4話 美術部の住人
「佐々木さんいる? どの子?」
2時間目の休み時間に教室の入り口辺りから、男の子のそんな野次馬のような声が聞こえてきた。何だろう……あまり関わりたくないな。隠れたかったけれど、急に動くと逆に目立ってしまう。私は自分の席で小さくなっていた。
「え? あぁ、渡辺さんの隣? わかった」
下を向いていた私の耳にそんな言葉が届いて、こちらに一歩一歩近づく足音に、ついに私は観念して顔を上げた。
そしてそのまま、ぽかーんと口が開きっぱなしになる。
目の前に、美女がいた。外国映画に出てきそうな、正真正銘の金髪の美女がいた。
その美女が寄り添う――しなだれかかっている背の高い男の子の首に付いているのは、COMNだ。腕輪型などではない。ヒューマノイドとコミュニケーションを取るのに特化した、Fチル以外では使うことなどほぼない、首輪型のCOMN。
つまりこの男の子はFチルで……ということは、この金髪美女は世話役のヒューマノイドなのだろうか? こんなに派手なヒューマノイドは初めて見た。というかどうして日中に、こんな場所で、世話役のヒューマノイドがホログラムで姿を見せているのだろうか。その理由がまったく分からなくて、頭が混乱する。
「転校生の詩織ちゃんだろ。俺は晃久。よろしくな」
「え、あ、はい」
ファーストネームで名乗ったから、この人はFチルで間違いない、と思う。
日本人にしては色の薄い目をした目の前の男の子の笑顔を、ただ呆然と見上げていたそのとき、
「おい、晃久! 何をやっているんだ!」
教室の入り口の方からそう怒鳴る声が聞こえて視線を向けると、一人の男の子が机をかき分けてこちらにやってくるところだった。そしてそのまま晃久と名乗る男の子に思いっきりチョップをする。
「痛ってー……」
チョップをした男の子は、頭を押さえて痛がる男の子の制服の襟を後ろから掴んで、教室から出て行こうとする。
「おい、春! かわいい転校生が来たって聞いて、見に来た俺の何が悪いんだ!」
「いや、普通に悪いだろ」
春と呼ばれた男の子は、冷ややかな目でそう言い返した。
『春』と呼ばれているし、首にCOMNを着けているし、この男の子が以前音声通話をしたFチルの春君だろう。姿を初めて見る春君は、男の子を引きずったまま私の方を振り返り「この馬鹿が、お騒がせしました」と頭を下げた。
「う、うん」
「春君。晃久のせいで、今年も大変だねー」
私の横でマリアがそんなことを言うと、「まあな」と春君は疲れた顔をしていた。マリアと春君は知り合いなのだろうか。
「詩織ちゃん、またな」
引きずられたまま笑顔でこちらに手を振る男につられて軽く手を振り返していると、「キーンコーン」とチャイムが鳴り始めた。その音で、2人のFチルは嵐のように去って行った。
何だったんだろう。あれ。
休み時間の出来事のせいで全然授業に集中できなかった。
「しおりん。さっきは災難だったね」
次の休み時間に渡辺さんに話しかけられた。
「さっきの人たち――」
Fチルなの? そう確認する前に、マリアが答えた。
「ああ、あれは止めた方がいいよ」
明るいマリアが、冷たく淡々と言い放つ様子に、私は固まった。
マリアは、Fチルのことを嫌悪しているのだろうか……恐る恐る渡辺さんの方を伺うと、なぜか渡辺さんはマリアを見てにやにやとしていた。
「お。経験者は語るってやつですか」
「経験者というか、晃久はほんと手当たり次第声をかけているからさ。顔は確かにかっこいいんだけど、止めた方がいいよ」
マリアは真面目な顔でそう言ってから、私に向かって頷いた。
かっこいい……? えっと、思い返せば確かに顔は整っていたと思うけれど、それよりも他に気になることが山ほどあった。
そんなことを考えていた私の前で、マリアは大仰に両手を広げてから、大きなため息をついた。
「ほんと、黙って、大人しくしていれば、完璧なのに」
「黙っていて欲しいイケメンは、黙っていない。静かで優しいあの人は、顔が好みじゃない。マリア君、世の中そんなものですよ」
「……だよね」
2人はしみじみとそんなことを言って、しきりに頷いている。えっと、いつの間に何の話だろう。
「あの、さっきの人Fチルだよね?」
「うん。あ、もしかして、しおりんFチル見るの初めて?」
