4話 進路
■ ■ ■ ■ ■ ■
良い子にしていればプレゼントが貰える日というものがあることを、俺は幼い頃、保育園の先生に聞いて知った。
小さいころの俺には欲しいものがたくさんあって、俺は何とかそのプレゼントを貰おうと頑張っていた。
だけど、俺がどれほど努力しても、枕元に靴下代わりに置いた大きな袋はいつも空で――サンタとかいう赤い服に白いひげを生やしたおっさんは、絶対に俺のところにだけは現れなかった。
昨日、何を貰ったかを興奮した様子で報告するみんなの話を、毎年俺は、ただ聞いていた。
悲しい、悔しい――そんな気持ちもあったが、俺の中で一番大きかったのは恥ずかしいという感情だ。あのころの俺はサンタの真実なんか知らなかったけど、プレゼントを貰えていない自分の存在を友だちに知られるのが恥ずかしくて、俺はそのことがバレないように、空虚な笑みを浮かべて輪の中に入っていた。
そんなことが何年も続いて、俺は自分のことを少しずつ『悪い子』だと思うようになった。
俺が悪い子だから、プレゼントなんか貰えないのだと、そう友だちに説明できるようになって、俺は初めて心からその輪の中に入れるようになった。
プレゼントなんていらない。だって、俺は悪い子だから。
俺は友だちにそう思ってもらうために、進んで悪い子になった。
いつしか俺はサンタの真実を知った。それを仕掛けた大人の思惑と、それに乗っかる人たちの目的を知った。
毎年冬になって、安っぽいイルミネーションと音楽で彩られる町を見るたびに思う――
俺は、クリスマスという日が、大嫌いだ。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「ねえ春君……あの子の側に行ってあげて……」
一人弁当をつついていた俺の耳に、突然レミーネのそんな声が聞こえて、俺は思わず箸を落とした。箸を拾っている最中に今度はメールが届いて、箸を机に置いたあとそれを展開するとそこにはただ一言
『調理室』
と書かれていた。
「調理室ってどこだよ」
レミーネはこちらの呼びかけには答えない。周りのやつらに聞いても、調理室なんて誰も知らない。
普段はこんなことには使わないけれど緊急事態だと、俺はCOMNから回線を開いた。
「ルー。緊急事態だ。調理室ってどこにある」
「別棟と呼ばれている隣の建物の3階です。入り口側の階段を上って一番手前の教室になります」
「ありがとう」
ルーの声を聞きながら、俺は教室を出た。
『調理室』――恐らくここだ。急いで来たけど、俺はどうすればいいのだろう。
晃久によると、今日は詩織ちゃんと大事な話らしい。そんな中、俺は入っていいのだろうか? 詩織ちゃんの悲鳴が聞こえたら入ろう――いやだけど、悲鳴が聞こえるまで俺は放っておいていいのだろうか。あれから一切連絡はないが、レミーネの呼び出しは俺に今すぐ入れということじゃないのか? さすがの晃久もそこまではと思いつつも、いやだが……さっきから俺は調理室の扉の前で手を伸ばしたり下ろしたりをしていた。
「おい、春! 入って良いぞ」
調理室の中から届いた晃久の声に軽く飛び上がる。俺はおそるおそる扉に手を掛けた。
「詩織ちゃんならとっくの昔に帰った」
晃久が一人調理室の大きなテーブルの上で弁当を広げている。晃久はこちらを見ずに淡々と弁当を食っていた。
「断られたよ」
その言葉に驚いた。大事な話とは言っていたけど、ほんとにそんな話だったとは思わなかった。こいつはいつも急すぎる。
「好きだったのか?」
晃久は口に卵焼きを入れたままこちらを向いた。
「あのな、春。女の子は付き合ってから好きになるもんだ」
「いや、違うだろ」
「お前、そんなんだからダメなんだぞ」
淡々と発せられた内角をえぐるような言葉にダメージを受けていると、晃久が「まあ座れよ」と箸で前の席を指した。きんぴらゴボウに箸を付けている友人の前の席に座る。
「春は……将来どうするんだ」
突然なんの話だろうと思ったけど、そういえば先週に担任から進路希望を聞かれた。
「進路の話か?」
「そう。先週、紙もらったろ」
「どこの大学にするかは成績次第で悩んでるけど、俺は工学部かな。ロケットとか飛行機とか航空系に興味がある」
俺がロケットを頭に思い浮かべながら、少しわくわくした気持ちでそう伝えると、晃久は俺の顔を無表情でちらりと見てから弁当に視線を戻した。
機嫌が悪いのだろうか。晃久は俺と二人きりのときはそれほどうるさくはないが、今はそう見える。
「晃久はどうするんだ?」
こいつはいつも表面上はふざけているが、ふざけている割には課題も真面目にやっているし、成績は悪くはない。俺と同じように理数系が得意だから、工学か理学か、頑張ればどこかの医学部には入れるだろう。
