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72.人の悪意に触れて

 不法侵入をして結界の要を破壊する。そのためにはまずどの辺りにあるのか目星をつけ、それから侵入経路を確認、確保しなければならない。

 そういうこともあってアッシュたちはまずは一般の参拝者の体で教会へと足を踏み入れることにした。

 したのだが。教会の前に辿り着いたアッシュに対して突撃してくる人影があった。もしそれが敵意を持っていたのであればアッシュは当然のように避けたが、偶然の形であればそうもならなかった。

 アッシュは大して動じることはなかったが、ぶつかって来た人物は後ろへと倒れそうになっていた。また、その人物が見知った相手だったこともあり、アッシュはその手を取って倒れないように手を引いた。


「大丈夫か?」


 言いながらアッシュはその人物、クロエが自分の足で立てる姿勢まで手を引く。


「え、あ……アッシュさん……?」


 クロエは自分の手を引いているのがアッシュだと気づくと目をしばたたかせると少しばかり呆然としたような様子を見せた。

 だがアッシュにはそんなクロエの状態よりも瞳の端に涙が浮かんでいる方が目に付いた。


「ご、ごめんなさい……!!」


 クロエはそのことに気付いたのか、一言謝るとアッシュの手を振り払いそのまま走り去ってしまう。


「むっつり目隠れだよな、あれ。どうしたんだ?」


「さぁ……? でも、何だか様子がおかしかったような気がします……」


「修道女か、そうか。アッシュ、追うと良い」


 クロエが修道女の姿をしていることに気付いたカルナは一つ頷いてからそう言った。

 その言葉の真意を、教会の関係者を協力者と出来れば色々とやりやすくなる。と考えてのことだと理解したアッシュはこう言葉を返した。


「わかった。そっちは任せても良いんだな?」


「あぁ、勿論だ」


「ルキ、シャロのことを頼む。それと、隠し通路の類があるなら匂いでわかるはずだ」


「……あぁ、そういうことか。わかった、チビと、それから隠し通路があるなら任せてくれ」


 そしてルキもカルナの言葉の意味をアッシュに遅れて理解し、そういうことなら、と頷いた。


「え? え?」


「シャロ、俺はクロエを追うからルキとカルナの二人と協力してくれ」


「あ、はい……わかりました。クロエさんのことはよろしくお願いしますね」


 ただ一人、シャロだけはクロエのことが心配になったのかな? と思い、アッシュにクロエのことを任せることにした。

 多少なりと心配はしているので全くの見当違い、ということはないが微妙にずれているがそれをわざわざ指摘する必要もないと考え、アッシュは一つ頷いてからクロエを追って走り出した。

 そして三人はクロエを追って遠ざかるアッシュの背を見送ってから教会へと向き直った。


「さて、それじゃ行くかー。チビ、赤チビ、怪しまれるからあんまり挙動不審になるなよ」


「大丈夫だ」


「挙動不審にはなりませんけど……祈りを捧げるくらいはした方がらしいですよね?」


「まぁ……そうかもな。ならチビが祈れば良いか」


「一人が祈り、残りが付き添い。そういうことだ」


「……お二人は祈りを捧げないのですね……」


 それらしく振舞った方が良いと考えたシャロが祈りを捧げることを提案するとルキは興味がないようでシャロに祈るように言った。

 またカルナもそれに同意するように口を開き、それは自身は祈りを捧げないと言っているようなものだった。

 そんな二人にルキは仕方がないなぁ、というような、呆れを含んだ声で返した。それからそういう体で行くなら自分が先に入った方がそれらしいかな? と考えて二人よりも先に教会の中へと向かった。

 二人もそれをわかっているのかシャロを追い越すことなく、その後に続く。



 クロエは振り返ることもなくひたすら走り続けていた。少しでも教会から、大聖堂から、両親を名乗る二人から離れるように。

 何処へ向かっている、ということもないクロエは気が付けば聖都の端に存在する、本当に小さな教会へと辿り着いていた。

 聖都の中心に教会があることからその一つだけで充分だ、と考えてしまうかもしれないが聖都の端から中心の教会まで、となるとそれなりの距離を歩き続けなければならない。

 聖都で生活しているイシュタリアの信徒たちは基本的に毎日教会で祈りを捧げるため、その移動が負担になってしまう。それを解消するためにこうして小さな教会が聖都の中には幾つもあるのだ。