その質問で私の心臓の挙動は一気に乱れた。
「小さい町だったから……」
「私も、高校に入って初めて見たから、まぁ始めは少し警戒してたんだけど……でも去年二人と同じクラスだったけど、普通だったよ。あーえっと、晃久はだいぶ変だけど、春君はまともだよ」
マリアはそう途中で言い直した。マリアは本当に少なくとも春君に関しては普通だと思っているように見える。
「一色君は、同じFチルだからというだけで、今年も晃久の世話を押しつけられて可哀想に……まぁ、晃久には、私の兄もよく世話になっているが」
「渡辺さんのお兄さん? 世話って?」
「エロ動画収集」
そんなことを何でもないかのように言う渡辺さんに、マリアが呆れたように声を上げた。
「普通、学校でそんな商売する? せめて、こっそりしようよ!」
エロ動画収集? まさかヒューマノイドを使って……?
町で可愛い服を見かけたときにカザネに聞くと、どこのブランドかをすぐに教えてくれる。ヒューマノイドに画像検索を手伝ってもらうと、確かに凄く早くできる。
だから、きっとその……そう言う動画を探すのにもすごく便利なんだとは思うけど……
ヒューマノイドという国の大切な資産をそんなことに使っているという事実に――そんなFチルが存在しているということに、常識が崩壊する音が聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ここかな」
節電のためか廊下に電気も付いていない西棟の2階に「美術室」とネームプレートの掛かった教室があった。この学校には美術の授業がないから、この教室に来るのは今日が初めてだ。
本当はもっと早く来たかったけれど、放課後に部活動を見学する気力が出るのに一週間もかかってしまった。
「し、失礼します……」
ゆっくり声を掛けながら、扉を開く。
「あ、しおりん来てくれたんだ!」
明るい声が部屋の奥から返ってきた。「入っていいよ」というマリアの声にほっとして、ゆっくりと美術室の中に入る。
ものがたくさんあって、ごちゃごちゃとしているけれど、広い部屋だ。でもこの匂いは何だろう? 臭くはないけれど、独特な匂いがする。
くんくんと鼻を動かしながら教室を見渡していると、真っ赤なジャージを着て窓際に立ったマリアを見つけた。
「しおりん美術部へようこそ!」
マリアが左手に持っているのはパレット。右手には絵筆だ。
「アナログで絵を描いているの?」
小学生、中学校の美術の時間は、もうデジタル――手元のディスプレイで絵を描いていたから、筆と絵の具なんてものを本当に使っている人を見るのは初めてだった。そうかこの匂いは、絵の具の匂いか。
「私も、去年始めたばかりなんだけど、珍しいでしょ?」
「うん、驚いた。アナログで描くと、簡単に消せないよね?」
「まあね。でもそこがいいんだ」
マリアは楽しそうに言ってから隣のキャンバスに視線を移した。真っ赤なジャージのマリアと、窓の外にある綺麗な夕日に反するような、暗い青色の絵だ。これは何だろう。
「えっと、これは……」
「海をイメージして描き始めたんだけど、気づいたらななぜか暗くなってた」
絵をまっすぐ見上げるマリアの指は、ところどころに青い絵の具が付着している。
「近づいて見て良い?」
「いいよ。そこら辺に先輩たちが放置していった絵もたくさんあるから、どれでも好きに見ていって」
マリアの絵をじっくりと見させてもらってから、お言葉に甘えて美術室に放置された絵を順番に見て回る。何枚か色あせたものもあるけれど、本当に各自好きに描いたのか一枚一枚がまったくの別物だった。
「しおりんも絵を描くの?」
教室の端の方の絵を見ていると、遠くからマリアの声が聞こえてきて、大きく言葉を返す。
「えっと、デジタルでときどきだよ?」
「じゃあ、美術部入っちゃえ!」
えっ、どうしよう。いいのかなと戸惑っていると、突然美術室の扉がガラッと開いた。現れたのは、化粧っ気が一切ないのが逆に珍しい、マリアと比べると地味な女子生徒だ。
「あれ? お客さん?」
「あっ、もっつん珍しい! 良いタイミングに! いや……悪いタイミングか?」
マリアがそんなことを言いながら、首を傾けた。
「しおりん、今来たそいつが、美術部の副部長のもっつん」
この子は、『もっつん』というあだ名なのだろうか?
