9.魔王様の困惑 アーデルベルトside
前話、物足りなかったので1800字ほど書き足してます。増やしたのは心の闇の描写です。
アーデルベルト・アルヴァノッサはその笑顔が上品過ぎる。友人にはそう評価されることが多い。
友人のレナウドに『君の皮肉を隠しつつも優雅に微笑する姿は大好きだけども、僕たちの前くらいもっと豪快に笑っても良いんだよ。そんな姿僕だって一度も見たことがないからさ』と寂しげに言われてしまうと、そうだったか?と我が身を顧みてしまう。
豪快に笑う、と言うことそのものがピンと来ないような気もした。とはいえ、君の前ではいつも心から笑っているよ、そう伝えれば彼は柄にもなく顔を真っ赤に染めていた。
さて、その時俺は気が立って居た。
心に余裕などはなく、行く宛のないいら立ちを壁にぶつけ、どうやら花瓶を落としてしまっていたようだ。割れた破片が床に散らばり、その横に立つ当主の姿など間抜け以外の何者でもない。こんな失態は、もはや初めてのようなもの。
まもなく二十歳の、若き当主のそんな姿を人に見られたのだ。しかもメイドのようだ。驚いてこちらを凝視している。
「……出て行け」
心に湧いたのは羞恥心なのだろう。乱暴な言葉を口から吐き出す。けれど、貴族の姿としてはごく普通の命令だった。
「出て行けと言っている」
いたたまれずもう一度言うけれど、メイドが出て行かない。……なぜだ?
ここに来て初めて相手の顔を窺う。よく見ると知らぬメイドだ。確か入ったばかりのものがいたはずだが。低位貴族の者だったと思うが、下級メイドからというのも珍しい。
「……お前、」
『完璧であれ』
どこの誰に言われたのかも覚えていない台詞が頭に響き俺を虐める。どうしてこうも、今日の俺はおかしいのだろうか。
早く一人になりたかった。部屋から出すために女性の腕を掴み上げると、女性は狼狽えた。
「出て行けと言っているのだ!」
勘弁してくれと、耐えられぬ思いで言い放ったその時だった。
自分から魅了の魔法が発動したのを感じた。無自覚に使ってしまったことなど、最初の発動以来だった。
「しまっ……!!」
失敗したと思ってももう遅い。
女性の瞳が一瞬で俺の瞳の色に染まったように思う。ぐらり、と倒れそうになる女性を支えると、女性はぼんやりと宙を見つめている。発動している。そんなつもりではなかったのに。生涯隠し通すはずの能力は、こんなにも簡単に使っていいものではないのだから。
しかし、下した命令は『出て行け』のみだ。……大丈夫か?彼女が出ていけば、そのうち本人も気付かぬうちに時間切れで魅了も切れるだろうが。
だが……なぜ彼女は、命令を実行しないのだ?おかしいではないか。具合が悪いのではないか?
「おい、お前……!大丈夫か?なんだ、入ったばかりのメイドか?」
名前すら分からない。俺の呼びかけにもぐったり頭を垂れている。
顔を覗き込むと、色白の肌には汗が浮かび、頬が朱色に染まっていた。長いまつ毛に縁どられた瞳は怪しげに煌めき蕩けるようだ。襟元まできっちりボタンを締め、きつく長い髪を巻き上げる彼女の禁欲的な容姿とは対照的に、彼女は火照る身体に耐えられぬように、はぁ、と深く息を吐いた。その姿は隠しきれない色香を漂わせていて、瞬間、ゾクリ、と俺の体が震えた。
――なんだこれは?
先ほどまで気に留めることもない使用人に見えていたのに。何が変化した?こうも変わることもあるのか?
美しい女性など見飽きている。
だが知っている女性の姿と何かが確実に違う。
俺の周りの女たちは、触れ合いを好み、遊びでも良いからとしなだれかかってくるような性に積極的なタイプばかりだ。夜の秘め事、どころか昼でも構わないと思うような、慎みも足りない性格なものが多い。
だが目の前の彼女は、恥じらうように俺を見上げ、瞳いっぱいにまるで俺への恋情を込めているかのように、大きな目を俺から離さない。
しかも息も荒く、大きな想いに耐えているかのように、ため息をこぼす。
言葉を出さずとも、溢れそうな想いを感じてしまう。
……魅了魔法の反動か?恋情の命令ならいざ知らず、ただの命令で、今までここまでの姿になった者などいなかったのに。
しかし、この状態はまずい。
魅了魔法をかけた相手に、その効果も切れぬうちに、かけた俺が異性を見る目を向けるのは、取り返しが付かないことになる。
「……気分はどうだ?」
「えっと、最高です……」
……これはどういう受け答えだ?最高とは?
