82.結界の恐ろしさ
アッシュが教会に戻ると、クロエに対して嫌そうな顔を向けていたルキが一早く気づき、タタタッと駆け寄るといつものようにアッシュに抱き着いた。
それからいつものように尻尾をブンブンと振るルキは胸いっぱいにアッシュの匂いを堪能するとキッ! とクロエを睨みつけた。
「ルキ、何でクロエを睨みつけてるんだ?」
「あいつが敵だからだ! 赤チビにもむっつり目隠れにもアッシュは絶対に渡さねぇからな!!」
そう言ってルキはガルルと唸る。ルキはアッシュに好意を向けるクロエを敵として認識しているようで、非常にわかりやすい威嚇行為を行っていた。
アッシュにとってこの行為は自分の大好きな物を独り占めしたくて、取られないように威嚇している。という子犬の行いのように思えているため、またか。という程度にしか考えていなかった。
だが温室育ちというか純粋培養というか。そんなクロエにとっては何が何だかわからず、またルキが怒っていることに戸惑うしかなかった。
「はいはい。少し落ち着こうな、ルキ」
「落ち着こうな、って言うけどさ! こいつら全員敵なんだぞ!? 落ち着けるわけねぇだろ!!」
「シャロも?」
「チビも! まぁ、チビは少しくらいなら許してやっても良いけど!!」
アッシュが身内として見ていて、自身もそれなりに身内のようだと思っているためにルキはシャロなら少しくらいは、と口にした。
その言葉にアッシュは少しだけ驚いたような表情を浮かべ、シャロはルキの言葉の真意がいまいちわかっていないようだった。
ただ漠然と自分はルキに身内として認められているようだ。と言うことはわかっていた。
「ルキに認められようと、認められまいと、俺はアッシュを諦めることはない」
「……やっぱりこいつは敵だ!!」
ルキの言葉を受けても堂々と言い放つカルナに、ルキはまたもはっきりと敵だと宣言し、クロエに向けたものよりも更に剣呑な目つきで睨む。
「はぁ……ルキ、落ち着け。本当に落ち着け」
「ガルル……!!!」
「唸るな唸るな。ほら、深呼吸して落ち着こうなー」
半ば面倒臭くなりながらもアッシュがルキに深呼吸をするように言うと、ルキは先ほどのようにアッシュに顔を押し付け、その状態で深呼吸を始めた。
「すぅー……はぁー……すぅー……はぁー……」
「それ深呼吸になるのか?」
「俺はこれが一番落ち着くから良いんだよ!」
そんなことを言って尚も深呼吸を続けるルキに小さくため息を零し、手持ち無沙汰になっているために軽くルキの頭を撫で、もう好奇の目を向けられることになってもどうせ視線を切ったり魔法や加護で誤魔化せば良いか。と面倒になったアッシュはそのまま歩き始めた。勿論、ルキはアッシュに抱き着いたままだ。
「え、そのまま歩くのですか……?」
「ルキが離れそうにないからな。とりあえず隠し通路がある場所はわかってるからついて来てくれ」
「は、はぁ……わかりました」
シャロは戸惑いながらも隠し通路がわかっているというアッシュに続く。
「カルナとクロエも遅れるなよ」
「あぁ、わかった」
「は、はい!」
カルナは大して戸惑わず、だが僅かに羨ましそうにルキを見ながら言葉を返した。
それはクロエも同じであり、自分もあんな風にアッシュに抱き着いたらどうなるんだろう。胸のときめきで死んじゃわないかな? 大丈夫かな? と場違いなことを考えていて。ただ妄想の世界に旅立たないだけマシと言えばマシだった。
アッシュが視線を切りつつ認識阻害の魔法を軽く使いながら廊下を進み、そしてある壁掛けの燭台の前で足を止めた。その燭台はベトリューガが隠し通路を出現させるために引いていたものだった。
一応、と周囲に人影がないことを確認するとアッシュはその燭台を引いた。すると壁の一部が動き、地下への道が開かれた。
「わざわざ意味もなく燭台を引く人間はいないだろうし、まぁ、悪くはないかもな」
隠し扉を開くための仕掛けのことを悪くない、と評してからアッシュは地下へと足を進める。
だが一歩足を踏み入れた瞬間にアッシュは足を止めた。ついでに言えば未だにアッシュから離れようとしないルキも同じく地下に足を踏み入れ、怪訝な顔をするとクンクンと匂いを嗅いだ。
そんな二人を見てシャロたちはどうしたのかと疑問符を浮かべていた。
「匂いが一気に変わったな……アッシュ?」
「結界だな。空間を歪めることで足を踏み入れた人間を道に迷わせ、その結果として最終的にその人間は餓死する。ってやつだな」
「が、餓死ですか!?」
アッシュの言葉を聞いてシャロは青ざめながら驚愕の声を上げ、クロエもそんな物騒な結界が施されているとは思っていなかったようでシャロと同じように青ざめていた。
ただカルナだけは地下に続く道を見ると何かを考えるような素振りを見せ、口を開いた。
「アッシュは迷うことなく進めるのか?」
「これくらいなら問題ないな」
アッシュには知識の瞳の加護があり、例えこの結界内であったとしても正しい道がわかり、先ほど自身が口にしたように道に迷うようなことはない。
またイシュタリアから押し付けられた加護や祝福があるのでいざとなれば結界を無効化して歩く事さえ可能だった。
「そうか。それは心強い」
それだけを言うとスッと一歩前に出るとアッシュに並び、カルナはアッシュを見上げた。
その目は問題ないなら早く行くべきだと思う。と語っていてアッシュは苦笑を漏らすと振り返ってシャロとクロエを見る。
