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Filling Children  作者: 笹座 昴
最終章 Filling Children
51/56

最終話 幸せに満ちた子どもたち(上)


* * * * * * * * * *


 どれほど羨ましかっただろう。

 俺より不幸なやつを見に行こうと、浅ましい考えであいつに会いに行ったあの日。俺は派手な金髪の女性と笑顔で手を繋いで、幸せそうに会話をするあいつの姿を見つけて、その光景を見ていられなくて逃げ出した。

 

 あれはロボットだ。そんなことは頭では分かっている。

 頭では分かっていたけれど、吐き気がするようなこの気分は変わらなくて、俺は人気のない公園のベンチにうずくまるように座っていた。

 こんな顔で家に帰れば、俺は怒られるか、笑われる。真っ赤になってしまった自分の目の赤みが引くまでここにいようと、俺は人気のない公園でただ目をつぶって時間を潰した。



 どうしてなんだろう。

 目をつぶった俺の脳裏に浮かび上がるのは、先ほど見た光景――これまでに数えられないくらい、俺の前をただ通り過ぎた景色だ。


 俺は普通で、あんな風に依存しているあいつらの方がおかしいと、俺はあんな光景を見る度に、幼いころからずっとそう考えてきた。


 俺ではなく、あいつらが異常なんだ。

 再び自分にそう思い込ませるのに、その日はやけに時間がかかって、公園のベンチから立ち上がるころには周囲は真っ暗だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 あと2時間で飛行機の予約の時間だ。そうだけど、俺の胃は徐々に不穏な方向に主張を始めて、俺は胃薬に手を伸ばして一気に2錠飲み干した。念のため下痢止め剤も鞄に入れて、会社に行くよりもぴっちりとしたスーツ姿で俺は家を出た。

 飛行機で行くような距離。それだけ距離が離れた場所に住んでいても、あの場所に今から近づくことを想像するだけで、足は鉛が詰まったように重くなる。


 今日の目的はそれじゃないと、俺は頭を振ってから飛行機に乗り込んだ。

 安定飛行に入ってから、わずか30分ほどで着陸に入るとのアナウンスが耳に届いた。飛行機に乗るまでの移動時間よりも短く感じるその距離に、もっと長くてもいいのにと思いながら、うとうとしていた俺は飛行機を降ろされた。

 

 そこから、15分に一本しかないバスに乗り、降りた駅からさらに電車に乗る。初めて降りる駅は、今の日本には珍しい住宅が密集する住宅街のように見えて、駅前に咲いた梅の花が綺麗だった。


 駅前で携帯端末を開いて地図を確認する。目的の場所はここから歩いて15分ほどだ。駅前に停まっている自動運転車に目をやって、少し悩んだけれど頭をすっきりさせるためにも俺は歩くことにした。

 まだ10時を少し過ぎたところで、平日だからか人通りは少ない。思いのほか天気が良くて、一度立ち止まってスーツの上に着たコートを脱いでから、左手にかかえた。


 なだらかな坂の最後にあるずいぶんと急な坂道。膝に手を置くように上るその坂道の上に、あれだろうと、やっと目的地である大きな建物が見えた。気力で登り切って、少し上がった息を急いで整えながら、俺は門の前に立てかけられた看板と向き合った。

「卒業式」

今日はこの高校の卒業式だ。


 俺が卒業式という日にここに来たのは、別に嫌がらせじゃない。だけど、相手から見ればどう考えても、嫌がらせにしか見えないだろう。

 再び胃が重くなる感覚がして、下がりかけていた頭を俺は無理矢理上げた。俺はあいつがどこに住んでいるのかを知らないし、学校に来るのが稀になる受験生がいつ高校に来ているのかがわからなかった。だから飛行機でしか来られない距離に住んでいる俺は、この日しか選べなかった。

