14話 母
「おはようございます。詩織様」
朝、私のマンションのエントランスの前に、高級外車が停まっていた。その車の前で待っているのは、スーツを着たグレーの髪の現実離れした男性――もっつんのヒューマノイドのシャノンさんだ。
「詩織、行ってらっしゃい!」
「詩織ちゃんまたね!」
目の前の非現実的な光景に気を取られながら、手を振ってくれるカザネと実千夏ちゃんになんとか手を振り返して前を見ると、「詩織様。どうぞ」とシャノンさんが扉を開いてくれた。落ち着かない気持ちで車に乗り込むと、マリアが先に乗っていた。
「しおりん。おっはよう!」
「おはよう。マリア」
なんでこんなに広いんだろうと思うくらいの広い車内だけど、マリアの横にちょこんと座った。
「しおりん。私たち二人だけだから、詰めなくて大丈夫だよ。一台に全員は乗らないから、女性はスペシャルコースなんだって」
「あっ、そうなの?」
「お嬢様。発車いたします」
シャノンさんの声と共に、車が静かに走り出した。
大きな一軒家が建ち並ぶ、高級住宅街の景色を車の窓からそわそわとした気持ちで眺めていると、車はゆっくりと減速して、ひときわ大きな家の前で停まった。
「ここ、もっつんの実家じゃないんだよね……?」
たぶんそのはずだと、車を降りたマリアと一緒にあっけに取られているとシャノンさんが補足してくれた。
「はい。本邸は大阪の方にございます。あちらの方が大きいですが、こちらのお家の方が新しいですよ」
そうなんですかとなんとか同意してから、シャノンさんのあとについていく。自動的に開かれた扉を順番にくぐってやっと現れた玄関で、靴を脱いで今日はお上品に靴をそろえた。
玄関から見えるたくさんの扉のうち、一番大きな扉にシャノンさんに案内された。現れたのは大きなリビングで、その中央の紺色の分厚い絨毯の上でもっつんはごろんと横になっていた。
「おう、おはようー」
「おはよう……」
豪邸の中で、ラフな格好で思いっきりくつろいでいるもっつんを見て、本当にこの人は金持ちなのだと今日初めて実感した。
「ここもっつんの家なんだよね……大きいね」
「そうか?」
世間一般から見ると大きいんですよと言いたい。
「おうちの人は?」
「お父さんとかおったら絶対に邪魔やから、取引先に連絡して呼び出させた。騙されて機嫌よう日本酒持って朝から出ていったわ。今回これが一番頑張った気がする」
ふわあと大きくあくびをしているもっつんを横目に見ながら、もっつんのお父さんに心の中でごめんなさいと頭を下げた。
そうしていると、玄関の方から物音がした。
「お嬢様。あちら側も戻ってこられたようです」
「おう、来たな。起きるか」
もっつんは立ち上がって、はーと両腕を伸ばしている。もっつんはスウェット姿に裸足で、せめて靴下は履かないのかなと思ってしまうけど、ここはもっつんの家だ。
「お嬢。迎えに行ってきたで」
「お、お邪魔します」
竜矢さんの後ろから現れたこわごわといった様子の春君を見て、ここにも仲間がいたと安心した。春君のあとに続くのは私たちと同じような様子の勝己君。そして反対に、笑顔なんてみじんも見えない晃久君だ。
「じゃあ、とっととやるか」
「準備はしてるから、みんなこっちや」
竜矢さんに連れられて、リビングから廊下を通って反対側の部屋に行く。現れたのはコンクリート剥き出しの不自然なくらい殺風景な大きな部屋だ。その部屋の中央に、女の子が目をつぶって正座していた。
「えっ、あれ!」
「そうやで。あれがマリアがデザインしたヒューマノイドや」
