女という生き物
「はぁ……」
一人大きなため息を吐く。そんな俺の弱音は、真っ白になって秋空の中に溶けていった。
バイト終わり。いつも以上にダラダラと自転車を走らせながら、俺は帰路をたどっていた。
――ここ最近、色々なことが起こりすぎだよなぁ。なんかもう、よく分かんなくなってきた……。
先月の栗の事件に始まり、俺は日和ちゃんから本城さんのことを頼まれてしまった。一方の本城さんは、茜から何かを言われて戸惑っているし、挙句には七泉が家出をして、俺の家に泊まりにきた。
ここまで次々とイベントが積み重なってくると、流石に参ってしまう。
――結局お昼休みギリギリだったせいで、詳しい話出来なかったし。多分、勘違いされたままなんだろうなぁ。
あの後は結局、七泉が従妹であるということ、家出をしてこちらに来ているということ、彼女に特別な感情を抱いていないことなど、何も言及することができずに終わってしまった。それから、どうして彼女がそんなことを気にしているのか、その理由も分からないままだ。
――昨日は真逆のことを言ってた本城さんが、あんな風になるなんて。絶対に茜が吹き込んだからに決まってる。帰ったらすぐに連絡して、説教してやらなきゃ。
なんだかその気になった途端、早く家へ帰りたくなってきた。それまで弱々しく漕いでいた足に力を入れると、俺は急いで自転車を漕ぎ出した。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
「あっ、実お兄ちゃん!」
帰った途端、真っ先に聞こえてきた優しくて黄色い声。どうやら七泉は、机の前に座りタブレットで何かをしていたらしい。俺が部屋に入った途端、立ち上がって俺のことを笑顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさい、お疲れ……さま?」
「すまん七泉。早速だけど、ちょっと茜に電話するね」
申し訳ないと思いながらも、七泉の言葉を話半分に聞くと、すぐに荷物を放ってスマホを取り出した。
「えっ? あ、うん。分かったけど……」
せっかくお出迎えしたのに……そう言いたげに、不安げな表情を浮かべながら七泉は頷くと、萎れた花のように椅子へと座り直した。そんな顔をされると、これから説教するというのに、気分が変わってしまうじゃないか。なるべく七泉を見ないようにしながら、俺は茜に通話を入れた。
「もしもし、茜?」
「はいはーい、こちらブラコンの茜ちゃんでーす!」
たったのワンコールで、彼女の元気な声が耳元から聴こえてきた。その様子だと、どうやら普段と変わらず相変わらずらしい。
「いま平気か?」
「うんー、お母さんと一緒にテレビ見てるけど平気ー」
「母さんと……?」
――マズいな、母さんが一緒にいることは想定外だった。どうすっかな。
特に母さんに聞かれて問題があるわけではないが、彼女に介入されると厄介なことになりそうだ。ここは一度、二人きりで話したほうが話が早いだろう。
「えっと……テレビ見てるとこ悪いんだけど、母さんのいないところで話せない?」
「えー、今いいところなのにー!」
「なぁに? お母さんが聞いてたら不満?」
奥から少し小さく、茜の声と一緒に母さんの声も聞こえてきた。どうやら向こうは、スピーカー通話にしているらしい。
「えっ、いやっ、そういう意味じゃないんだけど。なんというか……二人きりで話したほうが、スムーズに進むというか」
「ふーん。……実、良いこと教えてあげよっか」
「良いこと?」
そう告げる母さんの見えない表情が、俺には容易に想像できた。きっといま彼女は、楽しそうに口元をつり上げているに違いない。
「子供が親に秘密にすることってのはね、大きく分けるとたった三つしかないの。何だと思う?」
「は……」
母さんはふふんと笑みを浮かべると、そのまま言葉を続けてみせる。
「一つ。親が知らないきょうだい同士だけの秘密。二つ。友達や知り合いとのトラブル。そして三つ。……恋愛相談」
