再会の味は味噌ラーメン(1)
「なんですか、行きたいところって。今日私、なんにも聞いてないんですけど」
とある平日のお昼過ぎ。大学の近くにあるコンビニ前で待ち合わせをして、俺は彼女と合流した。
一体何事だと不満げな表情を浮かべながら、眠たそうに大欠伸をしている。その様子を見るに、起きてからすぐに外出の準備をしたに違いない。
本当なら、俺が車を持っていれば良かったのだろうが、あいにく俺にそんな陽キャなアイテムは持ち合わせていないのが難点である。
「いいからいいから、付いてきなって」
「はぁ……。珍しくお昼ご飯奢ってくれるって言うから、今日何も食べずに家を出てきたんで、おかげでお腹ペコペコなんですけど。ちゃんと責任とってくれるんでしょうね?」
「えぇ……。流石にちょっとつまむ程度には食べなきゃ、辛くない?」
「何言ってるんですか。あの陽キャの先輩自ら奢ってくれるって言ったんです。奢ってもらうからには、たっぷりと奢ってもらいますから。そのためですよ」
「うわ、なんて野郎だこいつ……」
「いやいやいや? 心強ーい先輩が頼んでもいないのに、自分から誘ってきたんですよ? そりゃあそれなりの覚悟と、資金を持って出てくるべきなのでは?」
「……その通り過ぎてなんも言えねぇ」
九月に入り、段々と夏の暑苦しさもようやく下り坂になり始めた。この先、段々と肌寒くなってくるのは百も承知だが、ここから一気に気温が十度前後になる毎日が訪れる不思議な感覚というのは、やはり何年生きていても拭いきれない。
そんな中、長かった夏休みもいつの間にか残り二週間を切った今日。俺は本城さんと一緒に、とある場所へ向かおうとしていた。
「しっかし、急にどうしたんですか? 昨日の夜に、急に電話で誘ってきて。もしかして先輩、何か企んでます?」
俺の後ろをちょこちょこと付いてきている彼女が問うた。
「いやいや、そんなわけ無いでしょ。ただこの間、風邪ひいた時に看病してくれたお礼だよ」
「あぁー、あの時のですか。別にそんな、改まってわざわざお礼なんてしなくてもいいのに」
「ううん、俺が本城さんにお礼がしたいの。本城さんが来てくれなかったら、あんなに早く回復しなかっただろうし。本城さんには、凄く感謝してるんだ。だから、そのお礼」
「そうは言ったって、特別なことは何もしていませんし……」
後ろから、偶に出る彼女の弱気なセリフが聞こえてくる。どうやらまた、感謝されることに戸惑っているようだ。
「いいんだよ別に。これは、俺のワガママだからね。それならもう、この間のとお互いお相子だろ?」
「……そう、ですか。なら、そういうことにしておきましょう」
「うん、ありがとう」
振り向いて彼女にお礼を告げる。彼女は不器用な表情を浮かべると、そっぽを向いてしまった。
「……そういえば先輩、一つ聞いていいですか?」
ちょうど目の前の信号が青色を見せていたので、二人で横断歩道を渡り切ったとき。唐突に彼女が、俺にそんなことを訊いてきた。
「ん、どうしたの?」
「いえ……。この間、演劇の本番だったんですよね? どうだったんですか?」
「あぁ、舞台ね。ちゃんと無事、成功したよ」
九月の頭に東京にて行われた演劇祭。俺が所属する演劇サークルと、隣町の大学が共同で行った舞台は、何事もなく無事に終わりを迎えた。
本番の一週間前だというのに、風邪で熱を出してしまった時はどうなることかと思ったが、なんとか体調を回復させては、俺も本番へ臨むことができた。
これもわざわざ看病しに来てくれた本城さんのおかげだ。自分一人だけだったら、回復までもう二日ぐらい掛かっていたかもしれないし、そのせいで最終調整を満足にできていなかったかもしれない。
「そうですか。先輩のことだから、本番でセリフ飛ばしてないかなぁって思ってたんですけど、大丈夫だったんですね」
「あのなぁ……。いくら鳥頭とバカにされてるからって、何回もセリフを読んで頭に叩き込んでるんだから、流石に覚えてるっての」
「へぇ。それじゃあ、演劇でセリフを飛ばすことはまず無いと」
「そりゃあ、何度も練習してるんだから、当たり前……」
そこまで言葉を告げて、ハッとする。いつだったか、だいぶ前に本城さんから聞いた話題が、咄嗟に脳裏を過ぎった。