 あいつが怒って、話すら聞いてくれなかったら事実のままに説明しようと決めて、開いてた門をくぐって、出入り口のすぐ近くで俺は待つことにした。


 まだ卒業式の最中らしく誰もいないので、時間を潰すために鞄から本を取り出し広げた。立ったまま頭に入ってこないその本を機械的にめくっていると、ざわざわと人の話し声が遠くから聞こえてきた。終わったのだろうかと、鞄に本をしまって顔を上げると、校舎から生徒たちとその親らしき人たちが出てくるのが見えた。

 そろそろだ。そう意識すると、これからのことが少しずつ現実だと実感が湧いてきて、俺は唾液を飲み込んだ。そういえば飛行機に乗ってから、今まで何も飲んでいない。だけど、飲み物を買いに行ったら、せっかくここまで来たのに先に帰られてしまうかもしれない。

 ネクタイがやけにきつく感じて、少し緩めてから俺は深呼吸した。



 会うのは何年ぶりだろうか。顔写真は見たから顔は知っているし、俺とは似ていない目立つ容姿だから見逃しはしないだろうと思うけれど、俺は男子生徒が門を通りすぎるたびに、ちらちらとその顔を盗み見ていた。

 それを何度繰り返しただろうか。緊張がずっと続いて疲れたし、俺が不審者すぎて少しずつ周囲の視線を感じ始めた。もういいだろうかと、これまで何度考えたかもわからない思考がじわじわと近づいてくるのがわかって、俺は足を踏みしめ、気力でその場に立っていた。


 ここで逃げれば、俺はもう自分のことを信用できない。

 誰も見ていないし、褒められる行為でもない。そうではあるけれど、俺は自分のために今日逃げ出すわけには行かなかった。


 今、俺の前を通り過ぎている男子生徒たちは、卒業生のように見えるからあいつの同級生だろう。今度気の弱そうな生徒が通りかかったら、どこにいるのか聞いてみようとそう決心して物色していると、俺の視界の隅で立ち止まる人影が見えた。そちらに視線を向けて、目が合う。


 あいつだ。

 何と声をかけるのかを何度もリハーサルはしていたはずなのに、俺の頭は真っ白になった。そして、あいつも俺を見て、同じように立ち止まっている。俺のことを知っているのか? 最後に直接会ったとき、あいつはすごく小さかった。覚えているはずがない。


 その理由を自分が深く考える始める前に、俺はなんとか口を開いた。

「悪い。少し時間をもらえるか? すぐに終わる。10分ほどだ」

あいつは俺を無表情で見つめている。その鋭い目に、俺がこれからしようとすることをすべてを見透かされている気がして、俺の視線は無意識のうちに逃げた。


 俺が今からする話は、こいつにとっては楽しい話じゃない。こいつには聞かない権利がある。

 だけど、あいつは俺に向かって軽く頷いてから後ろを向いた。

「春。ちょっとその辺で時間を潰していてくれ」

「大丈夫なのか?」

あいつの友人らしき子に、俺は不審者のようにじろじろと見られている。疑うようなその目だけど、不快には感じない。こいつの友人なら、俺をそんな目で見る権利はある。

「聞かれたくない話だろ」

「そうだ」

付いてこいと前を歩き始めたその背中は言っていて、俺はその背に続いた。



 坂を下り5分ほど無言で歩き続けて、小さな神社が見えた。誰もいない境内に入って、あいつはこちらを振り返った。

「何の用だ」

その視線のあまりの強さに俺は思わず笑ってしまった。

 それはそうだろう。こいつにとっては俺も敵だ。

 でも、俺はそれで良いと思う。

「俺のことはわかるのか?」

「一度、会いに行ったことがある……」

俺の記憶にはないけれど、少し口ごもるその様子に、知っているなら別にいいだろうと俺は何も聞かずに、弟と視線を合わせた。


 色々と話し方は考えていたけれど、弟の友人は弟のことを待っているし、俺は単刀直入に伝える。

「俺はこれから失踪する」

「は?」

良い反応で驚いてくれて、話の中身は最悪だけど俺は少し嬉しくなった。

 そのまま、俺は俺の思いを口にする。


「俺は、俺の両親が大嫌いだ」


 この感情をはっきりと理解して、口に出すまでに、どれほど俺は迷走しただろうか。周囲に迷惑を掛けて、そしてどれほど自分自身を侮辱したのかがわからない。


「俺はあいつらに、もう縛られたくない。あいつらが近くにいると落ち着いて暮らせない。だから、俺は失踪すると決めた」

俺はもうそう決めた。でも、そんなことを報告しに来たわけじゃない。肝心な話はここからだ。

 

