大胆な妹
今日は十月の最終日。明日から月日は、十一月へ突入しようとしている。今年はなんだか、一年が過ぎ去るのが異様に早い気がするのだが、どうしてだろうか。
とは言うものの、大体の予想はついている。その理由の大半は、良くも悪くもあの彼と出会ってしまったことだ。根暗で目立たない陰キャの私が、実に様々な出来事に巻き込まれるようになったのは、彼のせいだといっても過言ではないだろう。
この出会いが将来、吉と出るか凶と出るかは定かではない。それでも彼と出会った影響は、私のとってとても大きなものだった。
そして。そんな彼との出会いが、私の人生へまた一つ、大きな影響を与えようとしていた。
土曜日のお昼過ぎ、ここはとあるアパートの一室。見知った名前の表札が掲げられた、扉の前に立つ。
気が付けば最近は、ここへよく訪れるようになった。初めてここへ来たのは、彼が夏風邪をひいたことが原因でだった。あの出来事も、既に二ヶ月前のことだと思うと寒気がする。……色んな意味で。
もちろん今日も、会う約束があってここへとやってきた。本当ならば、今日は少し肌寒いので早く中へ入り暖まりたい。何も悩まなくたって、その表札の真下にあるインターホンを、ポチッとただ押せばいいだけだ。……そのはずなのに、私は今なかなかその行為を起こすことが出来ずにいた。
――うっ……なんかいざ会うとなると緊張する……。
数日前に彼と話していたときは、すまし顔でサラッとオッケーしてしまったが、今はその時の自分を恨む。
いざ直接会ったとき、一体どんな顔をすればいいんだ。……いや、ここはどんなキャラで会えばいいのか、と言うべきか。とにかくそんな、心の準備が不十分のまま、この部屋の目の前までやって来てしまったというのが現状である。
――どうしよ、普通にいつも通りに振る舞えばいいのかな? でもそれだと、もしかしたら引かれるかもしれないし……。もうどうしよどうしよ、分かんないよ……。
扉の前に突っ立ったまま、十分が過ぎた。いい加減インターホンを押さないと、中で待たせているというのに申し訳ない。そんなくだらないことで迷っていただなんて、彼に見られたら笑われてしまうじゃないか。早いうちに、覚悟を決めなくては。
――え、ええい。どうせ今日くらいしか会う機会ないんだろうし、もうどうなったっていいや。自棄でいこ、自棄で。よーし、お、押すぞー!
最終的に、結局は自棄で行くと決めてしまった私は、インターホンを押すために重い右手を持ち上げた。
「あれー?」
その瞬間、突然後ろから甲高い声が聞こえてきた。それに驚いて、思わず両肩をビクリとさせてしまう。一体何事だと後ろを振り返ってみると、そこには私服姿の可愛い女の子が一人立っていた。
――女の子……? 私と同い年くらいだけど……。
そんな女の子と、私の視線が合う。その瞬間、一気に頭の中を嫌な考えが覆い尽くした。
――え? え、え、え? ちょっと待って、違うよね? 私じゃないよね、見られてないよね? 違うよね?
途端に、体中をサーッと寒気が走っていく。できればこの予想が外れていてほしいと、全力で心から願う。
しかしながら、その願いは届かなかったようで、咄嗟に口元に笑みを浮かべながら、その女の子が私のほうへと近寄ってきた。
私の肩ぐらいまでの身長で、比較的幼い顔立ち。癖っ毛なのか、首元まで伸びた髪の毛先がぴょんと跳ねているのが特徴的な、至って普通の可愛らしい子だった。そんな彼女が、私に向かって放った一言が――。
「あのう、もしかして……お兄ちゃんのお友達ですか?」
「えっ、あっ……」
終わった……。そう問われた途端、頭の中が真っ白になる。初対面で完全にコミュ障を発揮してしまったことに、私は自分の運命を酷く恨んだ。
◇ ◇ ◇
「どうしたの、本城さん。なんか今日元気ない?」
部屋の中へ迎えられると同時に、先輩が私のことを見てそんなことをポツリと告げてみせる。こっちの気も知らないくせに、よくもそんな呑気なことを言ってくれるものだ。
