11話 鍵
■ ■ ■ ■ ■ ■
レミーネが俺のところに来てすぐのころに、俺はレミーネに頼み込んで本妻の子どもに会うためにそいつの学校に行ったことがある。
小さい頃会ったきりほとんど覚えていない腹違いの兄。俺は成長したそいつを見てみたかった。
俺が持っていないものをすべて持った存在――それがどんなやつかを俺は見たかった。
あの子だと、レミーネが教えてくれないとわからなかった俺の兄。声を掛けるつもりで来たのに、俺はそいつを一目見てすぐ「行こう」とレミーネの手を引いた。
俺が持っていないものをすべて持っている存在。
俺はそいつがそれに値するくらい、一目見てわかるくらい『輝いて』いるのだろうと思っていた。きっとそうであるはずで、それがどんなものかを知りたかった。
だけど、そんなものはどこにもなくて、むしろそいつから感じられるのは俺と似た『何か』――
気づいてはいけないものに気づきそうになるのがわかって、俺はその事実から逃げるために、急いでその場を離れた。
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「ふわぁ……」
眠い。月曜の朝――学校に来たところだけど、もう帰りたい。そんなことを考えながら、かすむ目をこすって、鞄からペンケースを取り出していると「詩織ちゃん」と呼びかけられた。
ビクッと自分の体の動きが止まって、ゆっくり顔を上げる。
「おはよう」
晃久君だ。
「お、おはよう」
まだ覚醒していない頭で、朝っぱらからどうしてと混乱していると、晃久君の斜め後ろに春君が見えた。私と目が合って、申し訳なさそうに片手を上げる。
「今日の、昼か、放課後に少し時間が欲しいんだが、どっちがいい?」
嫌ですと言いたいが、後ろに春君がいるので断りにくい。こないだの話の続きかなと、自業自得なことではあるし私はすぐに諦めた。
「じゃあ放課後で」
「ありがとう。前回と同じところで」
「うん」
小さく頷くと、席に着いた私を立ったまま見下ろしていた晃久君は顔を上げた。そのまま帰るかなとそう思ったときに、「持田!」と教室の端に向かって呼びかけた。もっつん? この距離だと話は聞こえていないと思うけど、もっつんはこちらに向かって、腕をクロスしてバツ印を作っている。
「持田。今日の放課後顔を貸せ。場所は詩織ちゃんに聞いてくれ」
「いやや」
「悪いけど、連れてきてくれ」
晃久君は私にそう言ったあと、教室を出て行った。
どうしてもっつんも? 2人は知り合いなのかな? もっつんが一緒ってことは何の話だろう……
でもきっといい話ではないんだろうなと私は今日の放課後を考えて少し憂鬱だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
放課後。鞄を持って教室を出て、まっすぐ正門のある出口に向かおうとするもっつんの腕を掴む。
「もっつん行くよ」
「いやや……今日は帰りたい気分やねん」
「それはいつものことでしょ。逃げようとしても、相手は晃久君だしきっと無理だよ。嫌なことは一回目に済まそう。ね?」
もっつんは大きくため息をついてから、私の後ろについてきた。
「なあ、しおりん。どこ行くん?」
「調理室。美術室の斜め上にあるんだ」
「やったら、美術室でええやん。そうしよ」
私が隣のもっつんの顔を見る前に、もっつんはCOMNに向かって「晃久。美術室に来てや」と声を掛けていた。
「あのさ、もっつん。私は何の話か知らないんだけど、マリアが美術室に居るんじゃないの?」
「おお! 忘れとった。まぁええやろ」
まぁ、いい話なの……? もっつんは美術室に向かうのが嬉しいのか、機嫌が良さそうに私の前を歩き始めた。
もっつんが美術室の扉を、いつも通りスパーンと音が出そうな勢いで開く。
「よお! マリア!」
明らかに絵を描く準備をしていたらしいマリアの前に、晃久君と春君が立っている。落ち着かなさそうな春君に対して、晃久君はマリアの絵を静かに鑑賞していた。
「あの、もっつん。二人が、話があるって……」
マリアは戸惑った顔で、晃久君と春君を交互に見ている。マリアにどう説明しようかなと私が考える前に、もっつんが答えた。
