ずっと内緒です
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ジョアンナ達の行動はちょっとした騒ぎになった。
落ちた鋏はすぐに護衛が回収した。ジョアンナは身をひるがえしてぱっと会場に向かって走り出した。彼女は失敗したことを悟って逃げることにしたようだ。
逃げようとしたのはいいが、ここはアルバートが用意した場所だ。この場所から飛び出したジョアンナと戻ってきたアルバートが顔を合わせてしまったのは仕方がない。
理解を超えた事態にわたしはその様子を椅子に座ってただ他人事のように眺めていた。
「キャロライン」
茫然とするわたしの体をアルバートが少し揺らした。ゆっくりと顔をアルバートに向ければ、彼はわたしの傍らに片膝をついて心配そうにこちらを見ていた。少し視線をずらせば突っ立ったままでいるシンディーがいる。
「ジョアンナ様と何故?」
事態が呑み込めていないわたしはシンディーに尋ねた。問われたシンディーは疲れたような笑みを見せた。それは年相応でアルバートに纏わりついていた時とは全く異なった印象だった。作ったような明るい笑顔はなく、表情が曇っている。いつもと異なる態度は彼女を知らない人のように感じさせた。
「申し訳ありません。言い逃れはいたしません」
「そうではなくて。ジョアンナ様のお知り合い?」
不思議に思って問えば、彼女は頷いた。説明しようと口を開くが金切り声によって再び閉じる。
「この役ただずが!」
怒りを向けたのがわたしにではなく、シンディーに対してだった。シンディーは無表情にメイナードに取り押さえられてもがいているジョアンナを見つめた。そんな彼女に対してシンディーはゆっくりと頭を下げる。
「お役に立てず申し訳ありません」
力関係がわかるやり取りだった。二人の間に何があるかは知らないが、シンディーの今までの行動がジョアンナの指示で行われていたということはすぐに想像できた。
「この女のドレスを破るだけなのに、どうして上手くいかないの!」
ドレス、と言われてああだから鋏なのかと納得した。納得したが、想像して顔が引きつった。夜会会場でドレスを破られるって、どこを破る気だったのだろう。スカート?
「無理です。上手くドレスが破けてもコルセットまでは……」
ええ……。もしかしてわたしの傷を晒したかったの。
二人は気が付いているだろうか。こんな場所で素肌を晒すほどドレスが破られたら、傷というよりも別の意味で社交界に出られない。傷がなくても傷物として扱われてしまう。
二人の会話に目的がわかってくるとアルバートが怒りの形相になってくる。ちらりとまだ膝をついて横にいる彼を見てため息を付いた。二度目になるジョアンナは前のように謹慎だけでは済まないだろう。鋏があるのだ、下手したら反逆罪も適応されるかもしれない。
アルバートは立ち上がるといくつか手短に指示を出し、護衛が二人を連れて行った。暴れるジョアンナに対して大人しくしたがっているシンディー。二人を黙って見送った。
「部屋に戻ろう」
アルバートは有無を言わさずわたしを抱き上げる。横抱きにされて不安定さに彼の首に腕を回した。
大人しくされるまま、人気のない通路を選んで部屋へと運ばれていった。
******
婚儀自体はあっという間だった。この国の慣例により王弟は派手な式典を行わないので、司教の立会いの下、署名して終わりだ。厳かな気分で自分の名を書けば、複数の立会人が確認した。
希望すれば華やかな夜会も催せたが、すでに王族を離れたアルバートは必要ないと首を横に振った。それよりも財務大臣の補佐の仕事が忙しく、準備していられないというのが本音だ。
ジョアンナがやらかした夜会の後すぐにアルバートの臣籍降下が公になった。公になった後、混乱もなく王族籍を外れた。王族でなくなったため婚儀後は王宮に住む必要がなく、新居が用意された。
新居となった離宮は王宮にほど近い場所にある。賑やかな王都の中心部よりも外れているせいか、広々としていてとても静かな場所だった。暮らし始めるのはまだ先であったが、準備するために時間があれば何度も足を運んだ。わたし好みの家具や調度品を揃えるのはとても楽しかった。調度品が入ればお母さまやリリアーヌを招待し、今日まで慌ただしくても充実した毎日を過ごしていた。
簡単な婚儀が終わり、国王夫妻とわたしの両親との晩餐を終えて離宮に戻ると使用人たちが玄関に並び出迎えてくれた。
「おめでとうございます」
家令が代表してにこやかにお祝いを述べる。ありがとう、とお礼を述べているとヘレナがずいっとわたしの方へとやってきた。
「ヘレナ」
「おめでとうございます。キャロライン様、こちらへどうぞ」
「少し休んでからでは駄目かしら?」
迫力ある笑顔を浮かべたヘレナに逃げ腰になった。何が起こるのか想像がつくが、わたしは時間をかけた身支度が結構苦手だ。逃げようとするわたしにヘレナがさらに迫った。
「今日は特別な日ですから」
アルバートは苦笑しつつ、わたしをヘレナに渡す。恨めしそうに彼を睨んだが、待っていると囁かれて送り出された。
ヘレナにこれでもかというほど全身を磨かれた。肌もたっぷりといい香りのする花の香油が塗りこめられた。いつも以上に艶々している。髪も丁寧に梳かれ、輝いていた。
夜の支度をすること数時間。
ようやく解放されて夫婦の寝室につながる居間に入れば、こちらもすでに支度の終わったアルバートがグラスを傾けていた。テーブルに並べられた酒瓶やつまみの様子からかなり待っていたようだ。
「ようやく結婚できた」
