70.二人の聖女
シルヴィアが緊張しながらも覚悟を決め、扉へと一歩近づくと扉の先から声が響いた。
「どうぞ、お入りください、シルヴィア様」
その声を聞いてシルヴィアは身体が硬直し動けなくなった。
そこにシルヴィアが分かっていたように完璧なタイミングで声をかけられたからではない。何故かわからないが背筋が凍るような、奇妙な気配がしたからだ。
だがそれを振り払うように頭を振ってシルヴィアは扉に手をかけた。
シルヴィアが扉を開くと先ほどまでの廊下と同じように豪奢な作りの部屋の中で一人の女性が椅子に座っていた。その女性の前の机には二人分の紅茶とクッキーが用意されている。
「ようこそおいでくださいました、シルヴィア様」
ふわりと花開くように微笑みを浮かべる女性は見た目ではとても美しかった。だがシルヴィアには先ほどの気配のこともあって恐ろしい何かにしか見えていなかった。
「あ、は、はい……し、シルヴィア・シャルマス・リマト・ウルシュメルク、勇者として聖女様の祝福を受けるために参りました」
「えぇ、えぇ、わかっていますよ。とはいえそう急くこともありません。どうぞ、お座りくださいな」
「は、はぁ……えっと、それでは失礼します……」
シルヴィアは促されるままに椅子へと座り、対面の女性を見た。艶のある明るい茶の髪、自身の全てを見透かすような何処までも広がる空のような青い瞳、そして近くで見ることでわかる浮世離れした美しさ。
それを目の当たりにしてシルヴィアは小さく息を呑んだ。
「そう緊張する必要はありませんよ。あぁ、自己紹介がまだでしたね。私の名前はファルシュ。ファルシュ・ファクティス・フェルシュング。ふふ……奇妙な名前でしょう?」
シルヴィアを見たファルシュはそう言ってから少しだけ困ったような笑みを浮かべていた。その瞬間、先ほどまで感じていた奇妙な感覚は霧散し、そこにはただ美しい女性がいるだけだった。
そのことにシルヴィアは内心で酷く戸惑いながらも何とか言葉を返した。
「そ、そうですか? えっと……何だか言葉の響きが面白いと思い、ます、よ……?」
言葉の響きが面白い。というのは果たして褒めているのだろうか。自分で言いながらそう疑問に思ってしまい歯切れが悪くなっていた。
だがファルシュはそうしたシルヴィアの心情を見抜いているのかくすくすと小さく笑ってから言葉を返した。
「えぇ、確かに言葉の響きは少し面白いかもしれませんね。それにしても……ふふふ、そんなことを言われたのは初めてでちょっと新鮮ですね」
「あ、あはははは……」
そんなファルシュにどう返して良いのかわからず、シルヴィアは乾いた笑い声で返すとその様子すら面白いのかまたくすくすと笑った。
それから一息ついて落ち着いたのか紅茶を手に取り、喉を潤すために口を付ける。その所作は洗練されていてシルヴィアは思わず見惚れてしまう。だがすぐにハッと正気に戻り、そんな自分を誤魔化すように自身も紅茶へと手を伸ばした。
そして本当に僅かに紅茶に口を付けながらファルシュを見る。ファルシュは紅茶の味に満足しているのか嬉しそうな笑みを口元に浮かべていた。
「……何だか、嬉しそうですね……?」
何故嬉しそうな笑みを浮かべているのかわからないシルヴィアがそう口にするとファルシュは待ってました。とでも言いたげに言葉を返した。
「実はこの紅茶は私が淹れたものなのです。ですから美味しく淹れることが出来たのが嬉しくて……年甲斐もなく、はしゃいでしまいましたね」
「はしゃいで、と言うほどではなかったような気が……って、え? 年甲斐もなくって……ファルシュさんの年齢って……えっと、その……二十代前半とかに、もしくはもう少し若いくらいじゃ……?」
シルヴィアがそう言うとファルシュは何処となく嬉しそうな、そして照れたように言葉を返した。
「そ、そうですか? それくらいに見えますか?」
「は、はい……」
「ふ、ふふふ……そうですか、そうですか。実は私、これでももう三十を過ぎているのですよ」
「……え? 嘘だよね?」
「本当ですよ」
信じられない、というようにシルヴィアが言えばほわほわと何処か幸せそうにファルシュが本当だと言った。
その様子は嘘を言っているようには見えず、戸惑いを覚えながらもシルヴィアは若く見える人なのかな
、と自身を納得させていた。
「ふふ……そうだ、紅茶以外にもこのクッキーも私が焼いたのですよ。お一つどうですか?」
ニコニコと笑顔を浮かべて机の上のクッキーを皿ごとススッとシルヴィアへと差し出すファルシュ。
「は、はぁ……それじゃ、一つだけ……」
勧められた以上は断るのも悪いとクッキーを一つ手に取り、それを口にするシルヴィア。
「あ、美味しい……」
何シルヴィアにとって甘いお菓子、というのは非常に好ましいものだったようで一口食べただけで雰囲気が柔らかなものへと変わった。
元々シルヴィアはファルシュから感じてた奇妙な気配や纏う雰囲気に戸惑い、緊張していたがたったそれだけのことでそれが解消されていた。
そしてついつい、というように次のクッキーへと手を伸ばすシルヴィアは年齢よりも幼く見えて、そんなシルヴィアをファルシュはまるで子供を見守る親のように微笑ましそうに見ていた。
▽
アルトリウスはベトリューガに案内されるままにシルヴィアとファルシュが少しずつ打ち解けながらお茶会をしている隣の部屋へとやって来ていた。
ベトリューガはアルトリウスを案内すると扉の隣にかけられた鐘を示し、何か用があればその鐘を鳴らすように、と言ってから姿を消している。
部屋に残されたアルトリウスは手持ち無沙汰になりながらも椅子に座り、ベトリューガの用意してくれた紅茶を飲んでいた。