マリアが女の子のすぐ近くまで駆け寄った。
「マリア。まだ中身も入れてないから、動かんで」
どういうことだろうと不思議に思っていると、しゃがんでヒューマノイドの腕を動かしていた勝己君が口を開いた。
「もう一体のヒューマノイドは?」
「もうすぐ来るはずや」
「いつき様。あと129秒です」
シャノンさんのその言葉に、カウントダウンするわけではないけれど、皆の動作が止まった。そして、シャノンさんが部屋を出て行って、しばらくしてからピンポーンとチャイムがなった。
玄関の扉が開く音と、「お邪魔します」という男の人の声が少し遠くに聞こえる。そして、部屋の前で足音がしたあとゆっくりと扉が開かれた。
「お待ちかねのものを、届けに来たわ」
扉の向こうに現れたかわいい女の子に見とれていると、目が合ってにっこりと微笑まれた。その女の子の後ろに続いて現れたのは、レミーネさんだ。
部屋の中を探るように動いていたレミーネさんの視線が、すぐに晃久君を捕らえて
「晃久!」
悲鳴のようなその声のあと、レミーネさんは晃久君のもとに駆け寄って、晃久君の体をぺたぺたと触り始めた。
「体は元気? どこか変なところはない?」
「大丈夫。俺は大丈夫だよ。レミーネ」
晃久君はレミーネさんに撫でられながら、そう答えてくすぐったそうに笑っていた。
二人はずいぶんと久しぶりに会ったように見える。
「晃久、どういうことなんだ……?」
同じことを考えていたのか春君がそう聞くと、晃久君は一瞬悩むようなそぶりを見せてから、軽く答えた。
「レミーネの電源を切っていた」
その言葉に――世話役のヒューマノイドに対してそんなことをしたということに、春君と私の顔が瞬時に引きつった。晃久君はそんな私たちの顔を順番に見たあと、「悪い」と小さく謝った。
「いや、驚いただけだ。責めてない」
春君はすぐにそう立ち直ったけれど、私は「どうして」とまだ混乱が収まらなかった。だけどそんなことを聞く前に
「始めようか」
晃久君の言葉に、勝己君が頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マリアがデザインしたヒューマノイドの隣に、レミーネさんも寝かされて、さっきから勝己君と竜矢さんがヒューマノイドの中を開いて何かの作業をしていた。
手術のようなその光景に、なんだかじっと見てはいけない気がして、私たちは壁際まで下がって遠くから見守っていた。
「カザネの詩織ちゃんでしょう? 小さい頃に会ったことがあるわ」
アテナと名乗ったその女の子は、信じられないけれどヒューマノイドらしい。カザネに聞いてみると「何も聞かないでください」と返事が来た。アテナという名前以外、誰なのかはわからないけど、一緒にいるスーツ姿の男性も敬語を使っているし偉い人みたいだ。
「すみません。私は覚えていないです」
「ええ、そうだと思うわ。だってあなたまだこのくらいの大きさだったし」
アテナさんが指で作ったこのくらいは、直径3センチほどだった。どういうことだろう。
それにしても、晃久君たちは何をやっているのだろうか。気になって視線をそちらに向けながら、マリアと同じように体操座りして壁にもたれ掛かった。
「何をしているんだろうね」
「わかんない……」
マリアとそう話しているとアテナさんが同じように隣に座った。
「今は、中身の入れ替えをしているのよ」
「入れ替え? もしかしてあの2人のヒューマノイドのですか?」
「そうよ」
どうしてそんなことをするんだろう……?
