「答え」は君が今したこと
テスト期間まで、とうとう残り一週間を切った。
俺が今期に受けている講義の中で、テスト採点で単位の有無が出る講義は四つ。レポート提出の講義は三つだ。どれもこれも難敵ばかりで、考えるだけで嫌気が差す。
だがそれでも、大学卒業という大義を果たすためには、しっかりやり遂げなければならない。せっかく親の大金を使って通わせてもらっているのだから、それがせめてもの恩返しだ。頑張らなければ。
――しっかし……暇だな、この後。
木曜日。四限目の講義が終わるチャイムが鳴り響く。
普段ならこの後、終わり次第バイト先へ直行している。だが今日はバイト仲間とシフトを交換して、俺は明日担当となっていた。おかげで体が慣れずに帰る気にもなれず、なんとなく何かが足りないような感じだ。
――黒澤、帰ってるよなぁ。確かあいつ、木曜は午前中だけだったはずだし……。
誰かさんが声を大にして言うように、俺が例え陽キャだったとしてもだ。俺には大学に“友達”と胸を張って呼べる人物は少ない。
もちろん顔見知りや、サークルの先輩後輩達は多くいるものの、みんな休日にどこかへ一緒に遊びに行くような、そんな特別な仲ではない。どちらかといえば俺は、中学や高校の友達が多いタイプだ。おかげで、こういうときは決まって一人になる。
誰かさんにはいつも決まって「先輩には陰キャの素質がない」とは言われているが、意外と一人は平気な生き物だったりもする。だからもしかすると、やはり俺も頑張れば自宅警備員になれるんじゃないかなー、なんて淡い期待を抱いていたりするのだ。
――どうせ帰っても寝るだけだし、あそこで勉強するか。……来週テストだし。
相変わらず汚い癖字で書いた出席カードを前に出すと、俺はそのままいつもの場所へと向かい始めた。
学食の自動ドアをくぐる。
暑苦しい外とは違って、ひんやりとした冷房が効いた部屋には、相変わらず何度でも感動を覚えられる。本当に、冷房や暖房を作ってくれた人には、土下座の勢いで感謝だ。
そのまま、流れるようにいつもの席へ向かおうとしたときだった。
「……あれ」
思わず、その足取りが止まった。
――まさかとは思ってたけど……いた。
俺の飼い主――いや、俺の後輩である、あの彼女が。
彼女は、以前まで特等席にしていた個人席に座り、何かを熱心に書いていた。耳にはイヤホンを付けていて、完全に集中している様子だ。
――へぇ、本城さんってゲーマーだから、勉強ってやらなさそうだと勝手に思ってたけど……意外と勉強熱心なんだ。……凄いなぁ。
なんだか、妙に感心してしまった。普段から女の子として、だらしない部分はとことんだらしないくせに、こういうところはきっちりやりこなす人だとは、まさか誰も思うまい。
――……なんか、いま話しかけるのは申し訳ないなぁ。本城さん、頑張ってるみたいだし。今日は見てないことにしてあげよう。
今日は別の場所で勉強をしよう。そう思って、俺はそのまま踵を返そうとした。……が。
――そういや朝買ったコーラ、もう無くなったんだっけ。
いつの日だったか、彼女にからかわれてしまったあの自動販売機。なんとなく喉が渇きを覚えていたこともあって、その前で立ち止まってしまった。
背負っていたリュックを下ろして、中から財布を取り出し小銭を入れると、たくさんある飲み物の中から、どれにしようかと迷い始める。
――そういえば……しばらくカフェオレって、飲んでないなぁ。本城さんもこのカフェオレが大好きみたいだし、ちょっと飲んでみるか。
何気なくカフェオレのボタンを押して、ガシャコンとペットボトルが落ちてくる。財布を先に仕舞ってから、次にそのペットボトルを取り出そうと手を伸ばした。
「――え?」
突如視界に、もう一本の腕が割って入ってきた。一体何事かと上を見上げてみると、それはまさかの――なんだこれ、デジャブだな。
「ほ、本城さん……? どうしたの、こんなところで?」