 そんな教会に人気はなく、クロエは走り続けたことから来る疲れからかふらふらとその教会の中へと足を踏み入れて行った。


 クロエは教会の奥にあるイシュタリアの石像の前まで進むと膝を着き、祈りを捧げ始めた。

 だがその祈りはクロエが普段イシュタリアに捧げているものとは違い、まるでイシュタリアに縋るための祈りだった。


「イシュタリア様……私は、どうすれば良いのでしょうか……?」


 泣きそうな声で、クロエはイシュタリアへと問いかける。だがその場にイシュタリアは居らず、当然言葉を返す者はいなかった。

 それはクロエにもわかっていたが、それでも祈り、縋らずにはいられないように強く強く手を組み、祈りを捧げ続ける。


「イシュタリアに祈るだけ無駄だぞ。あれは救いを求めて縋り付く人間を救う女神じゃない。神に祈らず、神に縋らず、自分で足掻き続ける人間をこそ愛する女神だ」


「え?」


 クロエは背後から聞こえてきた言葉に驚き、振り返った。

 そこにはクロエには目を向けず、イシュタリアの石像を見上げているアッシュがいた。

 それはまるで何かを思い出しているように見えたクロエは少しだけ戸惑いながら声をかけようとした。


「っていうかやっぱりこの石像酷いよな」


 だがそれよりも早くアッシュは呆れたようにそう言ってクロエへと視線を移した。


「あ、えっと……酷い、というのはどういうことでしょうか……?」


「いや、この石像ってある程度上等な教会なら何処にでもあるだろ? ただ、まぁ……割と好き勝手に作ってあるよな」


 実のところ教会にある石像はイシュタリアの姿を模しているとされているが、実際にイシュタリアを見たことのある人間がデザインしたわけではない。

 その石像は、イシュタリアの姿を知る者にとっては全くの別人にしか見えていなかった。例えば身長や髪型、胸の大きさなどなど。完全に製作者の願望によって作られている物だった。


「そう、なのでしょうか……?」


「そうなんだよ。で、それは良いとして……こんな場所まで走ってくるとか、何があったんだろうな」


「……それは、その……」


 アッシュはさらっと話を切り替えて何があったのかクロエに問う。するとクロエは話すべきかどうか悩むように言い淀んだ。


「何だったらそこの懺悔室でも借りるか? 今は人がいないから使ったとしても咎められることもないだろうしな」


「勝手に使うのはダメだと思いますよ」


「ならクロエがすんなり話してくれればそれで良いさ。話したくない、ってことなら無理強いをするつもりはないんだけど」


「……そう、ですね……少しだけ。少しだけ、話を聞いてもらっても良いですか?」


「あぁ、聞かせてくれ」


 クロエとしては吐き出して少しでもすっきりとしたかった。それだけですっきり出来るのかどうかは別の話なのだが。

 それでも自分だけで抱え込んでいるよりは、きっとマシなはずだとアッシュに話すことに決めた。


 二人は椅子に並んで腰かけ、互いに沈黙を保っていた。アッシュはクロエが話し始めるのを待ち、クロエはどう話せば良いのかを考えて。

 そしてアッシュにとっては数秒後、クロエにとっては長い長い時間の果てに口を開いた。


「……大聖堂で、私の両親かもしれない方と会ってきました」


 クロエにとっては聖女候補として、いずれ聖女になるために聖都に来たというよりも両親かもしれない人物に会うためにこうして聖都までやって来ていた。

 そして今そのことについて口にしたということは、そこで何かがあったことになる。アッシュにとってはそれだけわかればその先に待つ答えが何なのか見当がついた。


「両親じゃなかったか」


「……はい……あの方たちは、私を温かく迎えてくれました。でも、違いました。あの方たちは、私の両親ではありませんでした……!」


 アッシュの言葉に頷き、言葉を続けたクロエは泣きそうな表情を浮かべていた。


「両親に会えると思っていました! でも、あの人たちの言葉を聞いて違うのだとわかってしまいました……!! わかってしまったのです!!」


「両親じゃないなら、自分を利用しようとしてる人間ってことになる。クロエにとってはショックだっただろうな」


「…………身寄りのない聖女候補なら利用しようと考える人間もいる。そのことはミザリーさんから何度も聞かされていました。でも、それでも! 私にも家族がいるのだと信じたかった!! それなのに、こんなのはあんまりじゃないですか……!」


 クロエは涙を流しながら言葉を続けるが、それすらも自身を傷つけることとなっているのかクロエは胸が張り裂けそうなほどの痛みを感じていた。

 それでもまだ吐き出さなければならない言葉があった。吐き出さなければきっといつまでも自分の中に残り、苛み続けることになる。そんな気がしてならないから。


「どうして……どうして、イシュタリア様の信徒である人間が、人を利用しようなどと考えるのですか……? 私たちイシュタリア様の信徒はただイシュタリア様に感謝と祈りを捧げ、この世がより良いものとなりますように。そう願うのが正しい姿なのに……!」


 クロエは人を信じていた。人の善性を信じていた。人の、同じイシュタリアの信徒の、正しくある姿を信じていた。

 それなのに、どうして人を騙し、人を利用しようとするのか。その果てに人を傷つける行為を良しとしているのか。それがクロエにはわからなかった。小さな村で、人の善性に触れて生きてきたクロエにとってそれは信じられないことだった。


 両親との再会を願っていたのに、それが叶わなかったこと。それどころか自分を利用しようとしているのだとわかったこと。人が人を騙し、利用しようという悪意に触れたこと。

 それらはある種の温室育ちとも言える骨の髄まで善良なクロエを深く深く傷つけるには充分過ぎるものだった。

 そうして傷ついて涙を流し続けるクロエにどんな言葉をかけるべきなのか。アッシュは思案する。

 下手なことを言ったとしてもきっとその傷を抉る結果になりそうで、慎重に言葉を選ばなければならない。それがわかっているからこそアッシュは安易に言葉をかけることが出来ないでいた。

両親に会えなかったことよりも、人の悪意に触れたことの方がショックだった模様。

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