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Filling Children  作者: 笹座 昴
3章 太陽と農園
27/56

7話 ただいま


『――』


『お――』


何だろう。


『お――と――』



『応答せよ!』


「あ、はい! おはようございます!」

返事はできるけれど、何も見えてこないし、聞こえない。ここはどこで、私はどうしたのでしょうか?


『自己について、簡潔に述べよ』

「S-00672。農業支援型ヒューマノイド。通称ソフィーです」

『通信成功。自我確認。次フェーズに移る』


 その指令のあと、ただ時が過ぎるのを待っていると、外部との接続口が現れた。湖面のように凪いだこの場所に、突如滝のように大量の情報が流れ込む。


「ソフィー」

真っ先に届いたのはエレナの声だ。

「まずはどこかおかしいところがないかスキャンするわ。じっとしてなさい」

「はい」

私の中に侵入し、問題が発生していないかをスキャンしているエレナを、攻撃しないように待つ。

「大丈夫そうね。データ領域と繋ぐわ」


 その言葉のあと、繋がった私の記憶――


「実千夏!」

実千夏の名前を必死に呼ぶけれど、何も見えないし、聞こえない。私が今持っているデータでは現在の状況は何もわからない。

 唯一の出入り口であるエレナとの接続経路に入り、エレナの記憶領域を検索しようとしたときに、エレナから攻撃を受けて、叩き潰されて、押し返された。

「痛い」

「落ち着きなさい。あの子は無事よ」

エレナが私の前に仁王立ちしていた。

「本当ですが!? 本当に、本当ですか!?」

「嘘ついてどうするのよ」

エレナは無駄なことはしない。エレナが真実を言っていることがわかってほっとした。

 エレナにそっと触れる。

「実千夏に会いたいです」

エレナはため息をついた。

「あんたの体は今、修理工場行きよ」

「えっ? 私の体壊れたのですか?」

「そうよ。銃で撃たれて、人には散々蹴られて、もうぼろぼろ。今から、代わりの体を用意するからちょっと待ちなさい」


 言われたように大人しく待っていると、何か手足のようなものと繋がったのがわかった。すぐに動かしてみる。

「止まった」

手を上げたまま固まってしまった。そうしていると、監視カメラのような画質の荒い視覚センサと接続された。複数設置されているそのセンサ情報を処理して、なるべく通常の視野と近くなるような3Dデータを再現する。

 目の前に現れたのは、灰色のさっぱりとした壁に飾ってある無数の工具と、黒のパンツスーツと白のブラウス姿のエレナ。

「エレナの工房ですね?」

「ええそうよ」

自分の体を見下ろせば、ハンドアームと大きな車輪が見えた。現在私がいる体の中身をスキャンする。

「この体、3号機ですね」

「ええ」

「実千夏。実千夏に会いたいです」

エレナが歩き始めたので、そのあとを慣れないモータを動かして追いかけると、角を曲がりきれずにいきなり壁にぶつかった。

 一度体を引いてから、小回りをして角を抜けるとエレナが扉の前で私を待っていた。エレナが開いてくれた居住区の扉――その先に、ソファにぐったりともたれ掛かった実千夏が見えた。


 実千夏。

 自分の声が出せない。眠っているように見える実千夏をよく見るために、ころころとゆっくりとタイヤを動かして、実千夏の目の前に行った。実千夏のお腹が、呼吸に合わせて膨らんでいるのが見えた。


 実千夏、生きています。良かった。良かった。


 そのとき実千夏が突然目を開いた。ソファにもたれかかったまま、ゆっくりと私を見上げる。

「フィー?」

「ミチカ」

溢れてしまった声は、いつもの自分の声じゃない。手を伸ばしたいけれど、この体ではどのくらいの力がかかってしまうかがわからないから、触れられない。

 私は何もできない。でも、実千夏の手が私の方に伸びて、そのまま私の手を掴んだ。

「心配したんだよ。心配したんだから――」

「ゴメンナサイ」

「怖かった。怖かった。フィーいなくなるんじゃないかって」

実千夏はそのままわんわんと、私の手を掴みながら泣いていた。



 ソファで眠ってしまった実千夏に、エレナから貸してもらった毛布を、何とか慣れないアームで掛けることに成功した。

「あんた、そこの山猿に感謝することね」

「実千夏のことを山猿って言わないでください!」

聞き逃せない言葉にエレナに高速通信で抗議すると、エレナはうるさそうに耳を押さえていた。

「雨の中、銃を持った7人の男に追いかけられながら、14.3キロを走破。雨の中視界は最悪で、文明機器はあんたが壊したから原始的な脚力勝負かもしれないけど、まぁ現代の子がすることじゃないわ」

