38.太陽の如き人
結界が解かれたことによってアッシュたちの周囲の光景は足を踏み入れた時と同じ寂れた広場となっていた。
その広場の枯れた噴水の前にはゼノヴィアがへたり込み、もはや抵抗の意思などは存在していないようだった。とはいえアッシュとしては念の為に手足を圧し折っておいた方が良いだろうな、と考えていたのでそれを実行するためにゼノヴィアへと一歩踏み出した。
すると地面に散らばった砂を踏みしめたことにより小さく音が鳴った。それがアッシュのものだと気づいたゼノヴィアは怯えた表情を浮かべて地面に手を付いて後退を始めた。
抵抗の意思はなくとも恐怖に支配されてしまったゼノヴィアはどうにかアッシュから逃げなければならない、そう考えていたがすぐに噴水の淵に背が当たりそれ以上は下がれなくなった。
「あ、あぁ、あ……」
声にならない声を漏らし、怯えた目でアッシュを見つめるゼノヴィアの姿は先ほどまでアッシュとルキを見下していた者と同一人物だとはとても思えない姿だった。
それを見てもアッシュは何も感じることはなく、ゼノヴィアの目の前に立つとドレスから覗くゼノヴィアの足を軽く踏んだ。そうしたアッシュの瞳には相も変わらず感情の色はなく、それがよりゼノヴィアの恐怖を煽った。
そしてアッシュが足に力を込め、鈍い痛みと共にゼノヴィアの足の骨が軋み、ゼノヴィアが悲鳴を上げそうになった瞬間。
「悪いけど、ゼノヴィアから離れてくれるかしら」
声が響いた。柔らかな言葉のようで有無を言わさぬ圧力の込められたその言葉が耳届いた瞬間にアッシュは声のした方へと玩具箱から取り出したナイフを投げ、ルキは地面を踏み砕いてその瓦礫を蹴り飛ばした。
だがそれは声の主に届くことはなく、重い破裂音と共にその全てが撃ち落とされた。
二人がそれを成した人物を見ると、プラチナブロンドの髪を一纏めにして軍服を肩に羽織ったドレス姿の女性が立っていた。だが二人の目を惹いたのはその女性が手に持っている一丁の拳銃だった。
この世界でも拳銃は存在しているがそれはラティスカヤ帝国でのみ生産、使用されているものであり、珍しくはあるがその存在を知っている人間も少なくはない。
とはいえこうして拳銃を手にして、更に言えばゼノヴィアから離れるように、などと口にするということはこの女性もまたラティスカヤ帝国の人間だという証左に他ならなかった。
「あら、聞こえなかったのかしら? ゼノヴィアから離れて、と言ったはずよ」
「……面倒なことになったな」
「こっちが本命、って感じか? まぁ、明らかにあれは三下だったしなぁ」
離れるように、という言葉を聞いてアッシュは踏み付けていた足を退かして数歩ゼノヴィアから距離を取った。
本来であればそんなことをする必要はないのだがアッシュとルキはその女性から僅かではあるが神性を感じていた。イシュタリアと共に過ごしている時間の長い二人だからこそわかったそれはイシュタリアのような善性に満ちたものとは正反対のものだった。
だからこその警戒だった。だが、だがしかし、それとは違う何かをアッシュは感じていた。
「そう、それで良いのよ。それにしてもゼノヴィア、随分と一方的にやられたみたいね」
「う、うるさい!! こんな奴らがいるなんて聞いてないぞ!?」
「それはそうよ。私たちは誰も知らなかったんだから。それよりも……外のゴブリンは全滅、途中でオークを呼び出す予定だったのに呼び出されないのはどうしてなのかしらね。貴方は自分の得意分野でさえまともに出来ないのかしら」
そう口にした女性の目は笑ってはおらず、自分を助けに来たわけではなく単純に失敗の理由を聞き場合によっては処理をするために来たのだと悟ったゼノヴィアは一気に血の気が引き、真っ青になった。
「こ、こいつらだ! こいつらのせいで私は!!」
「そう、それで何があったのか聞かせてもらえるかしら」
