周りは敵だらけ - エドガー -
いつもありがとうございます。
唇を一文字に結び、睨みつけるように椅子に座る男を見ていた。この国の王はいつも以上に苛烈な色を見せる眼差しにたじろぎながらも、ひるむ心を見せないように無表情を貫く。
このだんまりはいったいどれくらいで終わるのかはわからない。だが、こちらから口を開くつもりはさらさらなかった。
「おいおい、エドガー。陛下の前だぞ?」
呆れたように窘めるのは、ガリルだ。そもそもこの男が私達親子を王城に連れ戻したのだ。罪は国王の次に重い。
この罪は騎士団の方の予算を削ることで償わせよう。すでに私は財務大臣でないが、圧力くらい今ならまだかけられる。
「はあ、そう怒るなよ」
根負けしたのは国王の方だった。やれやれとため息をつき、椅子にだらしなく体を預ける。この男は国王という立場がありながら、親しい人間の前ではすぐにこうだらける。いい加減な男だ。少しはピリッとしてほしいものだと内心思いながら、それは言わない。さっさとキャロラインと合流し、領地に帰るのだ。
「理由はわかっていると思いますので、これで失礼します」
「待てよ。アルバートが選ばなかったらキャロラインはどこにも嫁にいけないじゃないか」
ぴきっと血管が切れるかと思った。嫁にいけないなど、明け透けに言うことではない。それは情緒とか気遣いとかにやや欠けるガリルでもどうかと思ったのか、眉が寄った。
「陛下、それはいくらなんでも言い過ぎだ」
「そうだけどな。普通なら、私もこんな風には言わない。ただ、直接的に言わないと理解しない男がいるからな」
ふんぞり返るように言ってくる。私は思わず拳を握りしめた。
目の前の男は国王だ。ここで殴り掛かってはいけない。円満な隠居生活を送るためにも耐えるべきだ。耐えろ、耐えるんだ。
目的は円満に王都を離れることを理解され、キャロラインと合流し、領地に帰って家族水入らずで幸せに暮らす。
そうだ、心を強く持つんだ。ひと時の激情で折角キャロラインが作り出したまたとない機会を不意にしてはいけない。国王を締め出すように目を伏せ、気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと呼吸した。
「お心遣いありがとうございます。ただキャロラインは心静かに領地で暮らしたいと言っているので問題ありません」
「本当に?」
驚いたような声を上げたのは、ガリルだ。ガリルもキャロラインの怪我の状態をよく知っている。あの襲撃のあった時、彼女を助け出したのがガリルだからだ。傷の具合も知っているし、途中経過も医師に確認していた。だから彼女があの傷痕を気にしているのもよくわかっていた。
傷痕を気にしており結婚に及び腰であるとはいえ、キャロラインも貴族令嬢だ。どんな扱いを受けても家の繋がりのために嫁ぐことがあるのは理解している。だからこそ、今まで結婚したくないとは言わなかった。
社交だって3年前に王都に出てきてからはできる範囲で行っている。可能な限り令嬢として行っていても、やはり怪我の痛みは貴族令嬢としての行動を狭めていた。
そのような状況であったから、嫁がせる相手を選ぶ基準は自然と厳しいものとなった。17歳になっても任せられるだけの相手が見つけられなかった。まだ自分の手の中にいてほしくて先延ばししていたら、第三王子との婚約者候補となってしまった。この時になってようやく婚約者を作らなかったことを後悔した。
婚約者候補になってから何かを必死に考えているようであったが、しばらくしてキャロラインは私に確認をしてきた。
婚約者候補を辞退した場合、嫁ぎ先があるのかと。
ほかの候補者は14歳以下のため、まだ若い。年が離れているので、候補に上がったということだけで拍が付くが、キャロラインは微妙だった。婚約者候補になってから見極め期間が1年とされていた。1年後は18歳。貴族令嬢としては婚約者がいないのはもう結婚する相手がいないことと同意だった。年齢的にもいい縁談があるわけがない。
「それにアルバート殿下は他の婚約者候補には笑顔で会話をしていますが、娘とはほとんど会話が成立していないようです。それほど嫌われているのだから、無理やり結婚などありえませんね」
「会話が成立していない?」
初耳だったのか、国王は瞬いた。ガリルは大きく息を吐いた。
