豚の行方(1)
「……で。なんで俺は朝っぱらから、こんな場所に連れて来られているのかな?」
昨日と同じく、長く綺麗な黒髪を一本に結んで、目の前を歩く彼女に問うた。
「決まってるじゃないですか。本当は昨日手伝う予定だったことを、今から急ぎ足でやるんですよ」
いつもと同じく、二人きりの今はタメ口では無く敬語で話す彼女が告げる。
「だからって別に、こんな朝っぱらからやらなくても……」
「私だって、こんな朝っぱらからお仕事なんてしたくないですよ。普段は自宅警備員してるんだから、それくらい分かるでしょ」
「分かるけど、そうじゃない。陽キャの俺だって、こんな朝っぱらからの力仕事はごめんだ」
「文句言わないでくださいよ。仕方ないじゃないですか。私だって、昨日好きで真珠を失くしたわけじゃないんですし」
「それはそうだけどさ……。せめて、予め教えておいてくれたってよくない?」
「別に昨日伝えようが、さっき伝えようが一緒でしょ。何かを準備するわけでもあるまいし」
「えぇ……。そういう問題?」
「そういう問題です」
いつもと同じく、どうやら今日も彼女に何を言ったところで、何も意味が無いらしい。渋々彼女の後ろを歩きながら、俺は大きなため息を吐いた。
朝の八時過ぎ。おばちゃんが作ってくれた朝ご飯を食べ終わると、すぐに山のおじいちゃんはタオルと軍手を片手に、家を出て行ってしまった。
おばちゃんによると、彼はもう作業をするための準備をしに行ったらしい。一番起きてきたのは遅かった割に、行動は人一倍早いようだ。
「おぉー、二人とも。こっちだこっち」
家の裏手にある大きな小屋の中に入ると、そこには既に山のおじいちゃんが作業を始めていた。小屋の横では大きな畑が耕されており、色んな野菜達がそこで育てられているようだ。
「……うわっ、めっちゃナス……」
彼の後ろに置かれたカゴの中身に、思わず絶句する。そこには青いカゴに詰められた、大量の紫色の物体が存在していた。
「うわぁ、これ全部おじいちゃん達が作ったナスなの?」
本城さんが問うた。
「あぁ、そうだよ。今年はなかなかたくさん採れてね、仕分けが大変なんだよ」
「仕分け……? というと?」
「お? なんだぁ、実君知らねぇのか?」
俺がそんなことを呟くと、山のおじいちゃんが苦笑いで告げた。……なんだか、隣の子に同じことを言われても傷付かないのに、彼に言われるとちょっとショックだ。
そしてそんな隣の子は、「そんなことも知らないのか」と言いたげな表情で、こちらをジーッと見ていた。
「うん、分かんない」
「そうだなぁ。よくスーパーとかで売ってる野菜ってよ、綺麗な形したやつばっかりで、変なのはあんま売ってねぇだろ? それはなんでだか、分かるか?」
「……あー、うん。野菜農家の人達が、変な形のものと綺麗なものを分けてるんだ?」
「そういうこった。あんまり詳しく話すとめんどくせぇから、簡単に話すけどよ。野菜には出荷規格基準っていうのがあんだよ。もちろん、変な形をして育った野菜は、問答無用で規格外ってワケだな。例えば……」
そこまで告げると、山のおじいちゃんは大量の紫色の中から、一つのナスを手に取った。そのナスはスーパーなどで見かけるナスとはかけ離れた形で、まるでバナナのように両端にも実が伸びてしまっていた。
「こういうもんは全部、規格外野菜になって売れねぇんだ。だから、こういうのを全部仕分けるってことを、二人には手伝ってほしいんだな」
「そっか……分かったよ。因みにこの野菜って、いつ採れた野菜なの?」
「昨日の朝だよ。ほら、二人がウチに来たとき、ウチの家内がいなかっただろ?」
「……あぁ、確かに。そうだったんだ」
「あぁ。つーわけで、あとは頼んだわ。あとからウチの家内も来るから、詳しいことは向こうに聞いてくれ」
「えっ、おじいちゃんは?」
そのまま、さっさと立ち去ろうとする山のおじいちゃんを見て、咄嗟に本城さんが言葉を投げた。
