8話 交渉
* * * * * * * * * *
どうして、一番欲しいものは手に入らないのだろう。
手に入らないからこそ、自分が欲しいのだと思うことはわかってる。俺が持っているものの中に、他の誰かが羨むものが入っていることも知っている。
それでも俺は思う。欲しいと思っているなら勿体ぶらずに全員にくれてやったらいいのに、どうして、一番欲しいと思うものだけは絶対に手に入らないのようになっているのだろうか。
やっぱりこの世界に、神なんていない。
* * * * * * * * * *
「晃久。今日の放課後ちょっと時間あるか?」
「なんだ」
さっそく朝一番に、皆に聞こえないようにCOMNで話しかけたけれど、晃久は机に教科書をしまいながら、顔も上げない。
「前の話の続きだ」
「春。すまん。俺はちょっとあの日色々あって、感傷的だった。言い過ぎた」
俺の顔を見もせずに、淡々と何でもないかのように返す晃久を一瞬悲しく感じたが、段々と怒りを感じる。こいつは諦めているのかもしれないが、俺は諦めてたまるか。
「とにかく、放課後少し顔を貸せ。逃げるなよ」
「何で春と放課後デートしなくちゃならないんだ」
晃久はため息をついていたが、ダメだとは言われなかった。よしと、俺も授業の準備を始めた。
そして、放課後。普通に帰ろうとする晃久の前に仁王立ちして、あごで行こうと指し示すと、晃久は大仰にため息をついてから歩き始めた。門とは逆の方向に向かうその足についていくと、以前晃久と話をした調理室に着いた。
「まさか春と放課後にここに来ることになるとは」
晃久の軽いその言葉に、いつもこいつはこの場所を何に使っているんだと気にはなったが、きっと俺は知らない方が幸せなことだろうと、奥に進んだ。
真ん中の調理台に座って、さっき自販機で買ってきた缶コーヒーを机の上に置く。晃久はそのコーヒーを見て、嫌そうな顔をした。
「春も、ついに俺のことが好きになったのか?」
「晃久。悪いが真面目な話だ」
こいつは元々真面目な話が苦手なんだ。晃久が言うようにあの日が異常だっただけで、いつものこいつのペースに飲まれてはいけない。
晃久は、睨むように見上げる俺に諦めたのか俺の前に大人しく座った。そして缶コーヒーを一本手にとって、プルタブを開ける。
「で、何だ?」
無糖か甘いのかどの甘さが好きなのか知らなかったから微糖を買ってきたけど、晃久は気に入らなかったのか微糖コーヒーに口をつけて一瞬顔をゆがめた。
何だと聞かれると急に話しづらくなったけれど、気合いをいれて話を始める。
「ルーに相談してみた」
「ふーん。で、ヒューマノイドだと何か良い案は出たのか?」
初っ端から、その言葉が俺の頭に引っかかった。
「まさかレミーネに相談していないのか?」
「していない。だってレミーネはあいつのものだ。今だってCOMNの電源は切っている」
晃久が首に着けているCOMNを見せるように首を上げた。前回は気がつかなかったけど、常に光っているはずのLEDが切れている。
「レミーネは俺のことをあいつにわざわざ報告しないと言っているが、聞かれれば普通に答えるだろう。だから、聞かれたくない話をするときには切るようにしている」
そう淡々と説明する晃久を見て、そうなのかと驚いたあとに何だかすごく悔しくなった。
こいつはいつも、こんなことを考えて生きているのか。
晃久が『あいつ』と呼ぶ晃久の父親は、晃久がこんな考え方をしなくてはならなくなった理由を考えたことがあるのだろうか。
俺が今悔しがっても意味はないので、気持ちを置いて顔を上げる。
「晃久。レミーネとこれから一緒にいるか、大学に行くか、どっちか優先するとしたらどっちになる? ルーが、今色々と確認してくれてるんだが――」
「春。やっぱり俺の人生、どっちかしか選べないんだな」
晃久はそう言って笑った。
「そうじゃない」
いや、俺が聞いているのはそういうことなのかもしれない。でも、俺は否定したかった。
「何ができるか何ができないのか、ルーが今調べてくれている。でも、やっぱりルー的には優先順位付けてくれないと少し動きにくいみたいだ。だから、俺はただ聞いているだけだ」
晃久は俺の言葉に少し考えるように眉を上げた。
「どっちか、か……」
そうつぶやいてから、深く考えているのか、ぼんやりと俺の後ろに視線を向ける。
ルーによると、大学に行くことの方が簡単のようだけれどそれを言ってしまうと、晃久はそちらを選んでしまうんじゃないかと思って俺は言わなかった。
「春。仮にレミーネを選んだとしてどうするつもりなんだ?」
だけど晃久も、どちらが難しいかなんて分かっているのかもしれない。晃久の問いかけを誤魔化そうとして――でも誤魔化せなくて、俺は少し視線を逸らして「調査中だ」と言い訳をした。
「大学は――」
晃久が口を開いた。
「大学は、別にあとからでも行けるだろ? 4、5年必死に働いて金を貯めれば、俺は行けるんじゃないかって思っている。ちょっと遠回りになるけどな」
晃久は投げやりになって全部諦めたのかと思っていたけど、そうじゃないのかもしれない。
