違う時間、いつもの場所で
昨日から七月に入った。段々とお天道様も本領を発揮し始めており、町中や大学内にも、半袖半ズボンの人達がちらほらと見え始めてきた。これからまた、暑苦しい日々が続くのだと思うと、なんだか少し気が重くなるものだ。
そして、そんな今日もまた、俺はいつもの場所で昼食を取った。もちろん相手には、あの彼女も一緒だ。いつもの如く、ああだこうだとお互いにくだらないことを話しながら、お昼休みの時間を過ごした。
そのまま彼女とは別れて、三限目の講義へと向かう。薄っすらとした眠気がある中、ぼんやりと話を受け流す時間を過ごしていく。そうして今日の講義が終わり、このまま帰ろうかと思った矢先のことだった。
――そういや今期受けてる『著作権法』の講義、あんまりよく分かってないんだよな……。今月末にテストだし、そろそろ復習し直したほうがいいよな。
今日はこの後、特に何も用事はない。あまり気乗りはしないものの、思いついたときに即行動とはよく言ったものだ。どうせ家ではやる気も出ないだろうし、こういうときに勉強しておいたほうがいいだろう。
――あそこ行くか……。
建物を出た途端、生暖かい空気と再会を果たす。無意味に右手をパタパタと仰ぎながら、俺は再びいつもの場所へと向かい始めた。
◇ ◇ ◇
――あぁ、クソ。ここってどうやってまとめればいいんだ? 全然分からん。
レジュメをジッと見つめながら、何度も何度も同じ行の文章を読み返す。しかし、どうにもその文章を理解することができずに、四苦八苦してしまっていた。
――著作権法が? “著作者の権利”と“著作隣接権”の二つで? ……あれ? この“著作人格権”ってどこに含まれるんだよこれ。……はぁ、ダメだ。何がなんだか全く分からん。
とうとう面倒くさくなって、シャーペンを置いてしまった。書く手も動かなくなり、もはやお手上げ状態だ。
――あーあ、やめよ。どうせまだテストまで三週間もあるんだし、こんな早くからテスト勉強しなくたって正直いいんだよな。早めにやっておこうとやる気出してみたけど、なんか無駄だったな。……帰ろう。
二十分程頑張ってみたものの、結局嫌気が差して荷物をまとめ始めてしまった。適当に自分の中で言い訳を述べながら、席を立ちリュックを背負う。そのままいつもの場所を出ようと、エントランスへ向かった。
「……あ」
口から小さい声が出た。
「あら、先輩じゃないですか」
その声の先にいた彼女が呟く。
それは背中にまで伸びた長い髪を揺らして、綺麗な黒い瞳でこちらを見ている。相変わらず、見た目は美人なのに、雰囲気だけは気怠そうだ。
「やぁ、本城さん。奇遇だね」
「どうしたんです? こんなところで。……まさかお腹が空いて、また何か食べてたんですか?」
彼女がジト目でこちらを見る。
「またとはなんだ、またとは」
「またじゃないですか。だって、普通にお昼も食べてたし。あれからまだ、二時間半しか経ってませんよ?」
「俺を誰かさんと同じ、食いしん坊だと思わないで頂きたいね」
「なんですか、うるさい人ですね。セクハラで訴えますよ?」
「いやどうしてそうなるんだ……」
今の言葉が一体何故、セクハラの対象となるんだ。どこにもそんな要素があったとは思えないのだが。
「まぁ待てって、別に何かを食べに来たわけじゃないよ。ただちょっと、勉強しててね」
「勉強……? 先輩が?」
あり得ない、と言いたげな顔で、彼女がこちらを睨む。やめてくれ、俺はそんなに勉強嫌いに見えるのか。
「別に、大学生だもの。珍しいことではないでしょ?」
「それはそうですけど……。なんでわざわざここで?」
「え?」
確かに。言われてみれば、そうかもしれない。勉強をするなら、もっと静かな図書館だってあるし、他にもちゃんとした勉強ができるスペースはいくらでもある。それなのに、どうしてわざわざこの場所――いつもの学食へ来てしまったんだろう。
「んー……。なんとなく?」
「ふぅん……それに、先輩ならたくさんのお友達と一緒に勉強していそうですけど、一人なんですね」
「……なんか、嫌味たっぷりな気がするんだが」
「気のせいですよ」
「はぁ。いいだろ、別に。誰と一緒にいようがどうしようが、俺の勝手だし」
「んーまぁ、確かにそうですね。……じゃあ、先輩」
「ん?」
「今――暇、ですよね?」
彼女がジッと、俺のことを見つめている。なんだかデジャブだ。いつぞやのあの時みたいに、きっとまた何か言われるに違いない。
「え、あ、いや、ちょっともう帰ろうかなって思ってたところで……」
「ふぅん……」
目を細めながら、冷たい表情で彼女が俺を見る。
「な、なんだよ?」
「いいや? さしずめ、先輩のことですから? 勉強してたけど分かんなくなって、面倒くさくなって帰ろうとしてた……ってところじゃないですか?」
「うぐっ……そ、そんなことは……」
「だって私達、お互いに三限目の講義があって、お昼に別れましたよね? まだ時間的に四限目の途中ですし、ここにいるということは、三限目で今日の講義はおしまいってことでしょう? それにまだ、四限目が始まって、三十分も経っていませんよ?」
「ば……バレてる……」
なんでだ、どうして分かるんだ。何故女の子というのは、こういうときに限って勘が働く?
