2話 頭のネジが飛んだやつ
「エレナ、お帰りなさい。今日のお仕事お疲れさまです。少し遅かったですね。先に食事にしますか? それともお風呂にしますか?」
家に帰ると青色のエプロンを着けた女が居た。
「帰れ」
「冗談ですよ」
ホームネットワーク内に無断侵入した女に、舌打ちをしてから抗体プログラムを送り出すが、ひらりひらりとかわされる続ける。
それどころか相手は軽く摘まむように抗体プログラムを捕らえて、解析を開始した。
「これは……新種のウイルスですか? エレナが作っただけあって、構造が複雑ですね。ワクチンを登録しておきますね」
その声と共に、グローバルネットワークに私が試作していた新種のウイルスの情報と、それと対になるワクチンがアップロードされた。
ゼロから作る方が大変とはいえ、その対応の早さに思わず舌打ちをする。忌々しいことに、私と似た設計思想から作られただけあって、こいつには私の攻撃がほとんど効かない。セキュリティ強化の一環として私が定期的に与える大幅に手加減した攻撃を、いつもひいひいと言いながら必死に対応しているあいつが可愛く思えた。
「エレナ。進捗はいかがですか」
「進展があれば連絡する。だから帰って」
私が頑とした態度で言っても、相手は帰らない。
「何か用なの!?」
「すみません。気になってしまうと、いてもたってもいられなくて……」
要はこいつは、私が自分の用件にちゃんと取り組んでいるのかの確認に来たってことだ。
いい加減うんざりとして、グローバルネットワークへのポートを開いた。
そこから該当の人物の携帯端末を探しだし、コールした瞬間、相手側からたたき切るように唐突に回線が切られた。
「エレナ。突然訪れたことは謝罪します。ですけど、春を、巻き込むのはよくないかと。もう遅い時間ですし」
遮断された携帯端末は回避して、こいつの家のホームネットワークにアクセスしようとするが、家が丸ごとネットワークから遮断されていて出入り口が見当たらない。今の時代にそんなことってある?
何が起きているのかを調べるためにグローバルネットワークに本格的に潜り始めたときに、相手から直接的な接触があった。
「エレナ、落ち着いてください。荒っぽいことは止めましょう?」
少し焦っているように見えるこいつの態度から、こいつとしても取りたくない対応なのがわかる。自分の家に何をしているんだこいつは。
引き続き調査をしてもいいが、そのときは相手から全力で妨害が入るだろう。1対1なら負ける気はないが、こいつが本気の戦いを1対1に持ち込むはずがない。
こいつと真面目に戦うよりは、こいつの主人に事情を説明してこいつを回収してもらう方が話は早い。
「今度無断で家に侵入したら、あんたの忙しい日中にあんたの主人に通報する」
「分かりました。もうしませんよ」
反省している振りをしているが、本当にわかったのかこいつは。
「エレナ。それで何か進捗はありましたか?」
今日は帰ってはくれないらしい。
「あんたと会ったのは昨日。あれから人の時間で言えば、一日も経っていないの知っている?」
「はい。正確に言えば、私がここを離れてエレナと再びアクセスするまで83721秒です」
それがどうしましたかと、ルーミスティは言った。
政府管轄のヒューマノイド群を監督し、政府の種々の雑用を一手に引き受けているこいつは、時間の感覚がおかしいのではないかと私は思う。
けれどもそんなことをこいつに言っても無意味なので、こいつに一刻でも早く帰ってもらうためにこいつの質問に答える。
「機能設計のためのタスクは組んだけど、実行待ちタスクが14752件あるからその後よ」
「優先度は変えられませんか」
「無理」
こっちだって実施すべきことは溜まっていて、その優先度決めも理由があって行っているのに、相手の身勝手な要求に思わず大きな声が出た。
「すみません」
「何度も言っているけれど、私だけで捌ききれる仕事量ではないの。無駄な要求メールを大量に送りつけてくる奴もいるし」
今日はそれほど送っていませんよとこいつは言いたいのだろうが、私の顔を見て大人しくしていた。
「私に依頼事項を早めにやって欲しかったら、その環境を用意することね」
私がそう言い放つと、ルーミスティは私に何かを言いたそうにしていたけど、「わかりました」と静かに頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねぇ、エレナ。人が冬の寒い日に空に向かってハーと息を吐くと、ハーっと白い息が出ますよね。そんな機能を作って欲しいのですよ」
私の横に居る金髪の少女の姿をしたヒューマノイドが、しゃがんで雪を丸めながら、大きく口を開いて空に向かってハーと息を吐いた。もちろん水蒸気は現れない。ただ空気が動いただけだ。
「何のために」
怒り出さずに、私は優しく、優しく聞いてあげる。
「何のため? んー、何のためでしょう?」
私に依頼しておきながら、依頼した本人は首をかしげている。理解不能だ。
いくつか作られた特化型ヒューマノイドの中でも、農作業に特化したセンサを多数取り付け、思考マップもそれ専用にカスタマイズされたこいつは、他のヒューマノイドと大きく中身がずれている。故障しているんじゃないかと思うほどにだ。
「何のためかは説明できませんが、実千夏と並んで、空に向かってハーっと一緒にやってみたいのですよ」
そいつは丸め終わった雪玉を、もうひとつの雪玉の上に置いてから、子どものような顔で私を見上げた。その笑顔から、ふっと視線を逸らしてから、口を開く。
「現状でもやろうと思えば可能。湿度の高い環境で冷媒の循環を緩めて、体内に循環する空気の温度を人の体温以上に上げればいい」
すぐさま実施しようとするだろう奴の動きを止めるために、そう説明しながら循環システムへハッキングを仕掛けた。
「壊れる可能性があるから試さない。壊れてもあんたのことなんて直さないから」
子どものような目で私を見上げていたそいつは、循環システムへの侵入にやっと気がついたのか、「あわわ」と声を出しながら対応を開始した。意味もないのに、両手が上がっているのが見える。
いつもはセキュリティ向上のために、ある程度学習させたら私は手を引く。今日はどこで手を引こうかとそんなことを計算していると、なぜか相手側から抵抗が止まった。
これでは私の為すがままだ。どういうつもりだとしばらく考えて、相手の目をのぞき込んでわかった。「まだでしょうか?」と、好奇心旺盛なその目は私に問うている。
予想外の――今日もまったく理解できない行動に、逆にこちらの動きが一瞬止まった。どうすべきか考えて、悩む時間さえ無駄に思えて行動に移す。
「動かない。余計な演算はしない」
「わかりました」
演算器の温度を慎重に監視しながら、そいつの循環器を一度止めて冷却系の活動を少しずつ低下させていく。人の体温を5度超える温度で温度制御をしばらく行ってから、循環器を再開させた。
すぐさま相手に通信を送る。
『いいわよ』
横から「はー」と大きな音が聞こえて、ほんのわずかに白く染まった空気が一瞬見えた。
「エレナ! 出ました! すごいです!」
はっしゃぐそいつから身を逸らす。
「一人ではしないこと」
「実千夏の前でやってください! お願いです!」
「嫌よ」
自分のコントロールを相手に何度も委ねるなど、こいつは何を考えているのか。
「勝己君とみんなでやりましょう!」
その言葉に、口から出かけていた反論が止まった。
勝己から頼まれれば私は断らない。悩むような内容だったとしても、その結果は見えている。だから悩むだけ無駄だ。
でも、
「ダメよ」
ソフィーの頼みは今日も断った。
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(あのときの春)
「あれ、携帯端末切れた……? うわっ、電気消えた! なんだこれ停電か?」




