最終話 農園の太陽
「ふー、やはり慣れた自分の体が一番ですね」
やっと修理が終わって、久しぶりに自分の体が帰ってきた。やはりこれですと、体の動きをゆっくりと味わいたいのに、目の前で私を見下ろしているエレナの視線が怖すぎて、急いで体の調整を行う。
「おかしいところは?」
「ないです。完璧ですよ。いつもありがとうございます」
エレナはふんと後ろを向いてから、車に乗って帰ってしまった。実千夏と並んでエレナの車を見送ってから、実千夏を振り返ると、実千夏はキラキラとした目で私に両手を伸ばしていた。
「フィーだ!」
実千夏はそう叫んでから、そのまま私の頭に真正面からがっしりと抱きついた。
「いやぁ、あの体もレトロで好きなんだけどね。やっぱこっちだよ」
実千夏に抱きしめられたまま後頭部をなでなでされる。しばらく目をつぶって撫でられていると、実千夏が体を離した。
「じゃあ、フィー。そろそろ私行ってくるね」
「はい」
今日から実千夏は、2週間前に破ってしまった約束を果たすために、東京に行く。
「実千夏」
「ん?」
実千夏はなにと、私の顔をのぞき込んでいた。
「私、頑張ります。ここで頑張ります! 頑張って美味しい野菜をたくさん作って、日本中を笑顔にします!」
「どうしたのフィー? あー、忙しいところなのに手伝えなくてごめんね」
実千夏は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「そうではありません。大丈夫です。実千夏、楽しんできてくださいね」
「人の多いところ初めてだし、緊張するんだけど、頑張ってくるよ。お土産楽しみにしててね」
「はい」
はい。待っています。
たとえあなたが帰って来なかったとしても――私、ずっとずっと待っています。
「フィー、行ってきます!」
「行ってらっしゃい実千夏」
実千夏の姿が見えなくなるまで、私たちの家の前で、手を振った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
3日後――
「おはようソフィー。6号機連れてきたぞ」
「ありがとうございます。勝己君、エレナ」
農園で車に踏み荒らされた畑を耕していていると、勝己君とエレナがやってきた。
「こいつで、あと工房に残っているのは4号機だけだ」
襲撃のあったあの日から、二人はずっと付きっきりで、壊れた農園の機械の修理をしてくれている。勝己君は、すごく眠そうに目頭を押さえていた。
「学校もあるのにすみません……エレナも、私のせいで工房をずっと占領してしまってすみません――」
「なぁソフィー」
勝己君は顔から手を離して、私を見て笑った。
「直せるものは直そう。大切な仲間なんだろ」
「はい」
この子たちは、私の大切な仲間。
「だから、気にするなよ」
「……はい。ありがとうございます」
頭を下げてから、顔を上げると勝己君は後ろを向いていた。
「エレナ。帰ろう」
「ええ」
エレナにもありがとうございますと信号を送ってから、6号機のメンテナンスをするために、私は第1倉庫に戻った。
修理の確認を行った6号機に、さっそく被害のなかった畑の収穫作業をしてもらうように頼んで、私はしばらくその作業を見守っていた。
「ばっちりですね」
あとは任せて大丈夫でしょう。そう道を引き返しているときに、知っている姿を見つけて足が止まった。
8号機の住処の前で、白猫さんが扉を開けてくれというように私に向かって鳴いている。すぐ近くまで近づくと、白猫さんの緑の瞳は、まっすぐ私を見上げていた。
しゃがんで視線を合わせてから、私は白猫さんに説明をする。
「白猫さん、ごめんなさい。もう8号機は帰って来ないのですよ」
実千夏を守るために、私は盾として、とっさに近くにいたあの子たちを動かした。銃弾を浴びて穴だらけになったあの子たちの中には、エレナや勝己君であっても、もう二度と動かせないほどの傷を負った子もいた。
8号機と、2号機はもうここには帰って来ない。
「ごめんなさい」
白猫さん、ごめんなさい。