人を呼び、医者を呼んでもらうことを考える。そうなると、今後の俺の人生はまた違ったものになるのだろうが。
いや――もう限界だったのかもしれないな。
ふと、そんなことを思う。
負の情念が俺の中に確実に膨れ上がり、破裂しそうなほどに『荒れ狂う制御不能で狂いそうな何か』になりかけていたのではないか。それは隠し通した俺自身のたった一つの秘密のせいなのではないか。
そうだ。俺はなぜ頑なに、秘匿しようとしたのだろうか。国に届け出なければならない。国の為に使わなくてはならない。『伝承』に新たなページを記載しなければならない、のに。
「名は?」
「マーラでございます」
まだ発動したままなことを確認し、もう一度言う。
「よし。もう用はない。このことを忘れて、仕事に戻れ」
これで効かなければ、人を呼ぼう、そう覚悟を決める。
「はい。でも忘れられません。一生忘れません」
……は?
そこからは怒涛のような女性の心の声が響いて来た。
(だって。あんなに恋した人が、目の前にいる。何度も何度も毎日やりこんだゲーム。繊細で美しい魂を持つアーデルベルト様!魅了魔法と人の心を読む能力で傷ついた心の穴を埋めようと模索するのだ。公式グッズは全部買った。大好きで焦がれて、だからこそ現実には存在しないことに絶望して、それでも夢を見せてくれたことに感謝した、あのアーデルベルト様が目の前にいるのだもの!絶対に、絶対に忘れない。一生の思い出にする。この記憶だけで、老衰で死ぬまでだってひとりで生きていける!)
心の声が長い。
しかも意味が分からない。なんだって?
俺の秘密は『魅了魔法の持ち主であること』。
そうして、『魅了魔法の発動中』のみ、触れた相手の心の声が読める、またイメージしている映像も垣間見れる、ということ。
だから今彼女の心を読めてもおかしくはない。けれど内容がおかしい。映像はもっとおかしい。
彼女の禁欲的な容姿とさほどイメージの変わらない、異国の民の女性の記憶のようだった。
その女性を、彼女は恐らく自分だと思っている。
そうして禁欲的な人間ならば絶対に目にしないと断言できる何かを一日中眺め続けている。
問題が一番大きいのは、ここだ、ここからだ。その、禁欲的な人間ならば絶対に目にしないものは、どうみても俺だ。俺だ。俺の裸体だ。
絵画風に描かれているとはいえ、男の裸体。しかもそれだけでもどうやら済まされていないのだろう、他の裸体との絡み合いも垣間見れる。いやこれ、やってるだろう。
やってる……だと。え、なんだって?
思考が現実から遠ざかるように感じたのは、もはや生まれて初めてだった。意識が自分の肉体を離れ遠く地上から俺を俯瞰して見ている。
「……は、」
俺は息をしていたのだろうか?
彼女は両目から涙を溢れさせ叫んだ。
「申し訳ありません~~~。業務に戻らせて頂きます~~~~」
寄りにも寄って、ここで命令が発動してきている。待て、と呼びかけても、おそらくもう聞こえていない。足音だけが遠ざかってった。
「…………は」
大きく息を吸いこみ、そうして壁にもたれ掛かってから息を吐き出した。
「なんだあれは…………」
そうして落ち着いてから辺りを見回し、床に落ちている花瓶に気が付く。
先ほどまでこの世の終わりのように気落ちしていたことが嘘のように思えるほど、彼女の衝撃が強すぎた。
異国の知識、破廉恥な映像、何より彼女の思考がなんらかの欲に乱れている。
「…………ふっ、はは、ははははっ」
思わず笑ってしまう。
あんな知識を持っている人間などいない。なんらかの工作員として、記憶を植え付けられてやってきたと考えるのが妥当なのかもしれないけれど。
俺の能力が正しく漏洩しているのならば、彼女の記憶を読み取ったあとの俺の行動を監視しているのかも知れない。
けれど、それにしてもおかしい。だれが何の目的で『あの記憶』を植え付けたのだ。あの記憶でないとダメだったのか。むしろ植え付けた人間に会ってみたい。
そうして、あれが本物だと思っている彼女のことが何より気になる。
控えめな、優し気な風貌をしていた。あの小さな頭の中に、多大な妄想が詰まっているとは誰も想像しないだろう。
すぐに執事を呼んだ。新しいメイドの詳しい経歴を調査することを依頼し、そうして明日、呼び出そうと決めた。