「ん。なんだぁ、言ったろ? 昨日見つけられなかった、綾乃ちゃんの真珠を探してみるよ」
「ほ、ホントにまた探すつもりだったの!?」
「当たりめぇだろ? 孫が困ってるってのに、こういうときしかジジイは役に立てねぇからな」
「いいよ、もう! 真珠はもう、諦めるからさ。もしかしたら、あの時の豚が食べちゃったかもしれないんだし……悔しいけど、諦めるよ」
「何言ってんだよ。まだ本当にそうか分かんねぇんだし、せっかくのお母さんとの思い出を、そのまま捨てようとすんなって。それに、こういう仕分け仕事は男よりも、女のほうが向いてるからな。俺はもうジジイだし、こういう仕事は向いてねぇんだよ」
「で、でも……」
複雑そうな表情で、本城さんが俯いてしまう。きっと、昨日おばちゃんから聞いた話も相まって、余計に申し訳なく感じてしまっているのだろう。
――本城さん……。
「……やらせてあげたら?」
「えっ……」
俺のそんな一言に、咄嗟に彼女がこちらを向く。
「いいじゃん、本人がやりたいって言ってるんだからさ。見つからなければそれまでだし、もし見つかったら万々歳だろ? 何か不利益が起こるわけでもあるまいし、断る理由も無いんじゃない?」
「村木君……」
彼女が俺の名前を、相変わらずのタメ口設定のまま呟いた。そんな慣れないタメ口に戸惑いながらも、俺は言葉を続ける。
「大切な孫娘を助けたいって言ってくれてるんだからさ。ありがたく『分かったよ』って言ってやるのが、孫としての立場じゃない?」
「そういうこった。綾乃ちゃんは、素直に俺にやらせとけばいいんだよ」
俺に続いて、山のおじいちゃんが言葉を並べる。
そんな俺達の言葉に、本城さんはやっぱり申し訳ないという表情ながらも、はぁっと一息吐いては、渋々その言葉に頷いた。
「……分かったよ。じゃあ、お願いするね」
「……おう。んじゃ、行ってくる」
ニッと歯を見せて笑顔を浮かべると、そのまま山のおじいちゃんは、小屋を出て行ってしまった。二人、小屋の中に取り残される。
「……村木君」
「ん?」
そんな彼の背中を見送ったのもつかの間、隣の彼女が俺の名前をタメ口で呼んだ。二人きりなのに、またタメ口かと内心思いながらも、その言葉に返事をする。
「……あいや、すみません。間違えました、先輩」
と、思ったら。どうやら、素で俺の呼び方を間違ったらしい。まだ彼女の頭は、寝坊助ちゃんなのかもしれない。
「おいおい、どっちでもいいって言ったろ? わざわざ訂正しなくてもいいよ」
「……そうですか、すみません」
「ほらそこ。すぐに謝らない」
「だって……」
「だってもクソも無いでしょ。こっちがいいって言ってんのに、そうやってさぁ。……気を遣いすぎなんだよ、本城さんは」
「別に、そんなつもりは……」
「あるよ、大有り。……無理し過ぎんなって」
「別に無理なんてしてませんから」
嘘だ。――その言葉を聞いた瞬間に、不思議とそう確信した。
「……本当は自分だって、真珠を探しに行きたいと思ってるんじゃないの?」
「っ、そんなことっ……!」
「じゃあ何? 諦めがついた? もうお母さんとの思い出の真珠は、どこかに失くしたってことでいいやって思えた?」
「……それは」
俺が問うと彼女は、俯いて言葉を詰まらせてしまった。言葉や態度には出していないが、やはり相当悔しかったんだと思う。
「まぁ、そういうことだよ。……良いおじいちゃんだよね、孫想いでさ。これからもちゃんと、素っ気なくしないで、大事に接してあげなよ?」
「……言われなくたって、そのつもりですよ。わざわざ、鳥頭のくせにカッコつけちゃってる陽キャの先輩に言われなくてもね」
そう告げると本城さんは、くるりと振り向いては、大量に積まれた紫の大軍と向き合い始めてしまった。相変わらず、とことん素直では無いらしい。
「そうかい。……さぁて、仕事だ仕事。早く終わらせて、おばちゃんのお昼ご飯食べて帰ろうぜ」
