラウディア」
「あらニルス様、どうなさったの?」
普段、フラウディアが食堂を利用した際ニルスが見えたとしても、ニルスはわざわざフラウディアに声をかけたりはしなかった。同じ騎士科の友人たちと談笑しながら食事をしていて、気付いていないというのもあったがその中にエイミーの姿もいたのでフラウディアもなるべく視界に入れたくはなかったのだ。
ニルスの口からエイミーの名が出るようになった後、すぐに彼女の姿を認識できなかったのは単純にタイミングの問題だったとは思うが、しかし街でエイミーと出会って以降はやけに目につくようになっていったのもあってフラウディア自身意識して視界に入れないように……としていたのもあったのだけれど。
だがどのみち食事中にエイミーとニルスが楽しそうに会話をしていたとしても、そこにフラウディアが割って入ろうとは思わなかった。どうせいつものように友人だと言われて終わるのが目に見えていたので。
仮にこちらに気付いていても、わざわざこんな風に声をかけてくるとは思っていなかったフラウディアは、だからこそほんの少しだけ驚いたのである。
「そちらの御仁は?」
「同じ淑女科の友人ですけれど」
「初めまして、アタシはアレンシス・ハルミーンよ」
家名を聞けばニルスもアレンシスが侯爵家の人間だと気付きはしたのだろう。
えっ、と言いたげな顔をしたが声には出さなかった。出していたらそれはそれでアレンシスが突く理由を与える事になるので、そういう意味ではニルスはギリギリで踏みとどまったと言える。
「男性だよな?」
「心は女よ。生まれてくる性別を間違えただけ。何か?」
「そうですよニルス様、彼女は女友達です。ニルス様にだって似たような方がいるのだから、わかるでしょう?」
そう言われてしまえばニルスは何も言い返せなかった。
だがしかし、それもほんの数秒。
「確かにそうだが、だがこちらはきちんとフラウに話しただろう」
「えぇ、ですからニルス様なら理解できるかなと思ったので、改めて紹介しようと思っておりましたの」
こっちはエイミーの事を話したからこそ疚しい事はないが、しかしそちらは話さなかった。疚しい事があるのではないか? という意味での言葉だと理解したフラウディアは淑女科で培い強固になった淑女の笑みでもって言ってのける。
「理解のない方だと、すぐに浮気だなんだと言いかねませんから。その点ニルス様はそんな事がないとわかったので、こちらも安心して紹介できるというものです」
うふふ、と笑えばニルスはぐっ、と喉の奥で詰まったような音を出した。
「ちょっと待ってよ、あた……俺とそいつが一緒? 冗談だろ?」
そこへ入ってきたのが、エイミーである。
不作法とも言えるそれに、アレンシスの片眉が僅かに跳ねる。
フラウディアの話を聞いた時点で察していたし、ついでに軽く情報を調べているのでアレンシスは既に知っている。エイミーは別に自分と同じ人間ではないという事を。
アレンシスと同じように生まれてきた時に性別を間違えてしまっただけ、というのなら、アレンシスも数少ない同胞としてエイミーが望むなら手を差し伸べるのもやぶさかではないと考えていた。
だが実際、彼女はそうではなかった。
単純に男勝りなだけの女である。
「えぇそうね。アタシとあんたは違うわ。だってあんたは心も身体も女だもの」
だからこそ、割って入ってきたエイミーにこの場の主導権を譲ってやるつもりなど微塵もなく、アレンシスはよく通る声でハッキリと宣言してみせる。
「先に言っておくけど、アタシの愛する人は男性よ。あぁ、勘違いしないで頂戴。男だったら誰でもいいってわけじゃないの。確かに身体的な点で見れば同性愛者だけど、心は女なのアタシ。精神面で見ればちゃんと異性愛者よ。でもあんたは違うのよね」
侯爵家の出で淑女科にいる、とするには随分とざっくばらんな口調ではある。だが、アレンシスのそれはやけにサマになっていたので誰もそれを指摘できる雰囲気ではなかった。
「アタシが同じクラスの友人たちと一緒にいる事に何か問題でも? ないわよね、そっちだって同じ事をしているんだから」
