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20.フェンリスの子

 アッシュがこれからどうした物かと頭を痛めているのをこれから大変ね、と他人事として眺めるイシュタリアの機嫌は非常に良かった。

 人が苦悩している様が面白いから、ということではなく愛の女神であるイシュタリアにはルキがどれだけアッシュのことを愛しているのか、それを正しく理解することが出来ていた。

 だからこそ言葉や態度には表さずとも、その恋が成就すると良いのにな、と考えていた。

 と、ルキの恋路を応援しているようなことを並べたが半分は自分自身が楽しみたいから、ということがあった。イシュタリアにとって人間とは面白半分でその営みを観察する対象のような面が大きい。

 ということでルキの恋路はイシュタリアにとって暇つぶしとして上等なものだった。それに往々にして人の恋路とは外から眺めていると存外面白いものだ。


 そしてこれからのことを考えると面白いことになるわね! とご満悦なイシュタリアの様子に気づいたアッシュは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてから文句の一つでも言ってやろうか、と思っていると浴室の方から音が聞こえてきた。

 どうやらルキが上がったらしい。それを悟ったアッシュは見えるはずもないそちらを一目見るとイシュタリアへと向き直ってからとため息を零した。


「……憂鬱だ……」


「でしょうね。でも嫌われるより良いでしょ?」


「ルキに嫌われるとか首吊るレベルだわ……」


「本当に身内には弱いわよねぇ……まぁ、私の加護と祝福で首を吊ったくらいで死ぬようなことはないんだけどね!」


「前から思ってるんだけど、お前のせいで俺は人間やめてないか?」


「やめてるわね。いっそ死後に私の使徒になる? というかするわ。最高の女神の使徒になれるなんて他の人間なら感涙に咽び泣くんじゃないかしら。やったわね!」


 ウィンクとサムズアップをしながらそんなことを言うイシュタリアを見てアッシュはため息を零した。

 神の加護や祝福というのは授けられた時点でその特殊な力を得るだけではなく多少なりと身体能力が向上することになる。ではそんな加護や祝福をイシュタリアから大量に押し付けられているアッシュはどうなるのか。

 答えは簡単だ。その身体能力は既に人間を遥かに凌駕し、竜種と素手で戦うことも可能となっていた。だがそんなアッシュ以上の身体能力を持っているルキがいるのでフェンリスを始祖に持つ狼人(ウェアウルフ)の恐ろしさが良くわかる。


「感謝するべきなのか、もしくは怒るべきなのか……」


「その力があればルキや貴方にとって大切な誰かを守れるわ」


「ありがとう、お前のおかげだな」


「うん、知ってたけどアッシュってば結構現金な性格してるわよねぇ……」


 適当に言っているのではなく本当に心から感謝の言葉を口にしているアッシュに対してイシュタリアは呆れたようにそう返した。

 それに対してアッシュは軽く肩を竦めて受け流してから言葉を返そうとするとそれよりも早くこんな声が聞こえた。


「アーッシュっ!」


 非常に上機嫌そうなその声の主は考えるまでもなく先ほど浴室から出てきたルキであり、ソファに座っているアッシュの首に腕を回すようにして軽く抱き着いた。

 それに対してアッシュは一瞬だけ、それでいて非常にわかりやすいくらいにビクッと体を跳ねさせた。


「……えっへへ……そんなに驚くことねぇと思うんだけどなー?」


 そんなアッシュの反応を見て嬉しそうにそう口にするルキに対してアッシュは視線を彷徨わせながらどう返すべきかと言葉を探す。

 そしてどうにか絞り出した言葉がこれだった。


「いや、その……いきなりはドキッとするからな、そういうのは心臓に悪いからなしで頼む……」


 言いながらも微妙に頬が赤くなっているので、本人は意図せずとも充分にルキのことを意識していることがルキにもイシュタリアにも伝わった。

 そうするとルキは尻尾を左右に振りながらより強くアッシュを抱き締め、イシュタリアは満足そうに頷いて酒の入ったグラスを傾けていた。


「あ、あー……とりあえず片付けしないといけないからルキは放してくれると助かるんだけど……」


 アッシュは今の状況をどうにかしなければならないと考えてそんな言葉を口にした。

 とはいえそれくらいでルキが放してくれるとは思っていないが、とりあえず抵抗だけはしておこう。ということだった。

 だがそんなアッシュの思惑は見事に外れることとなる。


「ん、そうだな……片付けはしないといけないもんな」


 ルキはすんなりとアッシュを解放した。それに内心で驚きながらもアッシュはほっと安心したように息をついてから口を開いた。


「そうそう。まぁ、イシュタリアが好き勝手飲んだせいで片付けも時間がかかりそうだけど……」


 そういうわけだから邪魔しないように大人しくしておいてくれ。言外にそんなことを伝えるアッシュだったがそれを邪魔する者がいた。


「あら、それは問題ないわよ。私が散らかした以上は私がちゃーんと綺麗にする義務があるものね」


「は?」


「だからアッシュが気にすることなんてないし……シャロのことも任せて頂戴! というわけで……アッシュはルキの髪でも乾かしてあげたらどうかしら? まだ濡れてるみたいよ?」