「おう。ビジネスの話や」
「ビジネス?」
私とマリアの声が重なる。
「おうよ。ビジネスの話や」
もっつんはそう自信満々に言ってから、一度考えるように立ち止まって斜め上を見上げる。
「もしかして、ちゃう用件?」
「大体、合っている」
晃久君の言葉にもっつんはやっぱそうやんなと言ってから、暗幕を潜った。もっつんが消えたその奥から聞こえるのはいつもの声。
「コーヒーいる人!」
「はい!」「はい!」
私とマリアが同時に手を挙げて答えた。
もっつんが暗幕の奥に消えてから、4人で立って待つのもあれなので、美術室の奥に押しやっていた椅子を取りに行く。当然のように私の後ろには晃久君がついてきていて、私が奥から引っ張り出した椅子をひょいと拾い上げて、「春」と一言呼びかけて春君に椅子を渡した。あっという間に、美術室の中央に輪になるように4つの椅子が配置された。
晃久君が座ってから私のために椅子を引いてくれたのでその横に渋々と座ると、晃久君の向かいに春君が座った。最後に残った椅子をちらりと見てから、どうしようと戸惑っているように見えるマリアを見上げる。
「マリア邪魔してごめんね。もっつんが、話すのにここが良いって言っちゃってさ」
「あ、大丈夫。もっつんが出てきたら、私があっちに行くよ」
気の利くマリアがキャンバスを持って暗幕の奥に移動しようとしたとき、もっつんが回転椅子に座ったまま、椅子を引きずって暗幕の奥から出てきた。もっつんの膝の上にトレイがあって、紙コップが5つ見える。
「マリア。ほいコーヒー」
「ありがとう」
そのまますーっと椅子についたローラーでこちらに移動してきて、私にコーヒーをはいと渡してくれた。
「2人もコーヒー飲むやろ」
もっつんはそう言って、晃久君と春君にも順番にコーヒーを渡していく。もっつんはコーヒーに一口口を付けてから、「じゃあ早帰りたいから始めよう」と豪華な回転椅子座ったまま宣言してから、斜め後ろを振り返った。
「マリア、座らんの?」
「もっつん。私は関係ない話でしょ?」
「ちょっとさっき気づいてんけど、マリアに頼みたいことがあるんや」
もっつんはそうにこやかに言ってから、晃久君に「ええやんな」と確認した。
「頼みたいことって」
晃久君の言葉に、もっつんが椅子にもたれ掛かったまま、パチンと指を鳴らした。その音と共に現れたホログラムに映るのは、少しドキッとしたけれど裸のヒューマノイドの女性だ。
「ヒューマノイドのカスタマイズや。汎用型でええって話やけど、外見はどんなんがええの?」
ほんと、何の話だろう。もっつん待ってと、私は片手を上げてもっつんを止めた。
「もっつん。それ、私たちが聞いていい話なの?」
「えっ、あかんの?」
それを私に聞かないで欲しい。晃久君をちらりと見ると、晃久君は少し考えるように俯いていた。その顔を心配そうに春君が覗いているから、余計に聞かない方がいい話のような気がしてくる。
悩んでいた晃久君が、私の顔をじっと見てから、マリアに視線を移した。
「俺は、持田に汎用型のヒューマノイドを一体手配してくれと頼んだ」
詳しく語らないその言葉に、私はこれ以上は絶対に聞かないぞと空気を読んで頷いた。私以上に気の利くマリアは、何も言わずとも深掘りはしないだろう。
「そんで頼まれたうちとしては、汎用型をそのまま流してもええねんけど、やっぱうちんとことしては、ヒューマノイドをカスタマイズなしで世に出すのは、プライドが許さんのや。やからカスタマイズしようと思うねんけど、あいにくうちがデザインできるのは男だけでな」
もっつんの最後の言葉に、私とマリアはよく知っていると頷いた。
「うちのお兄の方は美少女専門のプロやねんけど――あいつに一から頼むと家族とか関係なしにくっそ金取るからな。一番安くしよう思ったら、デザインだけはこっちでして、ヒューマノイドの調整の方はうちの見習いにちょいと依頼するのがええと思うや。あいつやったら、タダやし。んで、話は戻るけど、そのデザインをマリアに頼もうと思って」
コーヒーを持ったまま立って話を聞いていたマリアは、「私が?」と動揺している。