「同じ、と言っても騎士科だって男女でクラスは分かれているはずですけれども」
「けどエイミーは男友達のようなものだ」
フラウディアの友人の一人がそう言えば、すぐさまニルスがいつものように返してきた。
その言葉にアレンシスは悠然と微笑む。
「えぇそうね、だったらアタシだって彼女たちからすれば女友達よ。ねぇ?」
そう言われてしまえば頷くしかない。
フラウディアはアレンシスを友人と断言していいのか自信がない。確かに同じクラスにいるけれど、しかし他の友人たちのような距離感で話をしたわけでもないし、身分差もあって自分から話しかけるのは恐れ多すぎて距離を取っていたのだから。
それなのに友人だ、と言われて頷いてしまっていいのだろうか……と一瞬だけ葛藤したが、しかしここで友人ではない、と言うのも話がややこしくなるような気がしたし、友人であっても男友達です、と言うのもやっぱり話が拗れる予感しかしない。
そもそも、アレンシスが「アタシに任せておきなさい」と事前に言ってくれたのだから、であればフラウディアがやるべき事は細かい部分をわざわざ指摘する事ではなく、彼女の言葉にYESと答えるだけである。
「だが――」
それでも何やら言い募ろうとしたニルスに対して、アレンシスはフッと笑ってみせた。
淑女の笑みというよりは、ニヒルな悪役みたいな笑みだが思わず見入ってしまうくらいに似合っていた。
「アタシだけが違う、なんて説得力のない言葉、まさか言わないわよね?
だってアタシ婚約者同士の逢瀬にわざわざ入ってきて無駄にどうでもいい話をして婚約者を待たせ続けたりなんてしていないし、ちゃんと友人としてマトモな距離感で接しているもの。
その上でアタシに対して何かを言いたいっていうのなら、まずはそっちが色々と改めるべきではなくて?」
そう言われた事で、ニルスは確かに、とでも思ったのか即座に反論してくるような事はしなかった。
後ろの方で見ていた騎士科の令息たちが、まぁ確かにアレはなぁ……と小声で言っているのもニルスが反論できなかった原因の一つだろう。
「別にアタシ、仲良くするなとは言ってないのよ。ただ、距離感は大事よねって思うだけで。
だってそちらのご友人はあくまでも男友達の『ような』ものであって、ちゃんと女性なのだから」
それとも、とわざとらしく言葉を区切る。
「アタシと同じように性別を間違えて生まれてきた、っていうのならそれでもいいのだけれど。
いい機会だからそこんとこハッキリさせておきましょうか。
ね、どっちなわけ?」
ニルスではなくエイミーへとアレンシスの視線と言葉が向けられて、エイミーはすぐに返事ができなかった。
何故って、エイミーは心も身体も女性なので。
ここにきて、ニルスはようやくフラウディアに対する自分の態度に問題があったのだと理解した。
確かに二人の仲は良いか悪いかで言えば、良いとは言えない。悪い、とも言えないが、このまま婚約者でいて、いずれ結婚して夫婦となったとしてもどこにでもいるような政略結婚で結ばれた他の貴族のような――仮面夫婦となるのだろうな、と思う程度の仲でしかない。
だが、だからといって彼女に対しての態度や扱いを雑にしていいというわけでもないし、同じように自分がそういう風に扱われるのも素直に受け入れられるはずがなかった。
あからさまにならないようにニルスはエイミーを見た。
確かに、男友達のようなもの、ではある。
だが、決して男友達ではないのだ。
フラウディアに対してのようなどこか緊張を含んだような状態で接するでもなく、気心が知れていると言えばそうだが、しかし他の男友達と同じような話をしたり遊びにでかけたりするでもない。
確かに武具を見たり、遠乗りに出かける事はするが、しかし男だけでの集まりでするような、女性が知ればちょっと顔をしかめるような――端的に言ってしまえば女性にうっかり聞かれたら最低だとか言われるような猥談のような話はした事がないし、夜遊びに誘うような事もしていない。
他の友人たちとは夜遅くに友人のタウンハウスなどでカードゲームやその他諸々で盛り上がって泊まったりすることもあるが、流石にそこにエイミーを誘う事はできなかった。