「結界に閉じ込められ、ゴブリンもオークも殺され、ニーズヘッグさえ撤退させられた!! ニーズヘッグを呼んだのだぞ!? それなのに……どうしろと言うのだ!!!」
自分は悪くない! それを伝えるために必死に訴えかけるゼノヴィアの言葉に嘘がないことを見抜いている女性は感心したようにアッシュとルキを見た。
そして楽しげに笑みを浮かべながらこう言った。
「ゴブリンやオークはどうでも良いわ。でもニーズヘッグを退かせた、というのは良いわね。興味が湧くわ」
その笑みには狂気の色が浮かんでいるようにアッシュには思えて少しだけ警戒した。
「えぇ、そうね。これは少し確かめてみるべきよね」
言いながら女性が一歩踏み出そうとした瞬間、空気を穿つ音と共に何かが女性へと迫った。
女性が後ろに跳ね、一瞬遅れて何かが女性の立っていた地面を砕いた。それが何だったのか確認するよりも早く声が響く。
「漸く見つけましたわ! イリエス・ロウメツム!!」
その場の全員が声の主を見るとそこにはジュラルミンケースをイリエスと呼ばれた女性に向けているアナスタシアの姿があった。
「あら……アナスタシアじゃない。帝都にいないと思ったらこんなところにいたのね」
「それはこちらの台詞ですわ。イリエスを追ってもその姿を掴むことは出来ませんもの、ゼノヴィアが何かしているのであれば回収のために姿を表すと予想して動いて正解でしたわね」
アッシュはアナスタシアの探しているのはこの事件の首謀者として考えていたゼノヴィアだと思っていた。だが本来の目的はそのゼノヴィアに何かあれば現れるであろうイリエスだったことを悟る。
アナスタシアとイリエスはお互いに笑みを浮かべているがその目は笑っておらず、火花が散っているようにすら思えた。
「アナスタシア、知り合いか?」
「えぇ、古い知り合いですわ」
「古い知り合い、ね……まぁ、そういうことにしておいてあげるわ。それで、何をしに来たのかしら?」
「決まっていますわ。奪われた物を取り返しに来ましたの」
「あらあら……どうしたものかしら……」
古い知り合いだと言った二人だがアッシュにはそれは俄かには信じられず、ルキはイリエスだけでなくアナスタシアをも警戒しているようだった。
対峙している敵と古い知り合いだ、というのであればそれも当然のことだった。
「……おい、デカ女。お前は敵か? 敵なら全員まとめてぶっ潰すしかねぇんだけど」
「そうですわね……敵ではありませんわ。アッシュさんとルキさんを敵に回す意味も理由もありませんもの」
「ってことは……そこの銃女と三下を潰せば良いんだな」
銃を持っているから銃女、という安直な呼び方をしているルキにアッシュは呆れたような視線を送ってからイリエスたちを見た。
「はぁ……どうにも面倒な状況だよな……」
「そうかしら? 私は貴方たちを蹂躙するだけ、簡単でしょ?」
「そうですわね。私はイリエスを打ち倒すだけのことですもの」
「そうそう、あいつらを全員ぶっ潰す! それだけだろ!」
「イリエス! 早くこいつらを殺せ!! 貴様ならば出来るだろうが!!!」
面倒な状況だ、と思っているのはアッシュだけのようでそれ以外の四人はそう言い切った。
だがアッシュはその言葉を聞いて空を見上げた。
「面倒な状況だ、ってのは俺だけが思ってることじゃないと思うんだけど、お前はどうだ?」
そんなアッシュに釣られて全員が空を見上げる。するとそこには燃えるような赤い髪の少年が一振りの、それでいて身の丈の数倍はあるほどの槍を手に空に立っていた。
異様な姿に似つかわしくない、何処か幼さの残る顔立ちはともすればルキよりも年下のように見えた。
「カルナ!? どうしてカルナがここ!?」
自身の存在に気づかれたからなのかカルナと呼ばれた少年はふわりと地面に降り立った。
それからゼノヴィアの声に反応したのか、カルナはゼノヴィアへと目を向けた。