「あら、あなたたちは事情を知らないのね? 晃久君はレミーネを返せって言われたの。でもそんなの絶対に嫌だから、外側だけを返すのよ」
アテナさんがそう説明をしてくれた。
晃久君はFチルじゃない。誰に返せと言われたのかは気になるけれど、きっと晃久君はそれを言いたくないんだろう。中身を入れ替えているのは、きっとレミーネさんと離れたくないからだ。
もっつんに頼んでヒューマノイドを用意してもらった理由、勝己君がここに呼ばれた理由、まだわからないことはあるけれど色々と話が繋がった。
「やっと、少し疑問が解消できました」
私がそうこぼすと、アテナさんの視線を感じた。
「私はすべてを知らないと、動くことなどできないわ。どうしてあなたたちは、動くためにその理由を聞かないの?」
私たちがどうして聞かないのか――
「だって、言いたくなさそうだったから」
あのときの晃久君の顔を思い出してしまう。
「言いたくなさそうだから、聞かない」
「言わないのは、あなたに聞かれると自分が不利になるから言っていないかもしれないのよ? 聞かないとそれすらも判断できないじゃない」
私はマリアたちに言っていないことがある。そんな隠し事があることを見透かされている気がして、私は少し言葉に詰まってしまった。
「ちょっといいですか?」
マリアの声に、うつむきかけていた頭を上げる。
「聞かないとわからないってそれはそうなんですけど、晃久が隠していて、知っている春君が黙っていられる話なんてどうせ大した話じゃないですよ。それなら無理に聞かなくても別にいいじゃないですか」
マリアが軽く答える声に、「確かに」と同意してから横に座っている春君の顔を見ると、春君はぽかんとしていた。
「え、いや……あっ! あの、いつものああいう話を隠している訳じゃないぞ」
この人は何に動揺しているのだろう。
「わかってるよ。むしろ、そんな話だったら晃久は隠さないでしょ? いつも堂々としてるじゃん」
マリアの指摘に、「確かに」と今度は春君も頷いた。
「つまりは、春義君を信用しているということかしら」
「信用……信用……」
アテナさんの言葉に、マリアがそう呟きながら考え込んでいる。
「うーん、それもありますけど、晃久がそんなに悪いことをするとは思えないんですよね」
「あなたは晃久君と深い関係ではないでしょう。あなたは晃久君のすべてを知っているわけではない」
「まあ、そうですけど……うーん、上手く説明できないな。一言で言うと女の勘です」
女の勘。マリアが言うとすべてが納得させられる言葉だ。
「女の勘、か……」
アテナさんはそう呟いてから、くすっと笑って斜め上に居たスーツの男性を見上げた。
「山崎。新しい機能要求ができたわ。予算の獲得任せたわよ」
「え、もういいでしょう?」
男性の顔はひきつっている。
「だめよ。帰ったら、女の勘を実装するの」
「そんな世界で一番怖いものを実装しないでくださいよ」
アテナさんは男性の意見を無視するようににっこりと微笑んでから立ち上がった。
「今日はありがとう。非常に参考になったわ」
アテナさんの完璧な笑顔に、マリアと同時に頭を下げた。
「そろそろ換装は済んだようね。私は、新しいプログラムのインストールに行ってくるわ」
「アテナさん。よろしくお願いします」
立ち上がって頭を下げた春君を見て、アテナさんは微笑んだ。
「春義君。私が手助けできるのは、これで最後。その後の彼の人生は、あなたと、彼自身が頼りよ」
アテナさんはそんな言葉を春君に向かって投げかけてから、軽やかな足取りで、眠っているように見えるレミーネさんの元に向かった。そしてレミーネさんの横で片膝を突いてから、首の後ろをかき分けて何かのコードを首に挿した。その仕草にアテナさんもヒューマノイドなんだと、今日初めて実感する。
その体勢でしばらく目をつぶっていたアテナさんが目を開いた。
「調整が完了したわ。起きなさい。MY-11521」
立ち上がったアテナさんのその言葉に、レミーネさんがゆっくりと体を上げてから、突然ぱっちりと目を開いた。
「おはようございます。A-0000」
「この世界に誕生おめでとう。さあ、立ち上がって」
アテナさんはレミーネさんを立ち上がらせて、しばらく無言でその姿をながめてから、頷いた。
「並列演算システムも問題なさそうね。MY-11521。あなたはこれからR-07721、通称レミーネよ。あなたの個体登録名をそう上書きしなさい」
「はい。A-0000。私はR-07721、通称レミーネです」
「よくできたわ。レミーネらしい言動は、あとは本人に聞くのね」
「了解いたしました」