そういった事実を突き詰めて考えれば、男友達のようなものであっても確かにニルスたちはエイミーの事を他の男友達と同じ扱いはしていなかった。
気心が知れた仲に見えてその実無意識に気を使っていたし、男友達と同じような距離感で接していても流石に一線を越えるような事は避けていた。
それどころか――
ニルスが己の今までの所業を思い返している間も、沈黙は続いていた。
エイミーはアレンシスの問いに答えるつもりがないのか、それとも答えられないのかはわからないが視線を彷徨わせて、そうして何やら言葉を探しているようではある。
沈黙はそう長くはなかったはずだが、しかしそれでも長く感じられていた。
エイミーは男爵家の生まれで、教育を受けてきたといっても下位貴族としてのものでしかないし、騎士科に所属したのだって、身体を動かすのは好きでも頭を使う事があまり得意ではなかったからだ。
だからこそ、アレンシスへの返答にどう答えればいいのかすぐにはわからなかった。
今更ではあるがエイミーは男爵令嬢でありながらも、おしとやかさとは無縁の存在であった。
幼い頃から家の敷地内を駆け回り、庭で泥だらけになるまで遊び、木登りをしては使用人に怪我をすると危ないからと説得されても繰り返しては周囲の肝を冷やし続けてきた。
可愛らしいドレスを着ても動きにくいとしか思わなかったし、母親に連れられてどこぞのお茶会に行ってもそこでみっともない真似はしないようにと言いつけられていたから、退屈で窮屈でつまらなかった。
好きなだけお菓子を食べていいなら時間いっぱいそうしていたかもしれないが、しかし食べていいお菓子の数も決められていたから幼い頃のエイミーは母に連れていかれた先で出会った令嬢との話も合わず、それで余計に同性の友人というものを必要だと思えなかった。
一緒にいてもつまらない相手との時間が苦痛でしかなかったのである。
逆に男の子とは話が合ったし気も合った。
木の枝を剣に見立ててのチャンバラごっこも勇者と魔王に分かれてのごっこ遊びも、どっちが早く木に登れるかの競争も。
外で遊べなくても、室内であってもそういった時は胸躍るような冒険譚などが記されている本を読んでは感想を語り合った。
女の子との会話はそういうのとはまた違って、エイミーにとっては何が面白いのかわからないくらい退屈だったが、男の子たちと遊んでいる時は楽しくて時間があっという間に過ぎていったのだ。
だから、勿論最初の頃はもしかして自分は性別を間違えて生まれてきたのではないのかしら……なんて思った事もあった。それからは自分は男の子なんだと思って生きていくようになった。
しかし。
自分はどうあっても女性だった。
成長するにつれて身体は女性らしくなっていくし、背だってそこまで伸びなかった。
何より、エイミーが恋を自覚した相手は男性であった。恋を自覚した途端、ちょっとでも女の子らしく見てもらいたい、という思いが芽生えて自分なりにお洒落もするようになったけれど、しかし女性らしさで言うのなら他の令嬢たちと比べればエイミーは足元にも及ばないと自分でもわかっていた。
今まで男の子のように生きてきたから、女性らしい所作だとか身のこなしがどうしても他と比べて自分でもわかるくらいに劣っているのだと嫌でも理解するしかない。
親はそもそもエイミーが幼い頃から早々に諦めた。
どのみち男爵家であるし、跡取りはエイミーではないし、であればエイミーには好きに生きればいいと早々に割り切ったのだ。無理矢理矯正するように淑女らしさを身につけさせようとしたところで、どうにもならないとエイミーの親はかなり早い段階で察してしまっていた。
学院に通う時も騎士科に行くといったエイミーを、故に両親は特に反対する事もなかったのである。
エイミーの初恋は自覚した時点で既に失恋確定であったのだけれど、だからこそエイミーは次の恋は成就させようと思っていた。少し年上の親戚に抱いた恋心は、自覚した時点で相手が既に結婚しているという事実により失恋したが、同年代であればそんな風に失恋する事はないかもしれない。