「おう。去年の文化祭で、COMN付けて変な世界作ったやろ? それとやり方はそんな変わらんで。美女か美少女か知らんけど、とにかく世界一の女性を頭に強く思い描くだけや」
もっつんはマリアにそう説明してから晃久君を振り返った。
「それで、どんなんがええの。難しかったら、背の高さとか肌の色とか基本的なところはカタログから選んでや」
もっつんがそう言うと、ホログラムに色々な人のパターンのヒューマノイドが並び始めた。こんな風に選ぶんだと、初めて見た映像に私が腰を浮かせて覗いていると、同じように春君も興味深そうにのぞき込んでいた。私たちとは反対に、落ち着いた様子でホログラムを見ていた晃久君がマリアに視線を向ける。
「山上さん。俺は報酬として渡せるものがない。引き受けてくれるなら、デザインは任せる」
「えっ、色々ありすぎて、その頼まれ方は逆に困るよ」
マリアはコーヒーの入った紙コップを両手で抱えたまま焦っている。
「じゃあ、山上さんが一番可愛いと思える女の子でいい。歳は俺たちと同じくらいで」
「わ、わかった」
二人のやりとりを見て、もっつんは「よっしゃ、めっちゃ適当な注文やけど一応まとまったな」と笑顔で頷いていた。
「晃久。納期はいつ頃や」
「こっちにもまだ準備があるから、今年中がいいけど、まだ先でいい」
「じゃあ、10月ごろに仮設定するな」
もっつんがぼんやりとした目で斜め上を見上げる仕草に、COMNで何かヒューマノイドとやりとりしているのかなと考えていると、晃久君の視線がまっすぐこちらに刺さっているのに気がついた。
そうだ、今日私が何で呼ばれたのか、まだその話題は出てきていない。
「詩織ちゃんに聞きたいことがある」
晃久君の言葉に身構えた。
「なに?」
「ヒューマノイドの中身の改造ができる人の知り合いはいないか」
ヒューマノイドの中身を改造出来る人?
「え、もっつん?」
「持田じゃない。Fチルだ」
もっつんじゃなかったら他に誰がいるだろう。でも、私の数少ないFチルの知人の中に、そんなスキルを持った人はなんていない。
「うーん、心あたりはないかな……」
私がそう答えると、晃久君に驚いた顔で「そんなはずはない」と返された。
「そんなはずないって、どうしてそう言えるの?」
「詩織ちゃんが鍵だと教えてくれた人がいる」
「その人の勘違いじゃないのかな? 本当に心当たりはないんだ」
「勘違い?」
晃久君は小さくそう呟いた。
「なぁ晃久。ようわからんねんけど、教えてくれたのあのお方やろ?」
もっつんは晃久君に軽く確認しているけど、あのお方って何だろう。
「そうだ」
「やったら間違いはない。絶対にない。あのお方が、しおりんが鍵やって言ったんやったらホンマに鍵なんや。やけどしおりんは、わかっていない……」
その言葉に皆の視線がこちらを向く。もっつんが断定する理由はわからないけど、私はわかってないといけないことが分かっていないらしい。すみませんと小さく頭を下げた。
「春。よろしいですか?」
そのとき春君のCOMNからこの場に女性の声が広がった。
「ルー。なんだ」
春君の隣に、紺のワンピースを来たルーミスティさんが姿を見せた。
「あのとき、あのお方は詩織さんが該当人物へと繋がる鍵だとおっしゃっていました。『繋がる』という言葉から、さらに何人か人を介していてもおかしくはないでしょう。詩織さんは、誰か知っていそうな人をご存じないですか」
「えっと、ヒューマノイドの改造が出来る人ですよね……」
何度も考えるけれど、もっつん以外に本当に心当たりがない。頭から熱が出そうなほど考えても見つからなくて、周囲の視線に冷や汗が出てきた。
「すみません……」
「いえ、こちらこそ急に呼び出してこんなことを聞いてすみません」
ルーミスティさんは私をそうフォローしてくれてから、優しく微笑んでくれた。その笑顔を見て、私も思いつく。
「あ、私は覚えていないけどカザネは何か知ってるかも。聞いてみます」
今、カザネは仕事中だけど、話くらいは聞いてくれるだろう。
「カザネ。今、ちょっといいかな」
私がそうCOMNに呼びかけると、返事はすぐに帰ってきた。
「詩織、なんでしょう! あれ、そちらにたくさん人が居ますね――」
