ある微笑 2
私小説を書こうと思う。
私小説っていうと君たちは気構えるかもしれない。それはしょうがないと思う。だって、僕も私小説の定義がよくわからないんだ。ネットで調べてみたんだけど、破天荒な人生を送ってきた作家が、自分の人生を元にして書いた小難しい小説のことらしい。
今は21世紀後半。
紙媒体の書物は博物館の展示物だし、アトム(ネット上に存在する仮想世界)を使えばすごい映像が見られるのに、わざわざ文字を読んで映像を思い浮かべる必要もない。小説というジャンルが忘れ去られようとしている時代に、小説の中でもさらに敬遠されがちな私小説を書こうとしている僕。なんて稀有な存在なんだろうか。
僕は私小説を書いた昔の文豪のように、恥の多い生涯を送って来ました、とは言えないし、はたまた自殺をするまで思い詰めて小説を書くつもりはない。ただ、僕は彼女と出会って変わった。180度変わったと言っても過言じゃあない。その記憶を残しておきたいんだ。ならアトムの中にデータとして残せばいいじゃあないかって思うかもしれない。でも、機械に残した情報は遠い未来に残せない。途中でデータが壊れちゃうかもしれないし、データを見るフォーマット自体が消えるかもしれない。今、レコードを聴く術がないみたいに。なら、何百年、何千年と未来に残せる紙に書いて残したい。彼女がいつも持っていた『悲しみよこんにちは』の文庫のように。
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僕は日本国東北州にあるオオマキシティに住んでいる。オオマキシティは別名パラデスと言われており、人工知能マリアによって管理されている巨大建造物だ。高さは1000メートルを優に越え、敷地面積も20平方キロメートルにも及ぶ。住民は20万人。この巨大建造物の一画に僕の部屋がある。
この時代、人は働かない。すべてアンドロイドが働く。さらに医療技術が進歩し、平均寿命は120歳に及んだ。労働の義務からの解放。人生の長期化。そして、人々は時間を持て余した。多くの人はアトムにアクセスし学問を学んだ。労働の代わりに死ぬまで学ぶのだ。
僕は部屋の椅子に座りヘッドホン内蔵の電子ゴーグルをかけた。映像と音声が流れる。僕は歴史を専攻している。CGで制作された綺麗な女性が淡々と教義を進めていく。面白いのかと聞かれれば首を傾げたくなるけど、かといって他にやることがたくさんあるわけじゃあない。その後、数学、映像学を学んだ。退屈だ。
『正午だよ』
黒猫のアンドロイドであるミルフィーが僕に時刻を伝えた。性別は設定されていないが、口振りからオス型だと思う。
「了解」
僕は電子ゴーグルを外した。
『ユウは講義中いつも退屈そうだね』
「うん。退屈」
『ちゃんと講義を受けないとダメだよ、まったく』
ミルフィーは口が悪い。まったく、が口癖だ。でも、なぜか憎めない。
「ユウ、ご飯に行こう」
ミカ姉さんがまた断りもなく部屋に入ってきた。今日はV字のTシャツにホットパンツ、サンダルというラフな格好だった。外見の良さ、気さくな性格が相乗効果を生み、多くの男性、女性、アンドロイドからプレイの誘いが来る。そして、拒むことはない。それが彼女のポリシーなんだ。
「そうだね。お腹が空いた」
と僕が答えている間に、ジェイクとドロレスの二人が部屋に入ってきた。
ジェイクの服装はいつものようにタンクトップとジーンズだ。
ドロレスは人型アンドロイドだ。人類のために真面目に働いて人権を得た。プレイロイド機能もあり、プレイができる。製造年月日的に僕よりだいぶ年上だけど、見た目はあどけない。見た目は15歳ほど。身長は150センチ。細身の体でいつも白いブラウスにスカートという固いファッションに身を包んでいる。ロリータコンプレックスの男女に人気があるらしいが、僕はあまり興味がない。性格が冷たいってわけではないけど、全体的に冷えた印象がある。そう感じるのは僕のアンドロイドに対する偏見せいかもしれない。