そんな風に思って、彼女は密かに出会いにも期待していたのだ。
騎士科であれば多くの令息と出会う事もあるし、親しくなるだけならそう難しい事もない。
そこからどうにかして取っ掛かりを掴めれば、もしかしたらもしかするのではないか。
そんな風に、考えていたのだ。
そうして気が合って一際仲良くなったと思ったのが、ニルス・ラディアンである。
しかし彼には婚約者がいた。
また失恋かと思ったが、しかしニルスの婚約者とニルスの仲はそこまで良いわけでもないと言われ、更にはお互い好きな相手ができたなら穏便に解消するなんて話も出ていると聞いて。
エイミーはなんとかしてニルスの心を自分に向けたいと思ってしまったのだ。
そのために、今まで以上にニルスと仲良くなれるように努力した。
男友達のようなもの、と言われた時にはやっぱり自分の事なんて意識してくれないのかも、なんて内心で悲しくなったりもしたが、しかしそれでも街で会えば婚約者そっちのけでこちらと話をしてくれたりもしたので、まったく脈がないわけじゃないはずだ。
そう信じて、エイミーはどうにかしてニルスを振り向かせるために頑張っていたのだ。
だがここにきて、エイミーにとっての危機的状況が訪れた。
アレンシス・ハルミーン。
淑女科に在籍している男性であるというのはエイミーも耳にしていた。女装して自分は女だとのたまうどこか頭のおかしい人なんだと聞こえてきた噂から勝手に思っていたが、しかしエイミーの目の前にいるアレンシスは、決して噂に聞くような人物ではなかった。
堂々とした振る舞い。
決して粗暴でも粗雑でもなく、むしろエイミーが思い浮かべる理想の淑女のような振る舞い。自分があのように淑女として行動してみろと言われても、絶対にできないだろう。
そんな相手に、エイミーは自身の性別を問われている。
素直に答えれば女としか言いようがない。
だがしかし、そうなると婚約者のいる相手に近づきすぎている事になる。エイミーは勉強が苦手だからといっても、常識まで理解できないわけではないのだ。
今までは男友達のようなもの、というカテゴリに自分を置いて都合よく女ではないかのように周囲に見せていたけれど、しかし実際は女なのだ。
アレンシスと同じように、心は男だ、と答えたとする。
であればその場合、いつか、ニルスに想いを知られたとして。
ニルスが受け入れてくれるかはわからない。
身体が女なら心の性別が同性であっても問題ないのではないか、と思わなくもないのだが、しかしニルスは同性愛者ではない。いくら身体が女で彼の子を産めるといっても、ニルスがそれでも心が男ならちょっと……と断る可能性はどうしたって存在している。
それに――もし、仮に。
心は男だと言ってニルスがそれでもエイミーを受け入れてくれたと仮定しよう。
その上でフラウディアとの婚約を解消して、エイミーと結ばれてくれるかは……
先の未来を想像すると、かなり難しいと言える。
ここで宣言した場合、周囲もエイミーもまたアレンシスと同じように心と身体の性別が一致しないで生まれてきたのだと認識するだろう。
その上で、では。
男同士なら問題ないよな、と着替えの時に同じ場所でするように言われたりすれば、流石にエイミーだってそれは恥ずかしいし、騎士科にいる他の女性と同じ空間で着替えるにしても、心が男ならこちらをいやらしい目で見るかもしれないだとか言われるかもしれない。
トイレだって、だったら男性用トイレを使用して、なんて他の令嬢たちに言われるかもしれない。
いくら男のように振舞っていても、エイミーは女性なので流石にそれもイヤだ。
そういった身近な想像はさておきニルスが自分とそれでも結婚するとなったとして。
その場合、同性婚と定義される。
この国の宗教上、同性婚は禁じられていなかったがしかしそれを実行する者は限りなく少ない。
故にもしエイミーの心が男だと言った上でニルスと結婚した場合、間違いなく社交界では様々な噂が流れる事だろう。二人とも騎士として身を立てるにしろ、下賤で下世話な噂話は間違いなく流れる。