「初めまして、佐々木詩織です」
「もっつん、こちらが前に教えた転校生のしおりんね」
「ああ、我らが救世主か」
短い言葉だったけれど、そう呟いたもっつんの言葉のイントネーションに少しひっかかった。なんだろうと考えていると、そのもっつんは私に視線を向けた。
「しおりん、悩んでるんやったらとりあえず入っとき。嫌になったら、やめたらいいから。一人入ってくれるだけで、うちらはここを追い出されずに済むし、入部希望者0の文学部部長にざまあ! って言える!」
もっつんの言葉遣いと変な迫力に呑まれていると、こちらにやってきたマリアが私の顔をのぞき込んだ。
「あぁ、しおりん。伝統みたいなものなんだけど、代々美術部と文学部の仲は悪くてさ。特にもっつんと文学部部長の仲は最悪なんだ」
「そ、そっか……」
「あっ、もしかして、もっつんの言葉わからない? えっと、ちょっと待ってね……」
マリアはジャージのポケットから携帯端末を出して、「翻訳!」と命令を出した。もっつんがこちらをじろりと睨み見る。
「マリアこそこそと何やっとんや! まさかまた翻訳か。ええわ。翻訳したらええ。標準語になって村帰ったりしたら、村八分どころじゃすまん騒ぎになる。それくらいやったら、先生に同時通訳してもらった方がこっちとしては楽に済む話や!」
マリアが耳の近くに持ってきてくれた携帯端末から、人間と判別ができない機械音声が聞こえてくる。
『マリア、隠れて何をしているのですか? もしかして、また翻訳ですか? いいですよ。翻訳しても構いません――』
もっつんの言葉をきれいな標準語に変換した音声を聞きながら、マリアは手を震わせて静かに爆笑していた。
「あー、だめだ。何度やっても、笑ってしまう」
マリアが笑いながら携帯端末をジャージのポケットに仕舞うその向こうに、険しい顔でマリアを睨むもっつんの顔が見えた。
「関西人の誇りを馬鹿にするとは。いつか天罰が下るで、このビッチが」
「別にビッチじゃないって!」
「スカートあんな短いし、一人だけリボンの色ちゃうのに!」
「今度、もっつんが体育の授業のときにスカートとリボン入れ替えとこ」
「マリアさん、すみませんでした! なんて言うと思うか? 普通にラッキーってジャージで授業受けるわ!」
「あぁ、そっか!」
マリアは、もっつんの反応に笑っているが……気のせいじゃなければ、アレな言葉が聞こえた気がする。
「んで、しおりんどうすんの?」
もっつんが何事もなかったように、話を再開した。
「えっと……どうしよう」
「なんか他に入るとこあんの? あぁ、文学部って答えたら、ここから二度と出さんから」
「えっと特には……」
「じゃあ、ここにし。別に毎日来んでいいから! 荷物置くだけでもいいから! 追い出されたらめっちゃ面倒やねん。頼む!」
目の前で本気で懇願されると、ここでいいかと思ってしまう。
「あ、うん。じゃあよろしくお願いします」
「よっしゃあ部長! 入部届け!」
その場で入部届けを書かされた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「そういえば、しおりん。もっつんは面白いことやってるよ」
「面白いこと? ん、絵を描いているんじゃなくて?」
「描かん。描かん。うちは自分の手を動かすようなことはせん」
え? どういうこと? 美術部だよねと驚いていると、もっつんが立ち上がった。
「しおりんは命の恩人やから、見せたろ。まだ企業機密やねんけどな。こっち来」
