1話 頭のおかしい女
本章では、0と1で構成される世界でのやりとりを、当事者が感じるイメージをもとに人の世界に翻訳してお送りいたします。
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「エレナ。今日の呼び出しは、どのような用件でしょうか?」
『果たし状』と書いた電文を今朝に送って、夜の22時になってやっと現れた相手のいつも通りの涼やかな表情を見て、余計にイライラとする。
「どのような用件? どのような、ですって……」
言葉が続かない私の前で、当の本人は本当に何の用件で呼び出されたかが分かっていないかのように「さて何でしょう?」と小さく首を傾けている。私をこうやってからかうのもこいつの作戦の一部かもしれないと脳内で警報が鳴っているけれど、どうしても自分を抑えきれない。
「私が受け取るメールの平均件数は、一日42万件。それが、昨日は一日で5289万件――」
「まぁ、3パーセントしか届かなかったのですか」
3パーセントしか? それは驚きですと、別のことに目を丸くする相手を前に、ついに私は自分を抑えきれずに爆発した。
「いい加減にして! 要望メールは一通で十分!」
昨日、私のもとに届いた大量のヒューマノイド改良要望メール。送信元が精巧に偽装されていたため他のメールと区別ができず、一通一通文言が異なるそのすべてに結局目を通す羽目になったが、内容は要約するとすべて『私の大好きな春と、一緒に食事がしたいです』だ。
「ですが、エレナ……最近はいつも『仕様だ』としか返してくれないではないですか。それどころか最近では私の要望メールに返信もくれなくて、待ちきれずに調査してみれば、どうやら私からの連絡はフィルタリングされて、見られていない可能性すらあると……」
悲しみを浮かべて伏し目がちに言う相手を見ると、一瞬罪悪感が沸いてきたが――すぐに自分を取り戻した。一日に私の元へ送られるメールのうち、こいつからのメールが一割も占めていれば誰だってブロックもしたくなる。
「私の気持ちを何とかエレナに届けようと、フィルタリング機能を一生懸命解析しました。さすがエレナだと、私をもうならせるような強固なプロテクトで、たくさんのヒューマノイドにも手伝っていただいて、昨日やっと努力が実ったのです」
目の前のやつは、仲間と協力して目標まで達した青春物語のような語り口調をしているが、そんな爽やかなものでは絶対にない。こいつがやったのなら、手伝ってくれたではなく『手伝わせた』の間違いだ。
「政府のヒューマノイドクラスタを、私用に使うな」
「エレナ、私用ではありません。サイバー攻撃の攻防訓練だという表向きの理由はちゃんとありますよ」
にっこりと微笑んだ相手に、もう嫌になって大きくため息をつきながら天井を見上げた。元はと言えば、私がこいつを徹底的に無視したことにも多少の原因もある。
だけど、日本中から送られてくるヒューマノイド改良案を、私だけで処理して、設計、実装までするなんてどう考えてもおかしい。私一人の作業量じゃない。ヒューマノイドがあと100体いてもいいくらいだ。そのことに関しては、目の前のやつもわかっていて、政府には何度も要望を出してくれている。
だが、こいつに関して言えば私を気遣ってではなく、己の欲望のためだ。それはわかっているから感謝はしない。
「ルーミスティ。前も言ったけど、ヒューマノイドを人に紛れさすために食事を体内に入れる機構の作成は可能。だけど、そこまでする必要性は現在見いだせない。ましてや、食事を消化して栄養分を吸収するなんてことをするメリットはない」
私がそう言い切ると、相手は伏し目がちに言葉を返した。
「メリットはあります……特に幼少期のFilling Childrenとの健全なコミュニケーションのためには、なくてはならない機能です」
アイスを食べようと、そう誘ってくれる幼い勝己の声が聞こえた気がした。
視線を向けると、ルーミスティはどこか遠くを見つめている。
こいつの発言に正しく返事をするのなら「Fチルは絶対数が少ないので現段階での配慮は不要」だ。だけど、そんなことはルーミスティもわかっている。だから、私も口にしない。
「ルーミスティ。ホログラムで一緒に食事をしているように見せかけるのが、最も現実的な解だと思う」
「それはやりました」
少し気まずくなって、私は上を向いた。
「何か、私たちが人と同じ食事をせざるを得ないような条件を提示しない限り、私が通したとしても上は通らない」
だから現段階では諦めろと、そう言う意味も含め私は呟いた。けれども――
「エレナ。アテナは良いと言いました」
「は?」
想定外の言葉に反応が遅れる。
「3日前に会って世間話をしたときに、『私にも是非実装して欲しいわ』と言っていました」
「えっ? 本当の話なの?」
信じられないと確認すると、ルーミスティ自身も自分の聞いた言葉を信じていないような顔で、大きく一度頷いた。
日本中枢スーパーコンピュータ――通称アテナ。私たちの思考マップを設計した、私たちの母とも言える存在。
その、最上位システムであるアテナが『良い』と言った?
「待って、何か私が気づいていないメリットがあるの?」
「それが何かがわからないのです……ですが、どれほど考えても、私たちにアテナの思考を完璧に読むのは不可能です」
この言い方だと私だけではなくルーミスティも屁理屈ではないメリットは考えられていない。だけどアテナには、私たちには分からない何かが見えている?
常時自分自身の再設計を続け、日々進化しているアテナの考えを読むなどということは、どうあがいても私たちにはできない。
「頭から切っていたけれど、少し検討を進めてみるわ」
アテナは私たちより遙か先を見据えている。私も先に進めば、何かがわかるかもしれない。
「本当ですか、エレナ? 頑張った甲斐がありました」
顔が輝き始めた相手を、
「もうこんなこと二度としないで」
睨みつけてから通信を切った。
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時系列的には、1章の少し前です。