「とりあえず、俺から離れないようにしてくれ。もしかすると下手に離れて動くと空間の歪みのせいでバラバラになる可能性もあるからな」
「わ、わかりました! 主様から離れないようにしますね!!」
シャロは迷った結果、餓死してしまう! と思っているのかそう言うと同時にアッシュを挟んでルキと反対側に進むとアッシュの腕に抱き着くように、というかアッシュの腕にしがみつくようにして絶対に離れない! という強い意志が窺えた。
それは完全に怯えから来るものであり、流石に餓死云々は言わなくても良かったか、とアッシュは少し反省していた。
そうしてアッシュが内心で反省していると背中にトンッと僅かな衝撃がした。
「わ、私も! アッシュさんから、離れないようにします……!!」
こちらもこちらで怯えているようでアッシュの背にピタッと張り付いて離れようとしない。
アッシュはクロエもか、と小さくため息を零し、歩くのが面倒な状況だな。と考えていた。だが残念ながらそれだけでは終わらなかった。
それらを見ていたカルナがスススッとアッシュの前に回るとくるりと振り返り、そのままアッシュに抱き着いた。
「これで俺も離れることはないな」
何処か得意げにそう言ったカルナに対し、アッシュはげんなりとした表情へと変わった。
「……赤チビはどうせ迷っても自分でどうにか出来るんだろ。アッシュから離れろよな」
「どうにか出来るとして、手間を省くべきだ。それに何よりもこうして合法的にアッシュに抱き着くことが出来る」
「アッシュ、赤チビ振り払おうぜ!」
「はぁ……いや、もう良いから静かにしてくれ……」
アッシュを中心に右にルキ、左にシャロ。前にカルナ、後ろにクロエ。
これはある意味では完璧な布陣だった。もし誰かに見られるようなことがあればアッシュの目が死んでしまう、というアッシュにとって非常に残念な布陣なのだが。
だが目下の問題は全員が全員非常に歩きにくい。ということだろうか。
「いや、これ本当に歩きにくいな……こんな俺に張り付かなくても大丈夫だと思うぞ」
「俺がアッシュから離れるとかないな」
「私も万が一があるので離れられません!」
「わ、私は折角の機会ですから……」
「……不思議な、灰の匂いだ」
誰一人離れようとしない中でアッシュはため息を零し、何とかこの布陣のまま地下道を進むと暫くして階段を見つけ、その階段を上がるとアッシュたちはついに本来立ち入ることの出来ない、大聖堂の奥へとやって来ることが出来た。
「ここが大聖堂の奥、か。歩いた距離を考えると既に通りを挟んだ先、というところだな」
「空間が歪められている、ということでしたからそのせいですよね……」
「……これって、結界が解除されたらどうなるのでしょうか……?」
「空間が元に戻るからそれに合わせて建物とか全部ぐちゃっとなるんじゃねぇの?」
「そうだな。空間が重なっている状態だと考えれば……無辜の民を巻き込むことになるだろうな」
「ぜ、全部がぐちゃっと、ですか……!?」
建物も人も全てが、ということを想像したシャロとクロエはその恐ろしさに震えながらよりアッシュに密着し、不安に押し潰されないようにと必死になっているようだった。
「あー……まぁ、空間が潰れるとしても一応俺ならどうとでも出来るから安心してくれ。俺たちの安全だけは確保できるはずだからな」
「ほ、本当ですか!?」
「こ、これはよりアッシュさんから離れられなくなりました……!」
「俺はそういうの関係なくアッシュから離れないけどな!」
「俺も、この機会を十全に使わせてもらおう」
何が何でも離れない。そんな四人に引っ付かれているアッシュは大きなため息を零すともうどうにでもなれ、と考えてそのまま歩き始めた。というよりも半ば引きずるようにして歩いているようにさえ見えた。
隠し通路から出た場所は廊下の突き当りであったため、廊下を真っ直ぐ進んでいると螺旋階段へと辿り着いた。
「……結界が切り替わるな。いや、同種の結界だけど……あぁ、そうか。結界を破壊されても他の結界が活きているから全てが破綻しないのか。保険はかけている、そういうことか」
感心したようにそう言葉を零したアッシュにシャロはということは、と口を開いた。
「つまり、空間が潰れる可能性は低い、ということですか?」
「そういうことだ。まぁ、一つでも壊れれば全部壊れる、何てのは不用心すぎるか」
「な、なるほど……!」
アッシュの言葉を聞いてシャロとクロエは何処か安心したようにそう言った。
「……ってことは、魔族が聖女を始末しようと思ったら結界を全部吹っ飛ばすと一発、ってことだよな?」
「あぁ、その可能性は充分にあるな」
だがすぐにルキとカルナの言葉に真っ青になった。
「あんまりシャロとクロエを脅すなよ……俺が被害を受けるんだからな」
二人のことを心配している、ということもあるがそれよりもこの状況をどうしてくれるんだ、という意味を込めてアッシュはそう言った。
「まったく……まぁ、とりあえず上を目指すか」
そう言ってアッシュは螺旋階段を上がり、自分の瞳に映っているシルヴィアとアルトリウスのどちらと先に合流しようか、と考えていた。
尚、流石に階段となればシャロたちは少しだけ歩きやすいように抱き着いたり引っ付くのを緩めていた。だが当然のようにルキだけは変わらず、しかし慣れたもので軽快な足取りで階段を上がっていた。
こういう結界ってメリットばかりじゃなくてデメリットがあるのが当然なんですよね。