まさに完璧な推理。何一つ間違いのない、完璧な解答。どこの推理小説の主人公なんだだ、君は。
「まぁ……はい、そうです……」
「まったく……バレバレなんですから、隠さないでください。年上なのに、みっともない。将来、部下にバカにされますよ?」
「余計なお世話だ。まったくもう……」
「それで? さっき暇かって聞いてたけど、何か用?」
改めて俺は、彼女に用件を問うた。
「いえ、別に大したことじゃないんですけど。心強い先輩がよければ是非、か弱い乙女に勉強を指南して頂ければなぁと思いまして」
そんなことだろうとは思った。さっきは自分から、俺は勉強はしなさそうだと言ってみせたくせに、そんな俺に頼むとは意地悪な奴だ。
「勉強嫌いな脳筋の先輩にそれ頼むか?」
「いいじゃないですか。先輩、心強いんでしょう? こないだウチに来た時、自分で言ってたじゃないですか」
「そういや言った気もするけど、アレは冗談というものでな……」
「知りません。さ、早く入りましょう。ここ暑いです」
「はぁ……。はいはい」
長い髪を優雅に揺らしながら、さっさと中へ本城さんが入っていってしまう。まだこちらは、イエスかノーかの返答すらしていないというのに、俺には選択権と拒否権というものが無いらしい。そんな彼女の背中に、トボトボと俺は付いていった。
結局、先程まで俺が座っていた席に舞い戻ってきた。綺麗になった机の上に、再び勉強道具が置かれ始める。
「で、そういう本城さんも、結局はここで勉強するつもりだったんだ?」
「まぁ、そうですね」
肩にかけていたグレーのトートバッグの中から、無地でグレー色のペンケースを彼女が取り出す。まったく、一体この子からは、どこまでグレーな物々が出てくるんだ。
「私、自分の家で勉強ができないタイプなんですよ。家だとほら、ゲームやりたくなっちゃうし、眠かったらすぐ寝ちゃうので」
「あー、分かる分かる。家だと他のものに手を出しちゃうよね。俺もそのタイプだよ」
それは意外な彼女との共通点だ。些細な出来事のはずなのに、なんだか妙に喜ばしい。もしかすると、初めて彼女と同じものを見つけたような気がする。
「でもなんだ、本城さんだって、やっぱりこの場所が好きなんだね。俺もそう」
「やめてください。勘違いしないでくださいよ。私はただ単に、この場所が好きなだけです。先輩とは違います」
「え? だから、俺もこの場所が好きなだけだって……」
「分からないんならいいんです。それより、さっさと始めましょう」
「は、はぁ……」
なんだ一体。彼女は何を言いたかったのだろうか。いつもいつも、彼女の言葉は遠回しで強引すぎて、イマイチ真意が伝わってこない。
「……っていうかさ、教えるのはいいんだけど……俺らってまず、同じ学科なの?」
「……あ」
本城さんが目を丸くして、こちらを見た。やってしまった、という表情で、ジッとこちらを見つめてくる。やっぱりこの子は、変なところがアホっ子だ。
まぁ、言ってもまだ彼女は一年生でもあるし、慣れていないところもあるのだろう。今日のところはこの心強い先輩が、寛大な心で許してあげよう。
「まさか今更になって、『私のプライベートは教えません』なーんて言わないよな?」
「それは……」
言いたかったそうだ。
「はぁ。俺は社会学科。本城さんは?」
「……コミ科です」
「コミ科ね……」
コミュニケーション学科。略して、通称『コミ科』と呼ばれている。
その名前からして、恐らくコミュニケーション学について学べる学科なのだろうが、他学科の学生からは全く以て、何をやっているのかが分からない謎の学科である。
「一応聞いておくんだけど、何を聞こうと思ってたの?」
「あいや、必修科目の『学びの技法』のレポートについて、聞きたいなぁって思ってて。……もしかして、学科違うと必修科目も違ったりするんですか?」
「そりゃ当たり前だ。でも『学びの技法』なら、全学科の一年生は必修科目だったはずだから、多分大丈夫だとは思うけど」
「ホントですか? じゃあ、レポートの書き方とかってやりました?」
「あぁ、うん。やったやった。それならまだ教えられる。っていうか、レポートは受ける講義によっては、一度に何枚も書く必要があるから、絶対覚えておいたほうがいいね」
「えっ。……テストよりは楽だと思ってたけど、それは怠い」
「残念、正直どっちも地獄だよ」
レポートはもちろんだが、長文をまとめる力が必要だ。そんなものは俺には無いし、そもそも文章力も俺には無い。去年はレポートを三種類ほど書いたが、全て単位が取れるギリギリの点数だった。まだテストのほうが、個人的に点が取れると思う。
「で? レポートがなんだって?」
「あ、はい。これなんですけど……。ここの章をワードで、序論、本論、結論でまとめて、更に要約文も書いてこいっていう内容で……」
今度はバッグの中から、一冊の本を取り出した。パラパラとめくって、とあるページを開くと、それをこちらへと見せてくる。
「『美術のすすめ』ねぇ。へぇ、似たようなことはやったけど、やっぱり内容は違うんだな」
「先輩は、何やったんですか?」
「こっちはまぁ、社会学科だからさ。かたっくるしい社会問題についての本の要約だったよ」
「へぇ……そうだったんですね」
「そ。だから本城さんも、同じ学科の中で一人くらいは友達作っておいたほうがいいぞ? こういうとき、絶対助け合えるから」
「あ、それは面倒なのでいいです。ウチの学科、マシな人間いませんから」
「あー……例えば君みたいなね」
「……何か言いました?」
「いえ、何も……」
そんな彼女はニコニコと楽しそうに笑っていたが、心の中ではきっと笑ってなどいないだろう。それどころか、思いっきりわら人形に、何度も何度も釘を刺していると思う。いつかそのわら人形に、呪い殺されないことをただただ祈ろう。
そうして――なんだかんだ言い合いながらも、俺は冴えない頭を最大限に活かしながら、彼女にレポートの書き方についてを教えてあげた。