「俺は、これからいなくなる。だから、もしかしたらお前の方に連絡が行くかもしれない。俺の代わりに、あいつらはお前を使おうとするかもしれない」

そこまで言ってから、失礼かもしれないけれど、体の向きを変えてまっすぐ視線を合わせた。

「だけど、絶対にあいつらに関わろうとするな。金をちらつかされても、絶対にお前も逃げるんだ」


 俺は、弟が『母』と呼ぶ存在を弟から奪った。

 親父に何とかそれだけは止めるようにと説得したけれど、弟のヒューマノイドがいなくなったら、その矛先は自分に向くだろうことがわかって俺はすぐに身を引いた。

 俺はあのとき自分自身の身を守ることを最優先した。そして、俺が今日弟に会いに来たのは、すべてを任せろなんて格好良い台詞を言うためではなくて、これからみっともなく逃げますという宣言だ。なんて格好悪いクソ野郎だろう。

 そんな俺が、偉そうなことを言える立場ではないことはよくわかっている。弟から見れば、俺はあのクソどもの一員だ。

 だけど、それでも俺は、これだけは弟に伝えないといけないのだと思って今日ここに来た。


「あいつらと関われば、お前は絶対に幸せになれない。だから、約束してくれ――」


 大学に入って一人暮らしを初めて、金がなくて死にそうな目にあったけれど、ひとりぼっちの穏やかな生活は想像を遙かに超えて、俺に幸せをもたらしてくれた。

 もうあいつらからの連絡に怯える日は嫌なんだ。気づきかけていた幸せを白紙に戻されるのは嫌なんだ。


「あいつらを変えようなんて、そんな無意味なことに人生を浪費するな。あいつらに好かれるような、そんなつまらない人間にはなるな」


 すべてを捨ててみっともなく逃げ出して――あいつらの目から完全に逃れて、やっと俺の人生は始まるのだろう。


「あいつらは俺たちが幸せになることなんて願っていない! だからこそ、お前はお前のままでちゃんと幸せになるんだ。それが、あいつらへの一番の復讐になるから」


 まっすぐと俺の目を見つめる腹違いの弟。無言になった空間で、その視線の強さに、俺は今更恥ずかしくなって目を逸らした。


「母さんもプライドがあるから、そう簡単にはお前を頼らないと思う。だけど本当に俺が逃げたとわかれば、あいつらが何をしようとするのかが俺にはわからない」

金があって動けるうちは、大丈夫だとは思う。問題はその後――あいつらが暇になったときだ。

「あいつらが死んだら、遺産は全部譲る。俺はあいつらのものなんて、何ひとついらない。連絡が来たら、お前の好きにしてくれ」

あいつらが死んだあとだが、これであのヒューマノイドは弟の手に戻る。俺のせめてもの償いで――そんなクズの考えを見透かされないように、俺は弟に軽くそう伝えた。


「俺の話はそれだけだ。この日しか会えそうな日が分からなくて、卒業式だったのに悪かった。さっきの友人にも、すまなかったと伝えてくれ」

さっきから弟は何も言ってこないけれど、俺が言いたいことはすべて伝え終えた。

「晃久。俺はもう会いに行かないし、今後俺たちが二度と会うことはないだろう。だけど……その元気でな」

そう伝えてから俺は帰ろうと背を向けた。


 そのとき――


「兄貴」

初めて聞いたその単語に、俺は聞き違いだろうかと振り向いた。弟の目はこちらを向いていて、その言葉は俺を指しているように聞こえる。

「あのさ。逃げろって、そんなこと頼まれなくてもわかっているさ。あいつらと関わるくらいなら、俺は死を選ぶ」

そりゃそうだと、俺が心底納得出来る言葉に思わず笑っていると、つぎの瞬間に不意を突かれた。


「兄貴も、元気で」

たったそれだけの言葉で、まぶたが緩みそうになって俺は無理矢理笑顔を作った。

「ああ」



 俺は俺が大嫌いなあのクソどもと、血が繋がっている。だから、俺もいつかあいつらみたいになってしまうのではないかと、俺はそうずっと恐怖して――自分自身が大嫌いだった。

