お披露目
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少しひんやりとした空気が肌を刺激した。少し薄着だったかもしれないと思いつつ、じっと夜の空を見上げる。雲がなければ星も見えて綺麗だろうに、今日に限って雲が厚かった。雲の途絶えたところからかすかに月の光が漏れているが、それもまた気分を重くする。
どんどんと自分の中に溜まっていく消化しきれない気持ちを軽くしようとバルコニーに出てきたというのに、これでは逆効果だ。ため息を落とすと手すりに手を置いて倒れないように体を支えながら、できる限り上を見上げた。
やっぱりどこまでも曇り空だ。星一つ見えないところが、自分の気持ちの中のようでがっかりだ。
「体が冷える」
突然声がかけられて、慌てて態勢を戻す。ふわりと肩から厚めのショールがかけられた。
すぐ側にアルバートがいた。今まで寝ていたのだろうか、髪は乱れて夜着の上に簡単に上着を羽織っただけの姿だ。護衛の誰かがアルバートに告げたのだろう。今まで休んでいたのがよくわかる格好であった。
いつもと違って気負いない格好がよかったのだろうか。この気持ちのもやもやがつい口から出てくる。
「……17歳になるまで婚約者がいなかったから結婚しないものだと思っていたの。だから誰とも結婚しないで領地に引きこもってゆったりと暮らすつもりだった」
アルバートから視線を外した。こんなこと話したって仕方がないと思いながらも、誰かに聞いてもらいたい。一度言葉にしてしまえば、止まらなかった。アルバートが黙って聞いているから、心の中にあった押し込めていた気持ちがどんどん溢れてきた。ただ思ったことを何のまとまりもなく話していた。
ロイドのことも。
どうして話してくれなかったのかと初めて問いただした。ずっと引っかかっていたのだ。
「ロイドが俺の兄だと知ったら、結婚をやめると言われると思った」
アルバートがばつが悪そうにそっぽを向いた。
「そんなことは……」
「ないとは言い切れないだろう? ここに連れてきたときはキャロラインは俺を第三王子としか思っていなかった。それに距離が少しは縮まったと思っていたのに、修道院へ行くとか言い出している」
「う……」
その通りなので、何も言い返せない。アルバートは視線をわたしに戻すと真面目な顔をした。
「キャロラインが王子妃という立場を重視するのはわかっている。それを負担に思うのも」
「そうね、とても不安だわ」
するりと素直な気持ちが言葉になる。こうして言葉にすると大したことではないのかもと思えてくるから不思議だ。どうしてたった一言が言えなかったのだろう。アルバートは否定しないのに。
「俺は近いうちに臣籍降下する」
驚きに目を見開いて彼を見つめた。アルバートは少し楽しそうに笑う。臣籍降下の話はわたしの教育を担当していた講師から聞いていたが、それは数年後のはずだ。予想外の言葉に動揺した。
「だから王子妃として社交をする必要はない。最小限でいい」
「わたしのせい?」
「違う。俺がキャロラインが好きでどうしても結婚したいからだ。王子妃が負担になるというのなら俺が王族を辞めればいい」
あまりに自然に告げるので、言葉が出てこなかった。アルバートは手を伸ばしわたしをそっと抱き寄せた。冷えた体が彼の温かさで包まれた。
わたしを思って行動をしてくれたことを感じ、ぶわりと嬉しさが胸に広がった。
「俺が臣籍降下するための条件が兄上の側室候補を決めることだ」
「決まったの?」
そう尋ねたが、決まったから話しているのだとわかっていた。
「年齢的な問題があって後宮に入るのは2年後になる。ついでに俺は財務大臣の補佐になったよ」
財務大臣の補佐。
夢見心地の嬉しさが一気に吹っ飛んだ。
「え?」
「義理の息子になるなら少しは楽をさせろと侯爵に言われた」
「それは駄目です!」