――そう言えば……本城さんが演劇嫌いになった理由の一つに、本番でセリフが飛んじゃったことがあったんだっけ。それなら、あんまりこの話を強調しないほうがいいのかな……。
「……先輩?」
ふと、そんな俺を不信に思ったのか、いつの間にか俺の隣を歩いていた彼女が、こちらをジッと覗いていた。
「うおっ! ビックリした」
「いや、なんですか。そんな驚いて。何がそんなに驚くんですか? ワケが分かりません」
「あいや、だって、まさか隣を歩いてるとは思わなくて」
「別におかしなことじゃないでしょう? さっきの通りより道が広くなっただけですよ。こっちのほうが、話しやすいでしょ」
「あ、あぁ……まぁ、そうだけど」
だからと言って、まさかあの彼女が自分から俺の隣に来るだなんて、普通思うまい。このまま到着までずっと、俺の後ろを歩いているもんだと思っていたので、驚いてしまったのはそのせいだ。
「変なの。なんか先輩、前に比べて益々ポンコツになってますよね」
「おい? それはどういう意味だ?」
「自分で分かりませんか? 出会った当初はただの熱血バカな陽キャだと思ってましたけど、つくづく鳥頭のバカでポンコツじゃないですか。いい加減自覚してくださいよ」
「そういう君は、出会った頃からずっと相変わらずの罵り癖は変わらないんだな」
「当たり前じゃないですか。なんで変える必要があるんです? それも先輩相手に。よく考えてみてください」
「……その話をした俺がバカだったよ」
「そうですね、大いにそうだと思います。自分で気付けて良かったですね」
そう告げると同時に、またも本城さんがふわっと眠たそうに大欠伸だ。まったく、もう少し素直になってくれたら、こちらとしても楽しい会話ができるっていうのに。
「……で。なんですか?」
眠たそうに目をゴシゴシと擦っている本城さんが、こちらに何かを問うてきた。
「え、なんですかって、なんですか?」
「バカなんですか? さっき言い掛けたのは、なんですかって聞いてるんですよ」
「あ、あぁ……そういうことなんですか」
謎の“なんですか”縛りをしっかりとなんですかと締めたところで、再び先程の話題へと舞い戻る。
そういえば、さっきは隣を歩く本城さんに驚いてしまったせいで、上手い話の逸らし方を思い浮かばなかったんだった。一体どう話を振ればいいのか、またも黙り込んでしまう。
「……アレですか? もしかして、“私の前では演劇の話はあんまりしないほうがいいのかなぁ”なんて思ってたりします?」
「え」
ご名答。まさにその通りな言葉に、呆気に取られてしまった。なんでこの子はそう俺の考えてることが、すぐに分かってしまうんだ。
「やっぱり。そうだったんでしょ? 先輩が考えてることなんて、分かりやす過ぎてすぐに分かっちゃいますよ」
「いや、まぁ……そうだけど」
「はぁ……。そういう気遣い、別に要りませんよ。話したいなら話せばいいじゃないですか。私は話したいことを話すだけですし、先輩も話したいなってことを素直に話せばいいだけです」
「でも、そうだとしてもさ……」
「いいんですよ。私が勝手に演劇を毛嫌いしてるだけですから。先輩には関係の無いことです。ご自由に、存分に話してもらってどうぞ?」
そう言うと、わざとらしく左手をこちらに掲げて、話してどうぞとジェスチャーする。そんな風に煽られると、益々話しづらくなるじゃないか。一体何を考えているんだ。
「……やめておくよ。このまま話しても、こっちが良い気分しないし。本城さんだって、あんまり良い気持ちがしないだろうからね」
「ふぅん、そうですか。ならいいです、そうしましょう」
ツンとした表情でこちらから顔を逸らすと、面倒くさそうにため息だ。なんで君がため息を吐くんだ。吐きたいのは、こっちのほうだってのに。
――でも……心做しか本城さん、演劇が絡んだ話になると、いつも以上に当たりが強い気がする。トラウマもまだもう一つのほうは聞いてないし、やっぱり演劇に対して何か、嫌なことがあったんだよね。
未だに彼女の過去は知らないことだらけだが、そんな中でも演劇サークルの門を一度くぐったということは、やはり演劇に対して複雑な思いを寄せているに違いない。彼女と友達になって約半年ではあるが、きっとまだ彼女とはそのような話をできる仲ではないと思う。