そう決めざるを得ないことは悲しいことだけど、晃久はちゃんと考えていた。俺はごめんと心の中で謝りながら、「うん」と頷いた。
「だから、俺は――」
話の流れで晃久がどちらを選んだのかはわかるけど、晃久の言葉は続かなかった。晃久のぼんやりとした視線が俺と合って、晃久は困ったように少し笑ってから、また目を逸らした。
「晃久。お父さんに、交渉はできないのか? 介護用って言っていたが、こないだ見たときはまだ全然元気そうだったじゃないか」
「俺もこないだ会ったときそうしようと思ったんだけどな。あいつはやっぱダメなんだ」
「ダメって? 何がだ?」
俺がそう聞くと、晃久は俺の目をまっすぐのぞき込んだ。
「春はさ。俺が生きているのがわかるだろ?」
その目の鋭さに姿勢が正される。
「目の前に俺が座っているとき、顔色とか、表情とか見て、『何かこいつも、ものを考えて生きているんだろうな』って思うだろ?」
意味がよくわからないが、晃久が生きていることはわかるので頷いた。
「あいつは、そういうのがわかんないんだ。あいつは、俺が感情を持つ生き物だと言うことがわからない。机とか、椅子とか、そんなものと同じ存在だと思っている。だから、自分がしたことに対して、俺がどう思うかなんてあいつは考えない。あいつにとって、レミーネは一番優秀な手持ちの機械だ。ただそれだけの理由で、あいつはレミーネを選ぶ。俺にとってそれがどれほど酷なことか、あいつは考えようとしない」
晃久はそのときの気持ちを思いだしたかのように、少し苛立っていた。
「俺だってあの日、色々提案したさ。ただ自分の介護をやって欲しいだけなら、レミーネでなくてもいいはずだ。だけど、あいつにはそんなことは通じなかった。何で自分の持ち物について指図されなくてはいけないのかと、そう言っていたよ。俺も始めは我慢して、でも最後は怒って説明してもあいつには全然通じていなかった。言葉はちゃんと通じているはずなのに、感情は何も通じないんだ。昔からあいつはそうだ」
晃久はそうつぶやいてから、軽く視線をこちらに向けた。
「だから、春。あいつとの交渉は無理だ。金を山のように積んだら応じるかもしれないけど、そうでないなら無理だ。せめて理論的にいけば交渉してくれたらいいんだけど、あいつにとっては自分の持ち物をほしがる人がいる――それだけで、レミーネを手放さない理由としては十分なんだ」
正直に言うと、晃久の説明する人物像が俺には全然わからない。だけど、明確に説明する晃久を見て、きっと晃久は本当のことを言っているんだろうと思う。
「俺はさ。こいつの感情に訴えかけても無理だってことを、もう知っている。それなのに、何で俺は何も学ばずに、何度も何度も、同じことを繰り返すんだろうな……」
『俺も馬鹿なんだな』とそう続ける晃久に、反射的に「違うだろ」と言い返す。
晃久の望みは間違っていない。それを伝えて交渉しようとすることもおかしいことじゃない。
だけど、相手にはそれが伝わらない。
そういう相手にはどうすればいいのだろう。相談に乗っているのが俺のはずなのに、不甲斐ないにもほどがあるが、俺はそう考えていた。
『春』
COMNから届いたのは小さな声。
『春。出てはだめですか?』
COMNからの問いかけに、いいよと脳内で返事をすると、俺のCOMNからホログラムのルーが姿を現した。
「ルー」
晃久は現れたルーを見て、気まずそうに目を逸らした。
「晃久君。話を聞いてすみません。でも、誰にも言わないと、私は春に誓いましょう」
その言葉を聞いて、晃久は軽く笑った。
「で、ルー。俺に何の用だ?」
晃久はいつもの女性を口説くモードでルーを見上げている。
「晃久君。よければ、カーラに相談してみませんか」
「カーラ?」
この顔はまさかカーラさんを知らないのかと驚いたけれど、補足をする。
「カーラさんは、Fチルの世話役のヒューマノイド全員の上司にあたる人だ」
「へー、で、相談するって何を」
「私たちヒューマノイドのPriorityの1には人類の発展が、2には主人――私であれば春が設定されています。おそらくレミーネのPriority 2には晃久君のお父様が設定されていると思います。ですがその優先度とは別に、命令系統として、私たちには上位システムというものが設定されています。Fチルの世話役を離れたレミーネの上位システムがどなたになるのかは私は知りませんが、私の上位システムであるカーラに相談してみれば何かわかるかもしれません。ちょうど次の日曜であれば良いとアポイントは取れています」
いかがでしょうかと、ルーは晃久を見て微笑んだ。
「なあ、聞いて良いか」
ルーを見上げながら穏やかな口調で晃久は言った。
「俺が口をこぼしたのが悪いと思うんだが、何で首を突っ込むんだ」
その言葉に、無言になってからルーとお互いのことを見つめ合う。しばらくしてからルーが俺の隣に座った。
「晃久君。すみませんが、私たちはお節介なんです」
その言葉に続いて
「悪いな、晃久。俺はそう育ったんだ」
俺が笑ってそう伝えると、晃久は苦笑してから目を逸らして、俯いた顔で「じゃあ頼む」と小さく答えた。