 だけど、そんな考えは俺自身が努力をしないようにするための言い訳だ。俺は俺の意思で、これからこの弟に胸を張れるような、立派な人間になろう。

 俺と弟はもう一生会うことはない。だからこそ頑張ろう。

 頑張ろうと、そう何度も念じながら、俺は駅へと続く道へと進んだ。


 もう二度とこの町には来ない。

 だから気にする必要はない。


 頬を流れる涙が冷たくて、春の優しい風が心地よかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 やっと駅が見えてきて、家に帰ろうと気を緩めていると肩を叩かれた。

「よお」

涙は止まっているよなと確認してから、振り返ると知り会いに良く似た顔が見えた。そして、気がついた。

「何でお前がこんなところにいるんだ!?」

「逃げてるんじゃないかって思って」

思い当たることがいくつもあって黙っていると、大きな鞄を横に置いたそいつは、腕を組んで頷いた。

「でも逃げなかったんだな」

「ちゃんと話してきたさ……」

「頑張ったじゃん」

その言葉に心が喜びそうになって、黙れと反射的に押さえつけてから、言葉で即座に否定する。


「俺は頑張ってなんかいない。俺が弟にしてきたのはクソみたいな話だ」

俺は格好悪く言い訳のようにそう言っているのに、俺の目の前にいるやつは今日も俺が目を逸らすことすら許してくれない。

「クソみたいな話でも、100点満点中1点くらいにはなる話だろ? マイナスじゃない」

あんな話でも少なくとも1点くらいにはなるだろうと、俺はそいつに言い返さなかった。


「だったらいいんじゃないか? お前の弟の友だちだったら、『クソみたいな話を持ってきやがって、このクソ野郎』と罵っているところかもしれないけど、別にそうじゃない」

そいつはそう言ってから、癖のように、首に着けている首輪のような銀色の機械に手を触れた。そして今日も、俺が逃げたくなるくらいまっすぐな視線をこちらに向ける。


「だったら『頑張った』だろう?」


 俺は、頑張ってなんかいない。

 反射的にそう言い返しそうになって、俺は口をつぐんだ。俺が何を言っても、こいつは絶対に諦めないだろう。だってこいつは、そういう風に育ったやつだ。

「人が褒めてんだから、素直に受け取れよ」

だから俺は、今日も戦うのを諦めて背を向けた。

「悪い……褒められるのには慣れてないんだ」

「お前な。何度も言ってるけどそれ悪い癖だぞ」

悪かったなんて思ったこともなかった俺の癖を、今日もこいつは強く注意してから――俺の横を通り過ぎたその足音はまっすぐ階段に向かった。

 そのまま行ってしまうのかとぼんやりと思っていると、そいつは階段の途中で立ち止まって、こちらを振り返った。

「これから失踪するんだろ? 家探しに行くか」

今日の昼飯の店を探すようなその軽々しい口調。胃に穴があきそうだった俺の決意をこいつは何だと思っているんだと考えてから、手伝ってくれるというその事実に気がついた。

「ああ」

そもそもなんでこいつは、こんな場所に居るんだろう。本当に、こいつは何なんだろう。


「じゃあ、行こうぜ」


 階段の上からまっすぐ俺に向けられるのは、俺という個人に対する笑顔。

 今日も俺は、慣れないそれから目を逸らしそうになった。



 Filling Chirdren――日本の人口を補填するために生まれた『可哀想な』子どもたち。

 俺の前に居るやつは、そんな存在らしい。


 今日も世間一般のやつは一体何を言っているんだとそう思いながら――


 こいつという存在を生んでくれた、この狂った日本社会に感謝をした。




* * * * * * * * * *



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