だから、俺はどこにするのかと軽く聞いたのだけど、晃久からは返事はなかった。
晃久が弁当を畳む音だけが、部屋に響く。少し息苦しいその空間に、俺は話題を変えた方がいいのだろうかと悩み始めたとき、やっと晃久が口を開いた。
「春。大学って、行くべきか……」
「えっ、そりゃ行くべきだろ」
まさかそこに悩んでいるとは思わなくて俺は驚いた。
「俺たちは、国公立だと学費がタダだ。修士まで行くと働くまでに6年はかかるけど、生涯賃金を見れば、絶対に行くべきだと思うぞ」
そんな話は世間でもよく聞くし、この学校は進学校だから高校を出て働く方が珍しい。
「国公立は選ばなければどこかには入れるだろ。それが嫌なのか? あっ、もしかして今の家から出たくないとか?」
国公立縛りで行くと、近くの大学は偏差値が高いところばかりだからその中のどこかに行けなかったら引っ越さないといけない。俺はこの理由だろうと思ったけれど、晃久の表情に変化はなかった。
これも違う……とそこまで考えて、やっと基本的なことを思い出した。
「勉強嫌いなのか?」
俺はそうでもないけど、普通は嫌だろう。だけど、将来のことを考えると今は我慢――そう俺が言おうとしたとき、晃久は両手で弁当袋のヒモを強く引いた。弁当袋の口と一緒に、俺の口がふさがれる。
晃久が、ヒモを握りしめた右手をとんと机の上に落とした。
「そうだったら、良かったんだけどな」
「どういう意味――」
「なあ、春」
顔を上げた晃久は、さっきの無気力だった空気が嘘のように目に気迫があった。
「不公平だとは思わないか?」
何がとは聞けない。晃久は俺の言葉を求めていない。
「上の世代の奴らは俺たちよりも豊かな時代に好き勝手に生きてきたくせに、無理矢理生まされた今の俺らがやらされていることは、上の世代の尻ぬぐいだ。俺たちは文字通り、福祉とか綺麗な言葉で飾って、上の世代の尻を拭くような仕事をやらされる。それが嫌なんだったら、ヒューマノイドに勝つくらい死ぬ気で勉強しろ――今の俺たちには、そのどっちかの選択肢しかない」
「ああ。それはわかる」
医療や介護の仕事を侮辱するつもりはないけど、俺には向いていない。だから自分の好きな分野に進むために、俺は今勉強をしている。
わかるからこそ、なぜ晃久が今その話をするのかがわからなかった。
「晃久。だからこそ俺たちは勉強しているんじゃないのか?」
「なあ、春。お前は何とも思わないのか? 自分は偶然勉強が得意だったから、今はまだやりたいことができているけど、俺たちの尻を拭くために生きろって上のやつらから言われたようなもんだぞ?」
俺たちFチルを作ることを決めた上の世代の人たちが全員そうだとは思わないけど、晃久の言っていることもきっと事実だ。でも、そんなことは俺たちはFチルにとって当たり前の話で、晃久が今更感傷的になる理由がよくわからない。
「晃久。そうかもしれないけど、こんな環境じゃなかったら俺たちはそもそも生まれていなかった」
机の上で固く握った自分の手を見つめていた晃久は、俺の言葉に手をほどいて顔を上げた。その視線は思わず目を逸らしたくなるほど俺に向けられていた。
「春。お前は、たとえどんな理由であっても、自分が生まれたことに感謝しているのか?」
その問いかけに驚いたけれど、どんな生まれであっても俺は俺だ。
「えっ? ああ」
晃久は頷いた俺を見て、
「そうか……俺はそうじゃなかった」
視線を外に向けながらそう呟いた。
校庭から昼練に励む生徒の声と、キンとバットでボールを打つ音が聞こえる。
俺たちしかいないこの調理室は、痛いほど静かだった。
晃久の視線は窓の外を向いていて、その横顔には何の表情もなかった。
何を言えばいいのかがわからない。どうすればいいのかが、俺にはわからなかった。
「春。お金ってどうすれば手に入る」
晃久は外を向いたままだけど、空気を破るその声に、俺は急いで返事をする。
「働く、かな?」
あまりにも普通の答えに、それ以外に何かないかと一生懸命知恵を絞っていると、晃久は軽く笑った。そして、こちらを向く。
「やっぱ、そうだよな。働くしかないんだよな」
その諦めたようなどこか寂しい笑顔に、思わず言葉を返した。
「何か金に困っていることがあるのか? 俺でよければ相談に乗るぞ」
「いや、大丈夫だ」
晃久は軽く答えてから、ゆっくりと首を傾けて天井を見上げながら息を吐いた。
「俺は、大丈夫だ。でも、そうだな――」
晃久はふっと笑った。
「できれば、死んでくれないかなと思う」
神様に希うようなその言い方。少しどきっとしたけど、俺のことを言っているわけじゃない。
でも、だったら『誰が』とは俺は聞けなかった。