せめてもう少し人がいない場所で聞かれていたのなら。
アレンシスと対面する状況で二人きりの時に確認するかのように聞かれていたのなら、エイミーもどうにかできたかもしれない。
だがしかし、ここはランチタイム真っ最中の食堂で、大勢の人目がある。
どう答えてもエイミーにとって良い状況になりそうにない……と思えば思うだけ、アレンシスの問いに返す答えは唇から出る事がなかったのだ。
「――もういいわ」
「……え?」
一向に応えようとしないエイミーに、アレンシスはややあって溜息混じりに切り捨てた。
「今ので大体わかったから。
あんた、どっちつかずなのね。あんたはアタシと同じじゃないし、他の人たちとも違う。
都合のいい時だけ性別をコロコロ変えてるだけ。じゃなかったら、ちゃんと答えられるはずだもの」
そんな風に言われても、エイミーは即座に否定できなかった。
何も言えずに思わず俯いてしまったエイミーに、周囲の視線が突き刺さってくるようで、それで余計に身を縮こませる。貝のように口を閉じたままのエイミーから視線をニルスへと向けて、アレンシスは、
「もういいでしょ? アタシたちランチの途中なの。邪魔しないで」
追い払うような口調で言う。
このままここに居続けても無駄に注目を集めるだけと判断したニルスは、一先ずエイミーを連れて食堂を出ていった。立ち去る直前、ニルスはフラウディアに申し訳なさそうな表情を浮かべたが、お互い何を言うでもなかった。
――その後の話としては、フラウディアとニルスの婚約が解消された。
今までの自分が誠意のない事をしていたと気付いたニルスからの申し出である。
できる事ならやり直したい、と思ってもそもそもやり直す程の情をお互い作っていたわけではないという事から、無理にこれ以上関係を続けてもいつかの未来で破綻するだろうという結論に至ったらしい。
相応の謝罪を戴いたので、フラウディアとしては肩の荷が下りたと言えなくもない。
婚約を解消したニルスがその後、エイミーとくっついたという話は聞かなかった。
彼は自分はきっと結婚するのに向いていないと言って、この先剣に生きると宣言したらしい。
エイミーは今まで男友達だった令息たちからやんわりと距離を置かれて、しかし同じ騎士科の女性たちとも馴染めず孤立したらしいが、それでも学院を辞めたりはしなかった。彼女もまた騎士となって身を立てる道を選んだと言える。
だが――
「あんたの元婚約者はともかく、あの女は騎士にはなれないでしょうね」
「そうなんですか……?」
放課後のサロンで友人たちと簡易的なお茶会を開いた中で、ふとアレンシスがそんな風に言ったものだから、フラウディアは思わず聞き返していた。
食堂での一件から既にそこそこの時間が経過している。
フラウディアの両親は婚約が解消された事で娘の結婚相手に関して色々探しているようだが、そんな両親の苦労はフラウディアにとって申し訳なさは確かにあるけれど、でもそこまでしなくてもいいのに……という気持ちも存在していた。
正直すぐに次! という気持ちになっていないのだ。
だが、ここでまだもう少し先でいいや、と思っていてもいざそろそろ結婚しなければ……! と焦るかもしれないのを考えると、両親の焦りもわからなくもない。
そこら辺を色々と考えた末に、でもやっぱりもうちょっと先延ばしで……となっているのがフラウディアの現状である。
どうにもエイミーがニルスを狙っていた、というのは薄々感じてはいた。
だから婚約が解消されたのなら、てっきりくっつくものだと思っていたのに、ニルスの方から距離を取って今では騎士科でエイミーが孤立している、というのも噂で聞いてはいた。
それでも、フラウディアが見た限りエイミーは案外たくましいと思うので、フラウディアのようにまだもう少し……と状況を先延ばしにせずに気を取りなおして次! となっていそうだと思っていたのに。
アレンシスの言葉がフラウディアには理解できなかったのだ。
「そうよ。だってあの女、都合がいい時は自分は男です、って感じでいたわけでしょ?
