13話 文化祭(下)
校舎には文化祭スタッフが作ったらしい大きな垂れ幕がかかっていて、校舎内を楽器を持った吹奏楽部らしい生徒が何人か歩いているのが見える。中庭にぽつぽつとある屋台には知り合いのサッカー部のやつが、フランクフルトを焼いていた。
クラスの出し物もなく、部活もない俺たち帰宅部の生徒は、今日はただあくびをしながら、ベンチで屋台の食べ物を摘まむだけだ。俺がぼーっと校舎を見上げながら、暖かい秋の日差しに何度目かわからないあくびをしていると、COMNから着信音が鳴った。展開すると詩織ちゃんだ。
「晃久。詩織ちゃんがあとで勝己君を紹介したいから、美術部に来てくれってさ。15時くらいだ」
『了解』と詩織ちゃんに返事をしようとしていた俺は、
「春。詩織ちゃんに文化祭一緒に回ろうって、ちゃんと聞いたか?」
送ってしまったあとにその言葉に固まった。
「春。お前せっかくのチャンスだったのに、ほんとダメダメだな」
「いや、晃久――」
「がっついていると思われたくないとか、そんなこと考える前にまずは気楽に誘えばいいんだよ。居場所がないからって文化祭に日に、男二人でベンチでぼーっとしている方が異常だ」
晃久は、言葉の通りベンチにもたれかかってぼーっと空を見上げていた。
「晃久。お前は今日は女の子は誘っていないのか」
なんとなく二人でここに集まってしまったけど、晃久がこんな風に過ごしているのを見るのは珍しい。
「さすがの俺も格好付ける暇もないくらい、毎日毎日勉強で疲れた。アテナは医学部に行けとあんなに軽く言ってくれたが……」
「どうなんだ? 成績?」
「まだわからん。地方でやっと見えてきたくらいだ」
晃久は日差しを遮るように、目を腕で覆った。
しばらくその体勢が続いて、眠ったのかとそう思ったときに晃久が呟いた。
「春。明日だ……」
ずっと準備をしていたけど、それが、やっと明日だ。
「そうだな――明日だ」
周りは賑やかだけど、その中でただ静かに心落ち着ける日というのもいいんじゃないかと、そんな風に思えるくらい今日の日差しは穏やかだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
晃久が眠ったように見えたので、俺も眠るかと目をつぶって休んでいると、突然晃久が身を起こして口を開いた。
「連絡が来た」
「誰から?」
晃久は俺の問いには答えずに、キョロキョロと校舎を見上げてから、誰かに向かって手を振った。そうしてから、再びベンチに座る。
「持田の会社の人だ。今からここに来るから待っててくれって」
「明日の話?」
「そうだろう」
少し落ち着かない気持ちでベンチに座って5分ほど待っていると、俺たちより年上の若い男性が笑顔でこちらに手を振ってやってきた。左手に持っているのは、イカ焼きだ。
「明日会うけど、ちょうど今日来てたんで先に会っとこうと思って。そっちの君が晃久君で、春義君?」
関西弁でそこまで言ってから、俺たちの少し手前で立ち止まった。その男の人は晃久の顔を見て、「ほお」と口をすぼめている。
「晃久君。君、顔カッコイイな」
「顔だけだと、よく言われます」
晃久の即答に、周囲からの評価を知っていたのかと俺は隣で少し動揺した。
「職業柄、美男美女の研究はよくするねんけど、お嬢が好きそうな――」
男性はそこで口ごもる。
「俺と持田さんはただの同級生です。付き合ってはいません」
晃久の突然の説明に俺が少し驚いていると、目の前の男性は、俺と同じように驚いた顔をしたあと明らかにほっとしていた。引っかかるその様子に、晃久と並んで観察していると、俺たちの視線に気づいたのか男性は慌てた様子で顔を上げた。
「お嬢も高校生やし別にいいんやけど、そういうことはやっぱ社長が気にするからな! 一人娘やし」
何も聞いていないのに始まったそんな説明に、「はあ」と返事をする。
俺たちの生暖かい視線に気がついたのか、男性は咳払いをしたあと、真面目な顔に変わった。
「晃久君のヒューマノイドは、俺が全身全霊を込めて作らさせてもらったから、明日期待しといて」
「ありがとうございます」
晃久はそう言ってから、深く礼をした。
「お嬢から聞いてると思うけど、俺はまだ見習いで、ヒューマノイドは安くはないから口うるさない客っていうのは珍しくて、俺としても良い経験なんや。俺は見習いやけど、でもちゃんと坊ちゃんとお嬢に確認してもらってOKは出たから、クオリティの面では十分やと思う」