もっつんはそう言って、美術部の端にあるなぞの黒い暗幕で区切られたエリアに行ってしまった。
「しおりん、行ってらっしゃい!」
なぜかマリアに手を振られて見送られる。よくわからないけれど、私はもっつんのあと
に付いていった。
「何……ここ」
暗幕を潜ると、美術室なはずなのに、すごい量の機械が壁際に積み上がっていた。その横のコンセントの周りでは、配線がとぐろを巻いている。
「じゃあ、しおりんここ座って」
もっつんが指さす普通の学校の椅子に腰掛ける。もっつんはその向かい側で、校長室にありそうな、やけに豪華な回転椅子に座っていた。
「はい。で、これ着ける」
もっつんに手渡されたものを見て、体が固まる。「着け方わかる?」なんてもっつんは聞いてきたけれど、もちろん知っている。
首輪型のCOMNなんて、物心つく前から着けていた。
「……COMN?」
「あぁ、うん」
「これで何するの?」
「それでしおりんの反応を見るねん。大丈夫、おもろいで! あとでマリアの時のこと教えたるわ」
おもろい? えっ、何をするの? もっつんは戸惑う私の反応を逆に楽しみながら、何も説明せずに私の後ろに回り、私の首にCOMNを着けた。
「はい。じゃあ、始めまーす!」
その言葉のあと、部屋が暗転した。
「お嬢様」
部屋に光が戻って、頭上から聞こえた声に顔を上げると、グレーの髪の現実離れしたきれいな男性がまっすぐ椅子に座った私を見下ろしていた。
「……へっ?」
変な声を出して驚く私の目の前で、男性が膝を突く。
「お嬢様……」
そう男性は切なげな声を出して、膝の上に置いていた私の手に触れた。私の手はなぜか真っ白の手袋を着けていて、袖口に薄い黄色のフリルが見える。えっ? 何これ。私はなぜか黄色のドレスを着ているように見えた。
目線を前に向けると膝を突いた男性が、すごい目で私を見上げている。その色を含んだ視線に心臓の音を、誤魔化すように目を逸らすと、部屋の内装が変わっていることに気がついた。豪華な洋式の部屋で、よく注視しているとときどきノイズが入るのがわかる。
良くできているけれど、なんだホログラムか……
ああ、驚いたと、落ち着いた気分で顔を前に戻すと、男性の顔は私の目の前にあった。
「うわっ!」
「お嬢様、私はお嬢様のことがずっと……」
慌てて下を向いた自分の顔が、どうしようもないくらい赤くなっていることは自分でもわかった。
「カッート!」
突然そんな声が聞こえて、もっつんが突如部屋の中に現れた。
「しおりん、途中で気づいたやろ。ここ!」
巨大なホログラムのディスプレイの中に浮かび上がった大きなグラフを、もっつんが指示棒で「ここ、ここ!」と指している。もっつんが指している場所は、明らかに凹んでいるのがわかる。
「えっ、あ、うん。えっと、それ何?」
「興奮度遷移グラフ!」
もっつんがそう堂々と宣言した。興奮度遷移グラフ? 再度そのグラフを左から右に追いかけると、一番始めと最後に大きな山があった。特に最後の山の頂点と傾斜は、大きかった。
恥ずかしい。凄く恥ずかしい。そして、いまだ私はドレスのようなものを着ていて、横をちらりと見ると、男性はすぐ側にいた。
「しおりんにとって、この状況はまぁ30点ってとこかな」
もっつんは指示棒で手のひらをぽんぽんと叩きながら、壁に投影されたグラフを見てそんなことを言った。
「何点満点で?」
「ん? もちろん100点やで」
100点中30点? あんなに興――どきどきしたのに……?