で、都合が悪くなれば自分は女だって言う。アタシの一番嫌いなタイプ。
そのせいで貴方、もやもやしてたわけだし」
「それは、まぁ、えぇ。
でも、騎士科にいて騎士になれない、というのは?」
「だって騎士科で将来女騎士を目指してるのって、ほとんどが王女護衛隊所属狙いなわけでしょ?
でもそこに、心は男です、なんて言うような女騎士を配属なんてできるわけないじゃない。いくら身体が女でも、心が男なら王女殿下が穢される可能性はいくらでもあるもの」
やりようはいくらでもあるし、と言われてしまえば何も言えない。
「心も身体も女です、って言うのなら、あの女は婚約者がいる異性に言い寄ってたって事実が残る。
仮に女騎士になったとしても、そんな相手は王女殿下の近くに置けないし、ましてや同僚だって下手に自分の婚約者に言い寄られるような事になれば関わりたいと思うはずもない」
「あぁ、既に醜聞という下地ができあがっていたのですね」
「そういう事よ。淑女だけじゃない、平民でも婚約者に言い寄る相手なんて関わりたいわけないもの」
「王女殿下の護衛以外では?」
「難しいわね。余程の実力があるならともかく、彼女くらいの実力なら他にもいるもの。どこかの貴族の家の私兵だって難しいわ。
そうね、貴族をやめて平民になって、その上で傭兵としてやっていくならまぁ……
でも、そっちはそっちで実力主義だし騎士とは別のルールが存在する。たとえ傭兵になったところで、厄介なのに目をつけられたらあっという間に食い物にされるでしょうね」
学院にいる時以上に上手く立ち回らないと無理ね、なんて言われてしまえば。
「あらまぁ」
としかフラウディアには言えなかった。
確かにニルスといる時にやって来ては会話を始めて放置されていたし、その時のエイミーが時々なんだか勝ち誇ったような顔をしていたような気もしていたからもやもやしていたのもあったけれど。
だがフラウディアは別にエイミーをどうにかしてやろうとは思っていなかった。
あくまでも婚約者を放置して会話を弾ませているニルスに対してちょっとなぁ……と思っていただけで。エイミーはニルスにくっついてきた余計なオマケである。フラウディアがニルスと別れた以上、エイミーがわざわざこちらに関わってくるとは思っていなかったし、であれば後はもう好きにすればいい、というのがフラウディアの正直な気持ちだ。
まだこちらに関わってこようとされていたら、どうしていたかはわからないが。
「ま、妥当と言えば妥当ね。場合によってはマゴルニー子爵家とラディアン子爵家の婚約をぶち壊したって事で慰謝料請求されていてもおかしくなかったもの。決定的な何かをしたわけじゃないからそうならなかったってだけで、でも決定的じゃなかったからこういう結末になったとも言えるわ。
慰謝料を請求されて家から何らかの処分を下されるか、これといったお咎めがないまま未来が潰えるか……どっちにしても終わる事にかわりはないもの」
エイミーにとってどちらがマシな終わり方であったのか……などとは考えても仕方のない事だった。フラウディアはエイミーではないので、どちらがマシかなんてわかりようもない。
「ところでマゴルニー子爵令嬢」
改まって呼ばれた事で、フラウディアは思わず背筋を伸ばしていた。
「婚約が解消になったのだから、当然今はフリーよね?」
「えぇ、それは、勿論」
「うちの弟なんてどうかしら?」
「どうかしら!?」
「ほら、アタシがこんなだから、弟のところに嫁に出そうって家が……ないのよ。フリムリス公爵家のアイリスとセイランなんてなんて言ったと思う?