「う……」
言わんこっちゃない。どうせそんなことだろうと思ってはいたが、たったそれだけの会話でそこまでバレるとは思わなんだ。母親という存在は、やはり恐ろしい。
「……で。果たして実君の秘密は、一体どれなのかなー?」
「う、うっせぇ。そこまで言われて、わざわざ言うかよ」
「ちぇ、なーんだ。お母さんつまんなーい」
わざとらしく拗ねてみせると、段々と彼女の声は遠くなっていった。
「あれお母さん、続き見ないの?」
どうやら母さんは立ち上がって、部屋を出ていこうとしているようだ。そんな彼女へ向けて、茜が声を掛ける。
「あー、大丈夫だよ。これ録画してあるから。邪魔者は仕方なく、お風呂にでも入ってきまーす」
その声と同時に、パタンと扉の閉まる音が聞こえた。
「……母さん、風呂行ったの?」
「ん。行っちゃったみたい」
「マジか。まったく、母さんのからかい癖は相変わらずだな……」
あの歳になってまでこの調子じゃ、きっと十年後になっても変わらないのだろう。困ったものだ。
「お母さんだって、お兄ちゃんのことが大好きだもんねー。きゃー、お兄ちゃんモテモテだぁ」
そんな俺達のやり取りに、今度は茜が茶々を入れてくる。やめろ、なんで君達は親子そろって、俺のことをからかってくるんだ。
「別に家族にモテても嬉しかねぇっての」
「えー。そうじゃなくたって、お兄ちゃんはモテてるくせにぃ」
「なに言ってんだか。俺にモテ期なんて、人生一度もきたことねぇよ」
「……やっぱりお兄ちゃんって、鈍感?」
「は、なんだよ急に」
急に何を言い出すのかと思えば、茜は呆れたようにため息だ。一体今の会話のどこに、呆れられる要素があったのかが全く分からない。
「そっかぁ。結局お兄ちゃんって、何振り構わず色んな人に首突っ込むからなぁ。思わせぶりもいいところだよねぇ」
「なんだよそれ。俺の何が思わせぶりなんだよ」
「……ホントに気付いてないの?」
嘘でしょ、と言わんばかりの雰囲気で茜が告げた。
「分からないから聞いてるんだろ」
「そう。……じゃあさ、七泉ちゃんに聞いてみなよ。そしたら何か、教えてくれるかもよ?」
「七泉に?」
咄嗟に振り向いて、七泉を見る。突然自分の名前を呼ばれたことに驚いたのか、彼女も同じように俺のことを見てきた。
「そ、今おウチにいるんでしょ? だったら私なんかよりも、よっぽど七泉ちゃんのほうが知ってるよ。私はただの、ブラコンだからね」
「……全く意味が分からんのだが、取り敢えず七泉に聞けばいいんだな?」
「まぁ聞いたとしても、ちゃんと返事してくれるかは保証しないけどねー。そこはお兄ちゃんが頑張ってね」
「なんだよそれ……」
結局のところ、自分から言い出してきたくせに、全て俺に丸投げじゃないか。何故わざわざ七泉に話を振るのかも曖昧だし、茜が何を言いたいのかも全く分からないままだ。
「……で。話逸れちゃったけど、お兄ちゃんは何の用?」
話の本題について、茜が俺に問う。まるで今の話から逃げるようにも聞こえたが、きっとそれ以上問い詰めたとしても無駄だろう。
「あぁ? ……いや、あのさ。お前この間、本城さんに何か言った?」
「この間? うん、言ったよ」
意外にもすんなりと、茜はその事実を認めた。
「だよな。なんかあれ以来、本城さんの様子がおかしいんだよ。お前、ホントなに言ったの?」
「何って、『これからもお兄ちゃんの良い友達でいてください』って、言っただけだよ」
「……は、それだけ?」
「うん、それだけ。ほかは他愛も無い話だったし、何も言ってないと思うけど」
「……ホントだな?」
「だからホントだって。嘘なんか吐いてないよ」
頑なに認めようとしない俺に、茜がムキになって言い返してくる。もし茜がここで嘘を吐いていたとすれば、ここで意地を張ったりはしないだろう。彼女の言っていることは、恐らく本当だ。
「……そう、分かったよ。信じる」
「もう。お兄ちゃんが何か、余計なことでも言ったんじゃないの? 女の子って、そういう細かい言葉にもデリケートなんだからね?」