俺が買ったカフェオレのペットボトルを片手に、彼女がこちらを覗く。すると彼女はわざとらしく、「あら?」と呟いてみせた。
「先輩じゃないですか、こんなところで奇遇ですね。いやね、偶々自販機に来てみたら、私の大好物のカフェオレが独りでに落ちてきたんですよ。いやぁ、ラッキーってどこで起きるものか、分かりませんね」
「……それ、俺が今買ったんだけど」
「なんですか、欲しいんですか? ダメですよ、私が先に見つけたんです。これは、私のです」
カフェオレを自身の顔の横でちらつかせる。やはりそれは、どこかのCMみたいな画で、「将来どこかにスカウトでもされるのでは?」なんてことを思ってしまった。
「あのなぁ。お姫様もそこまでいくと、流石にフォローできないぞ? 子供じゃないんだから……」
「……冗談ですよ、なに拗ねてるんですか。返しますってば、ほら」
呆れた様子で、彼女がカフェオレをこちらへ手渡してきた。
――誰のせいで拗ねたと思ってるんだ。
きっとこれが彼女ではなく、他の女の子だったら、思わずキュンとしてしまう恋愛映画のようなワンシーンなのかもしれない。だがこの子に限っては、まったくの真逆である。
「はぁ……。いや、いいよ。飲みたいんでしょ? それは奢る。自分の分は、自分で買うから」
「え、いいんですか?」
何故か彼女が聞き返してきた。
「いいんですかって……。別にいいって言ってるでしょ」
「……そう、ですか。じゃあ、頂きますね。ありがとうございます」
どうやら、本当に冗談半分だったらしい。俺がそう告げると、彼女は申し訳なさそうに、渋々その手を引っ込めた。なんだ、こういうときは素直なんだな、この子は。
「で。どうしたのさ、こんなところで?」
彼女に問うた。
「いやだって、先輩ってば、一度中に入ってきたのに、私のこと見たらそのまま帰ろうとしたじゃないですか」
「……え、見てたの?」
「チラッと。イヤホンは付けてましたけど、曲は聴いてなかったので、音で分かりました」
「なんですって……」
――嘘だろ? さっきのあの間に、どのタイミングでこっちを見たんだ? この子もしかして、背中に目でも付いてるんじゃないの? いやうん、本城さんならあり得そう。……なんとなく。
俺が見た限りでは、彼女とは一切目線は合わなかったはず。それなのに、どうしてこちらの存在に気付いたのかがまったくの謎だ。――だが、それ以上に……。
「……待て待て、ちょっと待て。いくつか質問したいことがあるんだけど」
「うん? どうしました?」
彼女がこちらを覗いた。
「……いや、待った。取り敢えず、俺も自分の分の飲み物買うから、先に席へ行っててくれる? あとから行くから」
「? えぇ、構いませんけど。じゃあ、先に行ってますね」
不思議そうに首を傾げると、本城さんは俺が授けたカフェオレのペットボトルを片手に、トコトコと歩いて行ってしまった。珍しく、今日はなんだか素直だ。
再び財布を取り出して、カフェオレを購入しようとする。――しかし、不運にもさっきの一本でカフェオレは売り切れてしまったようで、ボタンには“売切”という不幸の赤い二文字が浮かび上がってしまっていた。
――……コーラでいいや。
結局、朝に買った時と同じコーラを購入すると、そのまま俺は彼女が待つ席へと戻った。
「あら、結局コーラにしたんですね」
席に戻るなり、いつの間にか彼女のポジションが、個人席から数人用のテーブル席へと移っていた。
てっきり前みたいに、俺が椅子を拝借したほうがいいかとも思ったが、そういうところはちゃっかりな子だと思う。
「誰かさんが偶々ラッキーで拾ったカフェオレが、最後の一本だったんだよ」
「そうだったんですか。まだ今なら口付けていないので、交換できますけど?」
テーブルに置かれたカフェオレを手に取って、こちらに見せびらかしてくる。やめろ、それホントは俺のなんだぞ。
「……交換してくれるの?」