カザネはそう言ってから、「ルー、こんにちは! 真里愛さん、いつきさんもお久しぶりです」と私の隣に現れた。
「カザネ。仕事中にごめんね。ちょっと聞きたいんだけど、ヒューマノイドの改造ができる人って私の知り合いに居た……?」
ん? とカザネは軽く首を傾けてから、明るく答えた。
「詩織と直接的な知り合いではありませんがいますよ」
「えっ、誰!?」
「詩織の数少ないお友だちの実千夏ちゃんの幼なじみです。名前は勝己君。この子もFチルで、ロボット開発業界ではちょっと有名な子ですよ。コンテストによく顔を出しています」
実千夏ちゃんとの会話の中で、よく幼なじみ話は出てくるけど、何でもできる子だって実千夏ちゃんは言っていたから気がつかなかった。
「えっと、だったら実千夏ちゃんに紹介してもらえるように連絡を取ればいいのかな?」
「詩織さん。ちょっとよろしいでしょうか」
ルーミスティさんに突然声を掛けられて振り向いた。
「その子の世話役はかなりやっかいなヒューマノイドです。私たち他のヒューマノイドの名前は、極力出さない方がいいでしょう」
ルーミスティさんの重たげなその言葉に、私も真剣にはいと頷いた。
何だか初めは全然役に立たない感じだったけれど、これで私の役割がわかった――でも、あれ? 私は何をすればいいんだろう。
「晃久君。実千夏ちゃんの幼なじみに連絡を取って、どうすればいいの?」
「ヒューマノイドの改造を頼みたいんだが、どんな子なんだ?」
晃久君は私に不安そうに聞いている。確かに、見ず知らずの人にそんなことを急に頼まれて、引き受けてくれる人なんてすごく少ないだろう。
「えっと、どんな子なのかは私もよく知らないんだ。実千夏ちゃんに一度相談してみるね」
私がそう答えると、晃久君は「お願いします」と私に小さく頭を下げた。晃久君が私に頭を下げた。本当に今日はどうしたんだろう。
「今日帰ったら聞いてみるよ」
晃久君は困ったように笑ってから、立ち上がった。
「今日の用件はそれだけだ。ありがとう」
「うん」
「じゃあ、俺たちは帰るよ」
晃久君が春君に立つように手でジェスチャーしてから、二人が座っていた椅子を元あった場所に戻した。鞄を持って、美術室の扉に向かう。
「お邪魔しました」
晃久君がそう言って美術室を出て行って、そのあとに続いていた春君がなぜか扉の前で足を止めて振り返った。
春君にじっと見つめられて、口を開かない春君の言葉がCOMNを介して直接耳に届いた。
「詩織ちゃん、俺からは事情を詳しくは話せない。でも、あいつを手伝って欲しい」
春君の願いのこもったその言葉に、
「いいよ」
声に発して言葉を返した。
この学校の生徒が、Fチルに対してすごく態度が軽いのは、すべては晃久君のせいだ。晃久君と比較されると他のFチル全員が、すごくまともに見えてしまうからだ。
そう。だからよく考えてみなくても、私は晃久君に重い恩があるんだ。それを少しでも返さなくては心に重い。それに――友人のためにこんな顔をしている人の頼みを断れるほど、私は押しに強い人間ではなかった。
「ありがとう」
春君はほっとしたように笑ってから、美術室を出て行った。
二人が出て行くのを見送って、じゃあ解散というかのように、自分の作業部屋に戻ろうとするもっつんの腕を掴む。
「もっつん待って」
マリアが反対側の腕を掴んだ。
「せめてもっつんが知っていることくらいは、私たちに教えてくれないかな?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「いや、うちだってヒューマノイド一体調達してくれって頼まれたけど、なんでかは聞いてへんから、よお分かってへんよ」
『聞けよ』といいそうになる言葉を飲み込んで、もっつんを挟むようにマリアと座ってからもっつんをその間に座らせた。
「あと金貸してくれって言われて……あとレミーネがついに働くで! 晃久が卒業したらうちんとこでな」
晃久君はFチルじゃないから、レミーネさんは晃久君のヒューマノイドじゃない……そう考えると、レミーネさんは晃久君の何なのだろう。そして――
「ヒューマノイドを改造する……」