男性はそう言ってから、「ちょっとイカ焼き食べたいから、座らせて」と俺の横に座った。少し狭いので俺は立ち上がった。
男性は大きくイカ焼きに口を付けてから顔を上げた。
「晃久君。一つ聞いていいかな?」
「はい」
「その歳で、何でヒューマノイドが必要なん?」
誰もが疑問に思うだろう、ごく当たり前の質問。だけど、当然のように晃久からは簡単には言葉は返ってこなかった。
「顧客の話やし、ほんまは聞いたあかんねんけど、ヒューマノイドってめっちゃ高いやろ? お嬢に聞くと複雑なローンやし、親御さんの話は全然出てこんし……晃久君。君、軽い気持ちで借金しようとしている訳じゃないねんよな? お嬢はその辺適当やけど、俺はそれだけは確認しておきたいんや」
「そうではないです。俺は……」
晃久はそう答えてから、困ったように笑った。
「まあ、ちゃんとわかってるんやったらええんや。ヒューマノイドはまだ高いけど、俺はヒューマノイドが人を助けてくれるのをよく知ってるから」
男性はそう言ってから、晃久の方を向いて安心させるように大きく笑った。
イカ焼きを食べ終わって、男性が立ち上がる。
「また明日な」
男性はこちらに向かって軽く手を挙げてから、再び校舎の方に戻っていった。
ベンチが空いたので、元の位置に座る。
「春」
「ん?」
晃久はベンチに少し前屈みになって遠くの地面を見ていた。
「俺は別に隠すつもりはなくて、俺にとっては単なる事実だから全部話してもいいんだけど、聞く方はこんな話を聞きたくないんじゃないかって――どこだけを話そうかと、そんなことを考え始めると途端に何も言えなくなる」
晃久はさっき黙り込んでしまったことを気にしているらしい。
「言いたくなかったら、言わなくていいんじゃないか? さっきの人だって無理に聞こうとしなかっただろ」
「だけど……俺の人生こんな話ばかりだ」
晃久はそう淡々と呟いてから、何を言おうかと考えていた俺の顔を見て、「悪い」と笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ときどき体育館で開かれる出し物を見に行って時間を潰して、やっと15時になったので晃久と美術室に向かう。去年はこの美術室で晃久がレミーネをけしかけて、ルーがそれを止めるなんて事件があったけれど、今日はそんなことの心配をするどころか、ここ最近はレミーネの姿を見てもいない。二人が目の前でべたべたしているのを見るのがうんざりしていたはずなのに、一人真面目な顔で勉強している晃久を見るのが、俺は逆に落ち着かなかった。
だけどそれも今日までの話で、明日からはきっと再びうんざりした日がやってくるだろう――俺はそう思いながら美術室の扉を開いた。
「春君。お疲れ」
山上さんに手を振られて、軽く手を挙げる。詩織ちゃんと持田さんと同じテーブルにいる私服姿の二人が、九州から来てくれた詩織ちゃんの友人だろう。
「春君。何か飲む?」
詩織ちゃんに聞かれて、コーヒーを頼む。晃久もコーヒーを頼んでいたけれど、持田さんのヒューマノイドが煎れてくれたコーヒーに一口口を付けては、すごく不味そうな顔をしていた。こいつ絶対にコーヒーが嫌いなのに、何で毎回頼むんだろう。
「晃久君と春君。こちらが実千夏ちゃんと勝己君」
詩織ちゃんが手早くお互いの紹介をしてくれて、互いに軽く頭を下げる。
「春君。今日は勝己君をお願いね」
「うん。勝己君、よろしく」
リビングで寝てもらうことになるけど、ルーに頼んで客用の布団は用意した。
「確認だけど明日は、持田さんの家で作業するんだよな? 俺たちはどうやって行けばいい?」
「あいつおることやし、迎えに行かせるわ。どこに迎えに行けばいいかだけ教えてくれ」
隠すでもない俺の家の住所を教えてから、簡単な明日の段取りを決める。居ても作業の役に立たない俺が行っていいのかよくわからないけど、晃久は来るなとは言っていないし、俺はちゃんと見届けたかった。
「最後にいいか」
当事者の晃久のその言葉に、皆の視線が集中する。
「俺はレミーネ以外――これまで人を頼ったことがなくて、みんながどうして手伝ってくれるのかがわからないし、お金を払うこと以外にどうやってお礼を言えばいいのかもよくわからない。だから、不十分かもしれないけど、明日はよろしくお願いします」
最後は、晃久が真面目な顔で皆に頭を下げて、今日は解散した。




