93.ほんの僅かな昔語り
クロエのことを自慢の息子だとファルシュは口にした。
何処からどう見ても少女にしか見えないクロエではあったが、実のところクロエの性別は女性ではなく男性だった。
クロエは自身の容姿が人の目にどう映るのか理解している。だからこそ産みの親であれば見た目に惑わされることなく、娘ではなく息子だと呼んでくれるはずだ。そう考えていた。
だからこそ、クレジェンテとフィデリスがクロエの両親名乗った際にクロエのことを娘だと呼んだ時点で両親であるはずがなかった。
またアッシュがその二人に耳打ちしていたのはクロエが男である。という言葉だった。
余談として、アッシュは一目見た時点でクロエが男だとわかっていた。ついでに言えばルキも同じく本能で、また匂いで男だと理解していたりする。
「感動の再会だな」
少しばかりからかいの色が浮かぶ声でアッシュはそう言って立ち上がった。
「それじゃ、俺はやることもあるから失礼させてもらおうか」
「え……?」
「アッシュさん?」
戸惑う二人に何も言わず、ひらひらと軽く手を振ってからそのまま部屋の外へと出て行った。
そんなアッシュを見守る形になった二人は顔を見合わせ、それから互いに困ったように小さく笑い合った。
「まったく……アッシュさんはちょっと自由すぎますよ」
「そうですね……ですが、もしかすると……私とクロエの二人だけにしてくれたのかもしれませんね」
「そうかもしれませんね。もう、普通に二人で話すように、と言ってくれれば良かったのに……」
「少し、不器用な優しさということなのかもしれませんよ。殿方というのは、そういうところがありますからね」
そう言って二人でくすくすと笑う姿はまさに親子の姿だった。
そんな二人の間には温かな空気が流れていて、子を捨てた親、親に捨てられた子、そんな二人が再開したばかりだ、というような様子は一切ない。
まるでずっと一緒にいたようかのように、自然体でお互いに接することが出来ていた。
「あの、まだお時間は大丈夫ですか? 実は、その……お母様やお父様と再会することが出来たのであれば色々と話をしたいな、と思っていまして……」
テレテレと恥ずかしそうにしながらそう口にするクロエの姿はとても可愛らしいものであり、母親であるファルシュは内心で私の子供がすごく可愛い……! と親馬鹿を発症させていた。
「はい、大丈夫ですよ。クロエ、たくさんお話ししましょうね?」
「は、はい!」
その言葉を受けてクロエは本当に嬉しそうに自分がいた村でのことや育ててくれたミザリーたちのこと、それから聖都までの道のりやアッシュたちとのやり取りなど、どれから話そうかと胸を躍らせていた。
そしてそんなクロエを見ながらファルシュは小さな声でこう零した。
「……これも、アッシュ様のお気遣いなのかもしれませんね……」
先ほどの状態では互いに言葉を交わすことも難しかったかもしれない。
そんな状況が続く可能性があったときにアッシュが雰囲気や状況など一切気にしていないように動いた。
それがお互いにどうすれば良いのかと見合う状況を変えてしまった。そのことをもしかすると、とファルシュは考えていた。
だがアッシュの性格はまだわからないまでもそのことについてお礼を言ったところできっと惚けてしまうのだろうな、と確信のようなものがあった。
「えっと、何か言いましたか? その……お、おかあさま……っ」
そんなファルシュの零した言葉を僅かに捉えたクロエが疑問を口にし、それからファルシュのことをお母様と呼んだ。
クロエにとってはこの人が自身の母親なのだと理解して受け入れることが出来ていた。だからこそファルシュをそう呼んだ。
とはいえ非常に照れと気恥ずかしさと嬉しさとが入り混じったなんとも言えない感情を伴うそれは、ふにゃっとクロエの頬を緩ませ、前髪の隙間から見える目にはしっかりと幸せそうな色が浮かんでいた。
「っ……!!」
そんなクロエに愛おしさが溢れてきそうなファルシュは自身のハートに矢のような何かが突き刺さったような感覚に陥りながら言葉を返した。
「いえ、何でもありませんよ。それよりもクロエの話を聞かせていただけますか?」
「はい!」
妄想を暴走させる癖のある息子と、息子を溺愛したい想いが暴走しそうな母親。という残念な方面が似ている二人はその後暫くの間楽しげに言葉を交わすのだった。
▽
部屋を出たアッシュは自身の瞳に視えている情報を頼りに廊下を歩いていた。
向かう先はシルヴィアたちがいる部屋であり、少しばかり話をしなければならないと考えていたからだ。
暫く歩き、目的の部屋の前に辿り着くとアッシュは軽く扉をノックした。
その瞬間、部屋の中に緊張が走ったことがアッシュにはわかった。
「アッシュだ。少しばかり話がしたいんだけど、入れてくれるか?」
だがその言葉に部屋の中にいるシルヴィアとアルトリウスの二人は緊張を解き、イスタトアだけが未だに緊張しているようだった。
「なんだ、アッシュか……うん、良いよ。入ってきて」
「あぁ、ありがとう」
シルヴィアの言葉を受けてアッシュは扉を開く。
部屋の造り自体はファルシュの部屋と変わりはない。聖女の部屋はこれがデフォルト、ということだろうか。アッシュはそう考えながらシルヴィアたちを見た。