「別に、そんなことないです……。気にしないでください」
「そう? ならいんだけど」
少し不安げな顔をしていたが、特にそれ以上追及することもなく、彼はベッドの端っこへと座った。対して彼女は嬉しそうにニコニコしながら、真っ先に彼のベッドへとダイブを決めていた。
――うぅ、最悪……。絶対部屋の前でボーっと突っ立ってた、変な人だと思われたじゃん。完全に陰キャ丸出ししちゃってたじゃん。やだもう、恥ずかしい死にたい……。
いつもの机の前に座るなり、両手を組んで顔を俯かせる。今回くらいは少しでもマシに見られようと思っていたのに、結局はこの様だ。こういうところは、やっぱり昔からツイてない。
今日は以前から話があった通り、彼の妹と会う約束をしていたのだ。せっかく友達の妹と会うのだから、変な人に見られるのだけは避けたい。そう思って長々と悩んでいたのに、挙句はこれだ。先にもう部屋の中にいるものだと思い込んでいたが、私よりも後から来るとは不覚だった。
なんだかもう、人生で最も無駄をした十分間だったと思う。もし自伝本でも書く機会があったら、間違いなく一つの見出しに使えそうだ。
「……あれ、茜。そういえば、もう自己紹介ってしたの?」
隣で彼の枕を抱きしめながら、両足をバタバタさせている彼女に彼が問う。初対面の私がいるというのに、随分と大胆な子だ。
「あっ、そういえばまだだった! えっとー……」
そう言って起き上がると、やはり手元に彼の枕を抱きしめながらこちらを向く。……話には聞いていたが、私が思っていた以上に凄いかもしれない。
「改めて、村木茜です! 今は高校三年生で、部活はテニスをやってました。趣味はテニスとマンガを読むこととー……あとちょっとだけど、ゲームもかな。あ、あと私、お兄ちゃんのことが大好きなので、ちょくちょくお見苦しい場面があるかもしれないけど、お気遣いなく!」
「は、ちょ、茜!? おま、そういうことを人前で言うんじゃない!」
そんな茜ちゃんの言葉に、私が驚くよりも先に先輩が怒鳴る。しかしそれでも茜ちゃんは、楽しそうにニコニコ顔だ。
「えへへー、いいじゃんいいじゃん。だってホントのことだもん!」
「ホントだとしても、人前で言えることと言えないことがあるだろ!」
――あ、ホントのことはもう認めちゃうんだ……。
ふと、内心でそう思ってしまったことは言うまでもない。
「えー、なに恥ずかしがってるのさ。こういうのは、先に言っておいてクッションにするからいいんだよ。言わずに内緒にしておいて、急に私がお兄ちゃんに抱き着いてたら、お姉ちゃんがビックリしちゃうでしょ?」
「だっ、だきっ!?」
突然そんなワードが聞こえてきて、思わず口にしてしまった。そんな私に、「はい!」と元気に彼女が返事をする。いやいや、そこそんな元気に返事する場面じゃないんだけどな……。
「あのなぁ……。いくら兄貴の友達だからって、限度ってもんがあるだろ」
「それは分かってるよー。私だって、誰彼構わず言うほどバカじゃありませんから。お姉ちゃんだからこそ言ってるのー」
――ん、私だから……?
ポツリとそんな疑問が浮かんだが、今はそんなことを聞ける余裕は無い。
「はぁ? 意味分かんねぇよ。どういうこと?」
「お兄ちゃんは意味分かんなくていいよーだ。レディの心は難しいのだ!」
「またそうやって適当に誤魔化す……。そもそも、お前が本城さんと会いたいって言ってたから、今日こうやって俺が呼んだのに」
「そ。お兄ちゃんはただの仲介役なの。だから詳しいことは分かんなくていいのー」
「あっそうですかー。分かりましたよー、ったく」
自分が除け者にされることがよほど嫌なのか、珍しく先輩が不貞腐れている。この人もこんな顔をするのかと思うと、なんだかおかしい。
ふとその刹那に、茜ちゃんとバッチリ視線が合った。またまたコミュ障を発揮して、ドキリとしてしまった私をよそに――彼女は何故か、私に向かってウインクをしてみせた。
――え……?