財務大臣の補佐なんて将来財務大臣になることに他ならない。お父さまのあの激務をアルバートが引き受けるとか、どんな悪夢だ。
ダメ、ダメ! 絶対にダメだ。
「反対?」
「絶対に反対です。わたしが今からお父さまに取りやめるように言いに行きます」
あまりに必死さがおかしかったのか、彼は体を震わせて笑った。
「心配いらない。激務にならないように改善するつもりだ。そうでないとキャロラインと一緒にいる時間が取れなくなるからね」
毎日、夜は抱きしめていたいのに。
そんな言葉を囁かれて、意味するところに気づき顔が真っ赤になった。
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和やかな雰囲気で夜会は始まった。終始ご機嫌の国王夫妻と王太子夫妻に貴族たちが挨拶に来る。その隣に並ぶわたし達も挨拶を受けた。アルバートはわたしを支えるようにずっと腰を抱いている。私を支える確かな存在感が余裕がなくなりそうになる気持ちを楽にしていた。
いつもよりも出席者が多いのはジョアンナが暴露した噂を聞いて真相を確かめようとしているのだと思う。醜聞につながる噂ほど面白いものはないのだ。好奇の目が向けらえてもさほど気にならないのは、隣にいるアルバートのおかげかもしれない。
見せつけるように抱き寄せ、時には人に聞こえないほど小さな声で耳元で囁く。その内容が面白くて、つい二人で額をつき合わせ笑いあった。時折、頬をかすめるようなキスを仕掛けてくるから、質が悪い。やりすぎだと非難しても、どこ吹く風だ。
「キャロライン」
最後の方で声をかけてきたのはお父さまだった。久しぶりに会うお父さまは少し痩せたようにも思える。お母さまが王都にいるというのに、艶やかさが足りない。
驚きに声が出ないでいると、お父さまにエスコートされていたお母さまがくすりと笑った。
「心配しなくても大丈夫よ。貴女の環境を整えるのに忙しかっただけだから」
「環境?」
意味の分からない言葉に、繰り返してしまう。アルバートはにやりと笑った。
「セクストン侯爵は愛する娘のためには力を惜しまないんだよ」
「もしかして……」
心当たりがあるのはアルバートの臣籍降下と王太子の側室だ。この場で口にすることができず、言葉を濁したが、お父さまはわたしが言いたいことが分かったらしい。苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
お父さまとしてはわたしを連れ出すことを考えていたけど、お母さまに止められて渋々アルバートの手助けをしたのだ。そんな苦悩が読み取れる表情だった。
「キャロライン」
お父さまが離れる間際に名前を呼んだ。むっつりとしたお父さまが声を小さくした。
「辛いことが合ったらいつでも帰っておいで。嫁いでもお前はわたし達の娘なのだから」
「……ありがとう。お父さま」
胸がぐっと詰まった。お父さまはようやく薄い笑みを浮かべるとお母さまを連れて離れていく。その後ろ姿を見送りながら、感動に落ちそうになる涙を散らすために何度も目を瞬いた。
「お願いだから、黙って出て行くことだけはしないでくれ」
「もちろん。出て行くときは書置きするわ」
胸をいっぱいにしているわたしにアルバートが仕方がないとため息を付いた。
「最後はダンスだけど……大丈夫か?」
「ええ」
今日はとことん頑張るつもりだ。明日は多分一日横になっていそうだが、今を乗り越えられればいい。アルバートに手を預け、ゆったりとした曲に合わせて踊った。
そんな無茶をすれば、足がどうにかなってしまうのは当然だ。最低限のダンスを終えると、アルバートはすぐにバルコニーへ連れ出した。少し奥まっており、広間からはこちらの様子がわからないようになっている。
周囲には3人の護衛が立っていた。ケリーの他にも顔見知りの護衛だ。アルバートが気を使ってくれたのだろう。