「は?」


「あ、それ良いな! アッシュ、頼んでも良いよな?」


「え、あ、まぁ、それくらいなら……」


 普段であれば自分が片づけをする。ということを絶対に言わないイシュタリアに呆気に取られたアッシュに畳みかけるようにルキの髪を、という言葉を続けるイシュタリア。

 そしてそれに乗っかるようにルキがそう口にするとアッシュは勢いに流されてそれくらいなら、と口にした。

 するとルキは嬉しそうにしながら非常に素早い動きでアッシュの膝の上に座った。


「……躊躇いがないな……」


「躊躇う必要なんてないだろ。まぁ、これからはもっと色々と躊躇わないけどな!」


「…………あの、色々っていうのは……?」


「俺に言わせたいのか?…………アッシュのえっち」


 何を考えたのか。いや、ナニを考えたのか。

 ルキは頬を赤く染めながらそんなことを言って、それでいて何処となく嬉しそうな様子だった。

 そんなルキを見てアッシュは焦ったように声を上げる。


「何を考えてるのか知らないけどそういうのやめてくれるか!?」


「でも俺はアッシュとそういうことするの嫌じゃないし、っていうかむしろ歓迎なんだけど……まだ早いよなぁ……」


「い、イシュタリア!」


 これはヤバい。と考えたアッシュがイシュタリアに助けを求めるように名前を呼ぶとイシュタリアは仕方がないわね、とでも言いたげに小さく首を振ってからアッシュの下へと近寄った。


「ルキ」


「何だよ」


「そういうの、部屋でしなさいね」


「言われなくてもわかってるっての!」


「そう、なら良いの。アッシュ、あんまりルキに無理させちゃダメよ?」


「どう無理させるって言うんだよこの駄女神が!!」


 助けに来たと思った相手が実はそういうことはなく、寧ろ敵だったことを悟ったアッシュは声を荒げた。

 だがそんなアッシュに対してイシュタリアは人差し指を立てて、それをアッシュの唇に押し当てると小首を傾げてウィンクを一つしながら言った。


「あんまり大声出すとシャロが起きちゃうわよ」


「んぐっ……」


 いきなりの行動と、シャロが起きる。ということでアッシュは押し黙った。


「そういうことだからルキはアッシュをいじめないこと。アッシュは大人しくルキの髪を乾かしてあげること。良いわね?」


「おう、わかった」


「……わかった」


 釈然としない、というよりも、そういうことを言って欲しかったわけじゃない! という思いがありあり浮かんでいる声色でそう答えてからアッシュはルキの髪に手を伸ばした。


 湯上りということもあってしっとりと濡れたその髪は普段では感じるようなことのない、非常に良い香りがするのをアッシュは感じていた。

 それに内心で首を傾げながらもアッシュは自身の手元に炎の加護を利用して熱を生み出し、風の加護を使って風を作り出した。これはドライヤーのように髪を乾かすための方法であり、こうして何かと何かを組み合わせて便利な何かにする。というのはこの世界ではあまりない。

 ということもあって非常に珍しいそれは、だがルキやイシュタリアにとっては非常に馴染みのあるものだった。


 アッシュはルキの髪の手触りを楽しみつつ、それでいて非常に丁寧に髪を乾かしていく。

 普段からこうしてアッシュはルキの髪を乾かすことがあるのでその様子は非常に慣れたものであり、髪を乾かされているルキは非常に気持ち良さそうにしていた。

 まるで飼い主にブラッシングをされてリラックスしている犬のようなその様子をイシュタリアは微笑ましく思いながら順調に転がっていた酒瓶を片付けていく。


 そして数分後にはルキの髪を乾かし終えたアッシュが軽くルキの背を押した。


「ほら、終わったから降りろよ」


「はーい」


「それでイシュタリアの方は……お前、片付け出来たんだな……」


 アッシュはルキの髪を乾かすことに集中していたので隣で丸くなっているシャロにも片付けをしているイシュタリアにも特に視線を向けていなかった。

 そんなアッシュが周囲をざっと見渡すと酒瓶が綺麗に片付けられていて、イシュタリアは片付けが出来たのか。とアッシュは驚愕していた。

 イシュタリアはそんなアッシュの様子を見てイシュタリアはドヤ顔で答える。


「当然じゃない。私、最高の女神よ? 片付けくらい余裕だわ!!」


「普段全然片付けとかしないだろお前」


「しないのと出来ないのは別物よ。それよりも私はシャロを部屋に運ぶから、二人もちゃんと休みなさいよね。もう結構遅いんだから」


 イシュタリアはそう言いながらシャロをふわっと宙に浮かべた。

 ここで抱きかかえるようなことをするのではなく、自身の持つ神としての力を使う辺りが非常にイシュタリアらしかった。


「はぁ……それもそうだな……俺はもう休むからルキもちゃんと休むように」


「わかってるって。枕もブラケットもちゃーんとアッシュの部屋に持って行ってるからすぐにでも休めるぜ!」


「……そ、そうだったな……」


 アッシュは休むようにしろよ、と言って別々の部屋で寝ようと考えていたのだが天然で先手を打ったルキによってそれは叶わなかった。ただそれを言えたとしてもきっと結果は変わらなかっただろう。

 何にしても自分から休む。ということを口にしてしまった以上はダラダラと引き延ばすことも出来ずに諦めて部屋に戻ることにした。


「あー……それじゃ、部屋に戻るか……」


「はーい!」


 嬉々として返事をしたルキとは対照的に何処となく疲れたような、哀愁が漂う様子のアッシュは二人で二階へと上がって行った。

 それを見送ったイシュタリアはふぅ、と一つ息をついてからそういえば、と言葉を零した。


「フェンリスの子は自分の愛した誰かにだけ効くフェロモンみたいなものがあるって言い忘れてたわねー。まぁ、私には直接関係ないし、アッシュならどっちに転んでも大丈夫だろうし別に問題ない、ってことにしておけば良いわね」


 そんなイシュタリアの様子はどう考えても忘れていた、というよりも意図的に言わなかった。というようにしか見えないものだった。

 イシュタリアはこれからアッシュとルキがどうなるのか楽しみで楽しみで仕方がない。という様子で、駄女神だとかクソ女神だとか言われても仕方がない様子だった。

しっかりマズルのついた獣人も耳と尻尾だけの獣人も好きです。好きです!

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