「口を動かす前に、体を動かしてください。ほら、早くダンボール取ってくださいよ。そんなところに突っ立ってないで」
そう告げると彼女は、足元にあった空のカゴを椅子代わりにして座った。どうやら彼女は、側近の俺を今日もまたこき使うつもりらしい。
「あっ? ……はぁ。へいへい、分かりましたよ。お姫様」
そんな憎たらしい姫様でも、やっぱり不思議と世話をしてやりたくなってしまうのは何故だろう。
仕方なくダンボールを手に取り彼女に手渡してやると、ぶっきらぼうに「どうも」と告げながら、お姫様に奪い取られてしまった。
◇ ◇ ◇
その後、合流したおばちゃんと三人で、俺達はしばらく談笑しながらナスの仕分けに勤しんでいた。
今日も今日とて、段々と夏の暑さが本気を出し始めてきたお昼前。ようやく仕分けのひと段落が終わり、俺達二人は小屋の外の日陰で、揃ってカゴの上に座りながらのんびりと涼んでいた。
「はいこれ、アイス持ってきたよ」
一度家の中に戻っていたおばちゃんが、二本のアイスを手に戻ってきた。持ってきてくれたのは、ソーダバニラの棒アイスだった。
「わー、ありがとうおばあちゃん」
「ごめんね、ありがと」
それぞれお互いに、一本ずつ彼女から棒アイスを受け取った。
「はいよー。それじゃあ、私はこれからお昼ご飯作ってくっからね。まだもう少し残ってるけど、もう二人でもできるね?」
「うん、大丈夫だよ。あとは私達でやっておくから」
「そうかいそうかい。じゃあ、任せたよ。ひと段落着いたら、食べにおいで」
「うん、分かったー」
そうしておばちゃんは、再び家の中へと戻って行ってしまった。
二人きり。他に誰かが道を歩いているわけでも無く、ただジリジリとセミ達の声が鳴り響いているだけの空間。特に話すことも無く、包装から棒アイスを取り出すと、俺達は黙々と揃ってそれを食していた。
「……先輩」
「ん?」
ふと、唐突に隣の本城さんが俺を呼んだ。
「いや、その。昨日、私がお母さんについて質問されたので、今度はこっちが聞いてもいいですか?」
「お? 珍しいね、そんなこと本城さんが聞くなんて」
「別に……。アイス食べてる間、話すことも無いから」
残り半分くらいになったアイスを見つめながら、本城さんが告げる。
――へぇ。前だったら、話したくも無いって言ってたくせに。……なんだかんだ、友達として近付けてるのかな。
「そうかい。で、何さ?」
「……先輩のおじいちゃんとおばあちゃんって、どんな人なのかなぁって思って」
「あー、ウチのじいちゃんばあちゃんかぁ。……でもねぇ。実はウチ、もうじいちゃんとばあちゃん、いないんだよね」
「そうなんですか?」
「うん。俺が中学生の時に、父方のばあちゃんが最後に亡くなっちゃって。父方と母方のじいちゃんは、俺が小学生の頃にそれぞれ亡くなっちゃったし、母方のばあちゃんに関しては、そもそも俺の母さんが子供の頃に、病気で亡くなっちゃったんだって」
「それは……すみません」
「別に、謝ることじゃないよ。気にしないで」
「……そうですか」
そう告げると、再び本城さんがアイスをあむっと口に運んだ。
「……正直に言うとさ。あんまり俺、じいちゃんとばあちゃんがどんな人だったのか、分かんないんだよね。どっちのじいちゃんばあちゃんとも別の家に住んでたし、父さんの実家は大子町で、母さんに関しては、福島出身だからさ。俺の実家は東海村だから、どっちも気軽に会えるわけじゃ無かったんだよ」
「……先輩、実家は東海なんですね」
「言ってなかったっけ?」
「えぇ、初耳です」
「そっか。……だからさ、その。両親がいない本城さんにこんなこと言うのは、どうかとも思うけど。おじいちゃんとおばあちゃんがいるって、いいなーっていうか。二人と仲が良いなんて、羨ましいなぁっていうか。……そんなことを、思っちゃうんだよね」
「そうですか……」
彼女がポツリと呟いた。