「申し訳ないですが、無理ですね。他のだったらよかったですけど。私、炭酸は苦手なんです。微炭酸だったら、ギリいけるくらい」
――なら何故言った。
「じゃあいいよ、別に……。カフェオレ飲みな」
「わぁーい」
――わぁーいって……。はぁ、まぁ喜んでるしいいか……。
まるで幼女のようにわざとらしく喜んでみせると、早速彼女はペットボトルの蓋を開けて、ゴクゴク飲み始めた。最近はよく見る光景ではあるが、やっぱりいつ見ても良い飲みっぷりである。
「で、だ。カフェオレを奢った代わりに、いくつか俺の質問に答えてもらおうか」
蓋を閉めながら、右手の甲で口元を拭う彼女へ告げた。
「まったく、なんですか? じつはそろそろ、帰ろうとしていたところなんです。さっさと話してください」
「なんだよそれ。早く帰りたいなら、わざわざ俺に声かけなくたってよかったでしょ」
「いいじゃないですか。私はただ、カフェオレを買いに行こうと自販機に向かっただけですもん。そしたら偶々、鳥頭をした先輩がいただけです」
「俺の頭が、ホントに鳥頭みたいな言い方だけはやめろ」
「ホントですよね。こんな人と同じ鳥頭って呼ばれる、鳥さん達が可愛そうです」
「お前が言ったんだろ!?」
思わず大きな声でツッコむと、彼女は楽しそうに肩を揺らして、クスクスと笑ってみせた。なんだか、前にも似たようなことがあった気がする。
――あぁ、畜生。……普通に笑ってれば可愛いくせに、憎たらしい。
綺麗なバラには棘があるとはよく言うが……この子の棘はあまりにも鋭くて、そして毒性が強いようだ。
それでも、何度食らっても死には至らない絶妙な加減をされた毒にはきっと――俺みたいな、中毒者が生まれてしまうんだと思う。
「で、なんですか? 早く本題に入ってくださいよ。面倒くさい」
「誰のせいで入れないと思ってるんだ?」
「さぁ、誰でしょうね? 私も知りたいです。先輩、知ってますか?」
「……知らん」
このままこんなことを言い合っていたところでキリがない。悔しい気持ちを抑えて、ようやく俺は一番気になる質問を投げた。
「で。知りたいんだけど。なんで君は、曲も聴かずにイヤホンをしてたわけ?」
「はい? いや、そんなの簡単な話じゃないですか。私が、陰キャだからです」
「……はい?」
ワケが分からない。そんな、さも当然のように言われたって、こっちにとってはちんぷんかんぷんだ。
「だから、陰キャだからに決まってるでしょ。先輩、言葉の意味分かりますか?」
「いや全然。だから教えて」
「はぁ……。こんなことも理解できないなんて、やっぱり先輩には陰キャの素質がありませんね。それくらい、自分で考えてみてくださいよ」
左手で頬杖を突いて、右手で自分の頭をちょんちょんと突いて挑発してみせた。なんだコイツ、心強い先輩にケンカを売るつもりか? ……いや、ケンカはいつも売られてるけど。
「んー……。ファッションとか?」
「あー、ほら。やっぱり考え方が陽キャだ。先輩やっぱり、バカ通り越してアホですよね」
「いやだから分かんねぇって!」
そんな風に頬杖を突きながら、ジト目で見つめられても困る。
早く帰りたいなら、こんな風に俺のことをイジメずに、さっさと答えればいいのに。この子だってやはり、アホっ子じゃないか。
「仕方ないですね……じゃあ、教えてあげましょう」
頬杖を突きながら、彼女は右手の人差し指を立てた。
「答えは簡単、誰にも話しかけられたくないからです」
「……は?」
何を言ってるんだこの子は。
「だから、今言った通りです。誰だって、相手がイヤホンをしていたら、ちょっとでも話しかける気失せるでしょ。先輩だってその通り、私のこと見てスルーしようとしたじゃないですか」
「……言われてみれば」
確かに俺も、イヤホンをして集中しているんだろうなぁと思って、スルーしてあげようとしたんだった。つまり、まんまと彼女の思惑通りに動いてしまったというわけだ。
――……あれ? そう考えてみると、意外と陰キャの子って賢い?