どう改造するのかを聞いて分かるのかは知らないけれど、この情報だけだと何をするつもりなのかが全然分からない。
「全然わかんないなー」
私の考えを写すようにマリアがそう言って、ため息をついた。
「ねぇもっつん。とりあえず私は可愛い女の子を考えればいいんだよね?」
「おう。さっそくやるか」
「3日くらい待って。全力で考えるから」
本気やなぁともっつんは呟いてからこちらを向いた。
「あのさ、もっつん。私がヒューマノイドを改造出来る人を探すって話は、マリアが考えてくれてるヒューマノイドの容姿とは関係ない話なんだよね?」
「おう。ヒューマノイドの容姿いじるんは、うちんとこの見習いにやらせるで。良い機会やし」
結局、どうしてヒューマノイドを改造出来る人を探すのかは全然分からないけど、私も約束したから、やることは変わらない。
『今日の20時から、おしゃべりできないかな? 聞きたいことがあるんだ』と実千夏ちゃんにメールを送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
家に帰って、カザネが用意してくれていた晩ご飯を食べて、お風呂に入って髪を拭いているときに実千夏ちゃんから連絡が来た。
「ごめん。ちょっと待ってね」
急いで髪を乾かしてから、自分の部屋に戻ってベッドに座る。
「いいよ。お待たせ」
そう言うと、目の前に実千夏ちゃんのホログラムが浮かび上がった。
「詩織ちゃん。久しぶりだね!」
「うん。2ヶ月ぶりぐらいかな」
「さっそく、私に聞きたいことって何かな?」
わくわくと向こう側から音が聞こえてきそうなほど、正座して私のことを待っている実千夏ちゃんの姿に苦笑する。こう言うと失礼だと思うけれど、実千夏ちゃんを見ていると、大型犬を思い出す。
「あのね。実千夏ちゃんの幼なじみって、ヒューマノイドの改造とか出来るのかな?」
「ヒューマノイド? 勝己はロボットの修理やっているところしか見たことないけど、きっとできると思うよ。聞いてみるね!」
「実千夏ちゃん、ストップ!」
今すぐに連絡を取りそうな実千夏ちゃんを慌てて止めた。
「えっとね。ヒューマノイドの改造ができたら頼みたいんだけど、それは世話役のヒューマノイドにバレたら止められるかもしれないことなんだ」
そこまで言ってから、やっと私は気がついた。私――いや晃久君がやろうとしていることは、悪いことなのかもしれない。
「どういう内容なのかはまだ私もよく分かっていないし、ヒューマノイドに止められるようなことを頼むのは悪いと思っているんだ。だけど、私は頼まれたから――」
大嫌いだった、人からの頼まれごと。あんな目にあって、もう二度と誰かの頼みなんて聞くかと、そう思っていた。
だけど今日の私は、あの二人の頼みを引き受けた。心に余裕が出来て、あの二人の頼みだからと自分から頼みを聞いた。だからこれはもう私の責任で、私の意思で頑張ろうと思う。
「友だちに頼まれて、私が手伝ってあげたいんだ。だからお願いします」
そう言って頭を下げてから、小声で「世話役のヒューマノイドには内緒でお願いします」と付け加えた。
「詩織ちゃんに頼み事をされるのは、初めてかもしれない!」
こわごわと下げていた顔を上げると、実千夏ちゃんの目は輝いていた。
「私も人のことは言えないけど、詩織ちゃんから友だちって言葉を初めて聞いた!」
それに関してはごめんなさいと再び頭を下げる。
「いや、もう私頑張っちゃうよ! 勝己!」
実千夏ちゃんのその声に、年下に見える男の子がこの場に現れた。勉強をしているのか、男の子の視線は机に向かっていてこちらを向いてはいない。この子が実千夏ちゃんの幼なじみの勝己君かと見ていた私は、それを見ている自分の姿に気がついてパジャマの上に急いでカーディガンを羽織った。
「実千夏。何の用?」
「勝己! 頼みがあるんだ。ね、お願い!」
お願いお願いと続けられて、勝己君はうっとうしそうに顔を上げた。
「お願いって、先に用件を言えよ」
そう言ってから、やっと私の存在に気がついたのかこちらを向いた。
「こんばんわ」
「えっ、あ、こんばんわ」