ドロレスは無言でミルフィーを撫でた。その姿を見ると偏見を持つ僕は罪悪感で胸が痛くなる。
「早く行かないと混むぜ」
ジェイクが言った。
「わかったよ。行こう」
僕の肩にミルフィーが飛び乗る。そして、僕たちは部屋を出た。通路を渡って、パラデスのフードコートを目指す。シティ内にある食品工場で加工された食材をもとに、アンドロイドが調理し、人に提供される。過去の家庭のように各自で料理を作り、家族でテーブルを囲んで食べるより、はるかに効率がいい。そのため、趣味で料理をする人以外は住居にキッチンがない。僕らも多分に漏れず料理はしない。広いフードコートで友達とおしゃべりをしながら食べるのが日課だった。
フードコートで各自食べたいものを頼んだ(ドロレスとミルフィーはアンドロイド用の燃料ドリンクを頼んだ)。席に座って間もなく、僕らはおしゃべりを開始した。
「講義って退屈よね」
ミカ姉さんが甘い炭酸飲料を飲みながら呟いた。
「体を動かしていた方が楽だよなぁ」
とジェイクが背もたれに寄りかかりながら言った。
『君たちもちゃんと講義を受けないといけないよ、まったく』
ミルフィーが尻尾を振りながら苦言を呈す。
「うるさい子猫ちゃんね」
ミカ姉さんがミルフィーをつつく。
『プレイのことしか頭にない癖に』
ミルフィーが舌をペロリと出した。
「プレイをすることは良いことよ。運動にもなるし、ストレス解消にもなるし、肌はキレイになるしね」
ミカ姉さんがしれっと言った。
「でも、やりすぎじゃあないか。何事もほどほどにしとけよ」
ジェイクが呆れた様子で言った。
「あんたが筋トレに精を出すように、私はプレイに精を出すのよ。悪いの? それにあんたのキャンディーは大きすぎるのよ。マシュに入れた時、痛くて、痛くて、しょうがないのよ。どうにかなんないの」
「うるさいな。最初だけだろ。すぐに濡れて、あん、あん、いう癖に」
『どっちもどっちね。あなたたちことを節操がないって言うのよ』
ドロレスが二人の会話に割って入る。ドロレスはいつも的確なこと言う。もちろん悪気はない。そして、冷静に燃料ドリンクをすすった。
僕は思わず笑った。なんだか滑稽だった。
さらに話は弾む。パラデスにいるかわいい子とどうプレイするかとか、講義の先生はつまらないとか、新しいVRMMОゲームが楽しいとか、アトムの仮想世界で旅行を体験しようとか。盛り上がりが頂点に達したとき、満を持して、ジェイクが言った。
「リリースされていない女が、パラデス居住区に入居するらしいぞ」
会話が一瞬止まった。
「今時、リリースされていない女なんているの」
ミカ姉さんが身を乗り出した。
「それがいるらしいんだよ」
ジェイクも身を乗り出して言った。ドロレスも僕も身を乗り出した。ドロレスは聞き耳を立てている。
「数か月前にフロンティアの少女が保護されたニュースがあっただろ。その少女らしい」
フロンティアはパラデス構外にある辺境の都市を指す。
「じゃあ、まだリリースされてないってことね」
「そういうこと」
『その娘、衛生的にどうなの』
ドロレスが冷静に言った。
「確かにフロンティアに住む人間だから、体内に在来菌を持っていることだろう。この無菌状態のオオマキシティに悪い菌を持ち込んでパンデミックでも起きたら大変だ。そこはシティ管理部も把握していて、体内除菌を終えてから居住区に移されるらしい」
パラデス全体が完全に密閉されており、空気はフィルターを通して、無菌状態で居住区に送り込まれる。さらに構内の衛生管理の徹底されており、ここ数十年感染症は流行していない。感染症や菌に免疫がない状態で、どんな物を持っているかわからない人物が居住区に来たら大変なことになる。
「なんか汚いわね」
ミカ姉さんが突き放すように言った。その発言で全員が顔を見合わせた。頷きはしないが、みな同意の表情をしている。
「でも、ちょっと興味がある」
僕は思わず呟いた。知りたい。見てみたい。当時の僕の心は好奇心に支配されていた。
「リストレイトできる女なんて汚いわ」
ミカ姉さんが吐き捨てるように言った。