「でしょう? だから陰キャの子は基本的に、必ずイヤホンやヘッドホンは持ち歩くようにしているんです。電車とかバスとか、若い子はみんなイヤホンしてるなーって、疑問に思ったことありません?」
「……あるかも」
「そ、みんなそれなんですよ。みんな先輩みたいに、『誰でも話しかけてきてオッケー!』みたいなオープンハートな人間じゃないんです。寧ろ、先輩みたいな人種のほうが稀ですよ」
「ふぅん、そういうもんなのかぁ……」
――いつだったか、こないだ本城さんが“ディストピア”だなんて言ってたけど……。なんか、ホントに世の中って閉鎖的なんだなぁ。
上手く言葉にはできないが、しんとしたような謎の寂しさが募る。
本当はもっと、人と人との繋がりというのは温かいはずなのに。それすらを断ち切って、一人で生きるだなんて……そんな窮屈で行きづらい世の中になってしまうのは、自分はごめんだ。
「っていうか、先輩。今日ってバイトの日じゃありませんでしたっけ? もしかしてサボったんですか?」
椅子に深く座って、堂々と腕を組みながら、彼女が告げた。なんだ、もうさっきの話は飽きちゃったのか。もう少し、その話について聞きたかったのに。
「そうだけど……。え? 本城さん、まさか俺のバイトの日覚えてたの?」
「覚えてて何か問題でも?」
「あ、いや……そうじゃないんだけど……」
またまた意外だ。てっきり、興味がないものだと思っていたが、ちゃんと俺のバイトの曜日も覚えていてくれているだなんて。案外口は悪いくせに、本音はちゃっかりだったりして。
――いや待て、逆に考えてみろ。あの本城さんだ。俺と出くわさないために、敢えて曜日を覚えてるんだとしたら……?
「……あの、本城さん」
「変な気を起こされる前に言っておきますけど、私はただ先輩と出くわさないために、そういう予備知識を欠かしていないだけです。勘違いしないように」
「あぁ……ですよねぇ……」
俺の言葉を遮って、彼女がハッキリと告げてみせる。
やっぱり俺の考えは分かりやすいのか、意図は全てお見通しらしい。こうして毎回毎回、言いたかったことを先取りされてしまうと、それこそ本当にエスパーか何かで心を見透かされてしまっているんじゃないかと疑いたくもなる。
――……あれ、待てよ? とは言っても、二週間くらい前にも、そういえばここで会ったような……。
「……で、先輩。先輩はお粗末なおつむの鳥頭な上に、やっぱり性格も最悪だったんですね」
「……え。なに、突然?」
突拍子もなく、何を突然言ってくれるんだ。
確かに普段から言いたい放題言われているが、なんの前置きもなく悪口を言われるほど、俺の性格は誰かさんのようにねじ曲がっているとは思えないのだが。
「だってさっき、自分から言って自白したじゃないですか。『サボったんですか?』っていう私の質問に、先輩が『そうだけど』って答えたんです。言い逃れはできませんよ」
「あっ……」
違う。俺が言いたかったのは、そういうことじゃない。それはいわゆる、“言葉の綾”というものだ。まったく、なんという勘違いをされてしまったんだ。
いやもしかすると、わざとそんな風に言ってみせて、俺のことをからかっているだけかもしれないが。というより、そっちのほうが可能性が高い。
「ちがっ! それは、そういう意味じゃなくて!」
「はぁ、やっぱり陽キャって最低ですね。先輩の生態を見ていて、つくづく呆れます」
「ねぇちょっと、聞いてる? だからな?」
「こんな人と一緒に、バイト先で働いている人達に同情しますよ。私だったら、一分も耐えられませんね。みんな凄いと思いますよ。先輩、バイト先の人達に、感謝の気持ちを忘れないであげてくださいね?」
俺の言葉を完全に無視して、彼女が淡々と言葉を続ける。
何を変なところで同情してるんだこいつは。確かにバイト先の人達はみんな良い人だし、良い仕事場だとは思うが、そのようにお互い嫌々と仕事をしているような間柄ではない。
「いや、だから!」
「先輩。ちゃーんと皆さんに感謝して、次からはバイト、サボっちゃダメですからね? 分かりましたか?」
そんな最後の言葉には、流石に俺もイラッとした。――ダメだ、なんかもう限界だ。
「ちっがぁうっ! だぁから! 人の話を聞けぇぇぇっ!」
とことん俺のことを罵倒する彼女に向かって、思わず叫んでしまった。大声を上げてから、思わずハッと後悔する。
……しかし、そんな俺の叫びも知らんぷりの様子で、彼女は面倒くさそうに大欠伸をしてみせたところを見るに――やはり俺は本城さんに飼われているんだと、改めて思い知らされては萎えてしまった。