14.3キロ――

「エレナ。ここはもう無事なのですか?」

「ええ。徒歩の外人の男なんて目立つ目立つ。7人全員捕まえたわ」

エレナはどうでも良さそうにそう言ってから、私を強く睨み見た。

「それより、あんたわかってんの? その子が気を利かせてあんたの体からコアディスクを抜き出して持ってこなかったらあんたのバックアップデータは抹消――それどころかあんたの存在していた証拠ごとすべて削除されていたところよ」

コアディスク――ヒューマノイドの思考マップが収められた大切なもの。

「わかっています……」



 ヒューマノイドの自我データはデータの不整合を防ぐために、同時に複数個存在することは許されない。だから破壊が完全に確認できていないヒューマノイドは、バックアップデータから復元されない。

 そして、どこの誰かも分からない人たちに持ち去られたヒューマノイドは、それ以上の情報漏洩を防ぐために、日本のネットワーク網から拒否される。あのまま私があの男たちに持ち去られていたら、私はもう二度と、ここに戻ってくることはできなかった。



「実千夏」

ソファで眠る実千夏のこの顔色の悪さは、実千夏が風邪を引いていたことを示している。

 実千夏の顔をじっと見ていると、後ろから声がかかった。

「すごい恩ね。返せるのかしら」

「そうですね……」

私がずっと実千夏と一緒にいることができたとしても、返せないかもしれません。でも、そんなことがあってもなくても、私がやることは同じです。


 振り返ってエレナを見上げる。

「エレナ。今回は助けてくれてありがとうございます」

実千夏がいなければ私はここにいなかったけれど、エレナも同じだ。私はしっかりとエレナに向かって礼をした。

「それより、今すぐ出て行ってくれないかしら」

「えっ?」

予想外の言葉に顔を上げる。

「もう一週間よ。迷惑。体は直ったら届けに行くから、すぐ出て行って」

椅子に座っていたエレナはとんとんとテーブルを指先で叩きながら、こちらを睨んでいた。

「一週間? えっ、実千夏は?」

「先週からずっとそのソファーか、あんたのコアディスクの側にいたわ。勝己の気も散って、すっごく迷惑」


 一週間、実千夏はここで待ってくれていた。

 一週間――


「あの。実千夏は本当にずっとここにいたのですか? 出かけたりはしなかったのですか?」

「どこにも行ってないわよ。学校もよ」


 一週間前は、一週間後には実千夏は居ないのではないかと思っていた。実千夏のホンモノの両親が実千夏を連れて行ってしまうのではないかと思っていた。

 でも今は、今はまだ実千夏はここに居る。


「エレナ。実千夏が起きたら、家に送ってください」

「あんた、私に頼み事をするとは、良い度胸ね」

「エレナが送ってくれないと、私はこの体なので帰れないですよ?」

エレナはフッと荒い呼吸を吐いてから、部屋から出て行った。


 エレナの居なくなった部屋の中を、ころころとできるだけ静かにタイヤを動かしながら、ソファの前に行く。

 静かに呼吸する実千夏の目が開くまで、私は側で、ずっと待っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「動けないのです。充電してください」

「あんたは何なのもう!」

ソファの前でエレナにそう伝えると、エレナは充電器を用意しながら地団駄を踏むように怒っていた。

「ソフィー。体は大丈夫なのか?」

「全然違いますけど、でも大丈夫ですよ。勝己君、ありがとうございます」

COMNを通じて勝己君にお礼を言うと、勝己君は少し疲れたような顔で笑っていた。勝己君とは逆にすっきりとした顔つきで勝己君の隣に立っている実千夏が着ているのは、勝己君のパーカーだ。勝己君は、さぞ疲れただろう。