勝己君は動揺していたけれど、「こちら、詩織ちゃんです!」と実千夏ちゃんに紹介されると私のことは知っているのかああと頷いていた。椅子をこちらに向ける。
「勝己。エレナには内緒の話なんだけど――」
実千夏ちゃんのその台詞に、勝己君は「待て」と静かに手を挙げた。
「重要な話か?」
一瞬ちらっと私のことを確認されて、私と実千夏ちゃんはしっかりと頷いた。勝己君が斜め上を向く。
「エレナ。この回線の会話はプライベートだ。聞いたり、解析はするなよ」
そう言ってから、「いいぞ」と実千夏ちゃんの方をしっかりと向いて実千夏ちゃんを促すと同時に、はあとため息をついて額を押さえた。
「お前なんでパジャマなんだよ。パジャマ姿で、夜に男に連絡するなよ」
「ああ、ごめんごめん」
九州はこちらより暖かいのか、ショートパンツに半袖姿という私よりかなり薄手の装備の実千夏ちゃんは、軽い言葉で勝己君に答えた。ショートパンツだと背の高い実千夏ちゃんの足の長さが強調されて、羨ましいことこの上ないけどちょっと目に毒だ。
「で、勝己。頼みがあるんだ」
映像を切って音声だけで会話も出来るけれど、実千夏ちゃんは勝己君の願いはあっさりと無視して話を続けた。
「だから、頼みってなんだよ」
実千夏ちゃんはしばらく勝己君の顔をじーっと見てからこちらを向いた。もしかしたらあの顔は、私の頼みの中身を忘れたのかもしれない。
「勝己君。初めまして詩織と言います。頼みって言うのは私の頼みで、ヒューマノイドの改造をお願いしたいんだけど……」
「ヒューマノイドの改造?」
そう言えば、できるか出来ないかを聞いていなかった。
「えっと、まずはヒューマノイドの改造はできる……のかな?」
「それは内容によるけど」
内容……それはそうかと、何も確認してこなかった自分を責めた。
「ごめんなさい。私も友だちに頼まれたことなんだけど、詳しい内容はまだ私も聞いてなくて……」
「大丈夫だって。勝己だったら絶対にできるよ!」
朗らかにそう宣言した実千夏ちゃんを呆れた様子で勝己君は見る。
「ヒューマノイドの改造だけど、エレナには内緒なのか? エレナに聞いた方が確実だ」
「バレたらきっと止められるってルーミスティさん――別の人の世話役が言っていて」
そんなことを頼むのは気が引けるなと思っていると、勝己君は「ふーん。わかった」とあっさりと納得してくれた。
「加工機械を使わない内容だったら、俺だけで大抵のことはできる。それで、改造内容はどう確認すればいい?」
「勝己。手伝ってくれるの!?」
「ごめん。たぶんお金は渡せないよ?」
あまりに簡単に引き受けてくれて私は驚いた。
「いいよ、別に俺はプロじゃない。俺も興味があるし、それに、詩織さんは実千夏の友だちだろ? 詩織ちゃん、詩織ちゃんがって、こいつの世話、いつも大変そうだなって思ってる」
実千夏ちゃんは勝己君が目の前に居れば、手を両手で握るくらいのことはしただろうくらい「勝己、ありがとう!」と声を震わせて満面の笑顔だった。
「勝己君ありがとう。確認してみるけど、たぶん依頼元の私の友だちから直接連絡が行くと思う。晃久君って名前なんだ」
「えっ!? 友だちって、男なの!?」
実千夏ちゃんが飛びかかるようにこちらに近づいてきた。
「絶対に女の子だと思ってた。どういう関係!?」
「ただの友だちだよ。本当に」
「その『ただの』って言葉が怪しいんだよね」
Fチルじゃない晃久君をこの二人にFチルだと紹介していいのかがわからなくて、事実を言っているはずなのに、実千夏ちゃんは全然信用してくれなかった。
(おまけ)
後日、勝己君から連絡が来た。
「詩織さん。実千夏は……晃久さんとは会ったことないんだよな?」
晃久君はあの顔で、スタイルもいい。勝己君が遠回しに何を聞いているのかはすぐにわかった。
「ないよ。会ってもあの人は顔だけだから、たぶん大丈夫だと思うけど、絶対に会わせない方がいい?」
私は勝己君の機嫌を損ねるわけには行かないから、そのためだったら何だってしよう――ごめん、実千夏ちゃん。
勝己君の悩んだ末の言葉は、
「いい」
男の子特有の格好付けた言葉だった。
でもきっと不安なんだろうなと、電話を切ったあとに、二人の関係に今日ももだえてしまった。