「そうなのかな。特に何か、怒らせるようなことは言った覚えはないんだけど……」
――というか、怒るというよりは困っている、に近い気がするし。
あの様子は、俺に対して何か不満があるような感じではない。どちらかというと……いや、それ以上は考えたくなかった。
「因みに、綾乃お姉ちゃんは今、どんな感じなの?」
茜が問うた。
「今? えっと、昨日は確か『先輩は彼女作る気あるのか』って聞かれたな」
「っ!?」
そう俺が告げた瞬間、ずっと俺の様子を見守っていた七泉の表情が曇った。何故そんな風に驚いたのかが気になったが、それはすぐに茜の返事がきたことによって阻まれた。
「ふぅん、そっか。……じゃあさ、そんな大変なお兄ちゃんに、とっても大事なアドバイスを三つだけ、教えてあげるね」
早くも何かを悟った様子の茜が、まるで先程の母さんに似た口ぶりで告げてみせる。雰囲気が似ているのは、流石親子といったところだろう。
「お前もか。なんだよ」
「一つ。断ることを怖がらないこと。二つ。焦ってすぐに答えを出さずに、よーく考えること。最後に三つ。七泉ちゃんと綾乃お姉ちゃんのことを、どっちも大事にしてあげること。……分かった?」
「分かったって聞かれても……。俺にとってはどっちも大事な人だし、いつも通りのような気がするんだけど」
「いいから! 分、か、り、ま、し、た、か!?」
珍しく茜が、威圧感のある声で怒鳴ってみせた。未だに俺にはなんのこっちゃ分からないままだが、ここは一先ず返事をしておかないとマズい気がする。
「わ、分かったよ! 分かった、そうするから!」
「それでいいの。……七泉ちゃんも綾乃お姉ちゃんも、どっちも特にデリケートな性格なんだからね? お兄ちゃんが傷付けたりでもしたら、私が許さないから」
「だから分かったって。気を付けるよ」
「それでよし」
まだ多少の不満があるような様子だったが、一先ず了承を口にした俺を認めたのか、それ以上は特に何も言ってこなかった。
「じゃあそういうわけだから。私はテレビの続き見たいし、もう切るね」
「え。あ、うん……分かった」
「それじゃ。……何かあったら、また連絡して」
「……分かったよ。じゃあな、おやすみ」
「おやすみー」
そうして、茜の言葉の意味がよく分からないまま、通話は切られてしまった。元々は俺が茜に説教するつもりだったはずなのに、いつの間にか俺のほうが説教を食らってしまったのは何故だろう。
――ダメだ、全く分かんねぇ。茜は何を言いたかったんだ?
一体何を思って、彼女は俺にあんなことを言ったのだろう。それが分からなければ、本城さんの気持ちなんて分かるはずがない。
――取り敢えず茜は、七泉に聞けって言ってたよな。よく分からないけど、七泉にも相談してみるか。
今のところ、その手掛かりの一つは茜の言う通り、七泉にあるのかもしれない。兄として妹に指南されるのはなかなか情けないものだが、ここは大人しく従っておこう。
スマホをベッドの上に放って、一息を吐く。気持ちを改めて、今度は七泉に声を掛けようと彼女の顔を見た――それとほぼ同時に、七泉の口が開く。
「ねぇ……実お兄ちゃん」
「ん?」
俯き加減で、机の上に置かれたタブレットの真っ黒なディスプレイを、ジッと見つめている。その表情は、先程よりも雲行きは怪しくなっていた。
「その、ね。さっき茜ちゃんと話してるのを聞いてて、思ったんだけどね」
「うん、どうした?」
ゆっくりと、彼女の口元が開く。……しかし、一度は声を出そうとしたものの、怖気づいたかのように口をつぐんでしまった。
それから少しの間を空けて、改めて俺と顔を向き合わせる。もう一度小さく息を呑むと、七泉はポツリと、その言葉を呟いた。
「……お兄ちゃんってさ。今、好きな人……いるの?」
「……へっ?」
デジャブだ。そう俺に問い掛ける七泉は、まるで曇天の真っ暗な空のような、複雑な表情を浮かべていた――。