あれは外見はレミーネさんに見えるけど、中身は別の人だ。ただ立っているだけだけど、あまりに姿勢が良いので、それがすぐにわかる。
レミーネさんを見上げていたアテナさんは、ふと斜め下で眠るもう一人の女の子を見た。
「では、今度はこちらね。もう動けるはずなのに、なぜ動こうとしないのかしら」
「もう動けるはずなんだ。だけど……さっきからぴくりとも動かない」
勝己君はそう言ってアテナさんに場所を譲るように立ち上がった。アテナさんは寝ている女の子の隣に座って、その額に手を当てて目をつぶっている。
「俺、何か手順を間違った?」
「そうではないと思うわ。通信は良好……ただ起動シーケンスに――ん?」
アテナさんの反応に、不安に思って立ち上がると、私の隣でマリアも立ち上がった。近寄っていいのかわからないけど、気になって仕方ないし、ダメだったら言われるだろうと私たちは静かに見えるところまで移動する。
「何かあったのか?」
晃久君は心配した顔で、アテナさんの顔をのぞき込んでいる。
「この部分の原型は私が作ったのに、ずいぶん変わっているから存在を見逃していたわ」
アテナさんはそうつぶやいてから目を開いて、隣に立っていた勝己君を見上げた。
「勝己君。ハードと対になるソフトウェアロックを解除したいのだけど、エレナにその解除方法を聞いてもらえないかしら? エレナに聞くのが最速なの」
「アテナさん。俺が内緒にしていたってこともあるけど、今回の件にエレナはずっと反対だった」
「そうだとしても、あなたがかわいらしく『お願い』と一言言えば、エレナは絶対に教えてくれるわ」
かわいらしく? と勝己君はアテナさんの言葉にいぶかしげな反応をしていたけれど、最後は頷いて「エレナ」とCOMNから呼びかけた。
「勝己。もう終わったの?」
「まだなんだけどさ。ちょっと聞きたいことがあって――」
「ダメ」
取り付く島もないその反応に、勝己君は困った顔でアテナさんを振り返った。アテナさんは行けというように、勝己君に向かって親指を上げた。
「なぁ、エレ――」
「ダメ」
「エレナ。どうしてもダメか?」
「ダメよ。私はずっと――」
「お願い」
その一言でスパッと女性の声は止まった。
「エレナ、お願いだ」
トドメのようにもう一度続いたその言葉で、女性の言葉は「わかったわ……」に変わった。
「えっ、待って、今ので抵抗終わり? 早あ!?」
もっつんが小さな声で、この場にいる全員の言葉を代弁してくれた。
技術的な単語ばかりで内容はわからなかったけれど、最後は勝己君はわかったと頷いて連絡を切った。
「ソフトよりハード側の調整の方が簡単らしい。離れてくれ」
勝己君はアテナさんにそう言ってから、外見がレミーネさんのヒューマノイドを見上げた。
「こっちに寝転がってくれ」
再び服を脱がされて、中身を開かれるヒューマノイドの女性たちのその様子になんとなく気まずくなって私たちは背を向けた。勝己君はきっと慣れているんだと思うけど、ヒューマノイドと一緒に暮らす身だと落ち着かない。
「聞こえるか?」
晃久君の緊張を含んだその声に、終わったのかなとゆっくりと少し腰を上げて振り向くと、ヒューマノイドの少女は腰から身を起こして、ゆっくりと目を開くところだった。
少し周囲を探るように動くかわいらしいアーモンド型の瞳が、横に膝立ちになっている晃久君を捕らえた。
「レミーネ。俺が分かるか?」
少女は固唾を呑む晃久君の顔をしばらく無表情で見てから、突然片手をピシッと挙げて、太陽のように明るく笑った。
「はあい、晃久! What's that look for? 《そんな顔をしてどうしたの?》 Have you forgotten about me? 《私の顔、忘れちゃったかな?》」
突然英語で、場違いなくらいにお茶目にそんなことを言う様子に、その場が静まり返った。
微動だにしない晃久君の背中に――もしかして失敗したのかなと思いながら、ゆっくり晃久君の顔を伺うと、晃久君は泣きそうな顔で笑っていた。
何も言えずにしばらく何かを堪えていた晃久君の唇から、一つだけ言葉が溢れた。
「お母さん」
レミーネさんは穏やかな表情で晃久君を見つめている。
「そう呼ぶのは、もう卒業したんじゃなかったの?」
「いいんだ……今日だけは、いいんだ……」
晃久君の頬を涙が流れ落ちた。
「これで、最後だ」
私の感情など、すべてを持っていきそうになるその光景。
あの人は顔だけだと何度も何度も心の中で繰り返し強く念じて、やっと落ち着きを取り戻した自分の心臓にほっとしてから、ふと隣を見ると――
私の隣に立つマリアは、もうきっとダメなんだろうなって。そんな顔をしていた。