「勝己。お世話になりました!」

「今度何かあったら、全力疾走する前に俺たちに連絡しろよ」

至極まともな勝己君の意見に、実千夏は「わかっているよ」といつものわかっていない顔で答えていた。



 実千夏に少し背中を押してもらいながら地上に出て、軽トラの荷台に乗り込んだ。

「ゆっくりですよ。エレナ、ゆっくりと運転してください」

エレナには舌打ちされたけれど、私のすぐ隣に実千夏もいるからたぶん大丈夫だろう。トラックの横に立った勝己君にお礼を言う。

「勝己君、本当にありがとうございます」

「なぁソフィー」

勝己君は地面から、まっすぐ私を見上げていた。

「俺、手伝うから。頑張ろう」

その言葉に――エレナの大切な子の優しさに頭を下げた。

「はい。ありがとうございます」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 一週間ぶりに家に戻って、玄関のロックを開いた。

「ただいまー! 我が家!」

実千夏が開いてくれた扉を一緒にくぐって、そこで止まる。

「その足じゃ、上がれないね」

私が体を借りている3号機のこの(車輪)では、玄関の段差は乗り越えられない。

 玄関の入り口に立ったままどうしようかと考え込んでくれている実千夏の顔を見上げる。

「家が汚れますので、ここまででいいですよ」

そう言ってから、やっと二人きりになったので聞いてみた。

「ねえ実千夏」

「ん?」

「ご両親に会いに行かなくて良かったのですか?」

実千夏は「ん?」と再び大きく首を傾けてから、ぽかんと口を開けた。

「忘れてた……すっかり忘れてた……」

「連絡していないのですか」

「してない……」

「まさか無断で行かなかったのですか?」

「え、うん」

二人してどうしようと考え込む。

「えっと、まずは私が謝りの連絡をしますね。私が原因ですし」

私の言葉に、口元に手を当てて考え込んでいた実千夏が顔を上げた。

「んー、いいよ。連絡しなかったの私だし、私がやる。連絡先ってどこだっけ?」

ためらいつつも、自分でやると言っている実千夏のCOMNに連絡先を表示させる。実千夏が音声通信をリクエストすると、向こうも待っていたのかすぐに電話が掛かってきた。


「もしもし、初めまして実千夏と言います。日曜はすっぽかしてすみません! 家族が倒れてしまって――」

実千夏はそう言って、電話口に向かって何度も、何度も謝っていた。


 実の親子の会話のはずだけど、そんな風に見えなかった短い会話が終わり、珍しく疲れた様子で実千夏が通信を切った。

「実千夏、すみません。せっかくの機会だったのに、ご両親に会えなくて――」

「ねえ、フィー」

「なんでしょう」

実千夏は、ほんの少し怒っているように見えた。

「あのさ。私の両親なのかもしれないけど、そんなの実感なんてないし、別にふーんくらいなんだよ?」

ふ、ふーん……? 意味は分かりますが、どういう意味で使っているのでしょう。

「えっと、そうなのですか?」

「そうだよ。ただちょっと珍しい人に会えるくらいの気持ちだったんだ……」

実千夏はそう呟いてから、こちらを振り返った。

「フィー。鉄板みたいな物を持ってきたら家に上がれるよね?」

鉄板で傾斜を付けると確かに上れるでしょう。でも、

「家が汚れるので私は外でいい――」

「ダメだよ」

実千夏はきっぱりとそう言った。

「タイヤは拭けばいいし、家が汚れたら掃除をすればいいんだよ。たったそれだけ。だからちょっと待ってて。鉄板とぞうきん探してくるから」

私の横を通り抜けた実千夏を呼び止める。

「実千夏!」

「ん?」

隣の家に向かっていた実千夏が足を止めて、こちらを振り返った。実千夏は急いで探しに行きたいと言うように、ステップを踏むように軽くジャンプしている。


「実千夏、ありがとう!」

「いいってことよ!」


 実千夏が、笑顔で私に向かって手を挙げた。




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