三人ともテーブルを囲むようにして座っていたが何処となく話は盛り上がっていないようにアッシュには思えた。
「なんだ、三人で盛り上がってるかと思ったけどそうでもないんだな」
「あはは……そんな話が盛り上がるような状況でもないと思うよ……?」
「そうか? クロエとファルシュは今頃会話に花を咲かせてると思うけどな」
苦笑を浮かべるシルヴィアにそう返してからアッシュは三人へと歩み寄る。
もともと備え付けられている椅子は三つしかないようで、アルトリウスが席を譲ろうかと腰を浮かせる。
しかしアッシュはそれを手で制してから三人の近くまで来ると口を開いた。
「別に長々と話をしようってつもりはないからこのままで大丈夫だ」
「そうだとしても立たせたままというのは……」
「良いから。それに平気そうな顔をしてるけどこの中で一番消耗してるのはアルトリウスだろ」
その言葉を受けてアルトリウスは僅かに動揺した。
アルトリウスとしては自身の消耗を上手く誤魔化しているつもりであり、それを一目で看破されてしまったからだ。
そしてアッシュの言葉とアルトリウスの動揺、その二つによってシルヴィアとイスタトアはその言葉が事実なのだと理解した。
「ある、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だよ。隠してたつもりだけど、ちょっと疲れてるってくらいだから……」
「そう、なのですか? あの、あまり無理はなさらないでくださいね?」
「お心遣いありがとうございます、イスタトア様」
自身を心配する二人にそう言葉を返すアルトリウスだったが、アッシュはそれを呆れたように見ていた。
「アルトリウス」
「な、何かな?」
「とりあえず手を出せ」
「え、あ、うん……」
アルトリウスはアッシュに言われるままに右手を差し出した。
するとアッシュはその手を一瞥し、ため息を零す。
「はぁ……カレトヴルッフだから仕方ないのかもしれないけど、せめて馴染んでから使ったらどうだ?」
「……えっと、アッシュが何を言っているのか、僕にはわからないかな?」
「惚けるならそれでも良いけど気をつけろよ。それは人の身には過ぎた力だ」
アルトリウスはアッシュの言葉の意味を理解していた。
だからこそ、どうしてアッシュがそのことを知っているのか、馴染んでいないとどうしてわかるのか、と考えたが特殊な瞳だと言っていたのを思い出し、それのせいなのか、と一人で納得した。
納得したからこそ、不信感や警戒心をあらわにするということはなかったが、それでもその話をシルヴィアやイスタトアに聞かれたくはないと惚けることにした。
それを何となく察したアッシュは呆れながらも一応の忠告をするだけに留めた。
「アッシュ、それってどういう意味なの?」
「アルトリウスが惚けている以上は俺からこれ以上は言えない。まぁ、用事は済んだし俺は失礼させてもらおうかな」
「あ、ちょっと待ってよ! せっかくだからもう少しお話するとか……」
「また縁があればな」
アッシュと話をしたい、と言っているシルヴィアに軽く肩を竦めて返し、くるりと背を向けた。
そして残念そうにしているシルヴィアと完全に自分のペースでだけ話をして去っていくアッシュに戸惑うイスタトア、それから何かを考えこんでいるアルトリウスの三人から徐々にアッシュは離れていく。
そんなアッシュの背にアルトリウスは声をかける。するとアッシュは足を止めた。
「アッシュ」
「どうした」
「一つ聞きたいんだけど……アッシュは貴族に対して良い感情を抱いていないんだよね」
「あぁ、そうだ」
「それなのに、どうして僕にそんな忠告をしてくれるのかな?」
アッシュは特定の人間に対して甘く、それ以外の人間に対しては投げやりに接しているような印象をアルトリウスは抱いていた。
それなのにどうしてわざわざこうして足を運び、自身に忠告をしてくれているのだろうか。
それもカレトヴルッフ家という騎士の家系、貴族の地位を有している自分に対して。
アルトリウスはそれがどうしても疑問に思えてしまい、つい問いかけていた。
「あー……昔、カレトヴルッフの人間に世話になったことがあるんだ。今となっては完全に意味のないことだけどな」
「カレトヴルッフの人間に? それは誰のことなのか聞いても良いのかな?」
「さて、誰だったんだろうな。何にしても、カレトヴルッフに対しては多少なりと思うところがある。まぁ、ささやか恩返しとでも思ってくれたら良いさ」
アッシュはそれ以上は答える気はないようで再び扉へと歩くとそのまま部屋の外へと出て行った。
三人はアッシュを見送る形になり、アッシュの姿が見えなくなると三人は吐息を零した。
「何ていうのかな……アッシュって自由だよね……」
「そうですね……もしくはブレない、と言えば良いのでしょうか?」
「カレトヴルッフの誰か、か……」
アッシュをそう評する二人の声が聞こえていないのか、アルトリウスは先ほどのアッシュの言葉を小さく繰り返した。
カレトヴルッフの誰かに世話になった、という言葉がどうにも引っかかっていて、王都に戻った際にその辺りのことを確認してみようか、と考えていた。
アルトリウスに起きている現象を考えるとろくなもんじゃないよね、と。