「こ、これで30点なの?」
「80点を超えるとな、心臓の心配をしたくなるレベルで人が興奮するからおもろいで。ちなみに、この環境は私の100点です。格好いいやろ」
もっつんが一度男性に目をやってから、こちらに笑顔を向けた。
「え、あ、うん」
直視するのが辛い、執事のような服を着たきれいな男性をちらちら見ながら答える。もっつんは「そうやろ、そうやろ」と満足げに頷いた。
「ここまで作り込んでないけど、他にもあるで!」
もっつんがそう言うと、ふたたび部屋が暗転した。
部屋が明るくなる度に、中世騎士風、アラビアン風、ファンタジー風などの世界と、その景色に完璧に調和のとれた美しい男性が現れる。
最後に、少し長い時間暗くなったあと、私は元の世界に帰っていた。
「しおりん、ちょっとそれ返してな」
もっつんは、そう言って私の首からCOMNを取り外し、自分の首に着けた。もっつんは鼻歌を歌いながら、何か手元にディスプレイを出してのぞき込んでいる。
「おお、結果出たで。あぁ、しおりんは中国王朝風が好みらしいな。明らかに違う! ちょっと待ってな、今わかりやすくまとめて、データ出すから――」
「やめて!」
何かを映し出そうとしたもっつんを慌てて止める。
う、うん。その光景が目に入った瞬間、他とは違うことは、悲しいくらい自分でもよく分かった。
もっつんは「ええの?」とこちらを見ている。私はこくんと頷いた。
「ちなみに、あの化粧の派手なマリアは和風――こざっぱりとした和風の男性が好みらしいわ。しかも顔だけ晃久風にしたったら、おもろいくらい興奮しとった」
もっつんはそのときのことを思い出したのか、ひとしきり笑ったあと「可哀想に……顔だけほんま好みやねんな」としみじみと呟いた。
「あのさ、もっつん、これ何なの?」
「え? やっぱ説明せなあかん?」
もっつんは、少しめんどくさそうにしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「まぁ、データもろたし、説明しよか。コーヒー飲む?」
「うん」
床になぜか無造作に置いてあったコーヒーサーバーから、もっつんは紙コップにコーヒーを注いで「ほい」と私に手渡してくれた。どうして、コーヒーサーバーがこんなところにあるのだろうか。
「ありがとう」
回転椅子に座るもっつんと向かい合うように、学校の椅子に座り直す。
もっつんが紙コップに一口口をつけてから、話を始めた。
「さっきのはMRや。MRってわかる?」
「えっと、何の略かは忘れたけど、現実世界に仮想的なものを浮かび上がらせる技術だよね?」
「そうそう。よう知っとんな。ちなみにMixed Realityの略や」
小さいころは、カザネが出してくれるホログラムの小さな動物たちと遊んでいた。いくつか天井に見える機械は、それの拡張版だろう。
「MR自体は別に、ああいう装置さえあればどこでもできるねんけど、私がやりたいのはMRやない。このCOMNを利用した、興奮度の測定や!」
もっつんがそう言うと、再びさっきのグラフが宙に現れた。恥ずかしいので、止めてください。
COMNを利用した? COMNを着けていれば、黙っていても思考をヒューマノイドに送ることができるけれど、送れるのは頭に強く念じた言葉だけだ。興奮なんていう曖昧なものを数値化なんてできないはず……
「COMNにそんな機能なんてないよね?」
「ないから作った。まだ完成とは言えんねんけど、結構正しくなってきたと思うで」
「その、どうやっているの? というかもっつんはどうしてCOMNを持っているの?」
カザネの話だと、同じ学年のFチルは春君と晃久君だけのはずだから、もっつんはFチルじゃない。首輪型のCOMNを、普通の人が持つはずがない。
「しおりんは、COMNがどういったものか知ってる?」
もっつんは私の目をまっすぐのぞき込んでいる。
「COMNは人の表層意識をヒューマノイドに伝えるもの……」
