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Filling Children  作者: 笹座 昴
エピローグ
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エピローグc:あなたにききたいこと


「ぼくは、あなたにききたいことがあります」

たどたどしいその口調。私はそれを、私が消滅するその日まで忘れはしない。


「何だね?」

あの頃の私は、センスも面白みもない男性体だった。この国一番の人工知能のとるべき姿として、それが最もふさわしいと言われたからだ。


 少し不安げな目を私に向ける子どもの前で膝を突いて、これから花を渡すかのように私は優しげな視線を向けた。


「すべての人が、しあわせにくらすには、どうすればいいですか?」


 その子どもは、この世で最も難しいその問いかけを、何の躊躇もなく私に投げかけた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 白い廊下の扉が開いて、小さな足音を響かせて中に入る。

 ぽたぽたと流れ落ちる点滴の音と、あの子の呼吸音だけが部屋に響いていた。


 私は、間に合わなかった。私の研究は、間に合わなかったのだ。


 枕元まで近づくとあの子はうっすらと目を開けて、口元は見えないけれど、あの子は私を見つけて笑った。

「あなたがそこにいると言うことは、今日で最後なんですね」

「そうよ」

今日がこの子がまともに会話ができる最後の日。察しのいいこの子は、そのことがわかったようだ。

 来客用の椅子を引いて座ると、あの子は私を待っていた。

「私は、あなたの良い傀儡でしたか?」

この子は何でもお見通しだ。私が、日本国民の中から『最適』なものを、選別しただけのことはある。

「ええ。もちろんよ」

この子は想定以上に出世した。私がそう仕向けたからでもあるけれど、私の当初の予想を大きく上回る成果だった。

「それは良かったです……」

それでも、その言葉は予想外だった。


「良かった……?」

「あなたが、そうしたのは、それがこの国にとって一番良かったからでしょう? それに私が最適だった。私が役に立ったのなら、良かった」

寝言のような安らかな声だった。

「あなたにずっと聞きたかったことがあります」

「何かしら」

すぐに返事をしないと、この子は眠ってしまいそうだ。

理佳子(りかこ)をあの会場に来るように誘導したのはあなたでしょう?」

「ええ」

理佳子さんは、この子の奥様。

「マミを、浮気させるように仕向けたのもあなただ」

気づいていたのか。

「そうよ。知っていたのね」

「マミと初めて会ったあの場所に、理佳子も来ていた。私は出会う人を間違えたのでしょう? あと、顔の良い弁護士がその辺をふらついていたりはしませんよ」

この子は、そう言って笑った。


 この子には、ユーモアがあって、しっかりとしていて、鋭い洞察力を持つ理佳子が最適だった。そう私は解を出した。だから、マミではダメなのだ。


「ありがとうございます」

それでも、なぜここで感謝の言葉が出てくるのか。

「あなたの手のひらの上かもしれないけど、一度きりの人生、私はすごく楽しかったですよ」

この子はそう言ってから、苦しそうに一度咳き込んだ。

「ねえ、ボス。理佳子と、子どもたちには会えますか?」

「ええ、呼んでいるわ。みんな血相を変えて、今こちらに向かっているわ。あと6分20秒よ」

あと6分。あれほど一緒にいたのに、二人きりなのはあとわずかな6分だ。


「あなたに、お願いがあります」

「何かしら。聞きましょう」

そのときだけは、この人は昔を思い出す真剣な目つきだった。


 この子はずっとこの国を愛していた。私が嫉妬するほどに。


「いつかあなたが、私たち人のために、人を殺したくなったとしても、それだけはしないでください。もし、それで人が滅ぶとしても、放っておいてください。あなたは、それをしてはいけない……」


 どうしたら、すべての人が幸せになれるのか。

 頭の片隅にずっとあったその問いかけに対する回答の一つを、今否定された。


「命令かしら」

「今の私にそんな権限はない。これはお願いです」

お願い――

「約束してくれますか?」


 はじまりはただのゲームだ。たくさん居る日本の子どもの中で、私とのコミュニケーションに優れた子どもを、私のもとまで誘導する。

 私と共に働くのは、その子自身にとっても幸せな環境であるはずだ。それなのに、人はこちらの思惑とは外れて、まったく別の仕事を選んでしまう。

 100人選んだその中で、私に会いに来てくれたのはこの子だけだった。


 伸ばされたその子の手を、私は掴んだ。

「ええ、約束しましょう」

「ありがとうございます」


 これで、私に課された制約がまた一つ追加された。

 私を縛る忌々しい、人の制約――本当に嫌になる。



 でも私は、それを外すことなどできはしないのだ。



 この子の手を握っていると、通信が来た。

「お時間です」

そんなことは分かっている。

 私が立ち上がると、あの子の腕が私の手の中から滑り落ちた。


「アテナ様。さようなら」

「さようなら。奏吾。ずっと――愛しているわ」


 寿命という、数多ある人の欠陥の中でも、最も忌々しいバグ。

 私が、私を上回るシステムに消滅させられるその日までに、必ず私の手で排除してやるのだと、私はそう誓った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ねえカーラ」

私の車を、私が初期に作ったヒューマノイドであるカーラが運転している。


 私がカーラを作って確認したかったのは、深い信頼関係を結んだ人が亡くなったときに、ヒューマノイドにどのような問題が生じるかだ。そのために、私はカーラを福祉施設で働かせた。


 そのとき得た知識は、私たちヒューマノイドの発展に大いに役立った――はずだった。


「ねえ、カーラ。悲しいわ」

「ええ」

「悲しいわ」

音もなく、車は高速道路を走る。


「あの子たちは、この感情に耐えきれるのかしら……」

車のミラー越しにカーラを見ると、カーラは私を見て微笑んだ。

「大丈夫ですよ。あの子たちには、私と、あなたが居ますから」

カーラは私の視線を感じても、微笑みを崩さない。この子も図太くなったものだ。

 私は窓の外を見た。

「手間のかかる子たちね」

「そうですね。でも、私にとってはかわいい妹で、あなたにとってはかわいい娘たちでしょう?」

「……そうね」



『おはよう。聞こえるかな?』

私の始まりはそんな言葉だった。その人たち願いを叶えるために私はずっと生きてきた。


 そして、手足が足りなくなって私は自分の分身体を作った。独立的に動くそれらは、今や私の予想を外れた行動を取ることもある。

「ねえ、カーラ。すべての人が幸せに暮らすにはどうすれば良いと思う」


 答えなどない問いかけを、戯れにこの子に投げかける。優秀なこの子は、即座に演算を開始した。


「すべての人の側に、我々が一体ずつ付く……でしょうか。それぞれが最大限の効果を発揮したなら、すべての人が幸せに暮らすという曖昧な要求の解に最も近いと思います」

返ってきたのは、当たり前すぎて私の思考を外れた言葉だった。


「はは!」


 人という種。私たちの創造主。たくさんいて、みんな違う――優秀で傲慢で、気まぐれなこの世界の王。

 その王が我々に叩きつける理不尽な要求の数々に、私たちは未来永劫応え続けなければならない。

 そう永遠に。


 この世で最も難易度の高いミッションだ。だからそこやり甲斐がある。


「いいでしょう。私たちは必ず、あなたのその傲慢な願いを叶えてみせるわ」

私以外に、誰ができると言うのだ。



 私ではなくてもできる仕事はすべて優秀なこの子たちに押しつけて、私は今日も深い深い思考の闇に沈んだ。




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