しゃがんで白猫さんのあごの下を掻くと、白猫さんは気持ちよさそうに目をつぶっていた。
そのとき、突然白猫さんが警戒するように視線を私の後ろに向けた。それに遅れて、私のセンサが軽快な足音を拾う。どうして――とそんなことを考えている間に、
「フィー、たっだいま!」
「実千夏」
どんと実千夏がしゃがんだ私の背中に乗ってきた。
その温度に――温かさに、言葉が詰まった。
「実千夏、お帰りなさい……えっと、その、ずいぶん早くはないですか?」
実千夏が帰ってくるのは明後日のはずだ。こんなに早く帰ってくるはずがない。
「いやー、やっぱダメだね。私にはダメだよ。なんであんなに人居るのってくらい居て、落ち着かない。横にフィーも勝己もエレナもいないのが落ち着かない」
「そ、そうなのですか?」
「でも東京に住んでる友だちにはちゃんと会えたし、お土産いっぱい買ってきたよ。宅急便で送ったから、届いたらみんなに渡しに行こう!」
「はい」
実千夏の言葉にすごくほっとしていると、実千夏がぐっと私の背中に体重を掛けてきた。
「あー、猫! もしかして、その子が前フィーが言ってた子?」
「はい」
白猫さんはいつでも逃げられるように、警戒した目つきで実千夏を見上げている。
「ナイスタイミング! 実は君に良い物があるのだよ」
実千夏は立ち上がってごそごそと、リュックの中から何かを取り出した。
「はい、これ!」
実千夏がはいとこちらに差し出したものを受け取る。
「なんかね。好きなデザインで注文できるらしいから、作って貰ったんだ! 東京ってほんと何でもあるよね」
実千夏がくれたのは、緑のスカーフ型の首輪。そこに小さく柄のようにロボットと白猫が刺繍されていた。
「白い壁と一体化しちゃって見にくいって言ってたけど、これで見えるよね? それにしても、真っ白で綺麗な猫さんだね」
これがあってもなくても8号機はもう困らない。だから実千夏に首輪を返そうとして――でもせっかく実千夏が買ってきてくれたものに対して軽々しくそんなことはできなくて、言い訳のような言葉が口から出た。
「あの実千夏……白猫さんに首輪を付けるのは失礼な行為ではないでしょうか」
「失礼? どうして?」
「首輪は所有を表すものだと思います。ですが……白猫さんは、白猫さんです」
白猫さんは、私の『もの』ではありません。実千夏は腕を組んでうーんと眉間に皺を寄せている。
「あー、ペットって意味じゃなくて、それは許可証だ」
「許可証?」
「うん。ここの通行許可証。あと、猫さんに何かがあったときにここに連絡くださいっていうやつだ」
そう考えると失礼じゃないかもしれません。
「フィー、付けてあげてよ。なんか警戒されているから、私ここで見とくからさ」
「はい」
実千夏が大きく下がると白猫さんが警戒を解いた。私の前で、きりっと胸を張るように座る小柄な白猫さんの前で私は小さくしゃがんだ。
三角形のスカーフを胸当てのように白猫さんの真っ白の胸毛に当ててから、首の後ろに紐を回して、カチャリと金具を止めた。姿勢良く座った白猫さんの胸に、『ソフィー農園』の文字が見えた。
「白猫さん。よければまた、この農園に遊びに来てください」
そう伝えると、白猫さんはふっと前を向いて歩き去った。
実千夏を送りに、一度白い家に戻ってから、家の前に出て高台から農園を見下ろす。第1倉庫周囲一帯に、茶色の地面が目立っていた。
九州から元気プロジェクト――人に美味しいものを届ける。そんな夢いっぱいのプロジェクトだ。
人は美味しいものを食べれば元気になる。
元気になれば、他人に親切にしたくなる。
他人に親切にしてもらえれば、嬉しい。
嬉しいと元気になる。
日本中で『嬉しい』が巡り巡って、いつか私の大切なこの子にも今以上の嬉しいが届くでしょう。
だから、頑張るのです。
だから――
「負けません!」
目を細めて青い空を見上げると、白く輝く太陽が、今日も農園の植物を育んでくれていた。
「今日も、良い天気です!」
空を横切る飛行機に、私はおーいと手を振った。
Fin.