何故彼女にウインクをされたのか、全く分からない。けれどもそんなことを聞けるわけもなく、すぐにまた二人の会話は始まってしまった。
「っていうかお兄ちゃーん、私お腹空いちゃった。何かご飯作ってよ」
「は、はぁ? 何だよさっきから、次から次へと」
「いいじゃーん。実は私、まだお昼食べてないんだよねぇ。せっかくお兄ちゃんのとこに来るんだから、一緒に食べたいなーと思って、抜いてきちゃった。えへへ」
肩を揺らして笑いながら、可愛らしくおねだりしてみせる。そんな彼女を見た途端、私はなんとなく察した。
――あ、この子百パーセントモテるな。というよりも、好きな人は確実に落とすタイプだ。凄いなぁ……。
こんなことを言われて、嫌になる男はまずいないだろう。ほとんどの男は、この一言で確実に射抜かれてしまうに違いない。恐ろしや、本場の陽キャ女子……。
「あー? なんだよそれ……。そんなこと言っても、いま家に何もねぇぞ?」
「じゃあ何か買ってきてよー。スーパー近いんでしょ? 三十分もあれば帰ってこられるじゃん」
「それはそうだけど……」
「あっ! せっかくだし、お姉ちゃんも一緒に食べよ? お腹空いてますか?」
「えっ!? あぁ、えっと、空いてはないけど、少しなら食べられるくらい……」
突然こっちにも話を振られて、素っ頓狂な声を出してしまった。それでも私の返事を聞くや否や、彼女はまた嬉しそうにふふんと微笑む。
「じゃあ決まり! ほらほらお兄ちゃん、ここの家主でしょ? 何か振舞ってくださいな」
「いやあの、ここの家主だからこそ、家を出るのはどうかと思うんだけど……」
「いいのー! 私とお姉ちゃんが留守番してるから、お兄ちゃんは早く行ってきて!」
「あぁ、分かった! 分かったよ! まったくもう……」
半ば自棄になりながらも、彼はそう言って立ち上がると、いつも大学へ持ってきている鞄の中から財布を取り出した。どうやら、本当に行ってくるらしい。
――……あれ、待って。ということは私、この子と二人きりってこと?
ここにきてようやく、そのことに気が付いた。それはもはや、地獄絵図になる未来しか見えてこない。どうにかして、それだけは回避しなければ。
「あ、あの、私も行きましょうか……?」
「え、本城さんも来る?」
「あーあー、お姉ちゃんはいいですよ! 私一人じゃ寂しいし、お兄ちゃんは一人でも大丈夫でしょ?」
私が告げた途端、茜ちゃんにそれを阻まれてしまった。そう言われてしまったら、もう逃げ道がどこにも無いじゃないか……。
「……だってさ。ごめんね、本城さん。わざわざ来てもらって悪いけど、このワガママ娘の相手をしてくれないかな。なるべくすぐ帰ってくるから」
「あ、はぁ……」
「なんだー? 誰だよー、ワガママ娘って!」
隣からそんな野次が飛んできたが、それを無視して先輩は玄関へと向かって行ってしまう。
「じゃあ行ってくるわ。茜、本城さんに迷惑掛けんじゃないぞー」
「はいはーい、分かってますよーだ!」
「い、行ってらっしゃいです……」
そうして扉が閉まり、彼の姿が見えなくなってしまう。
――い、行っちゃった……。
本当の本当に行ってしまった。彼の部屋で、初対面の彼の妹さんと二人きり。これほどの地獄絵図は、なかなか無いんじゃないだろうか。
目のやり場に困りながら、右往左往させてしまう。ふと茜ちゃんと視線が合ったとき、彼女は再び可愛らしい笑みを浮かべながら、突然立ち上がった。
――え、何……?
そのまま彼女は、私が座る向かいの席へと無言で座る。一体何が始まるのだろうと、咄嗟に緊張感が私を包んだ。
「……やっと二人きりになれました。私、この日をずっと待ってたんです」
「……へ?」
短い感嘆詞が口から出た。
「そういえば、お姉ちゃんの名前をまだ聞いていませんでしたね。お名前聞いてもいいですか?」
「あ、え、っと……本城綾乃……です」
「もう、なんでお姉ちゃんが私に敬語なんですか? 年上なんですから、タメ口でいいですよ」
「あ、うん。ごめん……」
先程までとは違い、ハキハキとした話口調。しっかりと私の目を見て話そうとする、とても前向きな姿勢。コミュ障な私にとって、あまりにも真逆な態度に、思わず圧倒されてしまう。
「そっかぁ、綾乃お姉ちゃんかぁ。ふふ、可愛いお名前ですね」
「えっ、あ、ありがとう……?」
急にそんなことを言われても、今まで名前なんて褒められたことが無いせいで、正しい反応が分からない。そもそも私の名前を決めたのは親のセンスであって、自分を褒められているのか微妙に感じてしまった。
「それじゃあ、綾乃お姉ちゃん。急な話で申し訳ないんですけど、時間が無いので単刀直入に言いますね」
「は、はいっ?」
自分でも驚くほどの尻上がりな返事。一瞬笑われてしまうかと心配したが、何もなかったかのように彼女は言葉を続けた。
「えっとですね……。助けてあげて欲しいんです――お兄ちゃんのこと」
「……え?」
数秒の間、一体何を言われたのか理解ができなかった。
それはあまりにも唐突な、彼女からのSOSだった――。