じいちゃんやばあちゃんに会ったことだって、きっと記憶に覚えている内でも十回あるか無いかだと思う。そのくらい、彼らという存在は俺にとってかなり薄かったし、亡くなったという知らせを聞いても、特別な感情を抱くほどでは無かった。
当時小学生だった俺にはそれ以上に、彼らから貰うお年玉や、年に数回しか会えない従兄弟との再会のほうが喜ばしく、じいちゃんやばあちゃんと触れ合う時間なんてものは二の次だったのだから、そりゃあ彼らがどんな人だったのかなんて印象が薄いのは当然だろう。今思えば、もっと触れ合っておけば良かったとさえも思うが、後悔先に立たずだ。
「……なんか俺達ってさ、お互いに持って無いものを持ってるっていうか。いつも、そんな感じだね」
そう思うと、思わずクスッと笑ってしまった。そんな俺を見て、彼女も表情を緩める。
「そりゃあそうですよ。両親やおじいちゃんおばあちゃんはともかくとして、それ以外は当然じゃないですか。だって私達は、陰キャと陽キャなんですから。お互いに無いものを持ってて当たり前です」
「ははっ、そっか。……ねぇ、本城さん」
「うん、どうしました?」
残り最後の一口を口へ運ぼうとしたタイミングで、彼女がその手を止めてこちらを見る。……待て待て、まだ俺半分残ってるぞ? 食べ終わるの早くないか?
「いやさ。……なんか俺、今まで陰キャのこと勘違いしてたなぁって思ってさ」
「……と、言いますと?」
「うん。……多分俺さ。高校生の時とかはきっと、無意識に陰キャって言われる子達のこと、嫌ってたんだと思うんだ」
「……今更ですか?」
ぶっきらぼうに告げると、彼女はようやくその最後の一口を口へ運んだ。口元に手を添えながら、モグモグする。
「え、何さ。今更って」
「だっへ、ほうじゃないでふか。……っはぁ。陽キャの大半の人は、陰キャの奴は嫌いに決まってるんですよ。陰キャはイマイチパッとしない、いつも後ろでウジウジしてる、行事にもちゃんと参加しない。そりゃ、青春を謳歌したいと思ってる陽キャにとっては、陰キャは敵でしか無いんですよ」
「それは……確かに、そう思ってたのかも」
「ようやく認めましたか。まったく、長かったですね。鳥頭でかつ、知能は幼稚園児以下なんでしょうか?」
「……最後の一言は余計だと思うぞ」
「じゃあ、鳥頭ってことで」
「だぁ! 違うだろ、そこじゃなくてっ……!」
「……あっ」
反論しようとした瞬間、突如本城さんが短く声を発すると、その場に立ち上がった。一体何事かと、思わず彼女のことをジッと見つめてしまう。
「……本城さん?」
「……豚だ」
「え?」
「あそこにいるの……アレって、豚じゃないですか?」
そう言って、彼女が右手の人差し指で遠くを指し示す。そんな彼女に続くように、俺もその人差し指の方向を向いた。
……確かに彼女が指し示す方向には、一匹の豚らしき生き物が歩いているのが見えた。彼女の話と、養豚場の彼の話だけだと、やはりイマイチ現実味が無かったこともあって、本当に豚が歩いているという今の状況に、思わず唖然としてしまう。
「……ホントだ。まだこの辺にいたんだね。あ、じゃあ俺、昨日貰った名刺持って……」
「……私、捕まえてきます!」
「あっ!? えっ? ちょ、ちょっと! 本城さん!?」
そんな俺の呼び掛けも聞かずに、突如本城さんが走り出しては、豚が歩くほうへと向かっていってしまった。――まったく、こういうところは本当に、山のおじいちゃんそっくりだと思う。
――はぁ。……しょうがないなぁ。心配だし、追っかけるか。
そんな、一本に縛った長い黒髪を揺らして、珍しく走る彼女の後姿を追い掛けるべく、まだ半分ほど残っていたソーダバニラのアイスを一気に口に含んだ。――突然大量の冷たいアイスが口の中に入ったせいで、「やめてくれ!」とキーンとした頭痛が俺に訴え掛けてきたが、それもなんとか我慢しては、すぐに俺は走り出しのスタートダッシュを決めた。