部屋に入ってきたわたしを目を細めて見つめると、しみじみとした様子でアルバートが呟く。
「アル、ありがとう」
わたしは彼の隣に座り、笑みを浮かべてアルバートを見つめた。アルバートは不思議そうに私を見つめ返す。
「何が?」
「色々無理してくれたでしょう?」
本当は王太子に王子ができるまで王族籍を離れることは難しかった。王太子の側室が決まったとはいえ、まだまだ跡取りがいるわけではない。
「キャロラインには笑っていてほしい」
そう呟き抱きしめられる。首元に顔を埋められて身動きが取れなくなった。わたしを覆うようにぎゅっと抱き着いた彼がなんだか愛おしくて、そっとその背に手を回した。支えられるようにして立ち上がると寝室に入る。
少し躊躇いがちの手はきっとわたしの気持ちを推し量れていないのだろう。少し彼から体を離す。
「見るときっとびっくりするから、部屋を暗くしてほしいわ」
「見られるのは嫌?」
そんなことを聞かれている思っていなかったから、目を丸くする。
「見ても気持ちのいいものじゃないわよ?」
「それでもキャロラインの一部だ」
そういうことではないのだけど、アルバートの決意みたいな真剣な眼差しに戸惑った。できる限り見せたくない。ずっとそう思っていた。嫌悪に歪む顔は見たくはないなとは思うが、アルバートがわたしの傷痕を見ても平気なような気がしていた。
「少しだけ覗いて、無理そうなら見ないようにして」
わけのわからないことを言っていると思う。だけど、いい思い付きがなかった。彼に背中を向け、ゆっくりと自分で夜着を止めているリボンをほどいた。変な緊張をしながら、夜着を肩から滑らせた。
「キャロライン」
まだ夜着を脱ぎきらないままの背中に彼が顔を押し付け、抱き着いた。薄い布は彼の体の熱さを伝えていた。同時に冷たいものを感じた。
泣いている?
その泣き方には覚えがあった。声を殺し、息を詰めて。遠くなった記憶がふいに重なる。
「泣いているの?」
「泣いていない」
くぐもった声で返事が返ってきた。きっと彼は泣いているなど認めないだろう。そんなやり取りをしながら、自分の体に回る彼の手に自分の手を置いた。
今までも華奢でとても繊細だったロイドと何があっても倒れそうにないアルバートが重なることはなかった。ロイドは泣き虫だったけど、アルバートが泣くところなんて想像つかない。
そっと目を閉じた。これは気のせいだ。同じような泣き方に、ついそう思っただけだ。
「ねえ、アルバート」
「何?」
「多分、わたし、あなたを愛しているわ」
囁くような声で告げれば、彼が体を固くした。
「多分、なんだ」
「そう。大好きだけど、まだまだ言い切れるほどの愛には育っていないの」
くすくすと笑って告げれば、背中にため息を感じた。
「いいよ、今はそれで」
ぎゅっと一度だけ強く抱きしめられると背中から彼が離れた。向き合う形になれば、彼の瞳にはもう涙はなかった。
******
「お祖母さま、眠ってしまったの?」
柔らかい声が聞こえる。瞼を少しだけ持ち上げると、心配そうにのぞき込む柔らかな琥珀色の目が合った。わたしによく似た色を持った孫娘の一人だ。
どうやら庭の気持ちの良い空気を感じて少し眠ってしまっていたようだ。
この子ももう16歳。今年から夜会に参加できる年になった。月日が経つのは早いもので、持てないと言われた子を産むことができ、その子が結婚してさらに次代を産む。とても幸せなことだと思う。
「聞こえているわ」
「起こしてしまったかしら?」
「大丈夫よ。どうしたの? 楽しそうだわ」
いつでも楽しそうな彼女だが、今日は特には輝いて見えた。その笑顔が眩しいくらいだ。
「あのね、わたし、婚約者が決まったの」
嬉しいのか声が弾んでいる。わたしは覚えている限りの貴族令息を思い浮かべた。年が合いそうな相手は誰かいただろうか。すぐに思い浮かばないが、これだけ幸せそうな笑みを浮かべているのだ。きっとこの子も幸せになるのだろう。
「キャロライン、起きたのか」
低い声がした。小さな足音を立てて彼が近づいてきた。年をとっても背筋を伸ばしていてとても健康そうだ。すっかり歩けなくなってしまったわたしとは違う。
起きていられる時間が短くなってきたことを考えると、一足先にここから旅立つことになるのだろう。
「そろそろ風が冷たくなってきた。中に入ろう」
彼は持ってきた毛布でわたしをくるむと、抱き上げようとする。驚いてその手を止めた。
「アル、無理をしては」
「まだまだ大丈夫だ」
「お祖父さま、護衛に任せた方がいいですわ。ぎっくり腰にでもなったら大変ですわよ」
揶揄うような孫娘にアルバートは苦笑する。
「だけどな、キャロラインを抱き上げる権利は私にしかないのだよ」
「お祖父さまは本当にお祖母さまを愛しているのね」
「当然だ」
ねえアルバート。わたしね、ちゃんと知っているのよ。
結婚してどのくらいだろうか。アルバートが寝ているわたしの背中の傷痕に触れて、あの時助けられなくてごめんと呟いたのは。
彼の呟きにああ、やっぱりという思いと隠しておいてほしかったという思いが同時に沸き上がった。
わたしが寝ていると思っても隠し事は言葉にしては駄目よ。ロイドとトリクシーしか知らないことは特に。
とろとろとした微睡の中、心の中で囁いた。
あなたは眠ったわたしにしか話してくれないから、起きているわたしはずっと知らないふりをする。
「あら、お祖母さま? 眠ってしまったの?」
「……食事の時間まで休ませてやろう」
そんな声を遠くで聞きながら、長い幸せをゆっくりと思い出していた。
Fin.
本編はこれで完結です。次はシンディーの視点で今日12時に更新です。