「ちょっとここで待っていて」
「どこに行くの?」
アルバートがわたしを座らせると、侍女にお茶を用意させた。
「父上か兄上に退出すると伝えてくる」
そう告げられて素直に頷いた。正直これ以上立っているのが難しかった。震える足は力が入らないし、少しでも休めるのはありがたい。アルバートの後姿を見送る。見えなくなってから用意されたお茶に口をつけた。
「お待ちください!」
ケリーの小さいがしっかりとした止める声が聞こえた。何気なく顔をあげれば、こちらにやってくるのはシンディーだ。確か、しばらく王宮への出入り禁止だった気がするがお祝いということできているのかもしれない。
彼女を見ると今までのことがあるせいなのか、嫌な予感しかしない。護衛達が彼女を止めることは可能だろうがこんな場所で一悶着するのは望ましくない。仕方がなく護衛に通すようにと指示をした。
「ごきげんよう。キャロライン様」
「ええ、ごきげんよう」
シンディーがまともに挨拶をしたことに驚きつつ、探るように彼女を見る。彼女とはとにかく関わりたくない。護衛達もわたしの気持ちを理解しているのか、ぴったりと側についている。シンディーはにこにこしながら、お祝いを言い始めた。
「婚約おめでとうございます。直接、お祝いを言いたくて」
「……ありがとう」
警戒しつつ、言葉を返す。シンディーは一人で捲し立て始めた。よくわからないけど、褒めているのだろうとは思う。褒められているような気がしないけど。半分聞き流しながら相槌を打っていると、彼女の大ぶりな動きのせいでテーブルにあった飲みかけのお茶が零れた。勢いよく倒れたカップはわたしの方へと転がり、ドレスにシミを作る。
「きゃあ、ごめんなさい!」
わたわたと驚きながらドレスの汚れを取ろうとした。一番近くにいたケリーがシンディーを止める。シンディーは情けない顔をした。
「本当にごめんなさい。わざとではないの。すぐに汚れを取ればシミにはならないと思うから……」
そう言いつつ、彼女はわたしを控室へと促した。
「不要よ。ここでアルを待っている約束なの。動くわけにはいかないわ」
「では、護衛の方に言づけてもらえばいいじゃない」
「汚れは気にしないで」
だからさっさと離れて。そう言外に含むが全く理解してくれない。勝手に護衛の一人に言づけを頼み、残りの二人についてくるようにと指示している。護衛達は指示を仰ぐようにわたしを見た。
「アルにはドレスが汚れてしまったから、すぐに戻りたいとお願いできるかしら」
「承知しました」
護衛の一人が心配そうにしながら離れる。ケリーは警戒しているのか、じっとシンディーを見ていた。シンディーはため息を付くと、申し訳なさそうにする。
「ではせめて侍女を連れてくるわ」
断ろうとしたが、こちらの言葉を聞く前にさっとドレスを翻して行ってしまった。
「いらないのに」
「嫌な予感しかしませんね」
ケリーがわたしの呟きに反応した。
「先に戻っては駄目かしら?」
「そろそろ殿下も戻ってくると思う」
シンディーが戻ってくる前にアルバートが来てくれたら問題ない。そう祈るが、シンディーの方が早かった。侍女の手には零れたお茶を拭くためのものなのか、大きな布を持っていた。やや俯き加減に侍女が近寄ってくる。シンディーの侍女だろうか。侍女の立ち振る舞いに、王宮に努めているとは思えなかった。
その侍女らしからぬ態度にケリーが不穏な何かを感じたのか、侍女が座っているわたしに触れる前に体を割り込ませた。
「失礼」
ケリーが遠慮なく侍女の手首を捉えた。少し捻ると手から布が落ちる。
カツン。
布と一緒に床に落ちたのは大きめの鋏だった。
「あ……!」
侍女とシンディーの焦った声が重なった。その声に聞き覚えがあった。
「……ジョアンナ様?」
思わずつぶやいた言葉に、侍女が驚いて顔を上げる。そこにいたのは間違いなくジョアンナだった。