「誤解しているようだが、殿下は緊張のあまりあんな態度になっているだけだ。名前で呼ぶのはキャロラインだけだし、緊張で焦っている時なんか、少し耳が赤くなっている。二人を目撃した人は微笑ましく見守っているぞ」
「ふん。それが本当であっても、キャロラインがそう思っていないのだから意味がない」
国王はあああ、と頭を抱えた。
「何やっているんだ、あの息子は」
「まあ、初恋ですからね。正体を言わずにもう一度好きになってもらおうしているから、必要以上に気負っているのですよ」
ガリルは仕方がないとちょっと笑った。私は小さく嘆息すると普通に国王を見つめた。
「何度も言うようですが、キャロラインには第三王子妃は務まりません。足もいまだに痛むことが多く、社交も限定的にしかできません。それに子供が持てる可能性が低い」
仕方がなくきちんと言葉で説明した。できればキャロラインの状況を大っぴらにはしたくなかったが、国王もガリルもアルバートの味方のようだ。どうして無理なのか理解してもらった方が早いだろう。
「子供が持てない? それは怪我を負ったすぐ後の話ではなかったのか?」
「違います。今もです。ですから穏便にお断りしたかった」
どうやら二人とも勘違いをしていたようだ。驚いたように目を見張った。
完治したと報告したから、すべてがよくなったとでも思ったのだろうか。元気そうなキャロラインを見ていればその誤解もあるかもしれない。
国王は初めて難しい顔をした。王太子である第一王子は正妃を娶っているが、王女が一人いるだけだ。そろそろ王太子に側室をという声もあるが、同時に第三王子妃にも子供を産むことを求められる。王族が増えすぎることはよくないが、少なすぎるのも問題だからだ。
子供ができることの方が低いのがわかっていて、正妃に据えたところでその先は見えている。子供が欲しければ、数年で側室を娶る話となっていくはずだ。その時には今の婚約候補者がそのまま側室候補になる。
「子供ができないかもしれない、か」
うーんと国王は悩み始めた。別に悩まなくとも、さっさと王都を去る許可をもらえたらいいのだが。
再び沈黙がこの場を支配した。なかなか答えの出ない国王に退出の許可をもらおうと顔を上げると、ノックの音とともに静かに扉があいた。護衛が通したのだから、聞かれても大丈夫だとは思うのだが警戒しておく。
「失礼いたします」
入ってきたのはメイナードだ。きっちりと騎士服を着ている。これがガリルの息子であるとは考えられないほどの貴公子だ。当然、黙っていればだが。
「メイナード、どうした?」
「キャロライン嬢が部屋から抜け出しましたが、予定通りアルバート殿下に連れられて用意していた部屋へ向かいました」
用意していた部屋?
唖然としてメイナードを凝視する。彼はいつものおどけた空気を隠し、淡々と報告する。
「そうか。間に合ってよかった。エドガー、いくらお前でもアルバートの居住区には入れないだろう?」
してやったりとした顔をして国王が笑う。私は拳を握りしめた。時間を引き延ばして足止めされていたのだ。
「どういうことだ……!」
言葉遣いも考えず、低い声で問い詰めた。
「簡単な話だ。アルバートがキャロラインとどうしても結婚したいから婚約者候補から婚約者に変更すると言ってきた。婚儀の日も決めていたぞ」
「婚約者……だと?」
くらりと眩暈がした。
キャロライン。どうしてお前は抜け出したんだ。私を待っていれば少なくとも一度は屋敷に帰れたはずだ。
ああそうか。私を餌に自分だけ抜け出すつもりだったのだな。失敗したようだが。
そういう計画の甘いところがとても可愛いのだ。
「エドガー、子供は気にしなくてもいいぞ。どちらかというとアルバートの血を残す方が問題が多い」
「それは事実を知っている人たちだけの話です。知らない貴族たちが大騒動してキャロラインを傷つける可能性の方が高い」
むっつりとして言い返せば、国王は肩をすくめた。
「その前に王太子の方が後宮に入りたい貴族令嬢たちに狙われるだろうよ」
アルバートよりも王太子の方が側室争いが激しくなるのは容易に想像できた。妙齢の貴族令嬢が狙うのはアルバートよりも王太子の方だ。
「そうそう。財務大臣の離職も却下だ。大人しく仕事していけ。何人か有能なやつをつける。辞めたかったら、一人で抱えるな。前から言っているようにきちんと後任を育てろ」
「……」
勝ち誇った国王を横目で眺めながら、どうやってこの城からキャロラインを連れ出そうかと算段することにした。