「はぁ……まさか一人になるとは思っていなかったな……」
そのぼやきに言葉を返す者はなく、それがわかりきっていたアルトリウスはまたため息を零した。
シルヴィアとファルシュの隣の部屋、となっているが自身が起こす音以外に何も聞こえず、まるで自分だけが世界から切り離されているような感覚に陥っていた。
それを振り払うように頭を振ってからどうせならとこれからのことを考える。
聖女から祝福を受けることが出来れば王都へと戻る。その際に護衛などはどうするか、という問題があるがとりあえずそれは置いておくとして。
王都に戻れば正式にシルヴィアが旅に出るための御供が決まっているはずだ。そしてきっとアルトリウスはその中にはいない。
それはアルトリウスがシルヴィアと共に旅をするのに不適切な人間だから、ということではない。他の貴族たちが許さないからだ。
自分たちの子供が勇者であるシルヴィアと共に旅をし、支え、多くの功績を得る。そうなれば自身の家はより繁栄する。そう考えた貴族たちは全員がアルトリウスが旅の供となることを許さない。
「……出来ることなら、本当に信用出来る人物がシルヴィア様の共になってくれればいいんだけど……」
現状の貴族の状態を考えれば難しいことだ、と理解しながらアルトリウスはそう零して窓の外へと目を向ける。
何処までも青い空が続いていて、雲が流れていく。現実逃避をするようにそんな空を眺めているとカチャリ扉の開く音がした。
アルトリウスがそちらに目を向けると年齢は二十代前半ほど、暗い青色の長い髪をゆるくふわりとカールさせた美しい女性が部屋の中へと入ってきた。
「アルトリウス・カレトヴルッフ様、ですよね……?」
アルトリウスの顔を見てそう言ったかと思うと、その女性は不安そうな表情を浮かべるとアルトリウスの下へと小走りで駆け寄った。
「どうか、どうか話をお聞きください、アルトリウス様……!!」
そしてアルトリウスの傍まで来ると瞳に涙を浮かべながら膝から崩れ落ちるようにしてアルトリウスへと身を寄せた。
「え、あ、な、何があったのか話を聞くくらいは大丈夫だけど……」
戸惑いながらもアルトリウスが言葉を返すと女性は瞳に涙を浮かべたままふわりと微笑みを浮かべながら少しだけ落ち着いたように口を開いた。
「ありがとうございます、アルトリウス様……! 実は……あぁ、その前に。私の名前はイスタトアと申します」
「イスタトア、だね? それで、何があったのかな?」
戸惑っていたアルトリウスだったが少し落ち着き、何があったのかと話を聞き出そうとした。
これはイスタトアと名乗った女性が美しかったために下心から。ということはなく、純粋に困っている人を放っておけないというアルトリウスの善性によるものだった。
「暫く前から教会内で禍々しい魔力を感じることがあるのです……そして、その頃からもう一人の聖女であるファルシュ様の様子がどうにもおかしくて……」
「……もう一人の聖女……?」
「あ、申し訳ありません。私は聖女の一人なのです。とはいえファルシュ様に比べればまだ聖女となって数年も経っていないのですが……」
「せ、聖女様だったのですか!? そうとは知らず、申し訳ありませんでした!!」
「あぁ、いえ、お気になさらずに……それよりも……」
イスタトアが聖女だと知らずに失礼な言葉遣いだった、と非礼を詫びるアルトリウスだったがイスタトアは気にしないように言ってから本来伝えたかったことを話し始めた。
「先ほども言いましたがファルシュ様の様子がおかしく、この魔力のことを考えると……何か、良からぬことが起きるような、そんな気がするのです」
「……それは、何か確信があってのことなのでしょうか?」
「はい……あの魔力はきっと魔族のものです……それに、ファルシュ様の様子がおかしくなり始めた頃からこの聖都を覆うように奇妙な結界が張られて……」
「結界? それはどういうものなのか説明していただけますか?」
「詳細はわかりません。ですが……閉鎖系の結界ということだけはわかっています」
詳細はわからない。だが閉鎖系の結界ということは自分たちが閉じ込められた、と考えてアルトリウスの表情が険しくなった。
自分が閉じ込められた。それだけのことならばどうということはない。だが聖都全体がとなれば話は違ってくる。また今の聖都にはシルヴィアやアッシュたちがいる。だからこそどうにかしなければならないとアルトリウスは考える。
「ファルシュ様がおかしい、ということでしたが、どうおかしかったのか聞いても?」
「はい。ファルシュ様は時折何もないのに笑みを浮かべ、そして空を見ていたのです。あれはきっと聖都を覆う結界を見ていたのだと思います。他にも第三王女であるシルヴィア様が来ると予見し、そして笑みを深めていました」
「……シルヴィア様を結界の中に閉じ込めることが出来るから笑みを深めていた、ということで良いのでしょうか……?」
「その可能性は充分にあると思います。私はこのことを誰かに伝えなければならないと考えていました……ですが、ファルシュ様は私よりも長く聖女としての責務を全うしていらっしゃいました。ですから私が何を言っても他の方に信じていただけないような気がして……!!」
だからこそこうしてアルトリウスへと縋るようにして話をしている。そう言外に含めたイスタトアの言葉に確かにその可能性は充分にある、とアルトリウスは内心で同意していた。
そして現状では自分がどうにかするしかないのではないか、そう考えて不安と、それ以上の義務感と決意に満ちていた。
聖女は一人、とか言ってませんからね。二人くらいいても良いですよね。ね!