「ひっ!」
たったそれだけのことでゼノヴィアは喉が引き攣ったような悲鳴を上げた。
感情の見えない目でそんなゼノヴィアを見てからカルナは他の全員を見渡した。
「確かに、面倒な状況だ。ゼノヴィアは良い。イリエスも、アナスタシアも、そこの狼人も」
そしてそう言いながら最後にアッシュへと視線を固定すると言葉を続けた。
「だが、お前は違う」
「そいつは奇遇だな。俺としてもゼノヴィアもイリエスもどうでも良い。問題はお前だ」
「そうか。では言わせてもらおう。退け、灰の如き人」
「退けと言われて退くと思うか、太陽の如き人」
アッシュがイリエスから感じていた神性を遥かに凌ぐ神性、まるで太陽のようなそれを感じ、だからこそ面倒な状況だと考えていた。
戦って勝つことは出来る。だが閉ざされた箱庭になどの結界を張ったとしてもそれはカルナに打ち破られることが容易に想像出来た。
そうなると王都に甚大な被害が出ることになる。それは避けるべきだ、と考えていたアッシュは睨み合うわけではないがカルナと真っ直ぐに視線を交差させながらこの状況をどうするべきか、と少しばかり頭を悩ませていた。
「カルナ、どういうことかしら」
「何がだ、イリエス」
「どうして貴方がここにいるのか、って聞いてるの。貴方の出る幕じゃないはずよ。あれは私の獲物なの」
「そうか。だがお前ではあの男に勝てる道理はない。故にお前も退け、イリエス」
「そう……そこまで言われると余計に興味が湧くわね」
「興味が湧こうと関係ない。俺は退けと言っている」
幼さとは裏腹に淡々と言葉を重ねるカルナと自分では勝てる道理がないと言われ狂気と愉悦に満ちた笑みを浮かべるイリエス。
そんな二人に気圧されたアナスタシアはどうするべきかと考え、ルキは自身のことをどうでも良いと判断されたことに怒りを覚え、ゼノヴィアは怯えて震え、アッシュは状況が変に膠着してしまったな、と呆れていた。
とはいえ今はカルナとイリエスが敵対しそうな雰囲気になっていて、放っておくのは得策ではない、ということをアッシュは理解していた。
であるならば手を打たなければならない。ではどんな手があるのか。
「アッシュ、燃やそうぜ。もしくは叩き潰そうぜ」
そう考えていると怒り心頭といった様子のルキが物騒なことを言い始めた。
「やめとけ。イリエスはどうか知らないけどカルナは無理だ。よく見てみろ」
「あ? ……げっ」
よく見てみろ、と言われてルキがカルナに目を向けて観察していたかと思うとそんな声を漏らして嫌そうな顔をした。
「何だよあの神性……!」
「面倒だろ?」
「勝てないことはないけど、面倒すぎるだろ!」
カルナを観察していたルキはカルナの神性が太陽に近いものだと理解して面倒だという言葉に同意していた。
そうした言葉を交わしてから二人は再度カルナを見る。カルナはイリエスと睨み合いをしていて他のことには目を向けていなかった。
「なぁ、こっちに気づいていないなら不意打ちでいけるか?」
「出来ないことはない、と思うけど……」
「カルナに不意打ちは通用しませんわ。それよりも私としてはカルナとイリエスが潰し合ってくれるのであればそれも良し、と考えていますわ」
不意打ちを、と考えていたルキに出来ないことはない、と答えたアッシュに横からアナスタシアが待ったをかけた。
通用しないから、というよりもうまく潰し合って欲しいという強かな考えからのものだった。だが手に持ったケースだけはゼノヴィアに向けられていて逃がさないように、と警戒していた。
そんなアナスタシアの制止が入ったことでアッシュとルキはとりあえずは静観する、ということに決めてカルナとイリエスへと視線を戻した。
実は登場人物の半分は過去の偉人とか神話の英雄とかそこら辺から考えてるんですよね。
で、今回はとてもストレートにマハーバーラタからカルナの名前を借りてます。