強烈な姑がいるからって言うのよ!? 失礼ねアタシは姑じゃなくてその場合小姑よ!」
「そういう事じゃないのではないかなぁ……と思う次第。それに私、子爵家なので身分的にどうかと思います」
「近しいところの伝手が全滅したの! このままじゃアタシのせいであの子一生涯独身よ!? 既に後継者に養子をとる話が出始めてるとかあまりにも不憫なのよね。アタシという存在のせいだけど」
でもここに今、フリーの令嬢が! とばかりに言われても、フラウディアとて困惑するしかない。
「もしかしてこの展開狙ってましたか……?」
なので思わずそんな風に聞いてしまう。
「狙って? まさか。いくら弟の結婚相手を探すにしてもこんな回りくどい事するわけないでしょう。
それにアタシが巻き込まれる事になった原因は、ミース・ヴァンレシアよ」
そう言ってアレンシスがピッと扇子で指し示せば、ミース伯爵令嬢は我関せずとばかりにお茶を飲んでいたが、カップをそっと置いて、
「あらいやだ人聞きの悪い。わたくしはクラスで馴染んでいなかった貴方を仲間外れにせずきちんと輪の中に入れて差し上げただけですのに」
しれっと言ってのけた。
確かにフラウディアとニルスの一件があってから、クラスの皆の距離感は以前より縮まったと言える。
今までそっと遠巻きにされていたアレンシスにも声がかけられる事が増えたし、なんだかんだ協力する事もあった。
身体は男性でも心が女性というのなら、アレンシスは学院でトイレに行く時どうしているのだろうか……? という疑問は密かに存在していたのだが、それが思わぬ形で発覚したのである。
身体が男性とは言え、流石に男性トイレに行くのも恥ずかしい、とアレンシスは人がいない時を見計らって教員用のトイレを使用していたらしい。
こういった話が出る事はないと思っていたからこそ、そういった話が出るまでになる程度に距離が縮まったのは良い事なのかもしれないが……まぁ、流石にフラウディアだけではない、他の令嬢たちも流石に外での話題にはできるはずもなかった。
ただ、その話を聞いてからは他に利用者がいない時にアレンシスに知らせたりする事が増えた。
心が女性であっても身体が男性なので、流石に女性トイレに堂々と行くのは……と躊躇っていたアレンシスに今なら誰も利用していませんよ、と知らせるのはなんだかまるでいけない取引をしているかのようで。
アレンシスとしてはそれもそれでちょっと……と思っているが善意での行為なので甘んじて受け入れている。実際聞くだけで利用するのは教員用のトイレなので。ちなみに教師からも一応の許可を得ているので、教員用トイレの使用で咎められた事はない。
ともあれ、そんななんとも言えない感じでクラスの距離感が縮まって、アレンシスも気軽にフラウディアにそんな話を持ち掛けたのだ。
アレンシスとミースが言い合いを始めたのを間に挟まれる形で聞いていたフラウディアではあるが、
「それでどうするおつもり? 話を受けたらアレンシス・ハルミーンが小姑になるのよ」
「小姑になるって言ってもだからっていびるような真似はしないわよ流石に」
何故かミースにまで詰め寄られて、困ったように他の友人たちへ視線を移動させる。
だがしかし、この場を綺麗におさめるような真似など、そう簡単にできるはずもなく。
他の友人たちは無情にもそっと視線を逸らしたのである。一応申し訳なさそうな表情をしていたので、フラウディアも流石に怒れなかった。
「えぇと……その件に関しては持ち帰って検討したいと思います……」
なので。
フラウディアに言えるのは、今はこれが精一杯だったのである。
個人的には同性愛だろうと異性愛だろうとお互いが同意の上で周囲に迷惑かけなきゃ好きにおやりよ派です。それと同時にある程度TPO弁えてるなら女装も男装も仮装も好きにすればええがな派です。
次回短編予告
仲間がある日追放された。
えっ、マジかよだったら俺もついてくぜ!
そんな感じで彼は追放された仲間を追っていったのである。
次回 混ざれば一緒なわけがない
手順を無視しても大丈夫なものもあれば、無視しちゃいけないものも確かに存在するのだ。マジで。