別にFチルだけが知っていることじゃない。調べれば誰だってわかることだ。だから……大丈夫。
「そうそう、表層意識な。COMNは人が隠したい心の闇なんてもんも読み取れる、ミラクルなものやない。やから、普通やったら興奮しているかどうかなんて読み取れんねんけど、別にCOMN自体は人の心と通信しているものとかじゃなく、元々は人の脳波を読み解くものや。やからやろうと思えば、人の目線や呼吸音、脈拍、体温なんてものは簡単に取得できる。それをぱぱっと解析すれば、思考なんてもんを覗かんでも、興奮してるかどうかなんて分かる訳よ」
「何となくどうやっているかはわかった……と思う。ぱぱっとできることではないと思うんだけど、もっつんはすごいね」
私の正直な言葉にもっつんは、いやぁとすごく照れていた。素直な人なのかもしれない。
「えっと、そもそもどうしてそんなことをしているの?」
「実は、うち社長令嬢でな」
「えっ?」
つながりがまったく分からず驚いていると、もっつんが「これこれ」とどこかの企業の紹介ページを浮かび上がらせた。
『大阪の町工場が、人とロボットを繋ぐ未来を作り出します!』
ど派手な色彩で大きく書かれたその文字の後ろに、多数のロボットが並んでいる。
「ここな」
そういうもっつんは自慢気だ。
「今、なんか政府とロボットの法律関係で揉めててな。その関係でお父さんが仕方なしにこっち出張しとるんやけど、せっかくやから私もユーザーの様子見ようと思って出てきとるんよ。やっぱこっちの方がロボット格段に多いし、これも次期社長としての勉強や」
「すごいね! あの、これ見て良い?」
目の前に浮かび上がる紹介ページを指さして聞くと、「どうぞどうぞ」と嬉しそうに言われた。
もっつんの会社のやっている事業は、ロボットのカスタマイズだ。ロボット自体を一から作ることはないようだけれど、今あるロボットを思い通りに改造するなら日本一と紹介されている。そして、
「ヒューマノイドの容姿調整?」
『どんな美男美女も思いのまま。人と見分けが付かないのは我が社だけ!』と書かれていた。
「それが今の中核事業やな。儲けさせてもらってますわ」
もっつんは満面の笑みだ。
「おお、そうやそうや。興奮度を測っている理由やけど、金持ちのお客さんはみんなヒューマノイド持ってきて『理想の恋人作って』って頼みに来るねんけどな、案外みんな自分の好みなんてもんは分かってないわけよ。作ってみたら、何か違うってクレームが来てさ。こっちは言われた通りに作ったわ! って言いたなんねんけど、そんなんお客さん相手に何べんも言われんやろ? と言う訳で、本人が分かってないものは測ってやろうと思って、試しに作っとるわけよ」
「なるほど……」
わかったような気がするけれど、やっぱり簡単に試すものでもない気がする。
「ヒューマノイドの容姿をいじるのは、別にヒューマノイドを作った会社でもやっているよね?」
「もちろんそうや。でも、あんなんただ整って綺麗なだけや。人って言うのは、ほくろ一つの位置だけで違和感感じる生き物や。完璧に綺麗なの作ってもたら、案外人じゃないっていうのはすぐ気づく。整ってるけど、絶妙な感じで、完璧じゃなくする。それができるのは、うちんとこだけよ」
「そこまでこだわるお客さんって――」
「あぁ、金持ちの道楽はもちろんやけど、国から頼まれることも多いな。この場合は逆に『目立たんようにしてくれ』や。あとは、ヒューマノイド本人か」
「ヒューマノイドが自分で?」
「あぁ、そうや。健気なもんやで。『主人のために、もっと人らしくしてください』って、すでにプロのうちらでも判別しにくい容姿してるくせに、わざわざ我が社を探し出して頼みに来るんや」
「主人って……?」
「そりゃ、もちろん『Fチル』や。愛されとるわ」
何かを思い出すような顔でそんなことを言うもっつんを見上げながら、私は膝の上に置いていた自分の手を握りしめた。