一体この先、そのような関係になれるのかどうかは分からない。だが、もし万が一のことがあれば、力になってやりたいと思うのは、今でも変わらない気持ちだ。
「まぁ、それはいいや。それより先輩」
「ん、どうしたの?」
ぶっきらぼうに俺のことを呼ぶと、そのまま彼女は言葉を続ける。
「いや、いま先輩がどこに向かってるのか、もうなんとなく分かっちゃったんですけど、言っちゃっていいですか?」
「え。……いいけど、何?」
すると再び、面倒臭そうにため息だ。一体何度ため息を吐けば気が済むんだ。そんな風に呆れられてしまうと、わざと勿体ぶっていたこちらとしてもちょっと悲しくなるのに。酷い奴だ。
「どうせ“美味丸”でしょ? このまま行くと」
「……ん、びみまる?」
彼女が告げたその一言に、思わず首を傾げてしまった俺がいた。
◇ ◇ ◇
「懐かしいなぁ、ここ。昔はよく来てたっけ」
目の前にそびえ立つ異質な建物を見上げながら、本城さんがぼんやりと呟く。同じくしてその建物を見上げてみるが、やはりいつ見てもその不釣り合いな様は相変わらずみたいだ。
「前も言ってたね、よく来てたって。お母さんと一緒に来てたの?」
「まぁ……そう、ですね。そういうことになります」
「へぇ。お母さんも、演劇好きだったんだ?」
「好き……。えぇ、大好きだったんじゃないでしょうか。私には、本当の気持ちは分かりませんでしたが」
「本当の気持ちって……お母さんと一緒に、演劇を見に来てたんでしょ? だったら、好きだったんじゃないの?」
「……そんなの、分かりませんよ。いくら母親だからって、分からないことはあります」
「それはそうだけど……」
俺と話をしながらも、彼女は未だまじまじと目の前の演劇館を眺めている。淡々と言葉を告げる彼女は今、目の前の建物を見て、一体何を思っているのだろうか。
「……ねぇさ。一つ、聞いてもいいかな?」
建物を見ているうちに、以前に聞いたあの話が頭に浮かんだ。それを確かめるべく、一つ彼女に問い掛けてみる。
「なんでしょう?」
「その、この建物ってさ。昔はこんな派手な見た目じゃなかったんでしょ? 前のはどんな感じだったの?」
「そうですね……普通の建物でしたよ。水戸の文化会館みたいな、シンプルな感じの」
「あー、そうなんだ」
「でも、前の建物は随分古くてですね。一度全部改装したほうが良いだろうって話になって、色々と話し合いがあったみたいなんですよ。そこで通った案が、この建物だったって感じみたいです」
「なるほどね……」
話し合い、ということは少なくとも、多数決で話が固まったはずだ。それならば、こんなど派手な見た目になったのも、満場一致で決まったのだと思う。
――となると、ここに勤めてた人はみんな独特な感性を持ってたんだろうなぁ。……俺なら絶対に反対だけど。
「……まぁ、色々あったんですよ。この建物の案だって、本当はもう一つあったみたいですし」
つかの間、すかさず本城さんがポツリと言葉を漏らした。
「もう一つ? そうなの?」
「えぇ。……そこから先は、私も詳しくは知りませんがね」
「ふぅん。そっか」
なんだか意味深な言葉だ。他から聞いた話のはずなのに、まるで本城さんが演劇館の中での出来事を知っているかのような感じがする。
まぁ彼女のことだ。そんな風に思わせてしまうような話術も、持ち合わせているのかもしれない。
「……さて。余計なことに耽るのもここら辺にして、行きましょうか。もうお腹が減り過ぎて死にそうなんですよ」
くるりと体を百八十度向けて、道路を一つ挟んだ向かいにある一つのお店を彼女が捉える。――なんだか、これ以上余計な話をされたくなかったのか、少し焦っているようにも見えた。
「まぁ、そうだね。俺もお腹減ってるし、そろそろ入ろうか」
そう俺が告げたのもつかの間。突然どこかから、ぐぅーっという音が聴こえてきた。それと同時に、目の前の本城さんの顔がみるみるうちに赤くなる。
「……食いしん坊」
「あぁもう、うっさいなぁ! 早く行きますよ、ほら!」
「はいはい、分かりましたよっと」
車が通らないことを確認すると、逃げるように本城さんが道路を渡っていってしまった。そんな彼女の背中を、クスクスと笑いながら付いていく。
俺達二人が立ち止まった目の前の看板には、行書体の文字で大きく“らぁ麺 美味丸”と書かれていた。




